おとといから弱者という呼び方について頭の中で心の中で嫌悪感が抜けない。
「なんでだろう?」と整理し始めなくちゃ自分が気持ち悪いし、こんなキッカケが出来たのだから整理しようという気持ちになっている。
まずは、
弱者をネタにした利権の誘導や優遇の獲得をしようとする人がいるから。
(在日利権や利権なんてのが有名)
サヨク達はこれを「アファーマティブアクション」なんてもっともらしい横文字を使って、さも当然の権利のように主張する。
こういう「生きること、社会への関わりへの手抜き」が本質の、「屁理屈」と「生きていくのには二の次でいい情報や知恵」で、そんな自分を誤魔化そうとす態度に無性に呆れるし、場合によっては引っ叩いて目を覚ましてやりたいほど腹が立つ。笑
おまけに、↑まではいかなくとも、弱者という括りに甘んじる人が出てくるのも嫌。
私が昔、しばらく東横線で通勤していた時代、毎朝一緒になる視覚障がい者の女性がいたんだけど(乗り位置、立ち位置、毎日同じ場所)、座ってる人が気がついて彼女に席を譲ろうとすると「大丈夫です。(かなりキッパリ)」とその親切を断るのだ。
私は毎朝「なんでだろう?」と観察しながら考えた訳だけど、この女性に親切心を向ける大人の表情に嫌な雰囲気が漂う訳よ。
「(自分は優しい人であなたに)同情してますよ。」的な計算の目つきとわざとらしい表情。
彼女を毎日見ているうちに、
「そんなあなたの「自分は気配りできる優しい人」を主張したいがための同情なら結構です。もぅ本当にやめてっ!」
と、心の声がダダ漏れしてる感をある日からキャッチ。
「障がい者なのに強いなぁ。」って感心する日々だった訳よ。
この彼女も弱者と括られてしまう訳だけど、おそらく物凄く嫌悪してると思うわけ。
目は健常者のように見えなくても、普通に社会に関わり、働き、収入を得て、家族の負担も減らしてあげたいんです。
って生きてると思うのよ。
なのにさ、
「震災で弱者が生まれた」
「さらに弱者が生まれてる」
と簡単に口にすんじゃねーわ、って腹が立つ訳よ。
言葉に優しさもないし(甘えていきたい人だけが「優しい~」とはき違えるのも嫌悪)、人として未熟過ぎなんだよって、腹が立つ訳よ。
「愛って言葉は簡単に使いたくないんだけど、、、」とイエモンの吉井さんがたまに口にする。
度にドキッとさせられる。
愛は愛って言葉を吐けばいい訳じゃないから。
周りを理解することかと思う訳よ。
「愛を持ってやろう」じゃない訳。
「社会的弱者」と括って、こういう人達相手に親切にしようだとか、はたまたビジネスしようと考える人にどこまで本当に「弱き者を理解してます?」と問いたい訳。
「自分も弱いし、弱者と括れば社会に親切にして貰えるから、そうしようよ。」という幼稚さが滲み出てるからかなり嫌悪する訳よ。私は。