肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

ある朝突然

2010-05-28 13:02:32 | 自分のこと・思い出
ご無沙汰しておりました。

体調を崩して入院しておりましたが、
先日無事退院致しました。

今まで病気らしい病気を何一つしたことがなかったのに、
40過ぎると人間ガタが来るのでしょうか、
まさか入院することになるとは思いませんでした。
あらためて、健康のありがたみを知った次第です。

お見舞いのコメント、たくさんありがとうございました。
すぐにでもお返事したかったのですが、
会社に来てびっくり!
未処理の仕事が山のように机に積まれておりました。
(事務員は私一人しかいないので致し方ありません・・・・)
まずはそれらを片付けてから、ゆっくりさせていただきたく思いました。

ベトナム記も未だ終わっておりませんが、
ひとまず、
「tenchanの身に一体何が起きたのか?」
を、記事にしてみます。




朝起きたら蜘蛛になっていたのは、カフカの「変身」
人体実験して蝿男に変わったのは、映画「ザ・フライ」

私の場合、朝起きたらら、マツコ・デラックスになっていた。

息が苦しい。声が出ない。
舌が思うように動かせない。
顎がこわばり噛むこともできず、ご飯も食べられない。
喉が異常に渇くので水を飲もうと思っても、噎せて飲めない。
自分でもちょっとこれはマズいと感じた。


耳鼻咽喉科で受診して、ファイバーで喉の状態を診た先生が、
血相を変えて言った。
「すぐに大きい病院に入院してください。」



紹介状を持って総合病院へ向かったが、
そこでも重大な症状だと告げられた。

咽頭浮腫、唾液腺炎、喉頭痛、呼吸困難。
喉が腫れて気管を塞いでしまったのだ。
ファイバーで撮った画像を見せてもらったが、
喉の内部がぶよぶよに腫れて、
気管の入口がもう少しで塞がりそうになっていた。
道理で息苦しいはずだ。

原因は分からない。
一番可能性があるのはムンプスウィルスらしいが、
おたふく風邪は5歳の時にやった記憶がある。
が、体が弱ってると2回罹ることもあるらしい。

すぐに個室に入り、48時間連続の点滴治療が始まった。
抗生物質、ステロイド剤、栄養剤、など、プラスチックの容器が常に2本ぶら下がっていた。
その合間に、CT、レントゲンを撮る。
ドクターは頻繁に症状を見にきてくださった。
誤燕の危険があるため、食事は2日間禁止。水分も丸1日飲まないように言われた。
体がしんどいのでご飯を食べたいとは思わなかったが、
水が飲めないのは辛かった。
うがいで何度も口の中を湿らせた。

実家の両親にも連絡した。
「何か食べられるものは?」
と、気遣ってくれたが、まだ何も食べられないことを知ると、
子ども達に食べさせてやって、と菓子類をいろいろ持ってきてくれた。

点滴を始めた翌朝、早くも効果が現れた。
顔の腫れが若干引いたのだ。
見舞いに来た義母も、良くなったね~と言ってくれた。

それにしても、今回もまた義母に世話をかけてしまった。

診察に出かけてそのまま入院したので、
義母に一旦家に帰ってもらって、必要なものを取ってきてもらった。

義母はとても用意周到な人で、
数年前に病気で入院した時の経験から、
「これからは、いつ何時病院のお世話になるかもしれない。」
と、「入院セット」を押し入れにしまってあるのだ。

今回はその「入院セット」をそのままお借りした。
下着類は私のタンスの中から取りだしてもらった。
↑数日前に出来心を起こし、普段はやらない「引き出しの整理」をしておいたのでよかった~(汗)


入院のことは夫には知らせていなかった。
ちょうど中国に出張すると言っていたから。

出張先ではお客との商談や会食で忙しい。
あちらがホテルでメールを見なければ
連絡の取りようがないのでそのままにしておいた。

点滴に繋がれている最中、夫からメールが入ってきた。

「今、広州に来てる。メシがウマい!」


入院のことを知らないとはいえ、
ナイスなタイミングだ。

「○○病院に入院中」と返しておいた。

3日目の朝、ようやく食事が出た。五分粥、味噌汁、刻み食のおかず。

看護士さんに、
「よく噛んで食べてね~。」
と、言われたが、
噛むそばから喉に消えていく~。

昼はもう少しご飯の固形物が増えていた。おかずは同じく刻み食。
でも、食べられるってなんて幸せなんだろう。

食事が出来るようになってからは、回復は早かった。
顔の腫れも日に日に引いていった。
鎖骨も見えないほどだったのに、
だんだん元のようにシャープになってきた。

抗生剤の点滴を中止してもぶり返すようなことがなければ
退院できるということだった。
当初、1週間くらいの入院予定と言われていたが、
5日目で退院してもいいことになった。

退院の日。
朝食を済ませるとすぐに着替え、荷物をまとめる。

予定の時間に義母が来てくれた。
会計を済ませて外に出る。

「お義母さん、いろいろありがとうございました。
食事の用意や、お弁当も作ってもらってすみません。」

「いいよいいよそんなこと。
それにしても早く治ってよかったね~。」

まだちょっとふらつくので、車の運転は義母にお任せする。

「ね、まだ時間早いから、ちょっと寄り道していこうか。」

ハンドルを握る義母が言った。

「入院中、飲みたい~!って思っているんじゃないかって言ってたんだよ。」

向かった先は珈琲専門店。

「あ~嬉しい♪
実は、退院したら真っ先に行きたいっ!てお願いしようと思っていたんですよ。」

久しぶりのおいしい珈琲とモーニングサービス。

義母の粋な計らいに感激した私だった。










体調不良でダウン

2010-05-24 10:57:58 | Weblog
実は、先週末から体調を崩し、白い建物の中でこんなものに繋がれております。幸い、現在回復に向かっておりますが、ブログしばらくお休みしますね。コメントのお返事もゆっくりといたします。
しかし、今年は病院のお世話になることが多いわ~。

越南旅行記② ブラザーズ・カフェ

2010-05-19 13:40:30 | 旅行
今回のハノイ旅行は、パッケージツアーではなくて、 行き帰りの航空券だけを買い、あとはフリーで観光する方式にした。

 夫が住んでいる滞在型ホテルで、3ベッドルームを一室借り、
それぞれ分散して泊まった。

夫の部屋は散らかっているのでお見せできないが、 借りた方の部屋はこんな感じ。




ホテルというより、マンションといったほうがいいぐらいの設備。
毎日メイドさんが掃除とベッドメーキングしてくれるんだって。

一番右側は義父母用のダブルベッド。
「あのぅ・・・・お義母さん、
実はダブルベッドなんですが・・・・・よろしいですか?
もしダメと仰るなら、子ども達のツインと換えますけど。」
恐る恐る尋ねると、
「構わんよ、そんなの。」
と言って下さった。
「だって、あっちとこっち、端っこの方で寝るだけから。」
・・・・あはは



ここのホテルには世界各地からの駐在員とその家族が住んでいるという。
ロビーで、エレベーターホールで、いろんな国の人とすれ違う。

それにしても優雅ね~。
キッチンもバスルームも、使い勝手はともかくとして、
雑誌に出てくるようなユニットだわ。

我が家より広いリビングにはSAMSUNGの液晶テレビがデーンと置いてあり、
インテリアにマッチした細長いスピーカーが四隅に配列してある。
やっぱ、世界的にはSAMSUNGが人気なのかな・・・・
ちょっと寂しい気がする。



着いた日の夕食は、ハノイの中心街にある
 BROTHER’S CAFE に行くことになった。
(↑音楽が流れるので注意!)
夫が会社同僚と一緒に食べに行ったことがあるというレストランだ。

他の在ベトナム日系企業もそうだろうが、
夫の会社ではベトナムでの車の運転は禁止されている。
前回の記事でも述べたが、あの交通事情だ。
事故に巻き込まれる可能性が大いにあるので
運転はしない方がいいに決まっている。

出勤時は会社が契約したタクシーが迎えに来る。
それ以外の外出は全てタクシー。
幼稚園などの送り迎えもタクシー。
奥様達が食料品を買いに行ったり友人とランチをしたりするにも、
その都度タクシーを使う。
うーん、タクシー代が安いとはいえ、
車で勝手に行きたいところに出かけていたロンドン時代とはエライ違いだぞ。


タクシー二台に分乗してレストランへ向かう。
昼間と比べ、夜の喧噪はもっと怖い。


信号は?一応あるにはある。
でも、変わるタイミングがなんだか異様に速い。

信号機の中には、
すぐ下に、「変わるまであと何秒」と秒数がカウントダウン点滅しているのがあって、
その秒数たるや、たったの30秒。
30秒で青→赤→青に変わるではないか。
ベトナム人は関西人と同じように(関西の人ゴメン!)せっかちなのだろうか?

こんな短い点滅では、交差点がどのようになるかお分かりいただけるであろう。
スクランブル交差点の全方向から、
車、バイク、人が一度に侵入してきた・・・・・そんな状況だと思っていい。


ベトナムでは、4月30日は南部開放記念日、翌5月1日はメーデーで連休。
加えて今年はハノイ遷都ミレニアムということで、
国旗、垂れ幕、電飾でとても華やか。
町中がお祭り騒ぎだ。


ブラザーズ・カフェは洋風な名前とは全くイメージが違って、
古いお寺を改装したレストランだ。
入口を入り中に進むと、かつて中庭だったところにテーブルが並んでいる。
えっ・・・・これって外だよね。
そう、ここは屋根のないオープンテラスみたいなところ。
雨が降ったら濡れちゃうのだ。

料理は食べ放題のビュッフェ方式。
シーフードやスペアリブを選んでグリルで焼いてもらうことも出来る。
フォーを作ってくれるコーナーもある。
とりあえずベトナム料理を食べるにはオススメだ。

ベトナムで最初の食事ということで
写真を撮るのをすっかり忘れていた。
途中で気がついたので画像はちょっとだけ。



左から、生春巻きと揚げ生春巻き、フォー、デザート

フォーは初体験だったが、とても気に入った。
牛スープの「フォー・ボー」と鳥スープの「フォー・ガー」がある。
これはフォー・ボー。
注文すると、麺を茹でて丼に入れ
コリアンダー、ネギ、ミント、チリ、揚げ豆腐みたいなの、うずら卵、薄切りの牛肉を載せ、スープを注いでくれる。
食べる時にライムを絞って食べた。
このライムがよく効いていて、実に爽やかな味になった。

デザートは「多分こういうものだろう・・・・」という推測に基づいてお皿に取ってきた。
お皿の奥左から、
マンゴープリン、カスタードプリン。

その手前、
なんだか分からないもの
↑店員さんに聞いたら、ベトナム語で「ホニャホニャ~」と説明してくれたんだけど、結局分からなかった。
後でガイドブック見たら、米の粉を練って蒸しシロップをかけたものらしい。
パッションフルーツ。
↑他にも、ドラゴンフルーツ、メロン、スイカ、マンゴスチンとか南国のフルーツが色々あったけど、お腹いっぱいでこれ以上はだめ。
ちなみに、スイカは年がら年中採れるそうです。
で、このあと、どこのレストランに入っても、食後のフルーツにはスイカが出てきた。
ありゃりゃ・・・私、スイカは喉が痛くなるから食べられないんだってば~~!

右側のボウルに入っている黄色いスープみたいなのは、
日本の「冷やしぜんざい」に似ている。中には蓮の実が入っていた。
一体何だろう?みんなで食べ回してみたが、誰も分からない。
恐らく「トウモロコシ」だろうという結論になった。(汗)



さて、お会計になったが、
レシートを見て夫の顔が曇る。
「なんか、高い。前に会社の人と来た時はこんなに払わなかったぞ!」


どうやら「国民の休日」特別料金になっていたらしく、通常の2倍だったのだ。

「本日は赤ワインと白ワインが飲み放題でございます。」
食事の前にボーイさんがそう説明したので、
あら、随分気前のいい話ねぇ~と思ったが、
料金倍にしてるなら当然だね。

お陰で白も赤もワインぐびぐび飲んじゃったけど。(爆)

え?毎日飲んでたんじゃないの、って?

お察しの通り、
翌日から、朝食以外は必ずビールつけてました・・・・・
だって、せっかく旅行に来たのよ。
食事の用意も送り迎えもなーんにもないんだもん。
飲むしかないでしょう~♪



越南旅行記①暑さとバイクとクラクションの洗礼

2010-05-17 12:32:32 | 旅行
ベトナム旅行中に撮った写真を
夫がオンラインアルバムで送ってくれました。

文章だけで旅行記を書くつもりでしたが、
「百聞は一見にしかず。」
やはりビジュアル的に訴えた方が分かりやすいので
出来る限り写真を取り込んでいこうと思います。


「ベトナムは暑い。今、26℃くらいはあるからね。」
出かける前に夫はそう言って、夏服で来るように伝えた。

岐阜ではまだ、夕方になると寒くて
遠慮がちではあるが、ファンヒーターを点けるくらいなのに。

セントレア空港を出る時はちょっと肌寒く感じた。
向こうに行ってから温度調節できるよう、Tシャツの上にカーディガンを羽織っていたのだが、
タラップを下りた瞬間に、

暑~モワっ~・・・・
とした空気が肌にまとわりついてきた。

何なの何なの、この暑さは。
暑いだけじゃなくて、湿度の高さが半端じゃない。
堪らずカーディガンを脱ぐ。

振り返ると長男次男も「アチー!」と顔をしかめ、
長袖シャツを脱ぎ始めた。
「うわっ、何か、肌にベタつくし!」

ちび姫も背中に汗をかいている。
急いでトイレに行ってTシャツに着替えさせた。

5月でこれだ。
7月、8月になったら、一体どのくらいまで気温が上がるのだろう。

パスポートコントロールを通り過ぎ、出口に向かう。

夫はTシャツ・短パン・サンダルという真夏の格好で出迎えてくれた。
手には大判のタオル。流れ出る汗を拭いている。

ちび姫は真っ先に
「パパー!」
と抱きついていった。


トランクをゴロゴロ押して駐停車場まで行く。
10人乗りの大きなタクシーに荷物をのせてハノイ市内まで向かう。


走り始めてすぐに、夫がこう言った。

「すごいだろ、バイクの数。
こっちはバイクの方が多いからね。
道を走る時は、車とバイクの共存なんだ。」

窓の外を見ると、
タクシーのすぐ脇、スレスレのところにバイクが併走している。



それも一台じゃない。
前にも後ろにも、
私たちの車を取り囲むように何台も走っているのだ。

「鯵の群れの中に鮪が泳いでいるみたいだろ。」


もっと驚くのは、『一人乗り』は殆どいない、ということ。

「こっちは『二人乗り』が当たり前だからね。
『大人4人乗り』っていうのも見かけるよ。」

もう一度、外をよく見てみる。

パパがバイクを運転、
その前に3歳ぐらいの子供が座り、
後ろにはママが座り、
なんとママは生まれたばかりの赤ちゃんを横抱きしているではないか!

そういう『家族乗り』があっちにもこっちにもいる。



パパ、子供、ママ、という組み合わせや
子供、パパ、ママ、
荷物、パパ、子供、ママ、
中には、
子供、パパ、赤ちゃん、ママ、わんこ
っていうのもいた。

前と後ろに子供をのっけて走る日本のママチャリが
完全に負けている。



道路はアスファルトで一応舗装されているが
交通量が多いせいで埃が舞い上がり、空気が非常に悪い。
バイクに乗っている人は、悪い空気を吸い込まないようたいていマスクをしている。
マスクをさせられない赤ちゃんには、白いレースのようなものをかぶせて埃を防いでいる。



夫はさらにこう言った。

「日本で車買って、廃車にするまで鳴らすクラクションの回数を
ベトナムでは1日で鳴らすからね。」

タクシーの運転手は、空港を出てからほぼ一分おきにクラクションを鳴らして走っている。

車だけじゃなく、定員オーバー当然のバイク軍団も
それぞれ鳴らしている。

大騒音だ。


初日はこの交通事情に度肝を抜かれたが、
二日目からは慣れてくる。
そうなると、なにか面白い光景はないかと、
探してしまうのはブロガーの悲しい性か。(笑)


市内ツアーの最中、
窓の外を見ていた長男が突然叫んだ。

「ねえ、あの人、前が見えないのに運転してる!」




す、すごい神業・・・・・
と思いきや、
実はこうなっていました。






反対側車線をふと見ると、なにやら渋滞している。
タクシーがバイクと接触してバイクが倒れたたらしい。




あっというまに野次馬が増え、タクシーを取り囲む。

「降りんか、この野郎!」
周りの群衆がタクシーの車体を叩いている。

バイクの群れに阻まれて身動きが取れないタクシー。
が、一瞬の隙をみて逃げ出した。

「逃がすものか!」
転倒させられた兄ちゃんが走って追いかける。
でも所詮走りでは追いつけない・・・・

「チクショウ~!」
20mくらい走ったが、悔しそうに走るのを諦めた。
と、そこへ救いの手が。
「俺の後ろに乗れ!」
誰かがバイクを止め後部座席に乗るよう顔で指示する。
「ありがとよ!恩に着るぜ。」
兄ちゃんはそれに跨ると、逃走タクシーを追っかけていったのだった。

倒れたままになったバイクはどうするの?
そう思っていたら、
同乗者の彼女が果敢にもバイクを立て直し、
彼を追っかけて走り出したのだった。
(会話文はもちろんtenchanの妄想♪)


一連の出来事を眺めていた次男が、ポツリと言った。

「これはまさしく、国民総暴走族だな。」









越南旅行記、その前に

2010-05-11 13:01:41 | 旅行
ゴールデンウィークはいつも、
国内、いや、県内待機組のtenchan家であるが、
今年はどういうわけか海外に行くことになった。

場所はベトナム、ハノイ。


何故に???


ブログには書いてなかったが、
実は、夫が2月からハノイに単身赴任しているのだ。


こういう海外赴任などの話は、ある日突然やってくるわけではない。
半年ほど前に上司から「ベトナム行き」を打診された夫。
「少し考えさせて下さい。」
と、返事をしたが、
私に相談した時点で、気持ちは既に固まっていたようだ。

会社のために明け暮れ働く闘うサラリーマンにとって、
「行きません。」の選択肢は、
出世街道からの離脱を意味するからだ。

もちろん、出世のためだけではない。
「50歳を目の前にして、『やり遂げた。』と胸を張って人に言える仕事を僕はまだしていない。その意味でこれはチャンスだから。」
と、夫は言う。
彼の強い意志を感じた。


そして、今回は家族帯同しないことを
二人とも納得して決めていた。

長男は大学に入れば一人暮らしをするであろう、
次男は地元の高校に進み家から通う。
同居する義父母に次男の世話を頼み、
私が仕事を辞め、ちび姫と一緒にベトナムについて行くことも、可能ではある。
だが、思春期の難しい年頃の男子を
義父母に任せるのは申し訳なくてできない。

実際、夫の知人で高校生の息子さんを親に預けて赴任した人がいるのだが、
おじいちゃんおばあちゃんの言うことを全く聞かず、
高校から何度も呼び出しが来ている、という噂を聞いた。
長男と比べると御しやすい次男ではあるが、
親のいない環境で自主的に勉強するとは思えない。

任期は2年。
海外赴任の通例だと、2年と言われたら大概3年になると思っていい。

ロンドン時代も、最後の年は長男の受験準備のため
私と子ども達が先に帰ったが、
またしても離れて暮らすことになるのか・・・・・。

正直辛い。

しかも、なぜこのタイミング?

ダブル受験を控えて、夫の不在が我が家にどれだけマイナスに働くか、
会社はその辺のところを全くご存じない。(怒)

年が明けてからは、長男次男の受験と夫の赴任準備で、
想像を遙かに超える緊張に押しつぶされそうなった。


資料を取り寄せ、スケジュールを確認、願書発送、受験料振込、宿の手配など、
どれも手抜かりのないように進めなければならない。

その間をぬうように、夫の赴任準備をする。
単身なので荷物は少ないが、
それでも一通り全部揃えねばならない。
リストと睨めっこして、追加があれば買い足す毎日だった。

夫も忙しかった。

仕事の引き継ぎもそうだが、
なんと言っても交際範囲の広い人だから、
あっちのグループでお別れ飲み会、
こっちのグループでお別れゴルフ、
またまた別の付き合いで麻雀会、
と、途絶えることがない。


出かけるメンバーを聞くと、
なんか重複しているような気がする・・・・
「ねえ、この間Aさん達と飲んだのに、また行くの?」
と、聞いてみると、
「ああ、そうそう、Aと飲んだ時にBが来てなくてさぁ、
じゃ、もう一回飲み直そうぜ、ってなったんだよ。」

誰と飲んだかゴルフしたか
実は夫自体、もう訳が分からなくなっているようだった。

連チャンに次ぐ連チャン。
渡越するまでの数ヶ月、家でご飯を食べたことは殆どなかった。

疲労は極限に達し、
「終電→乗り過ごし→タクシー」
という、ゴージャス午前様リターンを繰り返していた。

女房タクシーも、ついにストライキへ突入したのだった。(笑)


次男の合格が決まった数日後、
夫はベトナムへ飛んでいった。


寂しいと思う暇もなく、長男の国立前期日程、合格発表へと続いた。


終わってみれば、
二人とも無事合格、めでたしめでたし~となったわけだが、
カレンダーを見ていたら、
あら、大型連休がやってくるじゃない!

ちょっと待って。
考えてみたら、
任期中に遊びに行けるのは、今年ぐらいしかないわ。
だって、
来年は部活も本格的になるから、連休は試合などあって抜けられないだろうし、
再来年は次男がまた受験で無理・・・・・。

それじゃあ、合格祝い旅行とfamily reunionも兼ねて、
みんなでパパのところに押しかけよう~!

義父母、長男、次男、ちび姫、私、
全員揃ってのベトナム旅行 となったというわけだ。


画像があればもっと印象的な旅行記が書けるんだろうけど、
ちょっとそれは難しいので、
いつものように文章で綴っていきます。
さて、どんな旅だったのでしょうか。
しばらくお付き合い下さい。




次男の方向音痴伝説④

2010-05-07 12:57:33 | 子供の話題
先日は「バトン」ブログで
お三方の御名前を題名に書かせていただきました。

指名された皆様、びっくりさせてごめんなさいね。
さらり、とかわして下さり、ホッとしました。

GWも終わり、いつもの日常が戻ってきました。
前の記事は空港から携帯でUPしましたが、
行き先はどこか、お分かりだったでしょうか?
けんちゃんさん、正解です。ベトナムです。

写真を載せて越南旅行記と洒落込みたいところですが、
諸事情により、ちょっと難しいので、
いつものように文章で綴っていきたいと思います。

ですが、皆様、
休み前から続くあのシリーズをお忘れになってはいけません。

それでは、次男の方向音痴伝説、完結編をどうぞ!



長男の話によると、
次男は時々、PSPなどのゲームでも「迷子になる。」らしい。

モンハン(モンスターハンター)などのロールプレイングゲームで
赤外線通信を使って同じ画面で遊んでいると、
自分の居場所が分からなくなるのだという。

「お兄ちゃん、俺、今どこにおる?」
「お前、アホか!そこまっすぐ行って右に曲がってA町の宿屋に来い。」
「それ、どこ?」

そんな会話が繰り返される。

現実世界の中だけじゃなく、
バーチャルの中でも地図が読めずに迷うのだ。



さて、帰国後、近くの友達の家には遊びに行く事はあったが
塾の送り迎えは車だったし、
それ以外で校区外に行く事は滅多になかった。

中学2年のある日、
次男の所属する部活が地元青年団の手伝いをすることになった。
秋祭りの餅つきの手伝いだ。

学校まで自転車で行って、祭りが終わった後に
ファーストフード店でお昼を食べて帰るという。

学校、ファーストフード店、家
ポイントを三角に行って戻ってくるだけだから大丈夫。
そう言うので、お金を持たせ送り出した。

夕方5時。
ちょっと暗くなりかけてきた
でも、次男はまだ戻らない。
学校行事は昼過ぎには終わっているはず。
なのに帰宅してないのはおかしい。

取りあえず今、何処にいるのか確認しなきゃ。

私はママ友の携帯に電話して、
みんなが何処に行ったか知ってるかどうかきいた。

すると彼らは、校区外のゲーセンに行ったらしいという。


私はそれを聞いて確信した。

あの子、みんなについていって、

道が分からなくて帰れなくなってるんだ。


義母と二人で車に乗ってそのゲーセンまで探しに行った。


外はもう真っ暗。

お願い、動かないでそこにいて。

そう祈りながらアクセルを踏む。

ゲーセンの狭い駐車場に車を止め、
グワングワンという大音響の店内に足を踏み入れ、
次男を捜す。

中学生とおぼしき子達がゲーム機に群がっている。
後ろでポツンと立って見ている次男を発見した。

君!」

近くまで行って声を掛けた。

私の姿を見ると
次男は
「ああ、お母さん。」
と、安堵したような声を上げた。

「よかった~。やっぱりここにいた。
話はあとで。さ、早く帰るよ。」

それから次男の友達にも声を掛けた。
「君たちも、もう遅いし、早く帰りなさいよ。」

「はーい。」
ばつの悪そうな顔をしていたが、
6時過ぎてゲーセンにいるところを大人に見られたのは
さすがにマズイと思ったのだろう、
みんな素直に帰り支度を始めた。


自転車を車の後ろに積んで、ゲーセンを後にした。


「ごめんなさい。」

こちらが何も言わないうちに謝る次男。


よかったね~無事で。
あちこち動かずに、ここにいてくれたから探せてよかった。

で、一体どうしてここに来ることになったのかな?


次男はいきさつを話し始めた。

餅つきが終わった後、友達の一人が
「バッティングセンター行こうぜ。」
と、言い始めた。

えー・・・・バッティングセンターかぁ・・・・・
と、一瞬思ったが、
まだ時間も早いし、ここから近いみたいだし、行ってみるか。

そうして次男は友達の後についていった。

お金を入れるとボールが飛んでくる。
構えて振ってはみるものの、かすりもしない。

当たり前だ。
野球で遊んだことなんて数えるほどしかなかったのだから。

あっというまに自分の番が終わり、
友達が興じるのを後ろで見ているだけ。

みんな一通り打ち終えると、
誰かがこう言った。
「次、ゲーセン行こうぜ。」

えーっ!つ、次って、まだ行くのかよ~!
俺はもう帰るわ。

と、外へ出た次男。

そこで彼は大変なことに気がつく。

帰り道が分からない!

普通の人だったら、来た道を戻ればいいと思うだろう。
ところが、方向感覚が乏しい次男の場合は、それが出来ないのだ。

どうしよう~どうしよう~。
帰る道が分かんないなんて、みんなに言えないよ・・・・・。

そこで彼は決断した。
こうなったらみんなについていくしかない。

バッティングセンターの場所がわからないまま、
次男はゲーセンに向かった。

ゲーセンでも、遊んだのは最初の方だけ。
お金も乏しくなってきたので、友達の後ろで画面を見るしかできない。

夕暮れが迫ってきた。
あ~あ・・・・。
お母さん心配してるだろうな。

意を決して外に出てみる。
自転車にまたがって走り出したが、
道がもうサッパリ分からない。

いかん、ここから離れたらもっとヤバイ。
取りあえずゲーセンに戻らなきゃ。
(結果的には、この時点での判断が幸いしたのだが・・・・・)

店の中に戻った次男は、恥を忍んで友達に聞いた。

「あのさ、どうやって戻るの?」

だが、友達は次男の非常事態に全く気がつかない。

「来た道帰ればいいじゃん。」

それが出来たら苦労はしないのだ。

時刻は6時を回った。

友達が帰ると言い出すまで、
俺はここで待つしかないんだ・・・・・
絶望感に打ちひしがれ、情けなくて、ほとんど泣きそうだった。

そこへ母が現れたのだった。

「ああ、お母さん。」
心底ホッとした言葉だった。



何事もなくて本当によかった。
本人も相当反省しているようだったし、
叱るのは止めた。


ただ、これからが大変だ。



次男は地理的感覚を身につけるのが
人よりちょっと遅いのだと思う。

生まれてから、大きくなるまで、
人はいろんな成長過程を通ってくる。

寝返りをうって、ハイハイして、立ち上がって、歩いて、
考えてみれば、その過程には個人差があって、
その子なりの成長の仕方がある。


次男には、根気よく、諦めず、一つ一つ教えていくしかない。
そう思っている。


あれから2年。
次男は高校生になった。
普通なら格好良くチャリ通をしている年頃だが、
バス通学にさせている。

えっ?
高校になってからの伝説はないの、って?


それはまあ、
笑って語れるようになってからということで、
どうぞご勘弁を!(汗)








行ってきます~♪

2010-05-01 10:53:50 | Weblog
携帯からの投稿です。
GWっていうのは今まで私にとって、実家に帰るか子供の試合があるか、という位置づけなのですが、今回は初めて国外脱出なーんてことに相成りました。
更新は連休明けにゆっくりと、コメレスも遅れます。
では、行ってまいります。