肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

銀行員時代 新人の宿命 「電話はすぐ取れ」

2010-06-30 12:51:47 | 銀行員時代
名古屋市内で行われた入行式が終わると、
その足で配属先の支店に向かった。

同期は私を含めて6人。
総合職の男子が4人と、
事務職の女子、Uさんと私の二人だ。

男子は支店の仕事を満遍なく学ぶために、
得意先→融資→普通預金→定期預金→為替→資金・・・と、
1ヶ月ずつ渡り歩くことになっていた。

事務職の女子は即戦力として使えるように
預金関連の部署に配属された。

Uさんは普通預金に、私は定期預金に決まった。


入行10年の先輩女子行員二人が、それぞれ、私たちのお世話係になった。


とりあえず席に着いたが、
まだ何も分からない状態だ。

周りは忙しそうに走り回っている。

最初に、一冊のノートが渡された。
「今日から学んだことをここに書き記すように。
毎日目を通して、添削します。」
どうやら、先輩と交換日記的なことをするらしい。

まずは「自分の通帳」を作ってみましょう、ということになった。

「総合口座開設」という赤い複写伝票を渡され、
記入漏れがないように正確に書く。

金額訂正は絶対に出来ないこと、
印鑑は印影がはっきり写るよう、朱肉をきちんとつけて強く押しつけること、
を学んだ。

それが済んだら端末で打ち込み・・・・
と、思いきや、

伝票を一枚ずつはがして、ノートに貼りなさい、と言われた。

なるほど、百聞は一見にしかず、
何でもビジュアル的に頭にたたき込めということか。

普通預金の入金、出金、
定期預金の開設、解約、
振込・・・・など、
伝票の種類ごとに「架空取引」を想定して起票し、
ノートにペタペタ貼り付けていった。

一週間くらいはそんな作業を続けていたが、
「そろそろ、電話も取ってね。」
と、先輩から申し渡された。

ええっ~!で、電話ですか。

「内容はまだ分からないと思うけど、取るだけ取って私に代わって。
基本的にワンコールで受話器取ってね。」

恐怖心が先に立つ。
でも、取らなきゃ。

ベルが鳴った。
向かいの机のUさんと目が合う。
・・・・(お願い、取って!)彼女の目が訴えている。
仕方がない、私が取るか。

「はい、○○銀行です。」
「あー、○○銀行さん、普通預金の残高知りたいんやけど。」

常連のお客様のようだった。

保留ボタンを押して先輩を呼ぶ。

「普通預金の残高を知りたいそうです。」

「どなたから電話?」

「・・・・・いえ、聞いてません。」

「お客様、お電話お待ちなのよ。今度から御名前をちゃんと聞いて。」

先輩は私の手から受話器を引ったくると、
「もしもし、お待たせしてすみません。
はい、はい、残高ですね。少々お待ち下さい。」

と、さっきまでの怖い声を瞬間的に変換させ、
営業的且つ模範的VOICEで応対したのだ。

新人の典型的な失敗だ。

電話を取るには取ったが、
早く楽になろうと、すぐに先輩に回したのがいけなかった。

お客様の用件を聞き逃さぬよう、
また足りない情報は聞き出すことが必要だと学んだ。



Uさんも私も、その後はお互いに電話を上手く取り次ぐようになったが、
トラブルメーカーだったのは同期の男子H君。

2浪の末、T大に入ったという彼、
成績優秀ではあるが、
仕事に対する姿勢が、私から見るといい加減で、鼻持ちならないヤツだった。
総合職の男子は、1年後に他の支店に飛ばされることが決まっていたので、
この店での仕事は、「とりあえず覚えるだけでいい。」という気持ちでいたのであろう、
真剣さが見受けられなかった。
また、自分の興味のある仕事だけに勢力を注ぎ込むのも理解できなかった。
将来を嘱望されているのかなんだか知らないが、
融資とか外為の方にばかり気がいっている。
得意先回りとか、預金とか、そういう仕事は仕事にあらず、という態度が見え隠れしていた。

そういう彼だから、電話番なんて「なんで俺が取らなきゃいけないの?」という感じだった。
たまに仕方なく取ることはあっても、
用件もろくに聞かず転送するものだから、
回された先が違って、再度他の部署に転送。
お客様がたらい回しになることもあった。


ある日、外線でかかってきた電話をH君が取った。
いつものようにいい加減に聞いて、為替に回した。

内部で電話を回すときにもルールがある。
まず、自分の所属部署と名前を言い、
お客様の名前、用件を手短に、
できれば連絡先なども伝えるのが普通だ。

だが、彼はそれを怠った。

取り次いだ行員に
「お客様が為替に、ということです。」
それだけ言って切ってしまったのだ。

実はこのお客様、為替は為替でも「外国為替」に用事があった。
なのに、国内為替に回されたものだから
受け取った側も話がちんぷんかんぷんで通じない。
申し訳ないことだが、もう一度外国為替にお繋ぎして
ようやく話が出来たというわけだ。

二度も電話を回されたお客様、憤慨して外為の営業員に噛みついた。

そしてこのことが支店長にまで知られ、大問題になった。

H君は、転送時に名前を名乗らなかったので
自分が最初に電話に出たことを隠し通せると思っていたらしい。
だが、その時間帯、支店にいた若い男子は彼一人。
年配の行員はそんな無礼なことはするはずがないということで
敢えなくご用となったというわけだ。

そんなH君だったが、
学歴に弱い銀行組織に助けられ、
その後、海外留学という華々しい任務が与えられた。


統合に次ぐ統合で、元の銀行が何だったか
サッパリ分からなくなってしまったが、
同期の男子はどうしているんだろう?

思い出の追いコン

2010-06-29 11:05:57 | 自分のこと・思い出
大学卒業を間近に控えたある日、
クラブの後輩達が
「先輩達の追いコン(追い出しコンパ)しますので、来て下さーい。」
と、知らせてくれた。



運動部の追いコンというと、
後輩がそれまでの恨みを晴らすために
先輩達に無礼講でなにかやらかす・・・・
みたいなイメージがあるが
我らの部は大人しいもので
卒業生が一人ずつ、
「クラブで経験したことはこれからの自分の支えになるでしょう。今までありがとう。」
と、別れの言葉を述べ、
後輩達は色紙に「先輩は私の憧れでした。」とか「社会人になっても頑張って下さい。」などと、
簡単なメッセージを回し書きするくらいだった。


卒業する同期の女子は、私を含めて3人。
みんな地方から出てきて一人暮らしをしていた。

クラブの練習はもちろん、
春と夏の合宿、リーグ戦、試合後の飲み会も、いつも一緒。
お互いの家に行き来して、
ご飯を作ったり、泊まったり、
休日には買い物に行ったり・・・・
大学生活の殆どを彼女たちと過ごしていたと言っても過言ではない。


恋に舞い上がっている頃には、
アリバイ工作を頼んだりしたこともあった。

携帯が普及している今では考えられないことだが、
当時、一人暮らしの女子にとって一番気がかりなのは、
夜遊びしたり外泊するときに
実家から下宿の固定電話にかかってくることだった。

「tenchan、この間、夜12時頃電話したけどいなかったでしょ。どこに行ってたの。」
母にそう聞かれると、さすがに12時では
「ああ、あのとき?銭湯。」
と、誤魔化すことは出来ない。
だから、
「いなくて当然よ。だって、あの日はクラブの友達Mちゃん宅に泊まったんだから。」
と、「正当な理由」を述べるため、
「Mちゃん、お願い。この日、泊まったことにしておいて。」
と、Mちゃんに口裏を合わせてもらうように頼んでおくのだ。(内緒)
そんなこと、皆さんもありませんでしたか?・・・・と、強調してみる。


毎日のように会っていた仲間と、もうすぐ別れる時がくる。
実感が湧かないまま、卒業までの日は飛ぶように過ぎていった。

そして迎えた追いコン。
仲間の一人がこう言いだした。

「私たち、キャンディーズになるのよ!」

話が決まるとすぐ行動に移した。

まず、キャンディーズのレコードをカセットテープに録音した。

それから何を歌うか、曲を決めた。

でもなかなか決まらない。

じゃあ、いっそ「メドレー」にしない?

いいね、いいね。

選んだ曲に合わせて、振り付けも考える。
今みたいに youtube とかないので、
「ここはこうだったよね、あれ・・・・こうだっけ?」
と、記憶だけを頼りに、思い出しつつ、
分からないところは適当に考え、
本番目指して猛練習したのだ。


そして追いコン当日。
OB、OGもいらっしゃって
会はいつものように進んでいく。

みんな酔いも回り、ますます賑やかになる。

いよいよ私たちの出番だ。


「ちょっと3人で余興やるから。」
と、後輩に伝え、私たちは襖の向こうで用意した衣装に着替えた。

自前の白いワンピースにお揃いの白いリボン。(爆)

おしぼりをマイク代わりにして歌ったメドレーは・・・・


入学の頃の初々しさを思い出し、

「あなたに夢中」





後輩達を悩殺する(?)ために

「年下の男の子」




季節に合わせて、

「春一番」




キャンディーズ最後の歌、

「微笑がえし」





それから、忘れちゃいけないあのセリフ

「私たち、普通の女の子に戻ります!さようなら~~~!」

大きく手を振りながら絶叫。
そして、ステージは終了した。





後輩達は大うけ。

「先輩達がなにか企んでいるのは知っていましたが
まさかこんなことやるなんて思っても見ませんでした。」

OB,OGの方々も、
「あんたたちはホントに凄いよ。」
と、呆れながらも感心していた。

ちなみにその時撮った画像も動画もありませんので
どんな風だったかは妄想なさって下さい。

こんなアホな学生生活が終わり、
四月からは銀行員となったわけだが、
今までの同じような境遇の仲間達との、ぬるま湯のような心地よい暮らしから
育った環境も性格もまるっきり違う人たちが集う世界での
厳しい社会人生活へと突入していったのだった。


内定者パーティー

2010-06-25 12:45:34 | 銀行員時代
私が就職したのはバブルの真っ只中。
あの頃、求人倍率は今よりずっと多く「売り手市場」と言われていた。

「就職協定」などというガイドラインは一応あったが
それよりずーっと前に内定をもらう人が殆どだった。

解禁日に他社を訪問しないよう
バスで温泉地などへ「監禁旅行」に連れて行かれた人もいるのではないだろうか。


さて、私が内定をもらった銀行では
入行前に「内定者のお祝いパーティー」が行われた。


これから一緒に仕事をする仲間と親睦を深める
という意味があったのだろう。

会場は銀行が保有する名古屋市内の施設。
着慣れぬスーツに袖を通し、足が痛くなるようなパンプスを履いて出かけた。

ホールには白いテーブルクロスのかかった丸テーブルがいくつも並び
ビール、ジュースなどの飲み物とオードブルが置いてあった。

男子8割、女子2割
左右にバッチリ分かれて固まっている。

女子はだいたい出身大学・高校別に
仲間の輪ができていた。

男子もたぶん同じだろうと思われた。

人事部長さんの乾杯音頭の後、
男子と女子に別れたまま歓談していたが、
勇気ある←その気がある男子達が先陣を切って
徐々に女子グループの方へ接近して話しかけた。

第一波が女子と会話し始めたのを見て、
男子グループの陣形はみるみるうちに崩壊。
幾つかのグループが女子に接触していった。


会場を見渡すと、遠くの方の男子グループの中に知り合いを一人発見した。
高校の同級生K君だ。
確か、彼は私立のW大学に行ったはず。
会うのは4年ぶりだ。
そっかー、地元に戻って就職したんだ。
一瞬目が合った。
あっちも私に気が付いたみたいなので、
軽く会釈してみたが、
向こうも同じように頭をぺこりと下げただけで、
それ以上近くに来ることはなかった。
彼は成績優秀な生徒だったが、とても内気な性格で
高校時代、女の子と話しているところを見たことがなかった。
内定者パーティーで思いがけず同級生の女の子に会ったからといって、
会場を横切って私のところに来てまで
「やぁ!久しぶり。元気?」
なんて声を掛けることなど考えられなかった。
私にしたって、こんなに大勢人がいる中で
つかつかと彼のところに寄っていって
「久しぶり~!」
と、声を掛けることなど、ちょっとできなかった。
会が終わるまでに歓談の輪がどんどん崩れて
もしかして近づくことがあれば話しかけよう、と思っていたが、
最後までその機会はなかった。


パーティは佳境に入り
あちこちに男女のグループができている。
楽しそうに会話が弾んでいるのは、地元の大学生グループのようだった。

私は地元私立N大のSさんと一緒に壁際に立っていた。
彼女とは、面接のときにたまたま待合室で一緒になり、
どちらからともなく話しかけた仲だ。
今のように携帯もない時代なので、もちろんメアドの交換などもない。
内定をもらったからといって、連絡することもなかったので、
今回のパーティで再会し、お互いびっくり。
「よかったね~。これからもよろしく。」
と喜んだというわけ。

二人とも、積極的に男子に話しかけるタイプではなかったので、
寄り添うようにグラスを持ったまま立っていた。

そこへやって来たのが、Sさんと同じN大の男子とその友達。
同じ大学ということで話しかけてきたのだ。


多分、「取りあえず自己紹介」するなど、
簡単な会話が取り交わされたのだろうが、
何を話したのか全く記憶がない。

パーティーがお開きになった。
内定者達は施設の外に出たが、
雰囲気は「栄に出て二次会行こうぜ。」だった。
↑地元以外の人、ごめんね。
「栄」というのは名古屋市の繁華街。
銀座、六本木、新宿、渋谷を足して4で割ったみたいな街。

パーティー中に出来たグループごとにタクシーに便乗し、
それぞれ散らばっていった。

私とSさんも外に出た。
・・・・Sさんと同じ大学の男子二人も引っ付いてきた。(汗)

「どこかでお茶しませんか。」

どうする?
顔を見合わせる私とSさん。

断る理由もないし・・・・
じゃあ、
「お茶だけなら。」
と、4人でタクシーに乗り込んだ。

程なく栄に着いたが、
男子二人はどのお店に行くか当てもないようだった。

「どこに行く?」

・・・・・どこに行くって、
あなたたちねえ・・・・・、
それは、そちらが決めることではなくて?(汗)(汗)

運の悪いことに雨もポツポツ降ってきた。
仕方がないので、地下街に潜ることにした。

「じゃあ、ここにしようか。」

入ったのは地下街の普通の喫茶店。

メニューには、コーヒー、紅茶、ソフトドリンクなどの飲み物と
軽食だってトースト、スパゲティーナポリタンくらいしかなく、
テーブルの端っこには、「チーズケーキ」の色あせた写真が印刷された厚紙が三角に折ったものが載っている、
そんなお店だった。(汗)(汗)(汗)


ここでの会話も全く記憶がない。
早く帰ることだけを考えていたからに違いない。

私一人が岐阜出身、あとの3人は名古屋市内だったので
「遅くなるといけないから。」
と断り、帰ることにした。
Sさんも
「私も。」
と席を立った。

「駅まで送ります。」
と、彼らは言ってくれたが、
「いいです~いいです~。」
と、二人とも丁寧に断り、
地下鉄まで走って逃げたのだった。(笑)

入行後の新人研修でSさんに会った時、彼女はこっそり教えてくれた。
「あのね、あのあと、学内で二人に会ったけど、
お茶したこと、すごく喜んでたんだよ。
今まで女の子と話したこともなかったみたいだから。」

思い出のカップ

2010-06-23 12:35:53 | 自分のこと・思い出
↓前回の記事で動画を拝借した薬師丸ひろ子さん、
実は「生」のお姿を拝見したことがある。

今から25年も前のこと、
当時アルバイトをしていた喫茶店に、彼女が来店した時の話だ。

場所は原宿。
竹下通りを抜けた明治通り沿い。

原宿の喫茶店というと、
クレープの甘い匂いが漂い、若者で賑わうというイメージが湧くが、
私が勤めていたお店はそうではない。
BGMはクラッシック音楽のみ、いわゆる名曲喫茶のようなところだった。

テナントビルの地下にあり、店の中は絨毯張り。
コーヒーは一杯550円だった。
おかわり自由とはいうものの、
当時としてはちょっと値段が高い。

お客様は「いかにも」という感じがする大人の人ばかり。
たまに若者が間違えて入ってくることがあっても
居心地が悪そうになり、早々に退散するのが常だった。

人目に付かない場所ゆえ、客の入りが今一つで
経営する側からすると、赤字続きのお荷物店。
だが、人気のないところが逆に常連さんには気に入られていた。


いつもの席で文庫本を読む人、
エスプレッソと葉巻を楽しむ方、
お伺い不要で、同じものをお出しすることになっている方、
などなど・・・・。
どのお客様も、
自分だけの隠れ家のように寛いで過ごしていらっしゃった。

私たちも厳しく躾けられていた。
ホールでの店員同士のおしゃべりは禁止されていたし、
お客様から話しかけられない限り声を掛けてはいけないと言われていた。

銀行に就職したとき、新人ながらに接客態度がいいと褒められたのも
ここでのアルバイト経験があったからこそだと思っている。

そんな雰囲気のお店なので、
雑誌のインタビューなどで使われることがよくあった。


ある日のこと、業界チックな服装の女性がカメラマンを従えて来店した。

「○○出版です。これから雑誌記事のインタビューをしたいので
奥の席を使わせてもらいます。」

店の奥にはガラスで仕切られたスペースが設けてあり、
慣れたお客様はそこに座ることがあるが、
一般の方はちょっと気後れしてそこには入り込めない雰囲気があった。


どなたがいらっしゃるのかしら?
ワクワクしながら、でも、平然とした表情で立っている私たち。

そこへ現れたのが、薬師丸ひろ子さんだったのだ。

「こんにちは~。」

映画やテレビで聞く、まさしくあの声だ。

いきなりのVIP登場に、足がガクガクしてきた。

キッチンスペースに駆け込み
「薬師丸ひろ子さんだよ!」
とスタッフに告げる。

ね、誰が行く?誰がお冷や(お水)持ってく?

裏では大騒ぎだ。

その時キッチンスタッフのY君が、
「僕に行かせて下さい。」
と言い出した。

「彼女のファンなんです。店長、お願いします。僕にオーダー取らせて下さい。」

キッチンスタッフは普段、ホールに出ることはない。
コーヒーを淹れたり、生ジュースを絞ったり、サンドイッチを作ったり、チョコレートサンデーを作ったり、
裏方で注文されたものを作るだけだ。

店長はY君の熱意に負け、ホールに出ることを許した。

薬師丸さんがオーダーしたのはレモンティー。
Y君はキッチンに戻って急いで紅茶を淹れる。
お出しするのも自分で。


小1時間ほど経っただろうか、

カメラマンさんが器具を片付け始めた。
インタビューは終わったようだ。


お茶をお出しした後は、キッチンでじーっとしていたY君だが、
薬師丸さんの帰り時間が近づいたと知ると
「掟破り」の行動に出た。


テーブルに近づき、こちらから声を掛けたのだ。

「すみません、サイン下さい。」

差し出したのは店で使っているコーヒーカップ。

でも、薬師丸さんは爽やかな笑顔でこう言った。

「ごめんなさい、サインは出来ないことになっているんです。」


そういわれたらもう、引き下がるしかない。
Y君は下を向いてキッチン戻っていった。


薬師丸さんがお帰りになる。

「どうも、ごちそうさまでした~。」

鈴を転がすようなきれいな声と共に、彼女は去っていった。



サインがもらえなかったY君だが、
落ち込む様子はなかった。

なんでかって?

それはね、

薬師丸さんが飲んだ紅茶カップを
大事に家に持ち帰ったから。

あれから四半世紀、Y君、まだあのカップ持ってるのかな?
奥さんに内緒の場所にしまって、
自分だけの「宝」にしてたりして・・・・(爆)



私がアルバイトしていたこのお店、
他にもVIPが来ることがあった。

まだスクープされる前の、郷ひろみ&二谷友里恵 のカップル。
残念ながらシフトの時じゃなかったので
お姿拝めませんでしたけど・・・・

高圧洗浄機でサバイバルゲーム

2010-06-21 12:54:25 | Weblog
高圧洗浄機でガレージの掃除をした。

冬の間にタイル目地やコンクリートの壁にコケが生え、
見苦しくなっている。

気候もよくなってきたし、まだそんなに暑くもない。
やるなら今だ。

濡れてもいいようにジャージの上下を着て長靴を履く。

車を移動させて、いざ、作業開始。

ガンの引き金を引くと、ノズルから高圧で水が出てくる。
体がよろけそうになるので慌てて両手でガンを掴む。

汚れた箇所に向かっって狙い打ちする。
水の当たった場所はみるみるうちにキレイになっていく。
す、すごーい。感激♪

操作にも慣れてきてだんだん上達してくる。

うふっ・・・
なんか、ライフルぶっ放すみたいで、
格好よくない~?

これって・・・・どこかで見たような・・・・・

そうよ!これはまさしく

元祖国民的アイドル、薬師丸ひろ子主演の







セーラ服と機関銃のワンシーンだわ。


水を噴射しながら「カ・イ・カ・ン」と呟いてみる(爆)


そこへやって来たのは、新聞代集金のおばさん。

今どき新聞代の集金?って思われる方もいらっしゃるだろうが
tenchan家では、新聞代だけは毎月集金に来てもらうのだ。

おばさんは私の顔を見、
視線を上下にうつした。
長靴にジャージの完全武装に、ちょっと驚いたようだった。

「毎度どうも、新聞代の集金に参りました。」


「はーい、少しお待ち下さい。」

お金を取りに家の中に入る。

おばさんは、その間、高圧洗浄機をじーっと観察していたようだ。
興味津々といった感じで質問する。

「こういうのって、買おうと思っててもなかなか買えないのよね。
本当にキレイになる?」

「ええ、すごくキレイになりますよ。ちょっとお見せしましょうか。」

私は、格好つけてガンを構え、汚れたタイルめがけて水を発射した。

「うわーホントだ。きれいになるね。
ありがとう。
うちも買うの考えようっと。」

おばさんは洗浄機の威力に満足して帰っていった。



夕方、日が落ちる前にガレージはすっかりキレイになった。

洗浄機のスイッチを切り、ガンやホースなどのパーツを片付ける。
同じ姿勢で水をかけ続けたのでちょっと腰にきたけど、
きれいになったんだもの、このくらいの疲労はへっちゃらだ。


しかし、汚れてもいいようにジャージを着たとはいえ、
かなり泥が飛び散っているわ・・・・。
髪の毛にも付着しているみたいだし、
すぐにシャワーを浴びようっと。

そのまま浴室に行き、鏡を見た瞬間、
私は凍り付いた。






顔が泥だらけ!Wow!


まるで、サバイバルゲームで顔に泥を塗ってカモフラージュする兵士のようだ。
違うのは迷彩服を着ていないことだけ。


なるほど新聞代集金のおばさんが、
変な顔をしていたわけだ。

今度作業する時はゴーグルでもつけないとね。

越南旅行記⑨ 家に帰るまでが遠足です

2010-06-18 12:39:03 | 旅行
市内一日観光が終わり、ホテルに戻ってきた家族。

フットマッサージのお陰でリラックスした気分になっているが、
寛いではいられない。
今夜のフライトに向けて、荷造りをしなければならないからだ。



ゴールデンウィークを使っての海外旅行。
6日には学校が始まるので、5日には日本に戻っていなければならない。

ところが、
ハノイ発名古屋着の飛行機で5日に着く便はなかった。

どうする?
旅行のために学校を一日休ませるというのは、
我が家のポリシーに反する。

考えた末に、
私と次男とちび姫は関空に、長男は成田に、5日の早朝着、
義父母はもう一日延ばして、6日に名古屋着、と、
それぞれ別れて乗るようチケットを取っておいた。

夜10時のチェックイン、フライトは0時40分、
ちび姫は大丈夫だろうか。



ハノイ空港は、ヒースローやその他首都にある国際空港と比べると、
とても規模が小さい。

停車場でタクシーを降り、自動ドアを進むと、すぐそこにチェックインカウンターがある。

だが、既に長蛇の列。

なにしろ、東京、大阪、ソウル、行きの飛行機が、
同じ時間帯に飛び立つのだ。
混んでいるはずだ。

日本からの団体旅行さんの後ろに並んで、辛抱強く待つ。

夫がイラついた声で教えてくれた。
「まったくさぁ、いつも思うんだけど、
チェックインカウンターまでのスペース空きすぎなんだよ。
もっと近くに列の頭をもってこれば、
後ろがゴタゴタ混雑しないのになぁ。」

なるほど、最前列からカウンターまでは3メートル以上スペースがあり、
アオザイを着たスタッフのお姉さんが一人立って、お客を止めている。
カウンターでの受付が一組終わるたびに、
次にどのカウンターに並ぶか指示を出している。

この3メートルを、せめて1.5メートルくらいに縮めてくれれば、
後ろの方に並んでいる人が楽になるのに。
ロープで仕切ってあるところはまだいい、
最後部はもうぐっちゃぐちゃになっている。
かろうじて国民的良識のお陰で、秩序よく並んでいられる状態だ。

案の定、ある国の方達が、スーツケースをゴロゴロ押しながら
ロープをかいくぐってカウンターに突進しようとした。
アオザイのお姉さんはそれに気付き、後ろに並ぶよう手で追い返す。

チェックインが済んだ。
飛行機に乗るまであと2時間もあるが、セキュリティーチェックに向かう。

ここでパパとはお別れだよ。

ちび姫の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「パパ、今度いつ会える?」
「夏休みかな。それまでお利口さんにするんだよ。」
「うん。じゃあね、バイバイ。」
もう一度ムギューっとする。

長男と次男とは固く握手。
「しっかり勉強しろよ。」
(↑しないんだな、これが・・・・。父親として一応言っておかなきゃってやつね。)

「じゃあな。本とか食材とか色々持ってきてくれてありがとう。
しっかり頼んだぞ。」
夫の言葉に、声にならない声で私は返事をした。

「お母さん、目が真っ赤だよ。」
セキュリティーチェックを通り過ぎた時、次男が顔を覗き込んで言った。


さて、中に入ったのはいいが、
この混雑ぶりはどうだ。
ベンチというベンチに人が座っている。
空席が一つもない。
探し回ってようやく見つけた2席。
長男、次男、ちび姫の3人を座らせる。
座った途端彼らが始めたのは、PSP。
不本意ながらも、待ち時間を潰すには丁度いいのかもしれない。
特に、いつもならもう寝ているはずの時間に起きて待たねばならぬちび姫にとって、
ゲームをやることは眠気覚ましになる。
飛行機に乗ったら着くまで熟睡するだろう。

見渡すと、家族連れがあちらこちらに座っている。
ちび姫よりも小さい子が、
ぐったりとしてママの腕に抱かれている。
夜中のフライトはキツイね。

搭乗時刻になった。まずは成田へ向かう長男の便。
ゲートの列の最後尾に並ぶ。
一人暮らしを始めて、一段と逞しくなったようだ。
次男とは片手でハイタッチ、ちび姫とはいつものようにムギューをして、
私は軽くハグして、「じゃ、夏休みに!」
そして10分後、自分たちも関空行きのゲートに並んだ。


席に着くと、次男とちび姫はすぐに寝てしまった。
私も猛烈に眠かったが、
「お飲み物は?」の問いかけに、
「白ワインを。」
と、思わず反応してしまった。(笑)
飲んでウトウトしていたら、今度は
「朝食でございます。」
と、トレーが運ばれてきた。

朝食ってねえ、今何時?
真夜中にご飯食べるんですか?
とりあえずカバーは開けてみたが、
さすがにこれは喉を通らなかった。

あと1時間で到着という頃になって、
ちび姫が目を覚ました。
「のど渇いた。」
もらってあったお水を飲ませる。
しばらくぼーっとしていたが、
突然鼻を押さえた。
「鼻血・・・・」
あわててティッシュを取り出しちぎって鼻に詰める。
でも、血はどんどん出てくる。
換えても換えても詰めたティッシュはすぐに真っ赤になる。
どうしよう、もう残りが少ない。
そう思っていると、隣の紳士がポケットティッシュを差し出してこう言って下さった。
「あのね、鼻血はね、中に詰めないで下さい。
鼻をこうやってきゅっと指で摘んで。
しばらくすると止まりますから。」
言われた通りにちび姫の鼻を摘んでいると、血はだんだん止まってきた。
ありがとうございます、お陰様で止まりました。
と、お礼を言う。
お話を伺うと、なんとお医者様とのこと。
本当に助かりました。



色々あった、ベトナム旅行だが、
最後の最後に大ハプニングが待ちかまえていた。

関空から岐阜へ帰るときのことだ。

一旦新大阪へ出て、新幹線で名古屋まで行く。
名古屋から在来線に乗り換えて岐阜まで、という行程。
窓口でもそう告げたはずなのに、
乗車券の発行がミスされてしまった。
本来なら、関西空港→名古屋、名古屋→岐阜、の2枚になるはずが、
関西空港→岐阜の乗車券になってしまったのだ。
もらった時に気が付かない私もいけなかったが、
まさか駅員さんが発行ミスするとは。

新大阪で乗り換える時、
改札にチケットを通したが、ブザーが鳴ってゲートが開かない。

時計をみると、あと10分で列車が来る!
Gウィークの新幹線、座席指定が取れたのは幸運中の幸運、
これを逃したら、名古屋まで立って帰ることになる!
駅員さんに状況を説明すると
「中で精算して下さい。」と、通してくれた。

スーツケースは2個。エレベーターなんか探してたら間に合わない。
、持ったまま階段上がるよ!も走って!」
「OK!」
体育会で鍛えたのにそのあと全然使っていない筋肉が悲鳴を上げる。
ホームに駆け上がると、列車がちょうど入ってきた。
「いいからとにかくこの車両に乗って!」

間に合った・・・・。
チケットをもう一度確認する。
指定席はずっと前の方だ。
スーツケースをガラガラ押しながら通路を進んでいく。
静かなグリーン車も通りすぎ、
ようやく席に着いた。

はぁ~間一髪。疲れた~。でもみんな頑張ったね。
ホッとして次男と顔を見合わせた。
二人とも可笑しくて可笑しくて笑いを堪えるのに大変だった。




ベトナム旅行、楽しかったね。

また行きたい?
もういい?
じゃあ、今度は私一人で行くから。

海沿いリゾートのコテージ風のホテルで
観光もなーんにもしなくて、ゆったりと過ごすってのは、どう?

越南旅行記 ちょっと番外編 次男のつぶやき

2010-06-16 13:13:57 | 旅行
どうも、tenchan家の次男です。

今回、父の赴任先のベトナムに家族で旅行したんですけど、
非常に面白い国でした。
あ、でも、一度行ったらもういいかな、って感じですかね。

僕、埃とかダニとかのアレルギーがあって、
ああいう空気の悪い環境、ダメなんです。
最初慣れるまで大変でした。

あと、なかなか英語が通じなかったので苦労しました。

行きの飛行機で、機内食が出てくる時、
「chicken or beef ?」
って聞かれたんで、
僕ちゃんと「beef」って言ったんですよ。
それなのに出てきたのはchickenんだったんです。

飲み物頼む時だって、
「Sprite、please.」
って言ったのに、
「?」
って顔されて、全く通じない。
それで母が「スプライト」って指さし言ったら、
やっと分かってくれたんですよ。

一応、僕、ロンドンの現地校通ってたんで、
母よりは発音いいと思うんですけど、
何で通じないんっすかね?
母に負けるって、おかしくないですか?

あと、市内観光の最後にフットマッサージに行ったんですけど、
そこの女の子達がベトナム語しか話せなくて
英語も日本語も片言だけしか知らないんです。
「OK.」とか「イタイ?」とか。
それでも身振り手振りで一生懸命伝えようとしてくれました。
漢方の茶色い粉を足湯に入れて温めたあと、
土踏まず、足指、と順番にマッサージしてくれました。
そのあと、肩を叩かれて起きるように手招きされたんですが
「チャーン、チャーン」って言われたんです。
「チャーン」って何?何?わかんねえよ。
チャーンって「shirt」のこと?
え?ひょっとして脱げってか?
俺の割れた腹筋をそんなに見たいのか?
と、アドレナリン放出しながらTシャツ脱ごうとしたら
違う違う!って止められたんです。
横のお兄ちゃんを見たら、うつ伏せになって脹ら脛やってもらってるので、
そうか、「turn.」のことか、とやっと分かったんです。
恥ずぃ・・・・。
あとで聞いたら、ベトナム人は「t」の発音があまり上手に出来なくて
「チャ」になるんだって。
なるほどね。

それから、皆さんご存じかもしれませんが、
僕、実は方向音痴なんです。
お兄ちゃんは土地勘とかあって、初めての場所でもスイスイ行っちゃうし、
チビだと思っていた妹だって、
「あ、ここって○○の近くだよね。」
って車に乗ってる時なんかにさり気なくつぶやく時があって
え、俺、全然分かってないのにって焦るんです。
同じ兄弟でも、どうしてこうも違うんだろうって落ち込む時あります。
今回でも、ツアーの最中、
みんなが迷子にならないよう気にしてくれるのはいいんですけど、
ことあるごとに、
、ここからお父さんのホテルまで帰れる?」
とか聞いてくるので、嫌になりました。
もう、イジメですよ、こうなると。

母は地図大好き人間なんで、
市内観光中、ずーっと地図と睨めっこしてました。
シクロに乗ってる時も、地図見ながら現在地を確認してたみたいです。
「旧市街はだいたい覚えた。」
とかなんとか言ってますけど、あれ、本当でしょうかね。

それにしても、父はすごい人だと思いました。
僕たちに決して弱音を吐かないんですよね。
ベトナムのように暮らし易いとは言えない国に住んでいるのに
帰りたいとか、仕事が辛いとか、
泣き言を言わずに、ビジネスの場で闘ってるわけでしょ。
ベトナム語も頑張って勉強しているみたいだし。
ほんと、尊敬しますよ。

ただ、英語は相変わらず下手ですね。
それから、健康のこと心配なんで、
もうちょっとダイエットしてほしいです。
おかしいな~。
ベトナム行ったらジムに通って痩せてみせる、って言ってたのに。



(注)次男の言葉を繋げて、tenchanが再構成致しました。





越南旅行記⑧ 市内観光 The Resutaurant from Hell

2010-06-15 12:43:20 | 旅行
家族みんなでこうやってベトナムに来る事なんて
そうそうあることではない。

せっかく来たんだもの、この機会を逃す手はないと、
精力的に観光をしてきたが
さすがに疲れが溜まってきた。

でも、今日は最終日、市内観光の予定だ。

そして、真夜中0時40分のフライトで帰国する。
う~ん、長い一日になりそうだ。

お腹の具合が悪かった長男も
2食抜き+整腸剤を飲んだお陰で、完全復活を遂げた。




いつものようにツアー会社のバスがホテルに迎えに来る。

市内の観光要所を周り、レストランで食事後、
シクロに乗って、フットマッサージをして終了
というコースだ。


最初に向かったのは、



ホーチミンの遺体が冷凍保存されているホーチミン廟

建物の中は空調をガンガンにかけて寒い!
外に出た瞬間、湿度でメガネが曇ったくらいだ。



一柱寺



ベトナム初の大学、文廟



あれれ?なんか昨夜人形劇でこんな建物見たっけ?



科挙試験合格者の名前が刻まれた石碑
この頃、中国文化は日本や越南にまで影響を及ぼしていたのだ。
千年の時を経て、眠れる獅子は復活しつつある。



「三つ子の魂百まで」という意味だろうか?



私、今日は小さいお兄ちゃんと手を繋いであげるの♪



ランチの時間になった。
バスはハノイの旧市街に入っていく。

すると夫が、
残念そうな声でこう言った。

「嫌な予感する。
なんか・・・・・昨日と同じ道に来たんだけど。」

さすがにハノイ4日目なると、
私だって旧市街の様子が大体分かってくる。

ひょっとして、昨夜と同じレストラン・・・・?(汗)

同じツアー会社で頼んでいるから仕方がないとはいえ、
連続で食べるとは!

パックツアーでは、土産物屋やレストランがツアー会社と提携していて
マージンをもらうというのはよくあることだ。
連れて行かれたお店にろくなものが置いてなかったり
用意された食事が期待はずれだったりしたことは
誰しも一度は経験したことがあるだろう。

今回ツアーでは、このレストランがまさしくそうだった。



今日のメニューは ブンチャ。
ベトナム風のつけ麺だ。

昨夜もそうだったが、
味は特筆するものが何もない、普通のベトナム料理。

では、一体何がNGだったのかというと、
このお店の衛生状態なのだ。


昨日は夜だったし、店の照明も薄暗くて、
細かいところまではよく分からなかったが、
昼間見ると、掃除が行き届いていないことが更によくわかる。

提灯にはうっすらと埃が積もり、
テーブルとイスはは脂ぎっているし、
窓のサッシにはネ○ミちゃんの落とし物がこびりついていた。
トイレの壁には・・・・・シャワーノズルが付いていたんだけど、なぜ?

参っちゃったなぁ、もう。

夫の話だと、このレストランはまだ「マシな部類」らしい。

今回は家族旅行だったからいい。
これが、日本から上司や取引先の方が来てアテンドでお連れしたりする状況で
こういうのに参加するとしたら、
大変なことになるだろう。


同じ思いをした人はいないのだろうか?
気になったので、帰国後、ネット上での口コミを調べていたら
こんなコメントを発見した。
Never go there from Tripadvisor

越南旅行記⑦ ちょっと疲れ気味・・・・ナイトツアー&水上人形劇

2010-06-14 13:07:40 | 旅行
飲茶をいただいて、すっかり寛ぎ体勢になった家族だが、
今夜はまだ予定がある。

ハノイナイトツアーに出かけるのだ。

夜のハノイ市内を探索し、
レストランで食事後、
ベトナムの伝統芸能、タンロン水上人形劇を観る。


体調不良で飲茶をパスした長男だが、
少し休んで楽になったので、一緒に行くという。


昼間も活気に溢れた街だが、
夜はまた違った様子を見せる。



歩道にまで商品を並べるのがベトナム流



フォーのお店。
道端で調理し、道端で食べる。



夜でもこうやって野菜を売っているところもある。



アオザイのお店


ガイドさんのあとについて、置いてきぼりにならないようみんな必死に歩く。

信号機はあるにはあるが、あまり意味をなさないので、
個人の判断で通りを渡る。

車は右側通行なので、まず歩道の縁に立って左側を見る
車の流れに少しでも切れ目があれば、
道路に半歩踏み出す。
その時にドライバーとアイコンタクトするのを忘れてはいけない。
向こうがこっちに気付き、徐行する。
それを見て、周りのバイクもクラクションをならしつつスローダウンする。

このときがチャンスだ。

ガイドさんは後ろを振り返り、
「ミナサン、ツイテキテクダサイ。」
と叫び、渡るよう促す。

道路の真ん中まで来たら、今度は右側を見る。
そしてまた車の切れ目を見つけ、
運転手と目線を合わせ、踏みだし、バイクが減速する間に慎重に渡りきる。


・・・・ということを、四つ辻ごとに繰り返す。


道を横断するたびに、義父の歩みが遅くなってきた。
ストップ&ゴーの慣れぬ歩き方で、持病の腰痛が悪化したらしい。
長男と次男がさっと義父に近寄り、両側から支えた。
二人にの肩を借り、しばらくはなんとか歩いてもらっていたが、
これ以上みんなについていくのは限界だった。

ナイトツアーの行程はまだ半分くらい残っている。

するとガイドさんが機転を利かせてくれた。

「ワタシ、シリアイニ シクロ ノ ウンテンシュサン イマス。
イマ、デンワシテ、キテ モライマス。
オジイサン、ソレニノッテ、レストラン、サキニ イッテクダサイ。」

義父は迎えに来たシクロに乗って、
後で食事に行くレストランまで乗せていってもらった。




絹製品を扱うお店でお土産に良さそうなものを選んだり、



民芸品を売るお店を覗いてみた




狭い暗い路地を通り抜けたりして
ようやくレストランに到着。

先に来ていた義父は、タイガービールを飲んでいた。


今夜の食事は、



魚の天ぷらのようなものを



ハーブや野菜と



米麺と一緒に



生春巻きに巻いて甘酸っぱいタレに漬けて食べる料理。

この生春巻きは、とても薄っぺらで、
乾燥した状態で一枚ずつ袋に入れてある。
魚と野菜を包むと、その水分でしっとりしてくるのだ。
生春巻きっていうと、都度水に濡らして包むっていうイメージがあったが
これは簡単だ。



ふと見ると、長男の様子がおかしい。
顔に血の気がない。

どうしたの?

「ダメ・・・・。
埃っぽくて暑い中歩き回って、ちょっとバテた。
お腹すいてんだけど、今食べるとヤバくなりそう。」

あー。せっかく来たのにまた食べられないの・・・・。
可哀想だけど、そうね、ここはグッと我慢して食べないほうがいいわ。

温かいお茶をもらって飲むことにする。


食事が終わると、今度は水上人形劇。

だが、義父と長男はタクシーで一足先にホテルに戻ることにした。


水上人形劇っていうから、
屋外でやるのかと思っていたら、



こんなビルの中に



こんなステージがあって
水を張ったプールみたいなところで
人形を操るのだった。

観劇中は撮影禁止ということなので、
画像はありません。


夜8時を回っているのに、席は満席。


世界各国から旅行者が来ている。
もちろん、日本からの団体さんもいる。

残念だったのは、
ある民族(現在万博開催中のあの国)の団体の方達のマナーが悪かったこと。
まだ始まっていないからいいとはいうものも、
前の方の席だというのに、いつまでも立ち上がったままで、
ペチャクチャしゃべっている。
世界的な常識から言うと、
普通、真ん真ん中に立ってお友達と会話はしないのである。
隣りに座っていたヨーロッパ系のおじさんが
呆れながら肩をすぼめて首を振っていた。

劇が終わってホテルに帰ると10時を過ぎていた。

密度の濃い日程で、
家族の疲労もピークに達している。

なんだかんだ言って、明日はもう最終日。
頑張ろう!



この日食事をしたレストランのことを詳しく紹介しないのは何故かって?
その理由は次回に述べることにする。

越南旅行記⑥ 一人脱落

2010-06-09 13:34:27 | 旅行
3日目の午前中は陶器の村、バッチャンを訪れた。
ハノイから車で30分ほどのところにあるバッチャン村は
古くから陶器の町として栄えていた。
昔は粘土質の土がこの村で豊富に取れたそうだが、
 今は別の場所から運んでくるらしい。

 まずは工房を見学。



絵付けは手作業で行われるので 一つとして同じものはない。



そのあと、別のお店に移動して買い物をした。



店先にたくさんぶら下がった鳥籠。
ベトナムでは鳥を飼うことはお金持ちの証なのだそうだ。

次男は
「僕、マグカップ買う。」 と言って、気に入った柄のものを探し始めた。
長男は、買おうかどうか一瞬迷ったようだが、
 「俺はいいわ。これ以上下宿に置くところないし。」 とやめた。
ちび姫は、お店の人に「可愛い~可愛い~」 と言われ上機嫌。
 トンボの柄の付いた丸い陶器玉と鳥の形をした笛をサービスでもらった。
 小さい子っていいわね~。

 義母は値引き交渉中。
 世界中どこへ行っても駆け引きが上手い。

結局義母のお陰で、かなりお値打ちにいろいろなものが買えた。

 今回も同じツアー会社を利用したが、
一人あたり$20の料金は、家族で利用すると割高かな。
 旅慣れている人だったら、タクシーを一台チャーターするほうが 安上がりかもしれないと思った。

バッチャン村ツアーは午前中で終わり。

そして、今日のランチはちょっと楽しみなの♪

だって、
ソフィテルプラザ ハノイ にある 明宮 で
飲茶をいただくことになっているのだから~!

うふふふ・・・・ちょっとどころか、家族の期待値ググっと上昇。

が、出かける直前になって長男に異変が!

「なんか、腹の調子が悪い・・・・・・。」

そういえば、さっきからトイレにばかり行っている。

困ったわね。
でも、こういう時は無理して出かけない方がいいわよね。

可哀想だけど、ホテルに残っていなさい。

温かいうどんくらいなら食べられるというので、
夫があり合わせの材料でちゃちゃっと作って長男に食べさせた。


思わぬハプニングで出るのが遅くなり、
ソフィテルに付いたのは1時半を過ぎていた。

明宮はホテルの2階にある。

テーブルに着くとウェイトレスさんが
「オーダーストップの時間が近づいております。
追加のご注文はご遠慮願います。」
と告げた。

どんだけ食べたの~!





っていうくらい食べたわ~。

どれも本当においしかった。

特に、腸粉!
ロンドン時代、飲茶に行くと必ず頼んでいた家族の大好物。
これをメニューに見つけた時は迷わずオーダーしたわ。

真ん中右のハリネズミさんは、こし餡の蒸しまんです。


本来なら新しい料理が来るたびに、
新しいお皿で食べるのが飲茶のスタイル。

ラストオーダー間際に飛び込んだから、
お店の人も閉店モードに気持ちが傾いていたのだろうか、
換えのお皿を持って来なかった。
ま、このままでいいか、と、
そのままで食べていたら、
あとで画像を見てびっくり!
お皿がだんだん汚れていってる・・・・・。(汗)
ブロガー失格だわね、こりゃ。

そしてお楽しみのデザート



杏仁豆腐とマンゴープリン。

義母も今回はちゃんと食べられた。よかった~。


日本に戻ってから
「ベトナムで食べたもの、一番おいしかったのは?」
と、家族に聞いたら、
「ソフィテルの飲茶!」
と、全員同じ意見だったが、それも不思議ではない。


お腹も心も満たされて、ホテルに戻る。
一人留守番の長男はソファーで横になっていた。
ちび姫は
「お兄ちゃん~あのね、飲茶すっごくおいしかったよ~!
写真も撮ってあるけど見る?」
と、無邪気に飛びついていった。