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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

瀬戸内海に原発はいらない

2007-08-27 | 環境
今では瀬戸内海の生き物を見ることができる最後の砦となった周防灘。そこから北に突きあったったところに、上関町長島がある。ここに中国電力が原子力発電所を計画してから早くも20年以上たった。今の瀬戸内海しか知らない人には、とても瀬戸内海とは思えない透き通った水、さまざまな種類の魚や小動物が見られる小さな入江。ここにはカサシャミセンという潮間帯のタイドプールに住む非常に変わった生き物が住む。また、カクメイ科の貝類が島ごとに異なった種類が住んでいるという。まるでガラパゴス諸島のそれぞれの島にフィンチが種を異なって住んでいるように。研究者はこの海域を瀬戸内海のガラパゴスと呼んでいる。

 その他にも珍しい種類がいっぱいこの小さな入り江から見つかっている。瀬戸内海の原風景とか、究極の楽園とか、称されているこの島の自然をなんとか守っていきたい。すぐ向かいにある祝島の島民ほとんどがこの原発建設に反対している。しかし、漁業権訴訟も入会権訴訟も一審ではすべて住民勝訴だったのが、広島高裁で不当な逆転判決が出てしまった。裁判長は判決を言い渡したあと、被告の中国電力に向かって「これでよろしいですね」と念を押したという。企業のいいなりになる司法の姿勢を示したと言える。どちらの訴訟も上告して最高裁で争われている。

 今週、この長島に出かけた。原子炉本体の設置許可を得るための詳細調査というボーリング調査が建設予定の田ノ浦湾で行われている。小さな入江の砂浜に巨大なボーリング台が10台、林立している(写真参照)。あの静かな生き物の宝庫だった田ノ浦がもうこんな姿になってしまった。ボーリング台の周りで泳ごうとすると、警備員が警告を発する。ボーリング台に近寄るな、あっちへ行け、と。海に来て泳ぐのに誰の指図も受けない。海は誰のものでもない。みんなのもの。私有化して危険な原発を建てさせたくない。

 原発を建てさせない人たちの「つどいの家」では、集まった30人くらいが真剣に長島の自然観察やその変貌について議論したり報告し合っている。年寄りから若い中学生まで人々の真剣な意見が続く。部屋の壁には「子や孫のために 長島に原発を作らせない」というポスターが貼られている。

 原子炉設置許可が下りたら、いよいよ原発の建設が始まる可能性が高い。あらゆる手だてを講じて原発を作らせない戦いをしなければならない。建設差し止めの訴訟について、弁護士を中心に真剣な話し合いが続いた。建設差し止めの訴訟は、本丸の訴訟になる。大弁護団を構成する必要もあり、困難が立ちはだかる。しかし、いよいよここまで来たら、それしかないのではないかという気持ちはみんな共通だ。準備をしなければならない。
  

原発の規制緩和に驚く

2007-08-24 | 環境
政府の経済産業省は、原発の定期点検を現在の13ヶ月おきから2年おきに規制を弛める方向で検討を始めたという。今なぜ規制緩和なのか? 昔から電力業界には定期点検をもっと減らす方向で規制緩和して欲しいという要求があったようだ。トラブル続きで稼働率が非常に低い原発の稼働率をもっと上げるためというのがその理由だ。もっとも、表向きの理由は2年間くらい定期点検しなくっても安全だというのだ。

 しかし、この13ヶ月おきの定期点検というのは、日本の原発を建設する上で安全に対する危惧が住民の中に強いことを考慮して、安全優先を強調するために設定されたはずである。それを緩和するためには、安全にとって十分な保証が証拠を付して示されなければならない。

 今、この議論をはじめようとする政府の思惑には、電力不足が喧伝される中でこの議論を始めることが世論の反発を招かないという政治的判断があるといわざるを得ない。国民の安全ではなく企業の利益に奉仕しようとする政府のまことに姑息なやり方だ。

 安全は二重にも三重にも保証されてしかるべきである。柏崎刈羽原発で示された日本の原発の地震への脆弱性は、現在の定期点検でも不安をかき立てるのに十分である。いまこそ、原発政策の是非をこそ検討し始めるときではないのか。子供たちの未来を放射能汚染で真っ黒にしないためにも。
 

停電に踏み切ろう

2007-08-23 | 環境
今朝は久しぶりに寝苦しい暑さから解放された。夜半からの雨のせいである。それでも気温は28℃。今日一日は曇りの予報だったし、最高気温が30℃を下回るという事だったので安心していたが、11時現在、真夏の太陽が赫々と照りつけている。

 昨日まで、熱中症のような症状でダウンしていた。朝から水浴びをしたり、氷枕をしたり、水風呂に入ったりしたが、体のだるさはなくならない。昨日は死にかかり、黄泉の国の入り口までたどり着いた感じがした。今朝は黄泉帰った。都内の夫婦が熱中症で死んでいたのが2-3日前に見つかった。彼らもクーラーを使っていなかった。

 柏崎刈羽原発が運転停止したことで電力が足りないと東京電力が対応に追われている。昨日は大手工場の操業短縮や停止でなんとか電力不足が起こらずにすませたという。しかし、工場の操業停止などで削減できた電力はわずか60万キロワットに過ぎなかった。個人の住宅のエアコンはフル回転のようだ。これを止めずには電力不足は防ぎようがない。この需要をまかなおうとすると、火力発電所などもフル回転せざるを得ず、結局温暖化ガスの過剰放出につながり、それはさらに気温の上昇→エアコンのさらなる運転と負のらせんに落ち込む。

 エアコンを使うべきではない。私も熱中症にかかりながらもエアコンのスイッチはついに入れなかった。熱中症で死んだ人たちの中には生活保護世帯でエアコンを買うことが許されなかった人もいる。エアコンの効いた部屋で快適に暮らすことが異常気象を引き起こし、自分以外の人には加害者として振る舞っていることを気がつくべきである。

 この際、東京電力は停電に踏み切るべきである。無理して温暖化ガスを増やすことを止め、これ以上は電力は供給できませんといって停電すべきである。第3世界では、停電は日常的に起こっている。先進国だからといって無制限に電力を使うことは許されない。どこかで停電に踏み切れば、住民も節電を考えるだろう。エアコンを使うことを考え直すことがあるだろう。

 冷蔵庫もできれば使わない生活をしたい。現状ではなかなか難しいが、昔は毎日の食料品は毎日お店に買いに行った。だからそれほど冷蔵庫を必要としなかった。今では冷蔵庫があるから、買い物も大型スーパーで一週間の食料を買い込んでいる。それだから、ご近所のお店はみなつぶれ、郊外の大型スーパーが繁栄する。郊外まで買い物に行くから車がないと不便になり、なんでも車を利用する。車社会が温暖化と光化学スモッグを引き起こす。そして町の中がシャッター街と化す。

 すべて便利さを追求しすぎたことが、今日のいろんな問題を引き起こしている。もっと便利さよりも大事なことがあることを知るべきではないか。停電のローソクの下で、それを考えてみてはどうだろう。
 

ペットボトル入りのお茶

2007-08-21 | 環境
会議に出席すると、最近しばしばペットボトル入りのお茶が机上に配られることが多い。ペットボトルはリサイクルも可能になったが、その大部分は燃やすか埋め立てられているゴミの主要な部分を占める。最近は中国など第三世界に利用可能なゴミとして輸出もされており、公害の輸出と問題になっている。

 そのような理由で、私は会議に出されたペットボトル入り飲料には手をつけない。のどが渇いても手を出さないようにしている。会議用に自宅から魔法瓶を持って行くという人の投書を新聞で読んだ。私もそうしたいと思いながら、遠くでの会議などではなかなかそうもできない。のどが渇いたときなど、目の前にあるお茶に手をつけないというのは、なかなか苦行である。

 このペットボトル入りお茶を会議のときに出席者に出すというのは、今日では一般的になっているようだが、よく考えればかなり失礼なことなのじゃないだろうか。たしかに手軽で簡単ではあるが、お客をもてなすという意味では手抜きですといわんばかりなのだ。昔はそれでもペットボトル入りを出すときは、こんなもので失礼ですが、といいながら出していたように思う。しかし今頃は当然のごとくペットボトルを配っている。

 これはしかし、お客を夕食に招いてインスタントラーメンを出すようなものではないだろうか?もっとも会議はお茶を飲みに来ているわけではないので、些末なことではあるのかもしれない。それで思い出したが、喫茶店などでも紅茶を頼むとティーパックで入れてくれる店がある。入れてくれればまだいい方で、ティーパックとお湯を持ってくる店もある。それで何百円も取られるとちょっとむっとする。コーヒーを頼むとインスタントコーヒーを入れる店も昔はあったが、今ではさすがにそれはなくなった。しかし、紅茶はまだそのレベルのようだ。

 話が飛んだが、会議ではできればちゃんと急須と茶碗でお茶を飲みたい。たしかに面倒でもあるけれど、会議の際に高価な昼食を出したりすることもある。そんなお金があったら心を込めてお茶を入れてほしいと思う。それが環境を守ることにも通じるのである。それが駄目なら、コップに水だけでもいいのだ。
それにしても暑いですね

灼熱化と地震と原発の停止

2007-08-17 | 環境
埼玉県の熊谷で40.9度の日本新記録を作ったようだ。熊谷の近くの私の町も、体温よりも高い気温が続いた。もう本当に死にそうになった。熱中症で8人もの人が亡くなったとか。灼熱化は現実に人々の命を奪いつつある。気温だけではない。異常気象はもはや異常ではなくなった。局所的に豪雨が続く。ゲリラ攻撃のように。そして人が被害を受け死んでいく。

 なんとかクーラーを使わずに暮らしているが、異常な暑さに頭はもうろう。熱中症対策にプールの水に浸かって過ごすことを覚えた。すぐ近くの公営プールは、60歳以上の市民は利用料が100円、60歳以下でも市民は300円という安さ。この値段でプールと露天風呂付きお風呂に入り、そのあとは休憩室でカラオケも楽しめる。もっとみんなも自宅のクーラーを切って、こういうところで過ごしたらいいのではないか。

 「地球灼熱化」は、二酸化炭素などの「温暖化ガス」濃度の増加による。柏崎原発が地震で危機一髪のところまでいったために、全面停止を余儀なくされた。そのために東京電力は他の電力会社から電力を融通してもらったり、止まっていた火力発電所を運転したりしてしのいでいるという。だから、二酸化炭素の排出量がふえてしまい、京都議定書の約束が守れなくなりそうだということが新聞に書かれていた。しかし、京都議定書の約束が守れないというのは、地震が起こる前にわかっていたことだし、それを地震のせいにするのは卑劣な言い訳でしかない。

 止まっていた火力発電を再開したら、二酸化炭素の排出量が増えるのは確かだが、他の電力会社から電力を融通してもらったりすることはこれまででも出来たはずだ。それをこれまでやらなかったということは、無駄な電力を作ってきたことを証明したようなものではないか。また、原発が止まったからといって火力発電を再開しないでも良いように、電力の消費を抑えるのが本当は行くべき道であるはずだ。

 活断層の上に原発を作るなんて、本当に恐ろしい。しかもそのことはこれまでも何度も指摘されてきた。しかし、電力会社も政府も原発は安全だ、地震があっても大丈夫だと言い続けてきた。それが今度は「想定外の地震だった」と言う。想定外は存在しないと言い続けてきた責任は誰がとるのだろうか。「自衛隊が行くところが安全なところだ」という強弁・言い逃れをしてきた小泉とまったく同じ無責任を日本人は再び許してしまうのだろうか。

 朝日新聞の原発従業員からの聞き取りでは、地震直後から20時間以上にわたる緊迫した三つの原子炉の緊急停止作業がとりあえず終わったとき、彼ら従業員がもっともその恐ろしさを身をもって体験したのではないか。三つの原子炉が爆発・メルトダウンを起こさなかったのは、奇跡的だったとも言える。もう二度と原発を柏崎で動かして欲しくない。
   

科学者に良心はないのか

2007-08-01 | 環境
札幌で行われた学術会議と大学の共催のシンポジウムを聴講した。「安心と安全の社会作り」がテーマだった。その中で聞きたかったのは、基礎生物学研究所所長のO教授の「遺伝子操作植物」についての講演だった。予稿集には、遺伝子操作作物の問題点と対応について述べるとあったので、前植物生理学会会長という要職にあった人がどのような問題点を指摘し、どのような対応策を述べるのか興味があった。

 しかし、シンポジウムを聞いて失望は大きかった。いや、絶望ともいうべきかも。彼の指摘した問題点とは、一言で言えば「人々が遺伝子操作作物の安全性を良く知らないこと」だそうだ。だから対策としては「もっと学者が安全だと知らせるべきだ」ということだった。

 けれども彼の話の中で述べられた安全性の検証とは、たとえば遺伝子操作した稲の試験栽培が2-3年もかけて行われて安全だったからという程度のことでしかない。そんな程度で遺伝子操作(GM)作物が人間にも生態系にも安全だなどと言えるとは思えない。本当に彼がそう思っているなら、研究者としてどうなんだろう。

 稲や大豆の遺伝子構成は、何万年何千年の歳月をかけて環境や他種との相互作用を通して進化してきたはずである。それをむりやり変えてわずか2-3年実験圃場で栽培して安全だったなんてどうして言えるのだろうか?他の生物への影響がないとは考えられないし、ましてや同じ作物にその遺伝子が浸透するおそれは十分ある。生態系は複雑なそして複合的なシステムだ。その中のGM植物の影響を実験室の操作実験程度の実験で安全だというのでは、専門馬鹿ではすまされない。

 ましてやGM大豆のように除草剤耐性を持った作物を作るということは、除草剤を使いつづけるという選択をすることになる。食の安全をうたったシンポジウムで除草剤や殺虫剤を使いつづけるための遺伝子操作作物を科学者が推奨するというのはいったいどうしたことか。学術会議や大学は薬剤製造会社(モンサント社など)の金儲けの片棒を担ごうとするのだろうか。実際、このO教授のスライドの写真はモンサント社提供と書かれていた。科学者の良心が痛まないのだろうか。
 

「ごみ拾い」は環境教育ではない

2007-07-28 | 環境
新聞を見ていると、環境教育であいかわらず「ごみ拾い」を実施している学校が多い。いったい環境教育では何を教えているのだろうか?「ごみ拾い」でいったいどのような環境問題が解決できるのか、先生たちに聞いてみたい。

 環境教育では、人間が生き延びるための重要な環境問題をどのように考えて行動していくべきかを教えるはずだ。しかし、多くの「環境」教育では、ごみ拾いのように身の回りをきれいにしましょうという「環境美化」教育がほとんどのような気がする。これは環境の意味が違う。「環境教育」とはいえない。

 整理整頓やごみを捨てないというのは、たしかに大事な教育である。しかし、それは環境教育ではない。道徳の範疇の問題だろう。もっとも「ごみ拾い」から環境教育につなげることは十分出来る。それは、ごみが散らかっているから何とかしようという発想ではない。ごみは散らかっていても人間の生存には関係がない。しかし、なぜこんなにごみが散らかっているのか、という問題を考えさせるところから環境教育が始まる。

 その答えをみんなのモラルが悪いからとしてしまえば、それは環境教育にならない。モラルが良かろうが悪かろうが、ごみを大量に出す消費社会に問題があるといいう答えを生徒から引き出すことが出来るかどうかが、環境教育を行う先生の力量だ。さらには、消費社会に引きずられて生きている自分たちの生活様式を何とかしよう、変えていこうという方向が出てくれば、環境教育は成功したといえる。

 安易にごみ拾いをさせ「環境教育」と称していると、生徒たちは勤労奉仕が環境問題の解決方法だという間違った考え方をしてしまう。それでは、だから環境教育は嫌いだという生徒が出ても不思議ではない。来れからの子供たちには「環境」問題は死活問題になりうる。地球温暖化についても、生徒たちに何が出来るかを考えさせる必要がある。教師も実践が求められている。

 いよいよ明日は参議院選挙。今回は自民党の暴走政治にストップをかけられる可能性のある選挙のような気がする。最後まで眉につばを塗りながら期待している。
 

地震よりも怖い原発

2007-07-23 | 環境
中越沖地震で柏崎原発に60箇所を超えるトラブルが発生した。変圧器の火災も4時間も消火できない状態が続いた。まさに危機一髪だったようだ。活断層の上に作られた原発の恐ろしさに身震いがする。

 あの地震が起こったときに、ニュースで柏崎市と刈羽村が震度が最も大きいと聞いたとき、まず原発はどうだろうかと心配した。しかし、多くのテレビやラジオのニュースは原発のことに触れないで、もっぱら市内の被害の報道に終始した。原発について触れたニュースは、ただ一言「原発はすべて自動停止した。安全に問題はない」とだけ述べただけだった。

 あれだけ原発の事故の事実隠蔽が明らかになった直後だというのに、どの報道機関も東電の安全だという発表をただ垂れ流すだけだった。いったいマスコミはまともな報道機関としての機能を失ってしまったのだろうか。

 心配したとおり、原発では火災が発生しており、多数のトラブルが発生していた。それでも東電は報告を遅らせるだけ遅らせた。事故に対応できるような体制さえもできていないことが判明した。本当に身の毛がよだつほど怖ろしい。原子力の恐ろしさを日本人は知らないはずはないのだが。

 地震列島日本に原発は安全に存在できるとは思えない。ドイツでは、一度原発をすべて廃止することを決めた後、数年前に選挙で保守党が勝ったため、廃止政策の見直しが始まった。しかし、日本と同じようにやはり原発会社のデータの隠蔽やうそが多数見つかり、ふたたび原発廃止へと世論は大きく動いている。地震列島日本もドイツに見習う必要があるだろう。

 サンナシ小屋は、日本の中ではどの原発からももっとも遠い地点にある。それでも安心はできない。チェルノブイリ級もしくはそれ以上のチャイナ・シンドロームが起こったときには、安全なところは日本にはないのだから。
ようやく晴れ間が見えた道東から。 

蜂蜜が食べられなくなる?

2007-07-13 | 環境
ヨーロッパやアメリカのミツバチが脱走・逃亡を続けているらしい。アメリカの養蜂業者が飼育しているミツバチの半分以上の巣箱で、ミツバチの働き蜂たちが巣箱に帰ってこない事態が起こっており、養蜂業者が次々と倒産しているらしい。ミツバチの脱走・逃亡とは、ニホンミツバチでは時々起こることのようで、巣の環境が悪化したときなど、巣の働き蜂が一団となって巣から離れて別のところへ移る。女王蜂も一緒に行動することもある。ヨーロッパやアメリカのミツバチはセイヨウミツバチとよばれる種類でニホンミツバチとは異なった種類だ。養蜂業者が蜜集めに使っているミツバチは日本でもほとんどがセイヨウミツバチである。

 日本でも今年になってミツバチの集団が信号機の青いランプに群がっているのが見られるなど、幾度か話題になった。おそらくこれも巣からの逃亡・脱走であったと思われる。しかし、ニホンミツバチに比べてセイヨウミツバチはこのような脱走や逃亡という行動がほとんど見られないことで知られており、そのために養蜂業に主として使われている。そのセイヨウミツバチが巣箱からいなくなる事態が続いているという。中国や日本ではまだそんなに多くの事例は知られていないけれど、いずれアジアでも起こるかもしれない。すでに蜂蜜の価格の高騰が始まっている。蜂蜜はお菓子などだけでなく、医薬品や化粧品など多くの分野で使われており、物価に与える影響も大きそうだ。また、ミツバチは蜜を集めるだけでなく、同時に花粉の媒介・受精を行い、多くの植物の繁殖に無くてはならない存在であり、農家にとってもきわめて大きい問題である。ヨーロッパではミツバチの奪い合いが起こっているという報道もある。私がよくするように、朝食のトーストに蜂蜜を塗って食べるというのは贅沢きわまりないといわれるときがくるかもしれない。

 ミツバチの逃亡・脱走の原因はまだよくわかっていない。いくつかの原因が取りざたされている。曰く、「農薬説」「ウィルス説」「カビ説」「電磁波説」などなど。中には「働き蜂のストライキ説」などというものもある。もっともそれらしいのは「電磁波説」であろう。携帯電話が普及して至る所に電磁波を発するアンテナが立ち並ぶようになった。また、携帯電話のアンテナの下では、ミツバチが正常な行動ができなくなると言う研究結果も出ているので、ますます電磁波説が可能性高いということになりそうだ。しかし、これほど多くの携帯電話のアンテナが立ち並ぶようになった日本で、ほとんどミツバチの逃亡・脱走が見られていないのはなぜなのだろうか?その点が電磁波説のもっとも弱点のようだ。

 原因はまだわからないが、ミツバチのこの異常な行動は、続く異常気象と同様に、地球になにかとてつもないことが起こっているような不気味さを持っている。地震の前には動物たちが逃げ出すと言われている。沈む船からはネズミたちが前もって逃げ出すとも言われる。ミツバチたちの逃亡・脱走はいったい何の予兆なのだろうか?

 今年も異常に早い台風の上陸がありそうだ。7月に入ってもサンナシ小屋では寒くてストーブが欠かせない。気候も生き物も何か不吉なことが起こりそうな気配を漂わせている。そういえば今日は13日の金曜日。

ゴルフの罪悪

2007-07-09 | 環境
ゴルフ亡国論が言われてもはや二昔以上の月日が過ぎた。日本の自然は確実に滅びつつあるけれど,ゴルフは亡びる気配もない。

 いまや「ハニカミ王子」などという子供がプロのゴルフをやる時代にさえなってきた。「ハンカチ王子」や「ハニカミ王子」などと、イケメンを追いかけるおばさんやおばさん予備軍の反応には、イケメンとは縁遠い私としては、ただ複雑な表情を作るしかない。いや、ここでいいたいのはそんなことではなかった。

 ゴルフをする人の言うことを聞くと,ゴルフは広々とした自然の中で健康な汗を流すのでスポーツとして素晴らしい、と思っているらしい。それは大きな間違いだ。ゴルフ場は自然では決してない。山林を徹底的に破壊して、土壌を掘り返して殺し、そこに外来の芝を植え込んで殺虫剤、殺鼠剤、除草剤などの農薬を大量に入れて作られた緑の芝生であり,自然の緑とはまったく異なったものである。ゴルフ場はそれゆえに,まさに自然破壊の元凶といわれる。そのようなゴルフ場で一日過ごして楽しいだろうか?それとも知らないだけなのだろうか?

 ゴルフをする人は、昔は一握りの大資本家(大金持ち)が軽井沢などの限られた場所で人目に触れず楽しんでいた。ところが現在では、プロレタリアート(労働者階級)であるはずのしがないサラリーマンがなけ無しの金をはたいてゴルフをやる。会社の接待でゴルフをやる人もあるようだが,それも相手がゴルフを好むからなのだろう。相手はけっして大資本家とは限らない。町工場の社長だったり、銀行の支店長クラスの三流管理職であることも多い。

 彼らはひょっとすると自分がプロレタリアートであることを忘れているのではあるまいか。いわゆるプチブル(自分が労働者階級であることを忘れて、資本家階級に所属していると勘違いしている労働者市民)なのだろう。ゴルフは一部大資本家の特権でいいのだ。一般大衆のプチブルが間違ってゴルフなどやるから、日本中にゴルフ場が乱立し、あらゆる山林が破壊され、里山がなくなっていく。北海道から東京羽田へ飛ぶ飛行機から見ると、千葉県の山がいたるところでゴルフ場に蚕食されているのがよく見える。あの光景を見るたびに、ゴルフ場の罪、ゴルフをする人たちの罪を、見せ付けられる思いがする。

 市民のみんな。ゴルフをするのを止めよう。健康な汗を流したいなら、残された山林の中を歩いてみよう。美しい花も咲いている。農薬とは無縁な自然を感じることが出来る。ゴルフよりももっと素晴らしい健康さを手に入れることができる。心も健康になる。

 バブルの時代に全国でたくさんの広大な里山がゴルフ場に化けてしまった。バブルがはじけて一部は山を裸にしただけの荒野にされてしまっている。バブルがはじけてまともな経済に帰った今、全国のゴルフ場の経営を破産させ、再び緑豊かな自然の里山を復活させる必要がある。