先週と今週、毎週2度ずつ東京へ出かける羽目になった。日帰りだったり、一泊二日だったりで、用事を済ませたらとんぼ返りなので、落ち着いて小江戸の風情を楽しむ暇もない。東京の地下鉄や山手線を乗り継いで移動しているときに感じるのは、なぜこんなにみんな忙しそうに歩いているのだろうか、という思いだ。でも自分も結構急いで歩いていたりして(笑)。
京都に移ってきたときに感じたのは、京都の人はのんびりしているなあ、という思いだった。まず市内バスがのんびり走る。バス停で降りる人たちものんびりしている。東京から来たときは本当にいらいらした。体の不自由なお年寄りがのんびりと降りるのは、仕方ないと思うが、若い人もけっして急がない。ゆっくりと両替をし、落ち着いて料金を払う。関東のようなICカードを使った便利な料金支払いができない。しかもバスカードの読み取り機械の反応が非常に遅い。関東のバスなら、カードを入れたら瞬時に排出される。ところが、京都のバスカードの読み取り機は、カードを入れてから出てくるまでに数秒かかる。歩きながらカードを入れるから、すぐに出てきたカードを取って行こうとするが、カードが出てこないから、結局のところ、そこでしばらく足を止めて待たなければならない。いらいらした。
でも、みんながのんびり降車している理由が分かってきた。のんびり降車しようが、急いで降車しようが、バスは定時運行しかしないのだ。時刻表を厳格に守ろうとし、少し早めに着いたら、バス停でバスは停車して時間調整をすることが多い。関東のバスでは考えられない。なぜかと考えた。どうやら京都のバスの時刻表は、遅れることを見込んで遅めに設定してあるらしい。一方、関東のバスは、順調に走ったときの所要時間で時刻表を作っているから、遅れることはあっても早くなることはないようにできているのだろう。市内バスで時間調整をしているバスを見たことはない。
というわけで、京都のバスは「今日は道路が空いているから早めに到着するだろう」と考えてもけっしてそうはならない。自宅から京都駅まで約40~50分かかるが、どんなに朝早い時間でもそれだけの所要時間は覚悟していかねばならない。早朝なんてもっと早く着けるんじゃないかと思うんだけど、けっしてバスは時刻表よりも早くは着かないのだ。
その他にも、京都のスーパーのレジ係はのんびりしている。一つ一つの商品をゆっくりと読み取り機にかける。見ていると、価格読み取り機の速さは関東のものと変わりなく、ピッと言う音がすれば瞬時に価格は記録されている。しかし、一つ一つの商品を機械にかけるのがやはりゆっくりとしている。関東のレジ係の速さは、新人のレジ係以外は、まるで人間業とは思えないほど早い。あれは疲れるだろうなあと、同情するほどであるが、やはりレジ係が早いところに人は列を作るから、ますますレジ係は圧力を感じてスピードを上げざるを得ない。そう言う意味では、京都のゆっくりとしたレジのやり方は、いらいらさせられるが、慣れてくれば人間的なのだろう。どちらが良いか。やはり人間的な感覚がある方がいいに決まっている。京都の「はんなり」という精神は、そういうものなのかもしれない。
それでも東京へ行くと、バスが着くや素早く降り、どんどん列が進んでいくレジを選ぶ。体が動けるときはその方が快適に感じるが、自分の体が思うように動かなくなったときは、関東の素早さはきっとお年寄りや障害者には生きづらいと感じるのでは無かろうか。私がそのように思うようになったとき、私はどちらを住み場所に選ぶだろうか。
京都に移ってきたときに感じたのは、京都の人はのんびりしているなあ、という思いだった。まず市内バスがのんびり走る。バス停で降りる人たちものんびりしている。東京から来たときは本当にいらいらした。体の不自由なお年寄りがのんびりと降りるのは、仕方ないと思うが、若い人もけっして急がない。ゆっくりと両替をし、落ち着いて料金を払う。関東のようなICカードを使った便利な料金支払いができない。しかもバスカードの読み取り機械の反応が非常に遅い。関東のバスなら、カードを入れたら瞬時に排出される。ところが、京都のバスカードの読み取り機は、カードを入れてから出てくるまでに数秒かかる。歩きながらカードを入れるから、すぐに出てきたカードを取って行こうとするが、カードが出てこないから、結局のところ、そこでしばらく足を止めて待たなければならない。いらいらした。
でも、みんながのんびり降車している理由が分かってきた。のんびり降車しようが、急いで降車しようが、バスは定時運行しかしないのだ。時刻表を厳格に守ろうとし、少し早めに着いたら、バス停でバスは停車して時間調整をすることが多い。関東のバスでは考えられない。なぜかと考えた。どうやら京都のバスの時刻表は、遅れることを見込んで遅めに設定してあるらしい。一方、関東のバスは、順調に走ったときの所要時間で時刻表を作っているから、遅れることはあっても早くなることはないようにできているのだろう。市内バスで時間調整をしているバスを見たことはない。
というわけで、京都のバスは「今日は道路が空いているから早めに到着するだろう」と考えてもけっしてそうはならない。自宅から京都駅まで約40~50分かかるが、どんなに朝早い時間でもそれだけの所要時間は覚悟していかねばならない。早朝なんてもっと早く着けるんじゃないかと思うんだけど、けっしてバスは時刻表よりも早くは着かないのだ。
その他にも、京都のスーパーのレジ係はのんびりしている。一つ一つの商品をゆっくりと読み取り機にかける。見ていると、価格読み取り機の速さは関東のものと変わりなく、ピッと言う音がすれば瞬時に価格は記録されている。しかし、一つ一つの商品を機械にかけるのがやはりゆっくりとしている。関東のレジ係の速さは、新人のレジ係以外は、まるで人間業とは思えないほど早い。あれは疲れるだろうなあと、同情するほどであるが、やはりレジ係が早いところに人は列を作るから、ますますレジ係は圧力を感じてスピードを上げざるを得ない。そう言う意味では、京都のゆっくりとしたレジのやり方は、いらいらさせられるが、慣れてくれば人間的なのだろう。どちらが良いか。やはり人間的な感覚がある方がいいに決まっている。京都の「はんなり」という精神は、そういうものなのかもしれない。
それでも東京へ行くと、バスが着くや素早く降り、どんどん列が進んでいくレジを選ぶ。体が動けるときはその方が快適に感じるが、自分の体が思うように動かなくなったときは、関東の素早さはきっとお年寄りや障害者には生きづらいと感じるのでは無かろうか。私がそのように思うようになったとき、私はどちらを住み場所に選ぶだろうか。
北海道の「なんも」と言う言葉もゆったりしてる北海道人の気質を現していると思いました。ただ、車を運転すると人が変わったように飛ばしていて驚きましたが。
京都の人は、車の運転もゆったり、ゆっくりしているのでしょうか?
もっとも京都人は車を運転しないのかもしれません。京都の町を走っている車の半分くらいは他県の車のような気がします。