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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

宝の海を守りたい

2009-09-13 | 環境
瀬戸内海の小さな島でいま、大変なことが起こっている。山口県上関町の長島に原子力発電所を作る計画が中国電力によって進んでいる。27年前に突然降って湧いた原発建設の話に、地元は揺れに揺れた。町長を始め、議会の多くが推進派となり、反対派の町民と対立した。町は二分され、反対派の店には買い物にも行けないような状態が続いている。住民は憎しみ合い、親類縁者も引き裂かれた。田舎の素朴な人びとの生活は、原発計画によって徹底的に壊されてしまった。

 入会権の裁判や、土地を所有していた神社の神主が反対を貫いたために神社庁に解任されるなど、様々な動きがあり、原発予定地の田ノ浦には、スナメリやカンムリウミスズメ、ナメクジウオ、カサシャミセン、ヤシマイシンの仲間、スギモク、ナガシマツボなどの貴重で希少な生き物たちがいっぱい残る。汚され壊される前の瀬戸内海がまだ残っているほとんど唯一といって良いところだ。そんな楽園のようなところに原発を建てるという。

 だが、まだ原発建設の許可は下りていない。原発建設の許可を申請するための条件が揃っていなかったためだ。しかし、一年前の10月22日に原発建設予定地の田ノ浦を埋め立てる許可が山口県知事から出た。瀬戸内海環境保全臨時措置法では、瀬戸内海の埋め立ては極力抑制することとなっているにもかかわらずである。その許可の条件は一年以内に埋め立て工事に着工することであった。あと1ヶ月である。環境アセスメントでは、上述したような貴重で希少な生き物たちがいることはほとんど無視された。いや、見つけられなかったのかもしれない。それほどいい加減なアセスであったということだ。建設を前提にしたアセスなんだから。

 そしてまもなく期限の10月22日が迫ってきた。焦った中国電力はとうとう反対派の起こした裁判の決着を待つことなく、9月10日に埋め立て工事に着工することにした。10日の朝、近くの平生港から埋め立て工事に使う大型ブイを運びだそうとしたクレーン船は、反対派が95%という祝島漁民の漁船によって港に近づけなかった。中国電力の社員が乗った船が漁民のピケットラインに近づき、メガホンで工事に協力するように「説得」をする。「説得」の中身には、「祝島へもケーブルで電気を送っているぞ」という言葉も含まれていた。文句言うなら電気を使うな、電気を送らないぞ、という脅しも言外に臭わせている。

 漁民たちは、「ここは俺たちの海だ」「中国電力の海じゃないぞ」「そんなに安全なら(中国電力本社のある)広島へ持って帰れ」などと応戦する。話し合いを求める漁民に対して、中国電力社員は書類に書いた「工事に協力して下さい」という文章を繰り返すだけ。彼らは生活がかかっていないから気楽なものだ。

 祝島は原発建設予定地の正面にある島だ。島の人口は減ってしまったが1000年以上の古い文化を持つ伝統ある島だ。その島の漁業は予定地の田ノ浦周辺がもっともよい漁場である。ここ数年の地質調査や詳細調査によってすでに操業に支障がでているし、魚も捕れなくなってきたという。宝の海を埋め立てられたら祝島の人たちは、生活の糧を失う。

 結局、10日の午後3時半頃になって中国電力は工事をあきらめた。そして11日、早朝に再び平生港で両者のにらみ合いが続く。11日も工事を止めさせることができた。12日も同じ事が続き、工事は延期をした。漁民の闘いは続いている。広島や大阪などからも原発反対の人びとが応援に駆けつけている。13日は日曜日で工事の予定はない。14日から再び攻防がはじまる。中国電力がいつ公権力(警察)を使って強行突破を計るか、新政権がそれを許すか。民主党は原発建設推進だから、おそらく見て見ぬふりをするだろう。どれだけ多くの人が関心を持ち、原発反対に心を寄せるかで事情は決まる。祝島の漁民も毎日反対行動をしていると収入の道が途絶える。それを支える人びとの支援が必要だ。

宝の海を守りたい。

干潟創生のウソ

2009-08-13 | 環境
瀬戸内海の西の方、山口県下松市の沖、笠戸湾に飛び出した隣の周南市の半島に人工干潟が造られているというので、見に行った。この半島は昔は島であったのだが、本土と島の間を埋め立てて、狭い水路だけを残しているので、島とは思えないようになっている。なので、現在では島という名前はついていない。半島の埋め立て部分に競艇場が造られて、埋め立て地の一部が巨大な競艇場のための駐車場になっている。

 この半島のもっとも標高の高いところが太華山と言い、公園になっている。この半島の半ばのところに入り込んだ湾があり、漁港を除くそのほぼ全体が人工干潟になる予定だという。現在は半分くらいが土嚢の堤によって仕切られて、人工干潟がほぼ完成している。これから残りの半分に土砂をいれて人工干潟を造る予定で、2年後にはすべて完成予定だという。


 人工干潟には白い砂が敷き詰められて、遠くまで浅場になって海水浴にはいい海岸ができているように見える。その横のまだ自然のままになっている浜は、石がごろごろしたり、泥場があったりして、見た目は悪い。しかし、中に入ってみて驚いた。人工干潟の水は濁って潜ってみても底が見えない。顔を底まで近づけないと見えない。一方、100mも離れていない隣の自然海岸では、海水は比較的きれいだ。瀬戸内海の夏場の海としてはまあきれいな方だろう。

 海水なんかはつながっているから、隣り合っている人工干潟と自然海岸でなぜこんなに水の透明度が違うのだろう。少し人工干潟の砂浜を歩いてみて、すぐにその理由に思い当たった。ここには生き物がいないのだ。自然海岸の方は、カキが岩や石にくっついて、ごろごろしているし、砂を掘るとアサリやオニアサリ、ソトオリガイなどの二枚貝がいる。穴からは瀬戸内海でも少なくなってきたと言われているマテガイが目を出している。昔、子供の頃にマテガイの目に塩を入れて、マテガイが勢いよく飛び出してくるのをおもしろがって取ったものだった。

 二枚貝だけではない。砂にたくさん開いた小さな穴はアナジャコの巣穴だ。びっしりと棲んでいる。ゴカイの仲間もいろいろ見つかる。いかにも生き物のにぎわいのあるいわゆる多様性の高い海岸だ。しかし、人工干潟は砂はきれいだが、およそ死の世界に近い。砂浜の高いところにはスナガニ類がたくさん棲んでいる。これは自然海岸の方ではそれほど見られない。新しい砂を入れたことによって、スナガニ類には良い生活場所ができたのかもしれない。

 アサリやカキやアナジャコのような生き物は海水を濾して水中の餌を食べているという。そのような動物がいないということは、人工干潟の上の海水のプランクトンは誰にも食べられていないことになる。だからここの海水は濁っている。一方、自然海岸の海水はプランクトンがどんどん動物に食べられて、水はきれいになっているというわけだ。しかし、本の数十メートルの違いでもこんなに水のきれいさが違うとは、本当に驚かされる。

 さらに驚いたのは、人工干潟を歩いていて、いきなり太ももの上まで体が砂に埋まってしまったことだ。ところどころで砂を踏み抜いて体が埋まってしまう。これはかなり危険だ。子供だったら、体が埋まってしまい抜け出せないこともあるかもしれない。いったいどうしてこんなことが起こるのだろうか。人工干潟を造った国交省港湾事務所の人に話を聞いてみた。

 どうもこの人工干潟に使われた土砂は、近くの徳山港の航路浚渫した海底のヘドロらしい。海岸に浚渫したヘドロを入れて、人工干潟を造ったと言うことらしい。しかし、ヘドロをそのまま海岸に入れたのでは、地元の人の了解は得られない。そこでヘドロの上に九州玄界灘の海底から取ったきれいな砂を薄くかぶせて人工干潟と言っているらしい。かぶせた砂の層が薄すぎたところでは、人間が乗っただけでヘドロの層まで突き抜けてしまうということのようだ。こんな人工干潟を造成して、「自然環境を保全し、再生・創出する」(事業の宣伝パンフレットから)とよく言えたものだ。

 最近、自然再生法ができてから、干潟創成、藻場造成などと自然再生を行うかのような言いようで、このような自然破壊が横行している。この人工干潟も地元漁協がお願いして作ってもらったことになっているが、国交省はきっと泣いて喜んだのだろう。航路浚渫の土砂をどうするか困っていたのだから。浚渫土砂は産業廃棄物扱いなので、昔のように沖合の海に捨てることも許されていない。陸に揚げれば土地が必要だし、お金もかかる。漁協が人工干潟を造って欲しいといったのは、まさに渡りに船だ。何年かたって、漁協が騙されたと知ったときには、役人たちはみんな交代しているので、誰も責任はとらない。そういうことがこの国には多すぎる。選挙の結果で民主党が政権を取ろうとも、自民党出身者の多い民主党では、官僚の築いた世界を壊すことは難しいのではないか。どれだけできるか期待半分楽しみでもある。

高速道路料金の値下げはお門違い

2009-05-03 | 環境
 高速道路の利用料金が土日に半額になったことや、最大1000円に抑えられたことなどによって、どこの高速道路も混雑がひどくなっているようだ。50kmを超える渋滞もあちこちで起こっているらしい。車を使わない生活になったので、あまり関係ないのだが、こんなニュースを見ていると、どうもおかしなことをやっていると思わざるを得ない。

 まず、不公平感は大きい。車を使わない人間には何もメリットがない。それにもかかわらず、高速料金を大幅値下げをしたために失われる利益は、国民の税金でまかなわれるのだ。さらに、車に乗ってもETC登載の車だけがこの利益を受ける。これによって大儲けのETC会社には、経団連の会長のキャノンの会長が親分に座っている。そして車が売れるとトヨタが儲かる。このあたりが儲かるように誰かが仕組んだとしか思えない政策だ。

 この政策は今すぐやめて欲しいと思うのは、やはり環境に非常に悪いと思うからだ。地球温暖化のもっとも大きい原因は化石燃料の消費であることは間違いない。しかもその4割は車による消費だと言われている。その車の消費がさらに増えるような、今回の政策はどうみてもおかしい。そのおかしさを象徴するのが、トラックやバスがこの高速道路の値下げの適用外になっていることだ。バスは公共の交通機関だ。車を止めてバスや電車のような公共交通機関へと誘導するような政策が求められているのに、まったく逆の政策が行われている。金融不況で車が売れなくなったというニュースは、喜ばしいと思っていたのに、景気対策と称してどんどん石油を消費し、排気ガスを排出する車を増やすような政策を行うとは、どう考えてもトヨタとキャノンを喜ばすためとしか思えない。麻生さんはトヨタとキャノンからいくらもらったのだろうか?

 バスとトラックこそ、高速道路の利用料を土日だけではなくいつも無料にすべきだろう。そうすれば車に乗る人は減り、日本の石油消費量は減少する。そうすれば原油価格も下がり、電気代も下がる。景気のためにも良い。その真逆をやるアソウ政権は、もうみさかいが無くなったらしい。

 普通乗用車の高速料金をいますぐ元に戻し、バスとトラックの料金を無料にして欲しい。バス代も安くなるだろう。不公平感も無くなる。エネルギー問題の解決にもつながり、環境問題の解決にもなる。どうしてこんな簡単なことが分からないのか。トヨタに遠慮する必要はない。オバマはクライスラーに引導を渡した。日本も自動車会社にそろそろ破産宣言をしてもらいたい。いまこそ車社会から新しい社会へ脱却のチャンスだ。


天架ける橋と現実

2009-04-20 | 環境
完全に護岸された天橋立

股の間から覗くと天に架ける橋のように見えるという天橋立を見に行った。美しい砂浜の砂嘴地形として昔から有名なところである。東北の松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つ。京都からは直行の特急列車が出ているが、今回は各駅停車の列車を乗り継いで出かけた。それでも3時間で行ける。特急に乗れば料金は2倍、時間は2時間半だ。たった30分急がなければ、半額で行けるし、あわてる用事がなければ各駅停車の旅も捨てがたい。

 予想はしていたが、天橋立も近年砂がどんどん無くなりつつあるという。砂嘴の西側=湾の奥側は、おどろいたことにすべて護岸されている。東側の砂浜は砂が無くなってきているので砂の消失防止のために沢山の突堤を築き、砂の消失は少し止まったようだけど、天橋立の砂嘴がノコギリの歯のようにギザギザになってしまっている。そのことは写真などでよく知っていたが、反対側が完全に石の護岸になっているとは知らなかった。しかも昭和の初期には護岸されているという。股のぞきの小倉小屋のおじさんに聞いた。

 砂が無くなっているもっとも大きい理由は、おそらく天橋立の北側、丹後半島の山から海に注ぐ川にたくさんの砂防ダムができてしまったせいであろう。海に砂が流れてこなくなったせいだ。こんなギザギザのみっともない天橋立を世界遺産にしたいと言っても、とても無理だろう。地元では一生懸命に世界遺産にしようと頑張っている人がいると聞いた。もっともそれも選挙目当てだ、本気でやっているわけではないという批判も同時に聞いた。

 天橋立を本当に世界自然遺産にしようと思ったら、川から砂防ダムを取り除き、人間が砂を入れないでも砂洲が維持できるようにして、突堤や護岸を撤去してしまわないと、とても無理だろう。そうできれば、単に世界遺産になれるかどうかだけでなく、日本の自然を守るためにきわめて模範的な日本をリードする場所になれるだろう。ぜひそうなって欲しい。

 笠松公園の上から、股のぞきをしながら、天架ける橋の幻想を見ていた。

24時間コンビニが必要か?

2008-12-04 | 環境
コンビニの24時間営業は本当に必要なのだろうか? 省エネや温暖化防止のために、コンビニの終夜営業を見直そうという動きが各地に起こっている。埼玉県と京都市、私の住んでいる二つの自治体が奇しくも代表的な動きをしている。

 埼玉県はコンビニだけでなく一般の24時間営業そのものを規制することや、ネオンの深夜消灯などを要請することを決めた。京都市は、「環境に優しいライフスタイルを考える市民会議」を発足させ、コンビニの終夜営業をどうするかを議論することにし、コンビニ業界の「日本フランチャイズチェーン協会」に参加を求めた。しかし、協会は「ライフスタイルは多数決で決めるべきではない」として、参加を拒否した。多数決を取れば負けることを知っていたのだろう。

 セブンイレブンのパンフレットに、コンビニの深夜営業をやめても省エネ効果なんかほとんどないということが書いてある。それによると24時間を16時間営業にしてもエネルギーの削減は5-6%程度という。そして深夜営業を止めるとトラックの配達が昼間になり、交通渋滞を引き起こし、かえってCO2の排出を増やすから、差し引き4%くらいの省エネ効果しかないと言っている。

 コンビニの終夜営業を止めることは深夜型のライフスタイルを見直すいい機会になるという論理には、コンビニの終夜営業が深夜型のライフスタイルを作り出したものではなく、むしろニーズに応えてコンビニが24時間営業しているのだ、と言う。

 なるほど、ああいえばこういうという感じのパンフレットではあった。たしかにコンビニが24時間営業をやめても深夜型のライフスタイルを止めない人たちがいることは確かだろう。しかし、それが24時間営業を続ける正当性を保証するものでもない。いま人々が言っているのは、無駄なエネルギーを減らすことによって、深夜型のライフスタイルも止める方向に持って行こうと言っているのであって、ニーズがあるから止めるべきではないというのは、論理が逆さまだ。

 このパンフレットは、コンビニが深夜営業をしていると、防犯にも役立つという。深夜に女性がストーカーや暴力から駆け込む例が年間13000件もあるから、コンビニの終夜営業が役立っていると宣伝している。これもまったく逆かもしれない。深夜型のライフスタイルを止めれば、こんな犯罪も減少する。コンビニの店長の多くは、むしろ深夜営業を望んでいないという証言もある。それをフランチャイズの本社がむりやり深夜営業を強制しているという。すべての店がそうでないと24時間営業の看板がウソ偽りになるからだ。

 深夜はみんなが安眠して明日への活力を蓄えるときだ。無駄なエネルギーを消費して、犯罪の温床になるような場所を作るべきではない。少しずつライフスタイルを昼型に変える努力が必要になってくる。やがて石油が無くなり、原子力発電は重大な事故を引き起こし、電気が十分無い時代がそう遠くない将来にやってくるだろう。そのときのために、今からライフスタイルを変えていかねばならないし、そのためにはコンビニの深夜営業をそろそろ止めてもらわねばならない。

 このパンフレットの最後に「地球温暖化防止に必要なのは、一人一人が地球環境を意識し、少しずつ省エネ効果を積み重ねていくことであろう」と書いている。コンビニが悪いんじゃない、おまえらがやれ、というのだろう。責任をなすりつけようとするコンビニ業界の体質が見え隠れする。

野付半島と暗い未来

2008-08-28 | 環境
野付半島に行った。どこにあるか知っていますか?北海道の東のはずれ、知床半島と根室半島の中間に細い砂嘴でできている半島です。なんどかここへは来たけれど、いつ来てもここは寒い。今回も寒さに震えてネイチャーセンターの建物に逃げ込んだ。

 ネイチャーセンターには観光客がごった返していた。こんなに客がいるのを見るのも初めてだった。少しは野付半島が有名になったのかな? 野付半島にはトドマツの立ち枯れが海の中に見られるトドワラが有名だが、トドワラだけではなく、周辺の原生花園や干潟、アマモ場なども一度は見てほしいと思う景観だ。

 日本にこんなところがあったのかと思えるようなすばらしい自然が残っている。霧に包まれていたり、寒い吹雪の中で見る野付半島の自然は、まるであの世の風景を見るようだ。天候がいい花の季節に見ると、天国のようにも見えるし、天候が悪いときには、地獄の風景にも見える。なんども来たことがあるが、どちらかといえば後者が多かったような気がする。この世の果てに来たような、そんな気がする場所である。

 でもこの野付半島が今消滅の危機に直面しているらしい。地盤の沈下や温暖化による海面の上昇によってツバルに負けないほど平坦な野付半島とその湿原は、海に飲み込まれる運命にある。その時はいつなのか?100年先か1000年先か? 温暖化も人間の仕業だが、それに加えて人間が砂の供給を止めてしまったために、野付半島の砂嘴がなくなるのは20年先だという専門家の意見もあるらしい。そうなると知床半島にも負けないほどのすばらしい自然がなくなってしまうことになるという。

 人間はいったい何をやってきたんだろうか?もう後戻りはできないのだろうか?石油がなくなったときに人間はどういう生活をしようとしているのだろうか?今から考えておいたほうが良い。石油がなくなっても同じような生活をしようとすれば、原発に依存するしかないだろう。そうすると、2-30年前に盛んに言われた「核兵器による人類の終末」という未来図は、「原発事故による人類の終末」という未来図に書き換えることになるだろう。どちらにしても明るい未来は見えてこない。

控訴した農水のメンツと民主党への期待

2008-07-11 | 環境
農水省は、佐賀地裁の判決を不服として控訴した。そのうえで農水大臣は、開門調査をする前提で環境アセスをすると述べた。開門調査をやるためのアセス調査というおかしな論理だが、すでに干拓を終え、農業者が入植しているので、その影響を見定めるという。それは佐賀地裁が3年間の猶予を与えたあと、5年間の開門ちょうさをやれと判決で述べたことを実質的には実行すると言うことだろう。

 その決定は是としたい。でもそれならなぜ控訴したのだろう。開門調査はせざるを得ないところに追い込まれた。でも、控訴しないとそれまでの農水省の施策の過ちを認めたことになるから、控訴したというのが本音のようだ。開門調査をこれまで拒否し続けてきた農水省が、開門を前提とした環境アセスをせざるを得なくなったが、それでも過去の2500億円を超える税金を投入して、生産調整をしている米作をするための農地を作るという政策のどこに正当性があるのだろうか。

 もっと農水省の役人は素直に過去の失敗を認めるべきだ。役人のメンツのために有明海の多くの生き物たちが殺され、全体の生態系がここまでおかしくなってきた。タイラギや多くの漁業資源が急激に減少し、漁業者には生活できずに自殺したり、都会に出てホームレスになった人もいる。

 民主党はどうしたのだろう。いまこそ民主党が「われわれが政権を取ったら、直ちに開門をして有明海を再生させる」と言明すべきではないか。入植者からのクレームは、そもそも干拓して入植させること自体が間違った政策だったのだから、入植者たちに売り払った干拓地の代金50億円を支払ってでも、有明海を元の海に戻す再生事業を国の威信をかけてやって欲しい。民主党に期待する。

 そして農水省の役人たちには失敗した干拓事業費2500億円をぜひとも弁償してもらいたい。退職金をすべて投げ出してでも。それだけの大きな罪が彼らにはあるのだ。

ムツゴロウの恨みを晴らそう

2008-07-03 | 環境
 有明海を死に追いやった諫早湾の干拓事業で、国(農水省)に、閉め切り堤防の撤去と漁業補償を求めた1500人以上の原告にたいして、佐賀地方裁判所は閉め切り堤防の撤去は認めなかったが、有明海の水産資源の減少や環境悪化について、排水門を5年間開放して中長期の影響調査をするように国に命令した。判決は、この事業が環境に悪い影響がないかどうかを証明するのは国の義務であること、排水門の長期開放を認めない国の政策は立証妨害に等しいと厳しく断じた。

 排水門の開放を求めた佐賀地裁の判決はこれで2度目となる。第三者委員会としての専門家会議などでも中長期の排水門開放による調査を何度も求められていながら、農水省はガンとして応じようとしない。わずか半年の一部開放を行ったが、それだけでも海の環境には回復の兆しが見られたと専門家は言っている。なぜ農水省は認めようとしないのか。それは、この事業が明らかに無駄な公共事業であった、失敗した公共事業であったということが、誰の目にも明らかになるからであろう。

 有明海の環境が今のように悪くなったのは、諫早干拓だけが悪いのじゃない、というのが農水省の言い分だ。それはそうだろう。だから諫早干拓が悪くないという論理の飛躍は、頭の良い農水省の幹部はわかっているはずだ。それでもシラを切り続ける。3年すれば自分は別の部署に回るから、それまでシラを切っていれば何とか凌げると思っているからだろう。彼らに良心というものはないのだろうか。

 長崎県知事なんかは、排水門を開けたら高潮被害が起こるだの、すでに農業を始めている人たちがいるから、いまさら海水を入れるわけにはいかないなどと言いつのっているようだが、それは論理のすり替えというもの。そもそも干拓事業が本当に必要な事業だったかどうかを、いまこそ検証するべきではないか。3000億円もの事業で作った農地をわずか51億円で売り払った農水省。その損は結局税金を納めているわれわれが被るのだ。役人たちは一銭も損しない。むしろ裏で良い思いをしているに違いない。

 それだけでも失敗の事業であるのは明らかなのに、さらにもっと大きい悪影響がある。それが有明海を死の海にしてしまったことだ。地裁の判決は有明海全体の環境悪化と諫早干拓の直接の因果関係は不明とし、諫早湾周辺の環境悪化にだけ影響を認めた。しかし、研究者には諫早湾の干拓が有明海に決定的な死の宣告をしたことは、もはや当たり前という認識と聞く。

 多くの漁民の生活を失わせただけでなく、海の生き物たちの命も奪っていった諫早湾の干拓事業。農水省の役人やそれでうまい汁を吸った議員、知事、市長などの政治家たちには、将来きっちりとこの「落とし前」はつけてもらわねばならない。海水が来なくなった干潟で苦しみのたうちながら死んでいったムツゴロウたちに代わって、誰かが決着をつけなければならない。農水大臣は、まず控訴を断念し、諫早干拓の罪をわびて欲しい。

花と虫と草に囲まれて生きたい

2008-06-13 | 環境
激しい雨が降った。いよいよ梅雨が本格的になってきたようだ。あじさいの花がきれいに色づいてきた。雨に濡れる紫陽花にカタツムリ、これに色鮮やかな傘。梅雨の歳時記ができあがりだ。しかし、カタツムリの姿を見ることは少なくなってしまったと感じませんか?

 やはり農薬のせいなのでしょう。私の住む団地でも、徹底的に農薬散布を行います。樹木が多くて、湿地にも囲まれ、それが気に入って買った団地なのですが、管理が行き届いているために、木々は切り込まれ、何十年たっても樹木が大きくならない。農薬散布で虫もいない。カタツムリを見た覚えもない。たまにナメクジの姿を見る程度。

 さらに団地を取り囲む田んぼでは、ヘリコプターによる農薬の空中散布をいまだに続けている。無差別爆撃のようだ。ベトナムでの米軍による枯れ葉剤作戦を思い出す。あの枯れ葉剤とよばれるダイオキシンで数千万人がいまだに被害に苦しんでいる。似たようなことがこの日本で未だに続けられている。カタツムリが生き延びる場所がない。

 虫が死に、カタツムリがいなくなり、草が枯れ、そして「すばらしい」芝生が生まれる。そこではゴルフ以外に生きていくものがいない。管理された「すばらしい」庭ができる。そして人間は身体を病み、心を病み、人を殺したくなる。

 草がぼうぼうと生え、虫に囲まれた生活をしたい。そろそろサンナシ小屋の周囲の草は、人の背の高さに近づいてきただろうか。そこに人間が健康に生きていける自然がある。サンナシ小屋へ行きたい。

 そう思いながら、なぜか明日から九州へ行く。梅雨の真っ盛りの九州はさぞ蒸し暑いだろう。
 

砂浜のコンクリート化に罪がないか?

2008-02-26 | 環境
 先日の大風の影響で富山県入善町の海岸では高波が防波堤を越えて民家に流れ込み、多くの家で床下浸水となり、自動車もたくさん壊される様子がテレビのニュースで放映された。自然の猛威にただ唖然となるばかりだった。こんなことは昔はなかったという住民のコメントが流されていたが、やはり異常気象が大規模になってきているのかなあというように思った。

 けれども飛行機からの現場の映像を見ると、海岸の砂浜がいちめんコンクリートで固められているのがわかった。いわゆる親水護岸としょうして砂浜を階段状にコンクリートブロックで敷き詰めている。押し寄せた高波が海岸の砂浜で砂を巻き上げながらエネルギーの減衰を起こすはずが、この砂浜のコンクリート化でエネルギーをむしろ高めながら陸に向かっていったのではないだろうか。

 私は以前からこの海岸砂浜のコンクリート化を不思議に思っていた。いったい何のために砂浜をコンクリートで固めなければならないのだろうか。水に親しむためならむしろ砂浜のままの方が良い。ここにも公共事業と称する無駄遣いが自然を壊し災害も招いている例があるような気がする。専門家が砂浜のコンクリート化が高波の異常な大きさになることを助長しなかったかどうか是非調べて欲しいものだ。