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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

やっぱり嘘だったのか 再生紙

2008-01-21 | 環境
今になって考えてみれば、どうもおかしいと思っていた。やっぱり、というのが正直な気持ちだけど、もっと早くなぜ気がつかなかったのかと思う。再生紙の偽装問題だ。昔から私は仕事で使うコピー用紙は再生紙を使っていた。昔、再生紙は色が黒くて手触りもがさがさしていた。見栄えはけっして良くなかった。しかし、環境のこと、森林のことなど考えて私は再生紙を使っていた。事務局にはいやがられていた。

 ところが、ある時から急に再生紙の紙質が良くなった。非再生紙と変わらない色の白さになった。おかしいなと思ったのだが、業者に本当にこれは再生紙かと聞いてみたら、はい、再生紙です。最近は技術の進歩で非再生紙と変わらない紙質が出来るようになりました、と言われた。そのときは、へえ~~、すごいもんだなあ、と感心した。それが古紙の混入率を極端に下げて再生紙とは言えないものになったのだとは、露ほども疑わなかった。お人好し過ぎたのかもしれない。

 賞味期限を過ぎた商品の販売がいろんなところでばれて偽装偽装と騒がれた昨年だった。北海道の「白い恋人」事件では、賞味期限4ヶ月のものを6ヶ月くらいまで売っていた。しかし、この偽装に比べると、再生紙の偽装はもっと悪質なような気がする。「白い恋人」の賞味期限偽装は、しかし、今週の週刊金曜日に平田剛士氏が書いているように、これまで何年も賞味期限を過ぎた商品が販売されてきたが、それに気づいた消費者はいなかったし、健康被害を受けた人も誰もいなかった。それでも偽装と叩かれて、賞味期限を今度は3ヶ月に短縮して販売を再開した。それなら、これまでの4ヶ月という賞味期限はいったい何だったのか。これまで製造後3ヶ月以上たったものを賞味期限内として買った人は、これからは同じ時間経過したものでも賞味期限切れの商品と言うことになる。4ヶ月を3ヶ月に短縮した基準について業者はとくにありませんと言っている。賞味期限というのはそれほどいい加減なものでもある。

 中国の需要が伸びて古紙の値段が高くなったのが偽装をした理由だと説明した製紙会社があった。たしかにそれも理由になったかもしれないけれど、やはり古紙を再生した紙に新しく作った紙と同じ紙質を要求した消費者に問題があったと言える。もちろん偽装した業者はいわば犯罪に値する責任を負っている。けれども消費者も考えてみるべきだろう。ウソを見抜けなかった私自身を省みて、そう考える。

雪になると予報が出ていたので、少し楽しみにしていた。車もスタッドレスを北海道に置いてきたので、あわててタイヤチエーンを買いに走った。ああ、それなのに、今日は雨も降らない。

民主党よ。環境税で自然再生を

2008-01-19 | 環境
自民党の高村外務大臣が記者会見でこう言った。「国際的に温暖化対策を言っているときに、ガソリン税を引き下げては環境問題への日本のリーダーシップが問われる」と、民主党の暫定税率廃止=ガソリン値下げ論に反論した。あきれてものが言えない。お前に言われたくないぞ~~~~。

 いったいこんなに道路をいっぱい造って公共交通機関を潰してしまったのはいったい誰なんだ。車がないと生きていけないと思いこませて車を買わせたのはいったい誰なんだ。自民党がこれまでせっせとやってきたことではないのか。それに対して何の反省もなく、民主党が油の値上げに泣いている庶民のために暫定税率廃止と値下げを旗印に選挙を戦う戦術を明らかにしたとたん、手のひらを返したように環境に逆行だという。ふざけるなと言いたい。

 自民党がそれを言うなら、暫定税率で国民から取り上げた3兆円ものお金を道路建設だけに使うというのはやめて、一般財源にするという政策といっしょでなければ、口実だと言うことがバレバレだ。このさい、暫定税率分の税金はすべて環境問題に使うと言ってみてはどうか。それなら民主党のガソリン値下げ論よりは自民党の言うことの方が納得できるというものだ。

 でも、自民党はそんなことは言わない。土建国家といわれるような国づくりをしたのは自民党そのもの。自民党は土建会社と自動車産業に支えられている。道路を造り続けなければ、そして環境を破壊し続けなければ自民党は自ら滅ぶ。

 民主党さん。暫定税率を廃止して、ガソリンに環境税を創設しましょう。そのお金で道路建設で壊された自然を再生する事業をやりましょう。そうしたら、雇用も確保できるし、環境もよくなる。そうして、洞爺湖サミットに小沢一郎がその政策を持って参加できるではないの。

暫定税率をやめても良いか?

2008-01-05 | 環境
 正月には綺麗な都会の空が見られた。車が少ないせいだ。車を減らすことにもっと政府は力を入れてもいいのではないか。ガソリンに掛けられている揮発油税は1リットルあたり48.6円。今年3月末で暫定税率が終了する。自民党は現状維持をしたいようだが、民主党はこの暫定税率の延長に反対すると主張している。これまでのようにガソリン税(揮発油税+地方道路税)を道路特定財源としていらない道路を造り自然破壊を続ける限りは、私も暫定税率を撤廃しても(撤廃すると税額は今の半額になる)良いと思う。しかし、揮発油税には他の効果も期待できる。

 地球温暖化と異常気象が激しくなりつつある今、車の排出ガスを規制することはもはや避けて通れない。それもこれまでの濃度規制ではなく全量規制が必要だ。そのためには、車の燃料に環境税を課すのがもっとも良い。しかし、環境税を新設するにはトヨタをはじめ自動車工業界の反対は非常に強い。トヨタの言いなりの自民党はもちろん反対だ。それに加えて経済界の代表としかおもえない経済産業省の役人たちは全力で抵抗している。

 国民の生活環境を守る環境省の重要性は今ほど大きくなったときはないのだが、国民の生活を守るつもりのない政府の中では環境省の役人は他の省庁の顔色ばかりをうかがわないと生きていけないらしい。そんな政府では環境税を作ることなど、まあ無理だろうから、せめて道路特定財源を一般財源として環境対策や福祉に車が使ったガソリンの税金を使えるようにしたらいいだろう。それなら、揮発油税の暫定税率を延長しても私は賛成できる。下手にガソリンの値下げになるだけなら、地球環境問題にはかえってマイナスにしかならない。民主党さん。環境に対する観点はどうなのだろうか。そこの観点が見えてこない。脱車社会をつくることが重要なのだ。

瀬戸内海の海に原発は似合わない

2007-11-25 | 環境
広島空港へ降り立つと、周囲の山は今紅葉の盛りのようだ。山が全体に黄色から茶色をしている。ハゼの赤い色も目立つが、ところどころだった。広島空港はかなり山の中にあるので、夜は冷え込むらしい。

 広島からJRで山口県柳井市に行き、そこから車で狭い半島を南下し、上関町の公民館に向かう途中の海岸沿いの山は、まだまだ緑いっぱいだった。今年は暖かい日が続いて、紅葉もいっこうに進まないとは地元の人の言葉。11月も終わりに近づいたのに、まだ山は緑が溢れている。しかも今日は良い天気で風もなく穏やか。久しぶりの瀬戸内海も波もなくゆったりと揺れている。

 公民館で原子力発電がもたらす海の生態系への深刻な影響について話しをした。話を聞きに来た人はそう多勢ではなかったが、原発で村を引き裂かれ、将来の生活が成り立たなくなると心配している地元の人や、原子力の平和利用という言葉に疑問を持つヒロシマの市民たちは、真剣にそして心から原発の建設が止まって欲しいと願っている。原発反対の彼らの願いは深刻である。この人たちの願いがなんとしても実現できるように、私もできるかぎり協力したいと思う。

 この人たちのぎりぎりの願いは、都会に住む電気を消費する人たちが自分たちの生活をどうするかによって、かなえられるかもしれないし、逆に彼らの願いを踏みにじることになるかもしれない。

 刈羽原発の地震にともなう事故の大きさは調べが進み時間とともに数も規模も増えてきている。地震の直後に、安全と発表した電力会社の隠蔽体質は、まだ直っていない。もう刈羽原発は再開不能という噂も飛び交っている。できれば再開しないことを願っている。欧米の原発からの退却は、日本が見習う方向だろう。こんな事だけはロシアを見習う日本って、何?
 

心の山が消える!

2007-11-09 | 環境
 昨日は山へ登るために奥多摩の日原に出向いた。鍾乳洞で有名なところだ。このあたりから秩父にかけては良質の石灰岩が見られる。山登りについては昨日書いたが、日原についてびっくりしたのは、正面にそびえていた天祖山の姿が無くなってしまっていることだ。無惨な姿になってしまった。天祖山は綺麗な姿だけでなく生き物も豊富でいい山だった。石灰岩を掘り出すために天祖山はその姿を消してしまった。あとには、白い石灰岩の削り残された岩肌のみ。いきなり悲しい現実を見せられてしまった。

 これも15-6年前、山崩しが始まるという情報があって、これが最後になるかもしれないと登山仲間といっしょに天祖山に登った。それがやはり私にとっては最後の天祖山だった。石灰岩は岩質がいい。山に登ったときの岩肌の姿が良い。こんないい山が、セメントになって都会のコンクリート造りの家や道路を造るために無くなってしまうのは、哀しい。我が家から見える秩父の名山だった武甲山も山体の半分が削り取られて無惨な姿になっている。

 日本の道路建築と高層建築と河岸海岸のコンクリートブロックが、川から砂を根こそぎしたし、海岸の砂浜はどんどん無くなってしまった。瀬戸内海では海の底の砂まで空港の埋め立てのために無くなってしまっている。そこに住む生き物もいなくなってしまった。最近は外国から砂を買うようにさえなっている。コンクリート文化は日本の土建政治を招いただけでなく、日本の心の風景を壊してしまった。

 道路は日本にもうこれ以上いらない。川岸や海岸をコンクリートで固めるのももう止めにして欲しい。私もコンクリート造りの5階建てに住んでいるので大きいことは言えないが、家も木造が良い。日本の気候は高温多湿で、それにもっとも適した家は木造だった。西洋の石造りの家をまねて造るコンクリートの高層建築はそろそろやめてはどうだろうか。


歩きながら考えた

2007-10-07 | 環境
団地敷地内を散歩をしていると、夜の闇の中で馥郁した香りが身体を包む。今年もキンモクセイが咲き始めた。いつもの年よりも少し遅かったようだ。もっとも彼岸を過ぎても30℃を超えるような気温が続いたので、キンモクセイも出番がなかったのだろう。じりじりして待っていたようなそんな気がする今年のキンモクセイの香りだ。それは私の気持ちなのかもしれないが。

 キンモクセイの香りはある日突然出会うという楽しみがあるように思う。早春のジンチョウゲの香りは待ちわびた春の訪れという楽しみがあるように。夜の闇がいっそう濃くなる、そんな気がするキンモクセイの匂いだ。

 団地のひと隅には、大きな花を咲かせる芙蓉の木もある。この夜目にも白い芙蓉の花は夜の闇の中を歩いていておもわずはっとさせる。大輪の花は朝開いてその日の夜には枯れてしまうという。日ごとに多くの花を咲かせているこの低木は、毎日たくさんの蕾をつけ、次から次へと開いているのだろう。その生命力にも感心する。

 昨日は茨城県日立市の海岸を歩いた。駅の近くに助川海岸というのがあるというので駅から歩いていってみた。1kmくらいの短い海岸だが、驚いたことに海岸の上に高層の道路が走っている。海岸の砂浜の真ん中を道路の橋脚がずらっと並んでいる。日立市の町中を一本の国道が走っているが、企業城下町である市では日立の工場に通勤する車で朝夕は大変な混雑だ。数ヶ月前にここへ車で来たときはその渋滞に巻き込まれて困ったことがあった。渋滞を解消するために海岸にバイパスを建設しているらしい。しかし、海岸の砂浜に立ち並んだ道路の橋脚は都会のビル群の中を通る高速道路とはちがって、なぜか違和感が強い。

 「美しい国」ではない、自然を壊した醜さを感じてしまう。しかし、海岸に橋脚をたてるのはずいぶん高額の建設費(公共事業費)を使ったことだろう。なぜ国道を拡幅しなかったのか。いや、本当は道路の拡幅や新道の建設は道路混雑の解消にはつながらないのだ。道路が広がり、新しい道路ができたら、それだけまた車が増えるだけなのだから。車社会をそのままにして公共事業で道路を造り続けてきたのが今の日本の「醜い」姿であり、それは結局のところ問題解決を先送りしただけに過ぎない。

 昔から私は道路を広げることに違和感を持ってきた。車が多くなって道路が狭く危険だから道路を広げて欲しいという町内会の要望にも私は反対してきた。なぜならその問題の解決にもっとも役立つのは、道路をもっと狭くして車が通れないようにすることだと思っていたから。しかし、その方向で解決を図ろうと考える人は他には誰もいなかった。道路を広げた結果はどうなったか。車の通行量は圧倒的に増えて、余計に道路は危険な場所になった。交通事故も増えた。

 道路はもういらない。公共の交通機関をもっと大事にすべきだ。日本では排出する二酸化炭素の半分近くが車によるものだ。車を減らす対策を政府はどうしてとらなかったか?それは、トヨタをはじめ自動車会社の多くが自民党のもっとも有力な資金源や支援者であったからである。

 助川海岸を歩いて、さらに海岸を南下して会瀬海水浴場まで歩いた。帰り道は駅までバスに乗ろうとして驚いた。町の真ん中の国道なのに、駅までのバスが一時間に一本もない。しかたないので30分ほど駅まで歩いた。ここでも車社会の弊害は明らかだ。この車偏重の政策が地方の都市の中心のシャッター街化を招いている。駅に人がいなくなっているからだ。
  

便利な水道栓は無駄を招く

2007-10-04 | 環境
台所の流しにある水道、駅のトイレの手洗いなどいろんなところの水道の栓が最近変わってきた。これまでの栓をねじって水を出すやり方から取っ手を上げたり下げたりして水を出したり止めたりする方法である。我が家の水道もご多分に漏れずいつの間にかこの方式になっている。たしかにこのやり方は力を入れずに簡単に水を出したり止めたりできる。

  いつかの新聞で読んだが、この取っ手の上下がメーカーによってまちまちだから、水を止めるつもりで出してしまったり、その逆をやったりと不便だという意見が出ていた。たしかにまちまちで、駅の洗面所などでは間違えることがときどきある。我が家の洗面所の水道は上に上げると水が出る仕組みになっている。皆さんのおうちではどうでしょうか。最近は比較的統一されてきたように思う。

 私がここで言いたかったのは実はそんなことではない。この取っ手は便利で簡単ではあるが、実は相当問題が多い。というのは、まず水の調節が難しい。取っ手を上に力強く上げると勢いよく水が出る。少し力を入れると水が出すぎてしまい、少しの水で手洗いできるのに多くの水を無駄に使ってしまうのだ。その点、昔の手でねじるタイプの水道栓は微妙な調節ができて節水には申し分ない。

 水の無駄遣いだけではない。最近の水道は温水も出るようになっていることが多い。昔の水道栓の場合は温水の出る場合でも赤い色の栓をひねらない限りはお湯は出ない。赤い栓と青い栓をひねってうまく温度を調節して使うことができる。温度の調節は最近の取っ手方式の方が簡単である。取っ手をもっとも右に寄せれば冷たい水が出るし、もっとも左に寄せれば熱いお湯が出る。便利さから言えば最近の方式が圧倒的に便利だ。

 しかし、問題は使う側にある。昔の方式ならお湯を使わないときは赤い栓をはじめからひねらずに青い栓だけで水を使う。しかし、今の方式だと取っ手を中央に設定しているとかならずお湯を少しは使う設定になってしまう。北海道の寒い土地ならいざ知らず、たいていの場所では夏に手を洗うのに水だけで十分である。しかし、今のやり方だと意識して取っ手を右いっぱいに寄せておかないとかならず多少はお湯を使ってしまう。お湯を使うと言うことは、ガスなり電気なり灯油なりを使うことである。夏の暑いときに手を洗うだけに多くのエネルギーが使われる結果になっている。これはこの省エネを要求されるときに非常な無駄なエネルギーが大量に使われていることにならないか。

 私は水道を使うときはかならず取っ手を右にいっぱい回してから水を出すようにしている。埼玉県なら冬でもお湯を使う必要はほとんど無い。お肌の手入れがお湯でなければできない人以外は、冬でもお湯はいらないのだ。水を出すときのわずかな力の節約と便利さを求めたことが、莫大なエネルギーの無駄遣いにつながっている。水道器具のメーカーは是非そこのところを考えてもらいたい。まだ昔のままの水道栓を使っている人はぜひそのまま使い続けてほしい。流行に乗って無駄なエネルギーを使う必要はない。お金も無駄になるのだ。

 我が家でも昔のスタイルに変えたいと思っているが、これは家庭内の力関係という別の問題があるので一筋縄ではいかない。一度新しくしたものをまた取り替えるとお金も安くない。とりあえずはなるべくお湯を使わないように右いっぱい回してから使うことを心がけよう。駅など公共施設の水道栓もできるだけ昔の水とお湯が別々になった方式を使ってもらいたい。
 

鯨を食べることの怖さ

2007-09-25 | 環境
 日本の調査捕鯨は世界の人々の反対を無視して続けられている。しかし、鯨を食べる需要は日本にもそれほどない。水産庁の鯨の在庫量は増えてきている。年間の調査捕鯨で獲る鯨の肉は約4000トンだが、昨年8月時の在庫量は4804トン。一年間分が余っている結果となっている。水産庁では、全国の小中学校に食文化の継承などの名目で給食に鯨肉を食べさせるように指導し、これまで全国で3500校が一日以上食べさせたらしい。釧路でもご多分に漏れず学校で給食として鯨を食べさせている。

 和歌山県太地町は300年以上続く古くからの捕鯨で有名な町で鯨博物館もある。この町でも学校給食に鯨肉を食べさせている。しかし、太地町の町会議員である山下さんが、地元産のゴンドウクジラと表示されている肉を買い、民間の厚生労働省登録検査機関にPCB、総水銀、メチル水銀の3項目について分析を依頼したところ、その結果は、おどろくことに厚生労働省の定める暫定規制値を超えていた(基準値の10倍以上という数字もあった)。たとえば

PCB:0.27ppm(0.5ppm)、
総水銀:4.0ppm(0.4ppm)、
メチル水銀:3.1ppm(0.3ppm)

PCB:0.66ppm(0.5ppm)、
総水銀:6.39ppm(0.4ppm)、
メチル水銀:3.6ppm(0.3ppm)
(※カッコ内はそれぞれ厚労省の暫定規制値)

 この肉が、学校給食で出されていたわけである。山下議員は学校給食に鯨肉を出すことを止めるように訴えている。

このような肉を給食で出してしまう太地町の鯨肉に対する安易さは非常に問題が大きい。釧路市ではどのような安全対策がなされていたのだろうか。釧路市のホームページにはなにも書かれていない。学校給食に限らず、鯨肉を食べさそうと宣伝するためには安全を確認する義務がある。しかし、海産哺乳類にはこれらPCBやダイオキシン、農薬が高い濃度で濃縮されているのは、研究者の間では常識であるらしい。

 東京大学の宮崎教授らの調査では、日本近海のスジイルカの体内には、食物連鎖によってDDTやPCBが海水の千万倍に濃縮、蓄積されていたとされる。「母親の体内に蓄積された化学物質の90%は、母乳を通じて種が絶滅するまで子孫に受け継がれる。末代になるほど、汚染は深刻になる」 (「宮崎信之著「恐るべき海洋汚染」合同出版)そのほかの海産哺乳類もほとんど同じだという。

 年間わずかに食べる程度の鯨肉だから問題にしないというのは、この宮崎教授の一言で却下されるだろう。どのように少ない量でも人工合成化学物質は人間の代謝では体外に排出されないのだ。死ぬまで体の中に蓄えられ、母親の場合は子供に引き渡される。

 沿岸の汚染の深刻さももちろん問題視すべきだと思うが、特に食の安全に非常に敏感なメディアがこの問題を取り上げなかったことは、大きな問題である。ここにも反捕鯨の国際世論に反発して捕鯨にこだわる政府や一部業者の情報操作を唯々諾々と受け入れ、公平な報道を放棄してきたメディアの責任がある。鯨を食べるのは何でも善だとしてしまう無責任さ。

 もう一度、日本が鯨を殺し、絶滅させてしまってまで守る文化があるかどうか、問い直してもらいたい。
 

なぜ釧路で鯨を食べるのか?

2007-09-24 | 環境
 釧路沖でミンク鯨の調査捕鯨が始まった。釧路市では捕鯨で街おこしをしようとて、クジラ祭りやクジラに親しむ市民の集いなどを開いて鯨肉をたべさせようと躍起になっている。釧路沖の調査捕鯨は1年間にミンククジラ60頭の枠を設定している。昨年は調査捕鯨の期間中に60頭をようやく獲ったが、鯨が少なくなっているのでこの枠を消化するにもやっとの思いだったようだ。

 調査に携わった東京海洋大学の加藤教授によると、昨年度はミンククジラの主な群れが近くにいなかったとか。しかし、ミンククジラといえども昔の捕鯨時代から比べれば、大幅に数を減らしている。調査捕鯨でも獲るのに苦労するほど減っているとは口が裂けても言えないらしい。研究者としてどうなんだろう。政府にたてつくと研究費がもらえなくなるのだろう。いま世界でも昔と変わらない数が見られる鯨は東太平洋のコククジラ一種だけだという。そんなコククジラも日本近海では絶滅寸前といわれている。

 鯨を食べるのは日本の食文化だと水産庁は大々的に捕鯨復活に向けて宣伝を繰り返し、年間5億円もだして南極海に調査捕鯨と称する捕鯨船を出している。しかし、この調査捕鯨で南極の鯨の資源が推定できるとは専門家でも思っていない。要するに日本が捕鯨にこだわっていることを示すためのアドバルーンでしかない。さらに商業捕鯨が認められても南氷洋に捕鯨船団を出して捕鯨をする企業はない。いまさら捕鯨に資本投下する企業はないことは水産庁がもっともよく知っているはずである。まして鯨やイルカなどの海産哺乳類の肉に高濃度のPCBや農薬の蓄積が明らかになっている。食物連鎖の頂点にいる鯨たちには人間が垂れ流した毒物が貯まっている。その事実もひた隠しにして捕鯨に突っ走る政府とはいったいなんだろう。そして鯨の肉を食べましょう、捕鯨は日本の食文化だと宣伝にこれ努めている。街おこしに鯨を食べようと考えているNGOやNPOの人たちはいったいなにを勘違いしているのだろう。もっと事実を知って欲しい。

 沿岸の調査捕鯨というのも、公の目的は鯨が食べる魚類資源量を推定するというものだった。ところが、昨年の調査捕鯨でとれたミンククジラを調べても、サンマや鯖などの姿はほんのわずかだった。鯨がサンマを食べるから人間が捕るサンマが少なくなるという詭弁がばれてしまった。もっとも研究者たちはだれも本気でそんなことを信じてはいない。しかし、調査の結果をそのようには発表しない。主群がいなかったので今年もう一度調べようとごまかしている。そんな調査捕鯨がまやかしであることは、世界の人にはお見通しだ。IWCでの論議をよく読んでみると、「日本の常識は世界の非常識」であることがよくわかる。もっと日本人は内向きの議論をやめて世界に通用する議論をするようにならなければいけない。

 私たちは戦後の学校給食でまずい鯨の肉をさんざん食べさせられた。私はあの経験がトラウマになって今でも鯨に限らず肉が食べられない。あんな鯨肉が本当に美味しいと思う人がどれだけいるのだろうか?いま、水産庁が調査捕鯨で獲った鯨肉が売れずに多量の在庫を抱えているという。そのせいで水産庁は鯨を日本の食文化だと強弁して、なんとか鯨を食べさそうと必死である。

 しかし、そんなにしてまで鯨の肉を食べる必要がどこにあるのでしょう。今の日本人は鯨と聞いて鯨肉を思い出す人よりも、ホエールウオッチングを思い出す人の方が圧倒的に多い。釧路が捕鯨で街おこしをするなら、鯨を食べ尽くして鯨といっしょに町が沈没することになる。鯨は家畜ではない。野生動物です。人間と同じ哺乳類で、魚ではないのだから。

 魚でさえ、いま世界の海からどんどん姿が消えつつある。それも温暖化などの影響もあるだろうけど、もっぱら日本による乱獲のせいであるといえる。日本の沿岸でも魚たちは20年前くらいから急激に減少している。ましてや子供の数が年間1頭以下の鯨類は絶滅に至るのは早い。釧路が捕鯨で街おこしをしたら釧路沖のミンククジラが姿を消すのはそう先のことではない。釧路は自分で自分の首を絞めようとしている。鯨で街おこしをするなら、水産庁のおだてに乗らず、ホエールウオッチングで街おこしをすべきではないか。鯨を保護する町として有名になって欲しい。観光客もきっと増える。

 だいたい釧路には捕鯨の歴史なんかそんなにない。わずかに鯨を捕っていたことはあるが、捕鯨で有名な町でもない。国際捕鯨委員会(IWC)で日本が沿岸捕鯨復活のために要求したのは、先住民の生存捕鯨の枠である。アメリカやカナダの先住民の捕鯨がこの枠で認められているのを、日本政府は沿岸捕鯨復活の理由にしようとした。しかし、日本の沿岸捕鯨はれっきとした商業捕鯨であり、IWCで認められるはずもなかった。アフリカや中南米諸国などにODA(国際援助金)を出して捕鯨に賛成してもらうという露骨な票工作をして世界の顰蹙を買った。コスタリカの環境大臣が日本の札束で頬を張るようなやり方を強く批判している。

 釧路ではクジラ祭りにアイヌの人たちを駆り出そうとしている。アイヌの儀式を鯨でもやる予定らしい。先住民の生存捕鯨だと言いたいのだろうか。アイヌ民族は捕鯨の歴史などは持っていない。鯨も食べたであろうが、それとこれとはまったく違う。アイヌ民族を使って先住民の生存捕鯨の理由付けにしようなどとこそくな手段を使ってまで、なぜ鯨を殺したいのだろうか?経済効果は決して高くないことは、経済学者の推定でもわかっている。しかし、捕鯨となると目の色を変える捕鯨ナショナリストが日本にはなぜか多い。

 政府による情報操作が徹底しているからだろうけれど、日本人の偏狭ナショナリズムが鯨で熱くなることは、本当に不思議としか言いようがない。一度間違った方針を出してしまったので、意地でも撤退できないのかもしれない。どこかでボタンの掛け違いがあったのだろう。あなたは鯨の肉、鯨を絶滅に追いやっても食べたいですか?いまさら鯨の肉を食べる文化など日本には根付きはしない。若い人は冷めてみている。

星川淳「日本はなぜ世界で一番鯨を殺すのか?」幻冬舎新書 を是非読んでみてください。
 殺さないで! 鯨は人間の仲間だ。

原発が温暖化の原因だった

2007-09-18 | 環境
 各地で異常な暑さが続いている。甲府では35℃、熊本では36℃とか。しかし、東北では大雨で洪水が各地で発生しているようだ。先島諸島では強力な台風で瞬間最大風速が65m/秒というものすごい風が吹いたようだ。被害も大きい。日本列島、おかしくなってしまった。

 これも地球温暖化のせいだ。だからみんながもっとクーラーを止めたりして電力の節約をしたり、車社会を見直して公共交通機関を整備し直す必要がある、と書こうと思っていたが、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの「地球温暖化の本質」というパンフレットを読んでいて、目から鱗が落ちた。

 二酸化炭素の濃度上昇が地球温暖化の原因だと信じてきた。もちろん、二酸化炭素などの温暖化ガスの濃度上昇は温暖化に貢献していることは間違いない。だから、電力の節約や車社会の見直しは当然必要であるのもまちがいない。しかし、「逆もまた真なり」だった。彼のパンフに書かれていた過去50年間の温度の変化と二酸化炭素の濃度の変化を重ね合わせてみてみると、二酸化炭素濃度濃度と温度はあざなえる二本の縄のごとくどちらが先か後か分からない変化を示している。二酸化炭素が増えたから温度が上昇したとは必ずしも言えないのだ。つまり、海水温が上昇すると海水のガス溶存量は低下し、海水に溶け込んでいる二酸化炭素が空気中に出てくる。温暖化がCO2の濃度上昇を引き起こしてもいる。

 そして、この海水の温暖化に大きな役割を果たしているのが原子力発電所のようなのだ。原発は核分裂のエネルギーを利用して発電するのだけれど、核分裂で生み出されたエネルギーの3分の1くらいしか電気にはならない。のこり3分の2は無駄なエネルギーとして温排水によって海水中に捨てられる。そのために原発からは大量の温排水が海に垂れ流されている。100万KWの原発の場合、毎秒70トンの海水を7℃上昇させる。東京荒川の流量は30トン/秒くらいですから、荒川と多摩川を合わせたくらいの水が7℃上昇する。それが間断なく海に流れ出ているわけだから、海の温度が上がらないはずはない。

 むかし、ある原発のアセス書を読んでいて不思議に思ったことがある。大量の温排水が7℃温度を上昇させて海に放出されるが、その付近一帯の水温はほとんど上がらず「環境に影響はほとんどない」という結論が書かれていたのだ。コンピューターシミュレーションの結果からは半径1kmの範囲でもせいぜい温度が1℃くらいしか上がらないという予測が出ていた。

 なにかおかしいと感じたがシミュレーションの結果というものは簡単に操作できるということをよく知らなかった当時は、意外と影響は小さいものだなと納得してしまった。今になって考えるとこのシミュレーションは7℃上昇した水が出た場合、周りの水温がどうなるかという短期間のシミュレーションをしていたのだ。しかし、1℃上昇した周りの温度は、その一瞬後には最初のシミュレーションの前提を変化させている。あとからあとから出てくる7℃高い海水は、周りの海水をどんどん上昇させていくのではないか。

 結局、二酸化炭素を出さないから究極の温暖化対策だと喧伝されている原発だが、本当は海水を温め、気温の上昇にも大きく貢献し、さらに二酸化炭素を海水から追い出すことによってさらに温暖化を加速していたのだ。日本には55基の原発があり、年間1000億トンの海水を7℃上昇させている。全河川の流量が年間4000億トンだから原発から流れ出てくる量のものすごさがわかる。

 政府や電力会社は温排水による海水の温暖化を認め、原発は二酸化炭素を出さないから温暖化対策として原発を推進するという嘘を訂正しなければならない。そして地震国日本は、危険な原発から一日も早く撤退するべきである。