ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ストレスくらいじゃ甘い甘い。(笑)

2009年07月16日 00時31分16秒 | おもうねーさん
何かを背負ってストレスの過程を突き抜けると「活力が湧かない放心状態」に辿りつくって知ってます?

「ストレス無しで活力が湧かない。」というのは、すみませんがひとまず却下。 うははは・・・
「ストレスあっても何かを背負って生きていませんので。」というのは、すみませんがひとまず却下。 うははは・・・

多分、役者さんとかミュージシャンとかが、
何か大役を引き受けて、それに奔走して、その役を終えた後に襲われる放心状態(虚脱感?)みたいな?

「ポケーーーー」「ぐわーーーーっ」「ぶはぁぁぁぁーーーーー」みたいな。


多分、今、日本もそこに向かっているかと思われ。 ウハハハ。


知ってます?

そういう状態から脱しれるのは、唯一ひとつ「民衆が喜ぶ顔」なんだよね。
「単にニコニコ喜んでるだけじゃなくて、神輿を担ぎ上げるような喜びよう」っていうかね。
「ワッショイ!ワッショイ!」っていうような景気づけっていうかね。


エモーションが必要なんだよね。

(一茂と慎太郎の言葉をかりると。
オリンピック誘致に「国民のエモーションが足りない」っていう風なことを言っていた。笑)

エモーション【emotion】
情緒。感情。感動。心理学では情動という。

じょう‐どう【情動】
恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒。


そういう顔を見ると「またいっちょ頑張りま~~~すっ!!」って活力が湧いて、
模索創作中はストレスでパンパンになったりするんだけど、そのストレスがまた前に押し出すっていうかね。

そんなもんだよね。

「ストレスまるで無し」だとこれまた活力につながらないのだよね。


エモーションの表現が下手な日本人なのに、
輪をかけるように電子化社会が進んじゃって、
変に理屈っぽくて、
変に顔色ばっかり伺って、
変に何でも頭で感情処理しちゃういい子人間が増えちゃって、
そうなると情緒感がどうしても鍛えられないじゃん。

感動も感情も「全部理詰め」に見えちゃうのね、今ってね。

こういう風に表現しておけば・・・

輪を乱さないよね。
喜ばせておけるよね。
楽しそうに見てくれるよね。

が洗練されすぎちゃっていて、しらけっちゃうのね。


橋田先生の「となりの芝生」でも見て、人と人の関係の中の情緒感を勉強するのも一考かもね、とか思う。フフフ。
あれを見ながら「そうだよねぇ。」「でもなぁ。」って相づち打ってるうちに忘れていた何かが蘇ってくるかも。

それと松田聖子の理屈の無さと屈託の無さ。あれはすごい。永遠のアイドルスターやね。
郷ひろみと再婚してほしいなぁ。そうやって湧かして欲しい。(ちゃかしじゃないのよ。本気!)
「スター同士なんだから是非是非そこまで貫いて欲しい!!」って思う訳さ。

「あれから色々あって・・・お互い・・・生まれ変わって・・・再会して・・・・
私が一番最初に憧れたひろみさんと・・・・やっと一緒になることができましたぁ!!」って。

活気づくよぉぉぉぉ。

「It's a 芸能界! 芸能界の芸能界たるや、復活か!!!」ってね。