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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

年の終わりに京都西山を歩く

2012-01-02 | 花と自然
毎年年末には、忙しそうな家人をおいて、ちょっとした山に登る。今年は、ここのところあまり歩いていないこともあって、近くで4時間程度歩く山を選んだ。出かけたのは、京都と大阪の境目にある釈迦岳(631m)とポンポン山(679m)。京都から南にある東向日市にあるが、どうやらこのちょっとした山の連なりは、京都西山と言うらしい。京都は松の東山、杉の北山、竹の西山と言われているように、このあたりは山の麓はほとんど竹林に覆われている。それも最近広がりを見せている手入れの悪い竹林と違って、京都西山の竹林はタケノコの産地として有名なだけあって、手入れの行き届いた美しい竹林が続いている。

 竹林の間の狭い道を定期バスは、対向車を避けながらゆっくりゆっくり終点の吉峰寺に登っていく。終点で降りて登山道を歩き始めたのは私一人だった。吉峰寺の参道入り口からまずは吉峰寺に参拝しようと登り始めるが、この参道の急なこと。まるで崖を登っているような急斜面にコンクリート敷きの道が続く。途中で気を変えて、Uターン。吉峰寺を回って、西山ハイキングコースに入る。釈迦岳までの道は、やはり人工林が多く、あまり面白くもない。誰も歩いていない道を一人、黙々と歩く。体重が増えてきたことを実感する足の運びに、もっと歩かなくちゃいけないなと反省させられる。

 標高500mを越える頃、山道がうっすらと雪に覆われるようになった。周りの樹木にも雪が積もっている。釈迦岳の頂上近くなって、周りの林が人工林から明るい落葉広葉樹林に変わった。もちろんすでに落葉は終わっている。日が射し始めた林の中は、東山の常緑林とも北山の人工林ともちがって、落葉して明るい。京都市内よりも南にあるはずなのに、なぜここは落葉広葉樹が多いのだろうか。山道も落ち葉が積もって、足に心地よい。釈迦岳の頂上には、ベンチもあったが、雪が積もっていて、すわってお茶でも飲もうと思っていたが、立ったままでお茶にした。



 ここからポンポン山の頂上までは、落葉広葉樹林帯で、晴れた冬の山歩きには最高だろうと思うが、今日はちょっと晴れ間が少ない。ときどき日が射すが、やがて雪雲が空を覆い、ポンポン山の頂上近くなった頃から、本格的に粉雪になってきた。風も強くなり、尾根を歩くときは横殴りの雪となる。ポンポン山頂上では、とても休んでいることもできないので、早々に頂上を出発した。このあたりからは、東海自然歩道と合流するので、道標もしっかりしており、道も歩きやすい。人も増えてきた。

 ポンポン山という名前の由来は、山頂に近づくと足元がポンポンと音がするということから来ているとガイドブックには書いていた。しかし、気をつけて歩いたが、そんなところはなかったようだ。北海道の屈斜路湖の横に、おなじポンポン山という名前の山があるが、ここではたしかに岩の上を歩いたり跳ねたりすると、岩の中が空洞になっているのかポンポンと音がした。そこと同じようなところがあるかと期待したのだが、ここのポンポン山ではそんな音は聞こえてこなかった。もっといろんな場所を歩けばそう言うところもあるのかもしれないが、登山道を歩いている限り、そんなところはない。

 高槻市の方へどんどん下っていくと、やはり500m付近から下は杉や檜の人工林となり、歩いていてもあまり面白くない。そのうち、広い舗装に出て、東海自然歩道は、車の走る道になってしまう。最後の1時間ほどは、舗装道路歩きで、ただ黙って先を急ぐだけだ。下りきったところでバスを待ち、高槻駅に向かった。今年最後の山歩きはかくしてあっけなく終わってしまった。ちょうど4時間の歩きだったが、疲れもなく、またたいして面白くもない山歩きだったが、もっと歩けそうだと思ったのが、ちょっとうれしい。まだまだ歩けそうだ。来年はもっと歩く機会を作りたいと思って、年の暮れを迎えた。

 正月2日目。今日は京都は雨。年の暮れから正月は、毎年体重が跳ね上がる。今年もやはり同じ事になりそうだ。それでも雑煮は私の大好物。いっぱいお餅を食べて、今年一年、がんばろう。

ようやく京都の秋

2011-12-04 | 花と自然
京都の紅葉は、今週になってようやく見頃を迎えたようだ。もう12月だというのに。温かい秋が続いたので、今年は遅い。気候まで今年は異常だ。もっとも毎年、今年は異常だという年が続いているが。何が異常なのかよく分からないほど異常なのだ。

 まだ見られるというので、京都八瀬の瑠璃光院に行った。瑠璃光院の庭はきれいだという話は何度も聞いていたので、一度みたいと思い、比叡山に登る登山口でもあるので、比叡山登山の時にときどき寄ってみたのだが、いつも拝観できませんと書かれて、山門は閉ざされたままだった。どうやら春と秋の限られたときだけしか拝観は許されていないらしい。ようやく拝観可能な期間にあたっていたようで、山門から入ることができた。

 このお寺は浄土真宗のお寺だった。私の家の宗旨だ。このお寺でできる写経の経文は、般若心経ではなく、南無阿弥陀仏を唱える真宗のお経で、私が子供の頃、毎朝毎晩聞かされていたお経だった。今でもそのお経をかなりの部分唱えることが出来る。そう言う意味では懐かしいお寺だ。阿弥陀如来も我が家の掛け軸にあった姿が、そのままご本尊として鎮座していた。もっともここのご本尊は立像だ。左足を少し前に出し、体がやや前に傾いているので、衆生を救いに出かけるところだという。同じような話を大原三千院の菩薩たちについても聞いたことがある。本当かしら。

 瑠璃光院の圧巻は、やはり庭の紅葉にある。瑠璃の庭と名付けられた庭にいろんな種類のモミジが植わっていて、紅葉の時期が少しずつずれているので、いろんな程度の紅葉が一度に見られる。さらにこの庭をみるのが、瑠璃光院の二階の書院からになっているのが、他の寺とちょっと違う趣向だ。しかもそれがなかなか良い。甍の上に伸びるモミジの紅葉を180度の展望を持つ書院の廊下から、見ることが出来る。そして、見事なモミジの赤い赤い色。視界全面に赤いモミジ。そして、庭の地面は厚い緑の苔の絨毯。この対比がすばらしい。

 わずかな時間だが、庭を見ながら抹茶を飲み、のんびりと時を過ごした。秋深し、隣は何をする人ぞ。

ガイドブックのうそ

2011-11-28 | 花と自然
木枯らしが吹き始めて、ようやく低山歩きの時期になってきた。今日は、亀岡駅から歩いていける牛松山を歩いた。車がない生活になってから、山歩きも駅から歩けるのがもっとも効率が良い。そこでガイドブックを探して、近くで駅から歩けるところを探すことが多い。今回は、その中でももっとも手近な牛松山を選んだ。京都から山陰線で亀岡まで行き、そこからは歩いて3時間くらい。ガイドブックには、植林帯で何も面白くない山だと書いてあった。曰く「自然林が少ないため花には恵まれない」「単調な一本道」「山中はスギやヒノキの中なので展望は一ヶ所だけ」など、読んだだけでやめとこうかなと思ってしまう。でも、一度は行ってみようと出かけた。

 距離も短いので、朝のんびりしてしまった。亀岡駅に着いたのは10時を少し回ったときだった。駅前から保津川下りの観光船がでている。今日は船から紅葉を見ようという観光客でいっぱいだ。それを横目に見ながら出来たばかりの保津橋を渡る。見晴らしは良いが、この橋は車のための橋らしい。歩く人には大回りをさせられる。乳母車を押したおばあさんが、うんざりしたような顔をして歩いてくる。この橋が出来る前はもっと小さくて古い橋だったが、もっと歩く人に便利なところにあった。車で人が通るようになって、歩く人のことなどあまり考えて作られていない。

 街中を少し歩いて、登山口から牛松山へ向かう。本格的な山道になる直前に、福性寺というお寺があった。小さなお寺だが、その参道のモミジの美しさに心打たれた。かならずしも赤い色がきれいになっているというわけではないが、周りの竹林とスッキリした参道のモミジの調和が素晴らしいと感じた。京都の街中のお寺では、今日はものすごい人手で、どこも押すな押すなのありさま。モミジの美しさなどゆっくり鑑賞している暇はない。それを考えると、このお寺の紅葉は、見ているのは私一人。深閑とした森の中で、ただひっそりと紅葉を進めているモミジ。こんな贅沢はない。なぜみんなは人の集まるところへ行きたがるのだろうか。

 牛松山の頂上直下には、金毘羅宮があり、登山道はこの金毘羅さんの参道になっている。道中にはあちこちに御神灯がたち、丁目を示す標石も立っている。道は一本道で、迷うこともない。しかし、ガイドブックに書いてあるような植林帯はどこにもない。京都の北になるけれども、まだ常緑広葉樹が多いが、それでも京都近郊の山よりは落葉広葉樹が多いので、ソヨゴなどの黄葉も美しい。ガイドブックの記述に騙されて、つまらない山だと信じて、カメラも持ってこなかったのが、悔やまれる。

 頂上から愛宕神社へ向けて下山する道も、途中まではやはり雑木林が続く。さすがに、この道の後半はスギやヒノキの植林が続いたが、ガイドブックに書いてあるほど、見るべきものもないとは思えなかった。この著者はよほど失望したのだろうか。下りついたところの愛宕神社本宮も、モミジが美しい。ここも誰一人いない。モミジの木が多いわけではないが、大木の一本に、深紅から緑まで美しい色のグラデーションが見え、しばらく立ち止まって見続けた。贅沢な紅葉狩りの一日だった。今日の歩行時間は、3時間半。ちょっとしたハイキングには最適の場所だった。今度は雪のあるときに来てみたい。

北の国から

2011-11-17 | 花と自然
北の国から雪の便りが届いたが、先週末に釧路にでかけたときは、その暖かさに驚いた。11月中旬と言えば、釧路では冬タイヤに履き替えていなければ、いつスリップ事故に遭うかわからない時期だ。年によっては雪にも遭う。ところが、先週末は雲一つない快晴で、風もなくコートがなくてもぽかぽかと暖かい。小春日和なのだった。それにしても例年よりも2ヶ月近く寒さが来るのが遅いようだった。地元の人に聞くと、やはり異常な天候だという。この時期、良い天気なのはむしろ当たり前なのだが、釧路市内では、季節外れの濃霧に襲われた。前を走る車の姿が見えなくなるほどの霧だった。これも釧路では6-7月なら普通のことである。驚くことはない。でも、11月になってこんな霧が出るのは、やはり相当暖かいことの証明だ。

 釧路から厚岸にかけての海岸は、3.11の大震災のときに、津波に襲われている。東北に比べるとたいしたことはないように思うが、それでも2mを超える津波が来たらしい。人命には被害がなかったから、あまりマスコミも騒がないが、それでも養殖の牡蠣筏などは、ほとんど流されたという。それでも厚岸町ではカキの種苗を自前で供給できる施設を持っていたので、急遽増産して、来年以降のカキの出荷は例年の8割程度は確保できるという。

 決定的な被害を被ったのは、アサリ業者らしい。アサリは、地元の干潟に山砂を入れて造成し、アサリ畑を作っていたが、それが津波で流されてしまった。いわば人工干潟の畑が流された。アサリの種苗は地元で自然産卵によって定着するアサリ稚貝を使っていた。何もしないでも毎年新しい稚貝がつく。ところが、畑ごとアサリがいなくなってしまったので、今年新しい稚貝が定着しても、出荷できるまでには7-8年かかるという。厚岸のアサリは、本州のアサリと違って、殻が大きい。最近のハマグリに比べても厚岸のアサリは大きい。かつては、自主規制で殻の長さが6cm以下は獲らないとしていたらしい。6cm以上のアサリは、さすがに最近はお目にかからなくなったが、それでも4cmはある。しかも一年の半分以上は水温が10℃以下という厚岸なので、アサリの生長は非常にゆっくりで、4cmになるのにも6-7年はかかるらしい。つまり、アサリの出荷ができるのは6-7年後になるらしい。

 そんな厚岸で、津波後に値段が上昇したというカキをたらふく食べた。久しぶりにおいしいカキを食べることができ、満足満足。やはり水産物は北海道がおいしい。京都の寿司はとてもじゃないが、北海道の食材を新鮮なまま食べたあとでは、太刀打ちできない。京都はやはり野菜を料理して食べ、食後に京菓子を愛でるのが、京都らしくて良い。肉や魚は、京には似合わない。

 駆け足の北海道行きだったので、見て歩くこともできなかったが、暖かな釧路でおいしいものを食べ、まずは満足して帰ってきた。京都も今年は冷え込む秋の夜がなくて、紅葉は期待できないようだ。今週から急に冷え込んできたが、紅葉よりももう落ち葉の季節になってしまった。異常な天候や災害や人災が続いた今年には、むしろふさわしい秋なのかもしれない。紅葉などに酔いしれているときではないぞと、自然が教えてくれている。今月末には、また東北の沿岸に出かける。

京都北山でのんびり

2011-10-31 | 花と自然
季候も良くなり、予定の無い休みの日には山歩きをしよう。今週は、秋晴れの一日、京都の北山、雲取山に登った。雲取山というと奥多摩のそれが東京都内で2000mを超える山として有名だが、こちらの雲取山は、わずかに911m。京都府には1000mを越える山がないので、これでも高い方になる。

 京都市の出町柳駅からバスで1時間20分ほど走り、9時過ぎに花脊高原に着く。ここから比較的緩やかな登りで廃止になったスキー場の横を通り、寺山峠まで一気に登る。ここから一度、一ノ谷に下り、再び登りになる。雲取峠まで登ると、あとはのんびりした登り道になり、10時40分頃には頂上に到着した。このままコースタイムで下ると、元の登山口には12時半に到着してしまう。でも帰りのバスは午後3時と7時の2便しかない。そこで、ゆっくり時間を潰して帰ろうと思ったが、頂上で落ち葉の中に横になって飛び上がった。落ち葉の中一面に栗のイガが敷き詰められている。とてもこんなところに横になれない。

 しかたなく、休む間もなく下りにかかる。帰りはニノ谷経由で帰る。三ノ谷経由の道もあるが、ニノ谷の途中には立命館大学の山小屋があるので、それを見て帰りたいと思い、ニノ谷を選んだ。時間はゆっくりあるので、ニノ谷の徒渉を楽しみながら歩く。夏の暑い日なら、この谷を歩くのはきっと気持ちが良いだろうなと思う。来年の真夏に沢を登るつもりでここに来てみよう。

 花脊高原に帰り着いたのは、それでも1時過ぎだった。3時までまだまだ時間がある。一つ先のバス停まで歩こうと歩いていると、途中に喫茶店があったので、入ってコーヒーを飲む。ゆっくり新聞を読み、2時になったので出発。次のバス停でもまだ時間が余る。もう一つ歩こうと次のバス停に向けて歩く。ありがたいことに、この路線では、町を外れると自由乗降区間になるので、途中でバスがくれば、手を上げて乗せてもらえる。だから、安心して次のバス停まで歩くことができる。

 10日ほど前から、万歩計をもらって使っている。平日なら、だいたい2万~3万歩くらい歩いている。昼休みに1万歩くらいは散歩で歩く。意外と椅子から立ったり座ったりするのも馬鹿にならない。残りの1万歩くらいは通勤とそのような動きでカウントされている。でも3万歩になることはなかった。山歩きなら、十分3万歩は超えるだろうと楽しみにして今日の山を歩いた。帰り道で確認してびっくりした。わずかに1万歩くらいしか歩いていないことになっている。万歩計が壊れたのかと思っていろいろ試してみた。すると、柔らかい土の道や落ち葉の道などを歩くと、万歩計のカウントは5-6歩に1歩くらいしかカウントされない。どうやらこの万歩計は舗装道路に革靴で歩かないと正確な歩数を計算してくれないらしい。この計算で行くと、今日は5-6万歩は歩いているはずだが、残念ながら記録には残らなかった。山歩きには別の万歩計が必要なのかもしれない。

太神山600mと矢筈岳562m

2011-10-08 | 花と自然
しばらくぶりに歩いた先週の山歩き(天王山)は、わずか2時間半歩いただけなのに、足の一部が筋肉痛になった。それほど長い間山に行けなかったということだ。これではいけないと、一週間後の今日も、低山歩きをした。冬のシーズンに向けて、少しは歩くことを続けなければ、このまま歩けなくなりそうだったからだ。昼休みに近くの吉田山に毎日のように登っているのだが、吉田山はわずか標高105m。急がなくても10分で頂上に立てる。このくらいでは、どうやら2時間半で筋肉痛になってしまうらしい。

 今日は滋賀県の湖南アルプスとよばれる山に登った。太神(たなかみ)山、600m。田上不動寺という天台宗の宗門の寺が頂上にある信仰の山だ。湖南アルプスという名前は観光用に付けた名前だろうが、それなりの景観が期待できそうな気がして、登ってみようと思った。JRの駅からバスで登山口へ。そこから長い舗装道路を天神川沿いに歩いた。どうやら車で河原にバーベキューやお弁当を楽しむ人々のための舗装道路らしい。途中、迎不動にお参りして、さらに舗装道路を歩く。しばらくして登山口があるはずなのに、見落としてしまい、余計な舗装道路歩きを30分も余計にしてしまった。

 登山口から歩き始め、ざれた花崗岩砂の坂を登る。少々疲れてきた頃、自然石に彫り込んだ泣き不動が現れ、ここで一息。さらに登ると不動寺の山門がある。ここからは急な石の階段が頂上まで延々と続く。そろそろ嫌になるころ、田上不動寺に到着。室町時代前期に建てられたという本堂は巨大な自然石に寄り掛かるように作られた茅葺きのお寺だ。そこで線香に火を付けてお参りしたあと、頂上までは一足だ。何も見えない。この山は湖南アルプスの名前にも拘わらず、景観はほとんど無い。登る途中1ヶ所だけ、遠くの景色が見えるところがあり、そこから向こうの山の斜面に岩がごつごつと突き出ているのが見える。これがアルプスという名前を付けたゆえんの景観なのだろう。しかし、今はその岩たちがすべて金網がかかってほとんど岩と見えない。崖崩れを防止するための安全策なのだろうが、景観は台無しだ。

 10月ということもあって、この山のほとんどが立入禁止になっている。というのは、ここは松茸の生産地なのだ。そのために、登山道を外れることも許されない。この時期のこの山は、本当に見るものがない。花も、田上不動寺の大岩の脇に一輪咲いていたママコナを除けば、まったくない。キノコは、エノキダケがたくさんあったし、よく見るといろいろなキノコがあるようだ。ただ一つ、今日の収穫は、目にも鮮やかな青銅色の羽を輝かせながらあちこちで飛び交うルリセンチコガネ。太陽から生まれると言われるエジプトのスカラベと同じ仲間で哺乳類の糞を食べる甲虫の仲間だ。しかし、スカラベよりもずっと美しい。羽は瑠璃色から青銅色。好天気の日に映えて、きらきらと光りながら飛んでいくルリセンチコガネの美しさに、歩を止めてしばしうっとりしていた。残念ながら、今日はカメラを持ってくるのを忘れてしまった。ぼけが始まったかなあ。

 太神山から、矢筈岳に登り返して、別の道を歩いて帰ろうと思っていたが、矢筈岳の手前の出合峠から下る道は、松茸の時期に限り通行止めになっていた。私有地を通る登山路なのだろうが、ガイドブック通りに歩こうと思っていた身には、辛い。しかたなく、もと来た道をまた歩いて戻り、長い舗装道路も再び歩くことになってしまった。今日の歩行時間は、道に迷った時間も含めて5時間。どうやら膝も痛くならずに5時間歩けたようだ。明日は、足をいたわりに、温泉にでも行こうか。 

天下分け目の「天王山」

2011-10-03 | 花と自然
「天下分け目の決戦」とくれば、豊臣秀吉と徳川家康が天下の覇を競った「関ヶ原の戦い」だが、もう一つ「天下分け目の決戦」が、「天王山」であった。これは織田信長に反旗を翻し本能寺に信長を闇討ちした明智光秀と、急を聞いて毛利と休戦し、岡山から引き返した羽柴秀吉が京都の南「天王山」の麓の淀川河原で対決した合戦である。京都の東山を歩くのに少々飽きたので、南にある山を探していたら、ガイドブックに天王山の名前があった。歩く距離も少なく、長い間歩いていない体には、ちょうど良いだろうとあまりガイドブックも読まずに「天王山」へ向かった。

 二日前から風邪を引いて、体がだるい。咳も続くし、鼻水もでる。体調は悪い。しかし、このままでは精神的に持たないような気がして、少々熱っぽい体をおして「天王山」に登ることにした。そこを選んだ理由は、まず比較的楽に登れるようだったこと。そして、駅からすぐに登り出せること。なにしろ車がないと行けない山がガイドブックにはいっぱいある。バスを利用すると、一時間に一本というのは、まだかなり良い方。ひどいのは一日一本しかないようなバスも少なくない。車を捨てた私にとって、バスの不便さはつくづく困る。駅から歩けるというのは、なによりうれしい。

 歩き始めて初めて、「天王山」の故事を知った。光秀が秀吉軍に負かされて、落ちる途中で土民の竹槍に傷つき、自刃して果てたというのは知っていたが、その闘いがここで、だから天下分け目の天王山と言われているのは、今日初めて知ったのだ。お恥ずかしいことに。いきなり急な舗装路の坂道を登ると、宝積寺に入る。みごとな三重の塔がある。そこから山道になるが、登りはゆるやかで、途中の見晴台から京都の町並みを眺め、看板に書かれている秀吉軍の行動と光秀との闘いの記述を読み、ぼちぼち歩いている内にいつのまにか天王山の頂上についた。見ると、頂上の標識に、標高270mとある。えっ、こんなに低い山だったのか。ガイドブックをよく見てこなかったので、びっくり。これなら家の近くの大文字山の方がよっぽど高いや、とちょっとがっかり。でも、山、高きが故に尊からず、と思い直して、縦走路をもう少し歩くことにした。ここまで駅から45分で着いてしまった。縦走路も上り下りがほとんど無い散歩道。低い山だけに、杉や桧の人工林も多いが、縦走路は天然林も多い。もっともほとんどが常緑樹なので、明るさはない。この山には、花がまったく咲いていない。常緑広葉樹や人工林の下には、目を楽しませるような花はないのが、つらい。涼しくなったので、歩けるが、夏の暑いときならこんなところは歩けるものではないだろう。

 縦走路からはずれて、十方山へ向かう。樹林に隠れて頂上があった。良く注意しなければ分からないような頂上だ。そこから再び縦走路に帰り、北に向かう。舗装道路に出て、西に向かうと西国巡礼十七番の柳谷寺がある。ここで、弘法大師が発見したという泉の水で目を洗う。この泉は弘法大師が母猿が子猿の目を洗っていたのをみて、目の病に効くことを発見したという言い伝えがある。白内障が始まった私の右目を洗って、帰り道についた。目は良くなるだろうか。


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加賀の花の名山「白山」に登る

2011-07-11 | 花と自然
いきなり暑さにやられた。熱中症のような症状で頭がくらくらする中で、考えた。どうも寝不足が体力を奪ったらしい。そしてこの暑さだ。

 2年越しの計画だった加賀白山に登った。一般的な登山道は、砂防新道と観光新道。どちらも登山口の別当出会から、標高差1400m。最初の急登がかなりきついとされる観光新道を、登路に選んだのは、初めの体力のあるときに少々きつくても頑張った方が後が楽になるだろうというもくろみからだ。どちらかというと砂防新道から登る人の方が多いようだ。でも、砂防新道にしろ観光新道にしろ、もう少しいい名前はつけられないものか。

 京都から金沢駅まで、夜行バスで行った。昔は夜行バスや夜行列車で登山に行くのは普通のことだったので、あまり躊躇なく夜行バスを選んだ。これが失敗だったようだ。夜中の11時40分に出発し、金沢駅に6時前に着く。その間、ほとんど寝られず、2-3時間うつらうつらした程度だった。そこから2時間、登山口の別当出会につくまでも、あまり眠れない。なにしろ初めての土地に行くときは、眠っていてはせっかくのチャンスがもったいないと思ってしまうので、眠らない。そして、寝不足のまま、観光新道の登山口から登り始めた。
 
 いきなりの急登だった。1歩目からそうだ。胸突き八丁がいきなり始まる。それでもしばらくは、眠気も覚めて、急な坂を一歩一歩登っていった。登り始めたのが、午前9時。もうすでに太陽は上空の高みに輝いている。一昨日までは、梅雨末期の大雨だったこの地方だが、この日から一転して梅雨明け。それでも雨は覚悟して準備をしていた。ところが、朝からカンカン照り。汗は滝のように流れ、Tシャツも下着もズボンも、びしょ濡れになった。そのうち、めまいがしてきた。どうやら熱中症気味だと気がついた。ザックを下ろして水を飲む元気もない。45分くらいで稜線に出るはずだが、1時間過ぎても稜線が見えてこない。足もとはふらつき、前になかなか進めない。普段、山に登るのにあまり休憩を取らないのだが、今日は、しばしば腰を下ろして休んでしまう。どうやら荷物が多いことも、原因らしい。普段は、低い山に登ることが多いので、ザックも小さく、荷物も最小限にしている。しかし、人が集まる白山とはいえ、2700mの高山である。いざというときのために、持っていくべき荷物はそれなりにある。山小屋泊まりだから、それでも多くはないのだが。
 
 1時間15分かかって稜線にたどり着いたときは、もう体が言うことをきかない状態だった。ザックを投げ出して、大休止に入った。こんなはずはないと思いながらも、すぐには稜線を歩き出そうとは思わなかった。思い切り水を飲み、よろよろしながら稜線を歩き出した。これまでの登りに比べるとたしかに稜線歩きは傾斜が緩く、体力があったら、ゆうゆうの尾根歩きになりそうなのだが、体力を使い果たした体では、わずかの登りもきつい。休み休み歩いていると、次々と人が追い抜いていく。いつもの山行なら、追い抜いていく私なのだが、今日はどうぞおさきにと、無関心。そのうち、白山の高山植物が次々と現れ、写真を撮りながら、休憩もついでにとりながら、ゆっくり登る。今日は、室堂まで行き、そこから頂上まで空身で登ろうと計画していたが、この体調では室堂までたどり着くのがやっとかもしれない。
 
 さすがに花の白山だけあって、しかも季節は最適の時期。ササユリ、ニッコウキスゲ、ヨツバシオガマ、ハクサンチドリ、エビネチドリ、ハクサンフウロ、コバイケイソウ、アカモノ、コケモモ、ハクサンシャクナゲ、コイワカガミ、イワカガミ、マイヅルソウ、ミツバオウレン、ミヤマカラマツソウ、ミヤマタイゲキ、ハクサンコザクラ、ハクサンキンポウゲ、アオノツガザクラ、ショウジョウバカマ、ハクサンハタザオ、エンレイソウ、キヌガサソウ、サンカヨウ、ミヤマダイモンジソウ、イワツメクサ、イブキトラノオ、アカバナイチゴ、キバナノコマノツメ、ミヤマタンポポ、ミヤマキンバイ、ミヤマクワガタ、オオバダイコンソウ、ナナカマド、クロユリ、コバノミツバツツジ、スダヤクシュ、オオバキスミレ、ヤブレガサ、ウコンウツギ、マタタビ、ミズキ、オオカメノキ、ミヤマシシウドと、写真を撮っただけでも45種を超えた。疲れたけれど、白山の花は、きれいだった。これだけ見られただけでも、来て良かったと思わせる。




 室堂に到着したが、もう一歩も動けない。夕食を待ちかねて、急いで食べたら、もうあとは眠るだけ。夜、トイレに起きたときに時計を見たら、まだ10時半だった。いつもの時間に寝ていたら、トイレに起きるのは午前5時頃なのだが。しばらくうとうとしていたら、また眠ってしまった。夜中に周りがうるさい。ご来光を見るために起き出しているのだろう。でももう少し眠ろうとまた寝てしまった。はっと気がついたら、午前6時。部屋にいたはずの20人くらいの登山客はもう誰もいなかった。あわてて起きだし、朝食をたべて、身支度。ザックは小屋において出かけた。空身で頂上の御前峰(2702m)まで登る。空は快晴、空気は澄んで、遠くまで透明だ。まだ暑くはなっていないが、日射しは強い。昨日と違い、今朝は快調だ。荷物がないのが良いのかもしれない。室堂の周辺に広がる広大な雪渓を眺めながら、一歩一歩頂上に向かう。久しぶりの2500m超の山だ。



頂上にはまだたくさんの人が詰めかけていた。遠く北アルプスの山並みが見えている。穂高連峰や槍ヶ岳の姿も、識別できる。反対側には別山の勇姿も間近に見える。十分に堪能した。あとは、ゆっくりと砂防新道を下りて、別当出会まで帰るだけだ。足の疲労は増しているが、花を見ながらバスに間に合うように、ゆっくり下りよう。今朝の登りは、コースタイム50分のところを、30分で登れた。日頃のペースに戻ったようだ。やはり、寝不足、荷物の多さ、暑さの3要因が昨日の敗因だろう。今後、心して山行きを計画しなければイケナイ。年齢を考えて。百名山の58座目。温泉には車がないと行けない。残念ながら。


梅雨空の山歩き

2011-06-22 | 花と自然
梅雨らしい梅雨が今年はやって来た。ずっと雨が降り続き、天気予報も傘マークが続く。いろんな会合や集会などもあり、週末の山歩きがなかなかできない。こうなったら、少々の雨でも歩いてみるほかないと、雨模様の日に、近くの山を歩くことにした。近くなら、雨に降り込まれたらいつでも帰ることができるからと思って。

 ぽつりぽつりと落ちてくる雨の中、歩き始めた。すぐに樹林の中になり、雨が落ちてこなくなった。薄暗い常緑樹林の林の中、足元を見ながら歩いていると、大きなカタツムリが木の切り株の上で元気に歩いている。カタツムリも最近は見ることが少なくなったなあと感慨深い。それでも梅雨に入ってからカタツムリが這っているのを何回かみつけた。京都の町の中は、東京ほど自然に遠くないことを感じる。

 どうやら雨も上がったようだ。標高299mの瓜生山の頂上を越え、比叡山への縦走道を歩き始める。梅雨の真ん中にさしかかったこの時期、やはり目につくのはキノコ類だ。朽ち木にはいろんな色のタコウキン類のキノコがいっぱい付いている。とくに先を急ぐ山旅ではないので、ひとつひとつキノコ類の写真を撮りながら、ゆっくり歩く。何度も歩いた道なのだが、この時期はもっとも花が多いように思う。梅雨は雨もあるし、暑さもあるので、近くの山といえどもあまり歩いたことがなかったが、意外とこの近郊の山にも花の多い時期があるんだと覚った。来年からは、雨を気にしないでこの時期、もっと近くの山を歩いてみようと思った。

 林道に出てほとんど水平な山道を歩く。その途中に、ワラビの大群落があるところを見つけた。いや、ここにワラビの群落があることは何度も歩いていたので知っているのだが、6月の今頃になっても少しだがまだ食べられそうなワラビの芽を見つけた。しばらくそこに立ち止まって、今晩のおかずになりそうなだけワラビを摘んで、ザックに入れる。

 そこからまもなく比叡山に直接登る道と街の方へ下りる道の分岐点につく。いつもここから比叡山に直接登る道を行くのだが、今日はまだ歩いていない林道をそのままずっとたどってみることにした。どうやらもう雨は降りそうもない。これなら比叡山まであがれるだろうと。しばらく川に沿って行くと、河原に大型の植物の群落が見えてきた。どうやらクリンソウらしい。花はもう終わってしまったが、クリンソウの大群落がある。いやあ、惜しかったなあ。もう1-2週間早かったら、このクリンソウの大群落の花盛りを見られたのになあ。残念。来年はきっと5月の終わり頃ここに見に来ようと心に決めた。でも来年覚えているという保証はないが。



 さらに歩くと、砂防ダムの上の人工池の周りの木に、白い塊がぶら下がっている。おや。これはモリアオガエルの卵塊ではないか。京都のこんな近くの山でモリアオガエルが普通にいるとは、驚きだ。やはり歩いてみるもんだ。卵塊が産み付けられている木は、エゴノキ。白い花が枝だからたくさんぶら下がっている。地味な花だが、数多いのでなかなかのもの。地味好みの私には好きな花だ。テイカカズラの花と共にあちこちに落花が白く地面を覆う。スイカズラの花もちらほらと見かける。小さな円い蕾から、開くとまるで花火のような薄紫のコアジサイが山道に沿って花を咲かせ始めている。連れ合いとちょっとした言い争いをして家を出たが、浮き世のことは山を歩くとすべて忘れることができる。やっぱり雨など気にしないで山に来て良かったと、山へ来るたびにつくづく思う。


 比叡山ドライブウエイに出会ったところで、今日は頂上まで行かずに来た道を歩いて下りてきた。見てきた花や虫や鳥をもう一度見てみたいと思ったからだ。ワラビの群落まで戻って、そこから京都の町にまっすぐ下りる道を選ぶ。あまり人は歩かない道と見えて、かなり危険な崖のトラバースがあったりする。ちょっとしたスリルも味わいながら下りる途中、足元にサンコタケのけばけばしい橙色を見つけた。三鈷と書き、密教で使う仏具とよく似ているから、その名が付いた。ものの本によると、このサンコタケは鼻もひん曲がりそうな悪臭がすることで、つとに有名らしい。しかし、私には何の臭いもしなかった。この時期だからなのか、それとも私の鼻がもう感度低下してしまっているのか。この色はかなり毒々しいが、形が独特なキノコなので、名前は覚えやすい。



 とうとう下りるまで雨に遭うことはなかった。久しぶりに4時間以上歩いた。でも鼻や虫や鳥を見ながら歩くと、長く歩いた気はしない。長く歩いた証拠は、かえってから体が教えてくれた。疲れてついつい居眠りが出た。翌日は体が少しぎごちない。痛みがどこかにあるせいだろう。筋肉痛も久しぶりだ。昔は4時間超くらいは何でもなかったのだが・・・。

今年も蛍は飛んだが・・・

2011-06-01 | 花と自然
今日は6月1日。衣替えの日なのだが、寒い。そこで今朝は昨日までと違って上着を着ていった。歩けば上着は暑くなるが、部屋でデスク仕事だけをしていると上着があった方が良い。いったい今年はどうなってしまったのか。自然も原発事故に惑わされてしまったのかもしれない。今年の春は原発事故に惑わされて、いつか花も散り終えてしまった。しかし、梅雨に入ったというのにまだ紫陽花は咲いていない。

 ところが、蛍はもう飛び始めた。いや、去年よりは1週間ほども遅いようだ。でも、夕食を終えて、琵琶湖疏水沿いの道を散歩しながら、蛍の飛び交うのを眺めるのは、心休まる。昨夜は蛍よりも人の数の方が多いほど、見物客が多かった。ここしばらく蛍が飛び始めたのにも拘わらずずっと雨が続いていたから、梅雨の晴れ間の昨夜は一気に人も増えたようだった。でも今日はまた雨。気温もかなり低めだ。1週間遅れで飛び始めた蛍も、しばらくは草むらや石垣にしがみついてほとんど飛び出そうとしなかった。ようやく昨夜になって水の上の空間を発光しながら飛び交わし、人々のため息を誘った。

 ところが、今夜はまたまた冷たい雨で、蛍も数少ない。じっとしている。そして今週末はまた雨続きのようだ。この調子では今年は蛍が盛大に飛び交うところが見えるのは、ほんの数日しかないかもしれない。雨に降り込められている内に、蛍もいなくなり、紫陽花も枯れてしまうのかもしれない。でもフクシマの原発事故が収束もできず、避難者がまともな生活も取り戻せないときに、蛍も紫陽花も味わう気持ちではないのかもしれない。そんなときに、国会の大騒ぎ。ああ、無情。