先日、新聞を読んでいたら、福島第一原子力発電所事故で避難していた人が、自宅に一時帰宅したとき、飼っていた犬が死亡していたという投書があった。それを読んで、驚いた。二・三度、途中で家に帰って餌をやっていたという。でも、鎖で繋ぎっぱなしだったらしい。いくらペットとはいえ、鎖に繋ぎっぱなしで餌をやらなければ犬は苦しみながら死んでしまうのは当たり前だ。なぜ、この人は鎖を解いてやらなかったのだろうか。死ねと言わんばかりの扱いではないか。私にはこのようなペットを飼う人の気持ちが分からない。まさに虐待死ではないだろうか。
そして昨日の新聞では、政府が福島第一原子力発電所の半径20km内の家畜を安楽死させることに決めたという。テレビではがれきの中を駆け回っている肉牛の姿が映っていた。彼らを捕まえて毒を注射して殺すらしい。これを虐殺と言わずしてなんという。飼育している家畜を避難させることができないなら、縛めを解いて自由に動けるようにして置けば良いだけのことではないか。彼らは自分で草を食み、原発の放射能の影響が出るまでは、それまで味わえなかった自由を謳歌できるはずだ。20km圏内から出てくれば、それはそれでかまわない。日本の国土はこの程度の家畜が野生化して暮らせる自然は残っている。何のために多くのお金を使って彼らを殺す必要があるのだろう。ひょっとしたら、彼ら牛たちが原発の放射能をあびて死んでいくのを見られるのは、政府にとって困ったことなのだろうか。その前に殺してしまえということかも。
ペットを震災のがれきから救い出すボランティアの人たちが活躍している。それはそれで有益な活動であるだろう。しかし、ペットを助けて元の飼い主に戻すのは、ペットのためではない。飼い主の人間のためである。もし、ペットの動物を救い出すのが目的なら、むしろ繋がれてしまっているペットたちを、くびきから解き放ち、自由にすることをこそ、するべきことではないだろうか。ペットたちは、生まれて初めての自由を謳歌して、自由の喜びを知るだろう。
そして昨日の新聞では、政府が福島第一原子力発電所の半径20km内の家畜を安楽死させることに決めたという。テレビではがれきの中を駆け回っている肉牛の姿が映っていた。彼らを捕まえて毒を注射して殺すらしい。これを虐殺と言わずしてなんという。飼育している家畜を避難させることができないなら、縛めを解いて自由に動けるようにして置けば良いだけのことではないか。彼らは自分で草を食み、原発の放射能の影響が出るまでは、それまで味わえなかった自由を謳歌できるはずだ。20km圏内から出てくれば、それはそれでかまわない。日本の国土はこの程度の家畜が野生化して暮らせる自然は残っている。何のために多くのお金を使って彼らを殺す必要があるのだろう。ひょっとしたら、彼ら牛たちが原発の放射能をあびて死んでいくのを見られるのは、政府にとって困ったことなのだろうか。その前に殺してしまえということかも。
ペットを震災のがれきから救い出すボランティアの人たちが活躍している。それはそれで有益な活動であるだろう。しかし、ペットを助けて元の飼い主に戻すのは、ペットのためではない。飼い主の人間のためである。もし、ペットの動物を救い出すのが目的なら、むしろ繋がれてしまっているペットたちを、くびきから解き放ち、自由にすることをこそ、するべきことではないだろうか。ペットたちは、生まれて初めての自由を謳歌して、自由の喜びを知るだろう。