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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

二つの聖地を訪なう

2011-05-17 | 日記風
連休は混雑するのであまり遠出はしない。今年は連休を利用して、比較的近い比叡山と高野山に登った。今回は山歩きではなく、比叡山では延暦寺にお詣りし、延暦寺境内にある法然堂を訪ねた。高野山は金剛峯寺にお詣りした。延暦寺は最澄が開いた天台宗の総本山で、高野山は空海すなわち弘法大師が創建した真言密教のお寺だ。

 京都では、今年、法然大遠忌800年と親鸞750年の記念の催しが開かれており、いろんな仏教の宗派が入り乱れていて、昔覚えたはずの日本史における仏教の関係が今ひとつよく分からなくなったので、自分ながら整理してみようという意味もあり、大震災の被災者の鎮魂を兼ねて、比叡山と高野山にでかけた。
 
 比叡山は普段なんども登っているが、今回はバスで延暦寺の根本中堂を目指した。かなり急な登り道をバスはあえぎながら上っていく。連休なので、普段はがらがらのバスも、ほぼ満員だ。延暦寺の境内に入るのも、今回が初めて。いつも延暦寺の前を通って比叡山頂上を目指すのだが、今回は頂上に行かず、寺の境内に入る。織田信長に焼き討ちされ、一宇も残さずに焼き尽くされた延暦寺だが、今はおそらく焼き討ちに遭う前よりもずっと立派なお堂が建ち並んでいる。1200年前に都が京都に造られたときとほぼ同じ頃に、この延暦寺が開かれたことを思うと、昔の人はすごいなあと思う。都の鬼門に当たる比叡山の山頂近くにどうしてお寺を建てようとおもったのだろうか。都の人口も今よりずっとずっと少ない時代だから、街を少し離れれば、東山や北山にいくらでも人里離れたところはあっただろうに。やはり都から眺めるもっとも高い山である比叡山の上に造るのが、意味があったのだろう。都からいつでも比叡山の頂上を見ることができるのだから。見られることに意味があったのだろう。延暦寺の存在価値を認識させることもできたのだろう。
 
 高野山はどうだろう。弘法大師(空海)が各地を回り、命の危険を冒して唐の国に渡って仏教の修行を積み、帰国して高野山を開いた。最澄の延暦寺とほぼ同じ時代だ。最澄も空海と同じ時に唐に渡っている。高野山はしかし、比叡山のように都からすぐに行けるところではない。歩くか蓮台に乗って担いでもらうかしかなかった時代、人々は何日もかかって高野山へ詣った。参詣も修行もおそらく命がけだっただろう。高野山は生まれて初めて訪れた。こんなに奥深い山の中に何百という寺が建ち並んでいる。もっとも多いときで、1500ほどの寺が軒を連ねたという。今では寺の数は500くらいらしい。それでも山の上の小さな盆地にこれだけのお寺が建ち並んでいるのは、壮観でもある。いったいここのお寺のお坊さんは、どうやって生活をしているのだろうか。参拝客のお賽銭だけではとても生活できないだろう。でも、その謎は簡単に解けた。高野山にはホテルも旅館もない。多くの参拝客はお寺の宿坊に泊まるしかない。私も宿坊に泊めてもらった。宿坊と言っても、立派な旅館の部屋のようで、個室になっていてテレビもあればお茶の道具もある。お坊さんが食事を運んでくるのが違っているくらいで、宿坊は民宿みたいなものだ。料金も旅館並みだ。けっして安いとは言えない。
 夕食は精進料理が出た。肉けも魚けもない、本当の精進料理だった。おいしかった。当然だが、食事の前にお飲み物は何にしますかなどと聞かれない。酒も飲まず肉を食べない私にとって、まったく安心して食べることができた。味も抜群だった。こんな精進料理なら、毎日でも食べたい。お腹もいっぱいになり、デザートもおいしかった。食べ過ぎたほどだ。
 高野山には、いっぱいのお墓が立ち並んでいる。十万くらいのお墓があるらしい。見ていくと、なかなか面白い。いや、お墓を見て面白いと言っては怒られる。でも、面白い。有名な人のお墓もいっぱい見つかる。歌舞伎俳優の市川団十郎の墓も何代にもわたってある。安芸国の浅野家代々の殿様の墓もある。豊臣秀吉の墓もある。歴史を勉強しながら歩いた。奥の院で尼僧の法話を聞いた。御詠歌を澄んだ声で詠ってくれた。子供の頃、讃岐の家の前を通るお遍路さんたちが、鈴を鳴らしながら御詠歌を詠っていたのを聞いて以来のことだ。この尼さんは涙もろい人で、法話を話しながら、ご自分の父親の死について話すときに、涙で目を真っ赤にしながら法話を説いていた。法話を聞いた後、この尼さんとしばらく話をした。苦労をして成人し、出家した後もいろいろあったのだろう。涙なしでは語れないのだろう。高野山で心が洗われたような気持ちになった。
 後に、浄土宗を開いた法然も、浄土真宗を開いた親鸞も、若いときに比叡山にも高野山にも上って修行をした。仏教の修行の仕方など細かいところは宗派で異なるが、どれも仏教という意味ではみんな同じだ。他の宗派を悪く言うのは創○学○の宗派くらいで、あとはみな仏のありがたさを説く。外国へ行ったときに、肉を食べない理由を聞かれたときには、私は仏教徒だから、といってすませていた。そういうのがもっとも納得してくれるからだ。実際、私はキリスト教やイスラム教のような一神教よりは、仏教の方が心に落ちる。自分は無神論と長い間言ってきたが、ひょっとしたら無神論と仏教は両立するのかもしれないとも思っている。
 それでも日頃はあまり仏のことなど考えもしないが、最近、京都へ来てからだが、寺院に行くと心が落ち着くようになった。周りにいっぱいお寺があるので、寺に行く機会が増えたのもその理由かもしれない。仏様の話をしても京都なら、それほど周りの人たちから浮いては見えないということもあるのだろう。なにより、仏様が多様である。大日如来から阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、などなど、中には不動明王のような恐ろしい顔をした仏様までいる。お寺を回って仏様を眺めていてもけっして飽きない。イタリアのフィレンツエに何日か滞在したことがあるが、どこの教会へ行っても、どこの美術館へ行っても、キリストの絵ばかりなのには本当に飽き飽きしたことを思い出す。
 なにはともあれ、比叡山と高野山、並び立つ二つの聖地を訪れて、震災で亡くなった人に鎮魂の祈りを捧げることができた。この連休は、心に触れる何かがあったような気がする。何かはよくわからないけれど、きっと私のこれからの短い人生において、良かったと思うことに貢献するだろうと思う。