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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

落ち葉はゴミではない

2012-11-22 | 花と自然
京都の紅葉もかなり進んできた。有名どころはほぼどこも見頃を迎えている。観光客も増え続けている。晴れた祝日や休日があれば、これは恐怖の大渋滞が起こりそうだ。散歩道の琵琶湖疎水に沿った道も、桜並木の紅葉はほぼ終わり、落ち葉が次々と落ちてくるようになった。この疎水沿いの道で、毎日落ち葉を掃き、せっせとゴミ袋に詰め込んでいる人がいる。道路に落ち葉が積もるのは嫌なのだろうか。私は、道路に落ち葉が積もるのは大好きだ。とくに秋の落ち葉は美しい。はらはらと散るのもすてきだが、赤や黄色の落ち葉が散り敷いて見事な美しさを見せるのは、もっと好ましい。まして、この歩道は、アスファルトで舗装しているが、そこに落ち葉が降り積もると、歩く足にもふわふわと易しい。それなのに、なぜ人々はこの落ち葉を掃いて集めてゴミ袋に詰めて、ゴミ収集車に持っていかせるのだろうか。落ち葉のないアスファルトの道は、歩くと足に負担をかける。落ち葉がふわふわの道を歩きたい。

 車が走る道なら、落ち葉が積もると車の運転に支障があるのかもしれない。しかし、歩く人以外には通らない疎水沿いの歩道で、なぜ落ち葉をせっせと掃いて、コンクリートむき出しの道にしなければいけないのだろうか。落ち葉はけっしてゴミではない。並木を作る桜やさまざまな木々にとっては、苦労して生産した有機物なのだ。冬になって落としたとしてもそれは地上で分解して、やがて木々が自分の栄養として吸収できるものなのだ。それをゴミにして燃やして処分するのは、単に二酸化炭素を増やすことになるだけではないか。

 街路樹の剪定もひどい。まるで樹木が丸太ん棒のようになっている。これは木を生き物と見ていないせいではないだろうか。生きている木をあんなに切り刻むのは、止めて欲しい。木もきっと泣いている。都会の緑をもっと大事にしたい。生き物として扱ってやりたい。

大原の山を歩く

2012-11-21 | 花と自然
最近体調がすぐれない。血圧もかなり高くなってしまった。血圧が高い日は、頭痛がする。これではいけないと思うが、薬を飲もうとは思わない。やはり体を動かす運動が一番だと思い、日頃の運動不足を解消するために、休日はとにかく山歩きをしようと決心した。といってもなんやかやと仕事や雑用や義理があって街中にいなければいけないことが多いので、あまり遠くまで行けそうもない。先日の休みは、4年前の今頃、京都へやってきた直後に歩いた大原の山「金比羅山」に登ることにした。

出町柳のバス停から大原行きのバスに乗ったが、これが超満員。乗り込むのにもステップに立っている乗客を体で押し込むようにしなければ乗り込めない。紅葉の季節の京都は、とにかく人が多い。大原のような観光地はさらに乗り物は混む。ザックを背負っているととても乗り切れないので、ザックは手に提げて乗るが、乗客の中には山へ行く人たちもいて、平気でザックを背負ったままの人もいる。肩から荷物を提げている人もいる。彼らは自分の行為がこの混雑を招いているとは、思ったこともないのであろう。まるで他人事だ。

 前日の大雨の後だから、道は濡れて滑りやすい。戸寺のバス停から歩き始めて、江文峠を目指す。この道は先月歩いたばかりなので、どんどん飛ばす。江文峠は国道が通っていて、車がブンブン通るので、とても峠とは思えない。その脇の金比羅神社の鳥居をくぐって、金比羅山への登山道をたどる。4年前に金比羅山に登ったときは、たしか大原から登り、南へ下りたように思う。そのときは、金比羅山の頂上付近の登りがかなり厳しかったような思い出がある。しかし、今日はそれほどの疲れもなく、1時間半後には573mの頂上に立っていた。やはり低い山だ。頂上を後にして北の稜線を下り始める頃、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。風も出てきた。北の風に代わって、体を冷やす。もう少し気温が下がればこれは雪になりそうだ。鞍部までの下りはかなり急だ。両足だけでは歩けない。ところどころ木の幹や根につかまり、岩にしがみついて下りていく。

 鞍部に下りてまた登り返す。この坂も急だ。しかし、距離はそれほどでもない。560m峰まで登り返して、さらにまた急な坂を下りる。もう一度登り切ったところが、翠黛山577mの頂上。4年前に登ったときは、雪があったような記憶があるから、12月に入っていたのだろう。紅葉を期待したが、このあたりの低山はどこも杉檜の人工林ばかりで、あまり紅葉は見られない。翠黛山の麓に建礼門院が人生の後半を過ごした寂光院がある。頂上の立て札には、建礼門院がここまで登って花を摘んだと書いてあるが、本当だろうか。結構険しい道がある。当時は今のようなしっかりした登山道は無かっただろうから、着物を着た高貴な女性が登ってくる様なことは無かったのではないか。

 翠黛山から北の尾根通しを歩き、百井峠へ抜ける十字路から大原へ下る道をとった。寂光院まで下りてくると、大勢の観光客でごった返している。さすがに大原の里に下りてくると、紅葉がきれいだ。里には杉や檜の人工林がないからだ。この日は4時間の行程を3時間で歩いた。おかげでその夜の血圧はかなり降下した。やれやれ。

今年の紅葉は?まだ?

2012-11-06 | 花と自然
そろそろ紅葉も見頃ではないかと、比叡山に登った。山歩きもしばらくしなかったから、歩き慣れた比叡山の雲母坂さえも、足が重たい。歩き始めの10分で、もはや休憩を取りたいほどだった。30分まで我慢して歩いて、休憩をとった。これまでの山歩きで、歩き始めにこんなに休みが欲しいと思ったことはなかった。どうも体が重くなったせいかもしれない。体重を減らす努力が必要なのだが、少し食事制限したらお腹が減って、ついつい間食をしてしまう。

 足が重たい、足が痛いと思いながらも、ほぼ予定の2時間ちょうどで延暦寺根本中堂に到着した。まだ紅葉は早いようだ。ほんの一部の楓が赤く染まっているが、秋深しという風情は見られない。それでも天気の良い秋の日曜日と言うこともあって、比叡山延暦寺の境内は人で埋まっている。法然堂の堂守さんに会いたいと思って、急な坂道を下って法然堂を訪ねたが、堂守さんはお二人とも留守だった。



 観光客に混じって、茶店で田舎ぜんざいを食べ、八瀬へ下りる道をたどった。ススキの穂が揺れ、あまり使われていない林道からは、秋の色が見える。夕方になると気温も下がり、秋深しと成ってきた。夕方は暗くなるのが早くなった。考えてみれば秋分の日が過ぎてはやくも1ヶ月以上が過ぎている。冬至までの半分に来ているのだ。時がたつのも早い。 今年も、あと2ヶ月を切ってしまった。まだ紅葉が始まったばかりなのに、冬がもうそこに来ている。


秋晴れの一日 京都北山麓

2012-10-01 | 花と自然
京都北山のもっとも街に近いところに瓢箪崩山という変わった名前の山がある。一度登った瓢箪崩山がなかなか良かった印象があるので、涼しくなったこともあって、瓢箪崩山に登ろうと出発。出町柳から大原行きのバスで戸寺へ。ここで南へ行けば瓢箪崩山だけど、標識を見ると東海自然歩道が鞍馬方面に続いている。瓢箪崩山は、もっと紅葉が始まってからに取っておこうと、今日はまだ歩いていない江文峠方向へ歩き出す。山里の中の舗装道路をたどっていくと、まもなく江文神社に到着。ここまでは昔金比羅山に登ったときに、通ったはずなのだが、ほとんど思い出さない。
 江文神社から金比羅山に行く道を見送り、少し元来た道を引き返し、西に折れる道を行く。沢の半分を水の通る溝と歩く道に仕分けして整備した道をたどっていくと、やがて国道に出る。江文峠は、国道の途中にある。ここからしばらく国道を歩いて、静原の町に出る。車がひっきりなしに通っていて、危ない。こんな道が東海自然歩道になっているとは。静原は、京都市左京区の一部なのだが、田舎の風景が心地よい。コスモスでまちづくりをしているようで、いろんな休耕田にコスモスが植えられて、いまもっとも美しい時だ。静原神社にお詣りをして行く。静原神社は、下鴨神社の下社らしい。毎年、静原から下鴨神社のお祭りに手伝いがいくとか。神社も身分の上下が厳しいのかも知れない。田んぼの畦には、真っ赤なヒガンバナが咲いている。今年は遅くまでヒガンバナが見られる。曼珠沙華の花にナガサキアゲハ雌。子供の頃は、四国でもあまり見なかった南方種だが、今では京都でも多い。関東でも増えているらしい。これも温暖化が進んだ証拠だ。


 静原から、鞍馬へは薬王坂を越えていく。薬王坂への道はコンクリート舗装しているが非常に急坂で、途中放置されたような別荘が立ち並んでいる。バンガロウに使われたのかも知れないが、いまでは使っていない。その一つを改装して別荘?にしている家があった。でもこのまわりはほとんどがヒノキの林で、薄暗く、あまり別荘生活が快適とは思えない。舗装した坂がどんどん急になってくると、舗装が途切れ、ひと登りすると大木の下に板碑がある。1300年代に建てられた碑で、夫の死を悼んだ妻が建てたと書いてあるようだ。800年近くもたっているとは思えないように、コケもなく、花崗岩の板碑は白い。これは誰かが頻繁に掃除をしているのだろうか。それとも1300年代に建てられたのはウソかも。あまりにきれいすぎる。また、説明板にこの大木を赤松としていたが、これはどうみても杉の大木だ。
 そこから薬王坂はすぐのところだが、坂がきつい。登り付いたところで弾んでいる息を整え、昼ご飯にする。弁当は、戸寺で買った椎茸海苔巻き。椎茸は放射性物質が多いかも知れないので、ちょっと躊躇したが、京都のものなら汚染はそれほどでもないかと思って食べる。日本の食事は、これからずっとこういう風に心配しながら食べなければならなくなった。
 薬王坂から南に道を取り、竜王岳(500m)に登る。今日の唯一の三角点だ。比較的登りやすいアカマツ林の中の道を歩いて、頂上は15分くらいで着いた。頂上には、塚がある。誰かのお墓かなと思ったら、経塚だった。塚の下にはお経が埋められているのだろうか。



 薬王坂に戻り、鞍馬への道を下る。下り着いたところは小さな八幡宮。川を越えるとまもなく叡山電車鞍馬駅だ。

涼を求めて沢を歩く

2012-08-01 | 花と自然
連日36~37℃という暑さが続く。ようやく7月が終わったが、たしか今年の7月はじめはまだまだ涼しかった。30℃を超える暑さが始まったのは、わずか3週間前だった。これからこの暑さがこれまでの2倍以上続く。エアコンを拒否している私も、さすがに頭がもうろうとしてくる。せめて夏には高い山に登ろうと思って計画していたが、諸般の事情で行けなくなった。せめてどこかに登らないと体がどんどん衰えていきそうで、怖い。毎日滝のような汗をかきながら、しかし体重は減らないのは、運動不足があるのだろうと思う。

そこで、沢歩きをしようと思い立った。沢登りというほどの経験も無いし技能ももっていないが、登山道を歩く代わりに水の中を歩けば、低い山でも暑さにばてて熱中症になることもないだろう。頂上を目指そうと思えば、登山道をひたすら登るのが効率的だが、頂上に登るのを目的とせず、涼を求めて川を歩くだけであれば、どこの川でも行けそうだ。いいことを思いついた。

さっそく、琵琶湖の南にある湖南アルプスの麓の川へ行ってみた。ここは、湖南アルプスに登りに行ったとき、なかなか良い谷川があるなあと思ったことを思い出した。水は澄んで適度に流れており、ところどころに腰掛けるに良い石があったり、座って足を水につけてお弁当を食べるのにも良いところがある。30分ほど歩いただけだったが、沢が狭くなり、山が低いだけあって、すぐに水が少ない沢になってしまう。そして、観光名所にもなっている10mくらいの大滝に出て、今日の沢歩きは終わった。帰る途中で水際のヤマモモの木を見つけ、たくさんのヤマモモの実を集めた。ところが、そのヤマモモの幹に数本のクマの爪痕が残されているのを見て、慌てた。どうやらヤマモモの実を採るために、木の幹に爪を立てて木を揺すったように見える。ということは、ごく最近のことではないか。ヤマモモの実を集めてただちに帰りに着いた。

同じ川を下ったが、高低差があまりない川だったので、途中には小さな滝もほとんどない。涼しくて良いが、あまりの初心者向きにちょっとつまんない沢だった。沢登りをする人はきっとこんな沢には来ないに違いない。もっとも大滝の壁面にはハーケンとボルトが残置されていたから、この滝には練習にでも来ているのだろうか。登山道を歩いている人を一人見かけただけで、沢に人はいなかった。水遊びに来る人もいないようだ。

そして、一週間後、今度はすぐ近くの地蔵谷川を沢歩きする。1mから2mくらいの簡単に超えられる滝がいくつか並んで小規模ながらシャワークライミング的なところもあり、なかなか楽しい沢だったが、上部にも砂防ダムがあり、その上は行ってみなかった。そこまで、ゆっくり歩いて1時間。ちょうど良い時間だ。この沢はずっと遡行すると比叡山に登るのだろうと思う。何も道具が無いと、1mの滝も垂直だと越えられない。暑いときの低山の代わりにはいいかもしれない。登り口までは、バスで10分くらいだ。8時半に家を出て、12時半には家に帰り着いた。

ホタルを楽しむ京都

2012-06-13 | 花と自然
毎年恒例になっているホタル見物。今年は5月の低温で少し遅くなるかと思ったが、5月22-3日頃に、ホタルが見え始めた。しばらくはあまり飛び回らなかったが、5月末あたりからは、賑やかに飛び始めた。夜になると、夕食を済ませて近くの琵琶湖疎水にホタルを見に出かける。昨年までは夕涼みがてら、出かけていたが、今年はホタルが出ている時期は、夜になると肌寒いくらいで、どうも季節感がおかしくなっている。

 遠くの友人を招いたりして、何度かホタルを見ながら疎水沿いの散歩道を夜歩くのは、楽しみの一つとなった。ホタルを見たことない子供たちも、初めての体験に、しばし言葉を失う。ホタルは黙って静かに見るのが良い。そうすると、ぼやっと光る蛍の灯りがなんともいえず、心を癒やしてくれる。

 ところが、最近、携帯やスマホとかいうものが蔓延し、京都の蛍見物に関する情報サイトができたりして、いろんな人がいっぱいやってくる。蛍の数よりも見物客の方が多い。今年の蛍は、出現数が昨年に比べてかなり少ない。疎水沿いではただ一ヶ所だけ、たくさんの蛍が舞っている場所がある。そこは周りに車が走る道路がなく、周りも草が生い茂り、樹木も枝を水面に伸ばしている。そして街路灯や周辺の家の灯りもほとんどないのが、蛍がたくさん集まる理由なのだろう。疎水沿いの街灯や民家の灯り、自動販売機、車の通行など、この時期だけでも良いからもっと規制できないものだろうか。京都市は、蛍がいっぱいいた高野川の河川改修をやったりして、それ以後ホタルが出てこなくなってしまった。そんなことをしている京都市だから、ホタルなどどうでもいいのかもしれないが、お寺と神社だけが京都の良さではないのだ。

 中には、懐中電灯を持ってきて、蛍を見るのにライトで照らしてみている人がいる。いったいどういう了見なのだろうか。他にもたくさんの人が、幽玄の世界を楽しんでいるのに、自分のためにライトで照らすなんて。本当に、エゴイストだ。ホタルを写真に撮りたいと何度か試してみたが、いまどきの自動制御のカメラでは、写らない。中にはストロボを光らせている人もいる(笑)。

 ようやく、蛍の最盛期が過ぎた。今夜と明晩も蛍を見るために、夜中にいそいそと出かける予定だ。そろそろ今年最後の蛍になるかも知れない。いつまでも蛍が楽しめる町であって欲しい。

サンナシ小屋で、時の流れを知る

2012-04-19 | 花と自然
七ヶ月ぶりにサンナシ小屋を訪れた。春の兆しはたしかに道東の地にも感じられるが、例年と違いその歩みは遅いようだ。さすがに道路には雪はないが、道路を外れれば、まだまだ雪が多い。川の上には氷が覆っている。川の水は雪解けで濁り、水かさも増して、あちこちで小さな洪水が起こっている。例年なら、福寿草が咲き乱れ、日当たりの良いところではギョウジャニンニクが芽生えて、気の早い人たちは山菜採りに入っているころだが、今年は福寿草が少し咲いているだけで、蕗の薹もまだ蕾のままのものが多い。ギョウジャニンニクは影も形もない。

 水たまりには、まだ氷が浮かび、エゾアカガエルは声も姿もない。それでも雪解けは毎日確実に進んでいるようで、歩く道はぬかるみがひどい。長靴なしではとても歩けない。

 サンナシ小屋は、建ててから今年ではや9年目になる。当初は、木の外壁が白々しくて、周囲の風景から浮いていたが、その外壁も黒く色が変わり、小屋の姿が周りの風景にとけ込んでしまった。それはそれでとっても良いのだが、黒くなったのは木が腐朽してきたことも意味する。

 今日は、サンナシ小屋への道でタンチョウの姿を見なかった。いつもなら、2羽で並んで餌を探していて、私の姿を見かけると、あの鶴の一声で警戒音を発して、さらに近づくと大きな羽を羽ばたかせて、みごとな飛翔を見せてくれるのだが。そういえば、水鳥観察館で、今年は雪と氷が湿原の上からまだ無くならないから、タンチョウの夫婦が巣作りができなくてウロウロしているという話を聞いた。この季節の遅れが、タンチョウの行動にも大きく影響しているらしい。今日は、その代わり、オジロワシが珍しく10羽近くも大空を悠然と飛び回っていた。ふだんオジロワシが見られても、せいぜい1羽か2羽程度だから、これだけ勢揃いして大空を飛翔しているのは、さすがに豪勢な光景だ。オオワシも1羽ほど混じっている。

 どろんこ道を苦労してサンナシ小屋にたどり着いて、驚いた。小屋の土台は、太いトドマツの丸太で造っているが、その一つがつぶれている。さらにそのせいで、もう一つの土台も傾いている。つぶれた土台は、どうやら腐朽菌が入ったらしく、中はすかすかになっている。これでは小屋の重量は支えきれないだろう。みごとにつぶれてしまった。9本の土台の7本はまだ問題はなさそうなので、小屋は一応平衡を保っているようだが、つぶれた土台の一番近い窓は、多少変形が始まっていて、開きにくい。

 濃霧で知られる厚岸の気候の中では、9年もたてば、木造のサンナシ小屋がいつまでも原形をとどめていられるはずはないのは、頭で考えれば当たり前なのだが、これまで私が死ぬまでにこのような事態が来るとは、考えてもいなかった。なんとか対策を考えないといけない。とは言いながら、今回はどうしようもない。なんとなく、自分の死ぬときが見えてきたような気持ちになって、帰ってきた。

 もっとサンナシ小屋を使う頻度を増やし、対策も取っていかねばならない。年を取っても若いつもりでいるのと同じように、時間が過ぎていってもそう思わない人間の感じ方が、有無を言わせぬ時の流れの前に、ただただ頭を下げるほかないことを思い知った日だった。

飯道山の麓で道に迷う

2012-04-09 | 花と自然
遅かった桜もようやく咲きほころび、うららかな気候になった。京都の桜に大勢の観光客が来て、毎年のような賑わいがたけなわである。待ちわびた春に、人間も花もいっせいに動き出した。その桜と人に背を向けて、信楽高原の飯道山に登った。バス、京阪、JR東海道線、草津線、信楽高原鉄道と乗り継いで、距離的に近い割には交通は不便なところだ。

飯道山は、標高664m。低山である。もっとも信楽高原そのものが高原という名前にもかかわらず、わずか200m前後の標高しかない。今年に入って登った山がみんな極めつけの低山ばかりで、山登りという感覚はなかった。今回は前2回よりも少し標高は高い。体が弱っているのかたるんでいるのか、高い山に一気に登る自信がなくなったので、夏の高山登山に向けて、すこしずつでも標高を上げていこうと考えた。その結果の664mだから、2000mを超えるのはいつのことになるやら。

貴布川から歩き始め、飯道寺(三大寺)や日吉神社を通って、登山道を歩く。登山者は誰も居ない。しかし、この日は最高の天気で、朝方冷え込んだが、歩いている内に日だまりでは汗が噴き出てくるようになった。低山登山が暑さで無理になるのもまもなくだ。飯道山観光協会という名前の道標があちこちにあり、道に迷う心配はない。これだけ親切に道標が整備されているのに、ほとんど歩いている人はいないのは、どうしたことだろう。人が来ないので、観光協会が道標を作って人を呼んでいるのかも知れない。だとすると、今のところ効果はなさそうだ。頂上までに2ヶ所ある休憩所も立派な作りの小屋である。でも人はいない。

左羅坂(ざれざか)とよばれる花崗岩のごろごろした道が枯れ沢の横に付いている。沢は枯れたが、この坂道には、水がしみ出している。枯れ沢の奥に、狭い段々畑のような石積みがつづく。場所からしても棚田の大きさからしても、これは稲作の跡では無さそうだ。水は涸れているが、おそらくわさび田のあとだろう。昔はこの沢に、きれいで冷たい水が流れていたのだろうが、いまは水のひとしずくもみられない。気候変動が影響したのだろうか。それとも山の開発だろうか。でも頂上方面には林道の開鑿以外、特別人手が入っているようにも思えない。

頂上には、二つのグループが憩っていた。ここで昼ご飯にしようと楽しみにしていたのだが、狭い頂上の広場の真ん中に陣取っている3人組の男たちが、全員煙草を吸っていて、その煙が頂上の広場のどこに居ても漂ってくる。とてもたまらず、頂上には20秒くらいいて、すぐに下山に掛かった。20分ほど下ったところで林道に出た。日の光がさんさんと降り注ぐ林道の上に座り込み、ゆっくり弁当を食べる。

下りは早い。あっというまに麓の飯道神社に到着した。このあたりの有名な神社らしくて、平安朝の時代の創建だという。ゆっくり見る暇もなく、下山する。信楽の町に出て、信楽高原鉄道の雲井駅を探す。ここで駅の位置が分からなくなって、たいへん苦労をした。というのは、地図を見ながら駅の方をさして歩いていると、道標がある。その道標が左を指している。地図では直進のはずなのに。ちょっと迷ったのだが、道標の言うとおりに左にまがり、駅を目指した。ところがどうもおかしい。それらしい駅はもちろん、線路も見えない。電車も走っていない。もっとも信楽高原鉄道は、一時間に一本しか電車は走っていないので、普段は電車を見ることがほとんどないということが、後で分かったのだが。

変な沢に入り、沢沿いの道をどんどん歩いていると、行き止まりになり、しかたなく目の前の川を渡ると、どうやら民家の敷地の中に入ってしまった。慌てて回り右をして、もとの道標のところまで歩いていると、信楽から貴布川に向けた電車が走ってくるのが見えた。ようやく線路のありかがそれで確認できたが、駅の場所はやっぱり分からない。道標のところに来て、もう一度確認したが、やはり矢印はさっき私が行った方向を向いている。ふたたび道標の指示に従って歩いて行くと、同じところに出てしまう。そろそろ足も棒になってきた。三度、道標のところまで来て、考えた。道標を無視して、地図で考えられる方向を目指そうと。重い足を引きづりながら歩いて行くと、ようやく駅が見えてきた。

どうやら、道標が誤ってつけられていたようだ。新しい道標ではないが、大きくて、しっかりと石柱に取り付けられているから、まさか道標の向きが違っているとは思わなかったのが、敗因だ。親切な道標が整備されているため、ついつい信じてしまった。でも、道標はウソを言ってもらっては困る。だれかがきっと誤って取り付けたのだろうが、これまで誰も指摘しなかったのだろうか。それとも最近、道標が倒れたりして緊急に取り付け直したときに、作業員がよくわからないまま適当に縛り付けたのだろうか。どちらにしても、人騒がせだ。

雲井駅について、疲れた体を癒やす。電車はまだ40分以上待たないとこない。時間繋ぎの本も持って来なかったので、昼寝でもするしかない。うらうらと春の日が差し込む古い駅舎で、いねむりをするのも良いかもしれない。と悔しさを紛らせながら、長い間電車を待った。

信楽には、信楽焼の竈があちこちにあり、民家の軒下には、信楽焼の狸の置物がずらっと並んでいる。車できたら、もっといっぱい見るところがあるのだろうが、駅前を通る巡回バスも、日曜祝日は運休とか。動いていても午前1回、午後1回程度だから、とても観光には使えない。

待ちくたびれて、歩きくたびれて、家に帰った。この程度の山歩きで足がこんなに疲れるようでは、困る。歩けなくなるまでに、もっともっと山を歩きたいから。



近江富士に登る

2012-03-25 | 花と自然
琵琶湖の東南を新幹線で通るとき、窓外に見事な三角形を見せる山が見える。高さはたいしたことがないけれどもその形の良さは人々の目を奪うに十分だ。その思いは大昔の人も同じだったようで、この山、三上山は、近江富士とも言われ、麓にある三上神社のご神体そのものでもある。俵の藤太の大ムカデ退治の伝説でも有名な山である。きっとムカデも多かったのだろう。



 前回の雪野山に続いて、琵琶湖の周辺に孤立する山に登ることにして、三上山を選んだ。標高は432mと雪野山よりは高いが、それでもたいしたことはない。歩行時間もガイドブックによると2時間半くらい。のんびりと歩けそうだ。東海道線の野洲駅からバスに乗らず歩く。車の通行が多いので、あまり楽しくのんびり歩くという風情ではない。30分くらいで、三上神社に着く。本殿は国宝だというので、参拝した。たしかに小ぶりだが、その造りは風格がある。あまり大きな神社ではないが、山門、参拝殿、本殿の三つがすばらしい。



 その脇から登山道が頂上に向かって伸びている。途中の妙見堂跡まで、ずっと石の階段が続く。しかも傾斜はかなり強い。432mの頂上まで、ほぼまっすぐに上るため、階段が急に感じられる。道の両側にはいたるところでイノシシが餌を漁った跡が見られる。今日は寒くて動物の気配はいっさいしないが、イノシシはここでも増えているのだろう。先日の雪野山でもイノシシの食べ跡は至る処で見つかった。

 階段が尽きたところからは、大きな岩が続く山道になる。女坂(裏登山道)への道もあちこちで分岐しているが、せっかくだから昔の人が上った表参道を外さないように、直登する。途中からは手すりもあり、鎖もあるとガイドブックに書かれていたが、鎖は無くなり、最近作られて立派な鉄のてすりが続いている。一枚岩があちこちにあり、岩の上には登りやすいようにステップが刻まれている。これがなければちょっと登るのは難しい。両手を使い三点登行をときどき思い出しながら登る。頂上直下で、広い岩の上に立ち、琵琶湖や周辺の町の展望が広がる。春霞で比叡の山並みは霞んでいる。駅から頂上まで、登りは傾斜がきつかったが、所要時間はわずか1時間。あっという間に頂上に来た。もう彼岸を過ぎたが、この山も花がないのが、残念だ。

 頂上からは、急な階段を転がりそうになりながら下り、緑花公園に着く。ここから野洲駅までバスに乗るが、バス停が分からない。近くのピザカフェでピザを薪で焼いている店員さんにバス停を教えてもらい、まもなく来た午後最初のバスに飛び乗った。バスに乗ったとたん、雨が降り出し、京都の自宅に帰ったときは、雪になった。彼岸過ぎてこの寒さは異常だ。三上山は、登りガイがあったが、ちょっと楽しみが少ない。もう少し歩けるところを次回は歩いてみよう。

今年初めてのハイキング

2012-01-09 | 花と自然
今年の京都のお正月は、毎日のように雨が降る。午後になるとぽろぽろと雨が落ちてくる。京しぐれと言う人もある。京都の街中でも北へ行くほど、時雨れることが多いらしい。京都は盆地だが、距離的には日本海にかなり近い。山陰・北陸の冬の気候の影響をかなり受けるのだろう。晴れの日も一日くらいで、あとは曇った日が続く。京の時雨れ、とは言葉としては粋に思うが、実態はそうでもない。

 今年最初の山歩きは、近くで駅から歩けるところにしようとガイドブックを開いたら、京都府と大阪府の中間にある生駒山系の交野山が目についた。駅から歩いて駅まで歩く。バスに乗らなくて良いので、時間をあまり気にする必要がない。バスなら、一時間に一本あるかないかという不便なバスが多いからだ。北山方面だと一日午前に1-2本しかないという路線も多い。まずは駅から歩けるところにした。交野山は、生駒山地のもっとも北の国定公園内の府民の森にあり、交野山周辺のハイキングコースとしては、地元ではよく知られたところらしい。最高地点の交野山頂上でも、標高はたったの341mと、とても登山とは言えない。完全なハイキングコースである。ただ、予定コースを歩くと4時間半。年の初めに歩くにはちょうど良い距離かもしれない。

 私市駅から歩き始め、すぐに渓流沿いの道になる。月輪の滝から山道にはいるが、上り下りはそれほど多くない。ゆっくりと歩いてもコースタイムよりは早く歩けてしまうので、今日はゆっくりゆっくり歩こうと思った。ところが、府民の森管理事務所から四通八達しているハイキングコースに迷って、違う道に行ってしまった。広いゴルフ場に突き当たり、ウロウロしていて、ようやく道が違うことに気がついた。あらためて元の道に戻る。たくさんのハイキングコースのうち、さわわたりの道というコースを選び、歩き始めたが、すぐに失敗だったことに気がつく。途中の沢の小さな広場で工事をしており、底へ重機を入れるために、ハイキング道を重機でならして拡げており、まるで風景が無惨になっている。我慢をしながら歩いていくと、やがて広い管理道に合流し、八つ橋という湿地に着く。ここには湿地帯に落羽松(らくうしょう)という落葉性の松が生えており、その気根がにょきにょきと湿原から盛り上がっているのが珍しい。まるでマングローブのオヒルギの林のようである。



 そこから交野山の神社の赤い鳥居を目指して山道を登る。すぐに頂上の巨大な岩が目にはいる。頂上は巨岩が重なり合って、その上に立つと大阪から京都の町が一望に見える。遠く比叡山がかすんでいる。南には高野山や台高山地が連なって見える。低い山だが360度の展望だ。頂上の岩には梵字が刻まれているとガイドブックには書かれていたが、それらしい字は見つからない。そのかわり、漢字を彫り込んでいるのは、観光客のいたずらのようだ。岩は登山道と反対側が切り立っていて、どうやらロッククライミングの練習場になっているのか、残置ハーケンがたくさん打ってあるのがみえる。

 頂上から北に向けて下りる。急な階段が続く。こちらから登らないでよかった。いっきに下って、そこからゴルフ場まで林道を歩き、集落にでる。バスがないので、駅までぶどう園を周囲に見ながら駅まで延々と舗装道を歩く。道を間違ったこともあって、歩行時間は4時間45分だった。今月の週末はいろいろ忙しく、山歩きが出来ないかもしれない。でも今年は去年よりもっと山歩きをしてみたい。