ご無沙汰しておりました。
体調を崩して入院しておりましたが、
先日無事退院致しました。
今まで病気らしい病気を何一つしたことがなかったのに、
40過ぎると人間ガタが来るのでしょうか、
まさか入院することになるとは思いませんでした。
あらためて、健康のありがたみを知った次第です。
お見舞いのコメント、たくさんありがとうございました。
すぐにでもお返事したかったのですが、
会社に来てびっくり!
未処理の仕事が山のように机に積まれておりました。
(事務員は私一人しかいないので致し方ありません・・・・)
まずはそれらを片付けてから、ゆっくりさせていただきたく思いました。
ベトナム記も未だ終わっておりませんが、
ひとまず、
「tenchanの身に一体何が起きたのか?」
を、記事にしてみます。
朝起きたら蜘蛛になっていたのは、カフカの「変身」、
人体実験して蝿男に変わったのは、映画「ザ・フライ」
私の場合、朝起きたらら、マツコ・デラックスになっていた。
息が苦しい。声が出ない。
舌が思うように動かせない。
顎がこわばり噛むこともできず、ご飯も食べられない。
喉が異常に渇くので水を飲もうと思っても、噎せて飲めない。
自分でもちょっとこれはマズいと感じた。
耳鼻咽喉科で受診して、ファイバーで喉の状態を診た先生が、
血相を変えて言った。
「すぐに大きい病院に入院してください。」
紹介状を持って総合病院へ向かったが、
そこでも重大な症状だと告げられた。
咽頭浮腫、唾液腺炎、喉頭痛、呼吸困難。
喉が腫れて気管を塞いでしまったのだ。
ファイバーで撮った画像を見せてもらったが、
喉の内部がぶよぶよに腫れて、
気管の入口がもう少しで塞がりそうになっていた。
道理で息苦しいはずだ。
原因は分からない。
一番可能性があるのはムンプスウィルスらしいが、
おたふく風邪は5歳の時にやった記憶がある。
が、体が弱ってると2回罹ることもあるらしい。
すぐに個室に入り、48時間連続の点滴治療が始まった。
抗生物質、ステロイド剤、栄養剤、など、プラスチックの容器が常に2本ぶら下がっていた。
その合間に、CT、レントゲンを撮る。
ドクターは頻繁に症状を見にきてくださった。
誤燕の危険があるため、食事は2日間禁止。水分も丸1日飲まないように言われた。
体がしんどいのでご飯を食べたいとは思わなかったが、
水が飲めないのは辛かった。
うがいで何度も口の中を湿らせた。
実家の両親にも連絡した。
「何か食べられるものは?」
と、気遣ってくれたが、まだ何も食べられないことを知ると、
子ども達に食べさせてやって、と菓子類をいろいろ持ってきてくれた。
点滴を始めた翌朝、早くも効果が現れた。
顔の腫れが若干引いたのだ。
見舞いに来た義母も、良くなったね~と言ってくれた。
それにしても、今回もまた義母に世話をかけてしまった。
診察に出かけてそのまま入院したので、
義母に一旦家に帰ってもらって、必要なものを取ってきてもらった。
義母はとても用意周到な人で、
数年前に病気で入院した時の経験から、
「これからは、いつ何時病院のお世話になるかもしれない。」
と、「入院セット」を押し入れにしまってあるのだ。
今回はその「入院セット」をそのままお借りした。
下着類は私のタンスの中から取りだしてもらった。
↑数日前に出来心を起こし、普段はやらない「引き出しの整理」をしておいたのでよかった~(汗)
入院のことは夫には知らせていなかった。
ちょうど中国に出張すると言っていたから。
出張先ではお客との商談や会食で忙しい。
あちらがホテルでメールを見なければ
連絡の取りようがないのでそのままにしておいた。
点滴に繋がれている最中、夫からメールが入ってきた。
「今、広州に来てる。メシがウマい!」
入院のことを知らないとはいえ、
ナイスなタイミングだ。
「○○病院に入院中」と返しておいた。
3日目の朝、ようやく食事が出た。五分粥、味噌汁、刻み食のおかず。
看護士さんに、
「よく噛んで食べてね~。」
と、言われたが、
噛むそばから喉に消えていく~。
昼はもう少しご飯の固形物が増えていた。おかずは同じく刻み食。
でも、食べられるってなんて幸せなんだろう。
食事が出来るようになってからは、回復は早かった。
顔の腫れも日に日に引いていった。
鎖骨も見えないほどだったのに、
だんだん元のようにシャープになってきた。
抗生剤の点滴を中止してもぶり返すようなことがなければ
退院できるということだった。
当初、1週間くらいの入院予定と言われていたが、
5日目で退院してもいいことになった。
退院の日。
朝食を済ませるとすぐに着替え、荷物をまとめる。
予定の時間に義母が来てくれた。
会計を済ませて外に出る。
「お義母さん、いろいろありがとうございました。
食事の用意や、お弁当も作ってもらってすみません。」
「いいよいいよそんなこと。
それにしても早く治ってよかったね~。」
まだちょっとふらつくので、車の運転は義母にお任せする。
「ね、まだ時間早いから、ちょっと寄り道していこうか。」
ハンドルを握る義母が言った。
「入院中、飲みたい~!って思っているんじゃないかって言ってたんだよ。」
向かった先は珈琲専門店。
「あ~嬉しい♪
実は、退院したら真っ先に行きたいっ!てお願いしようと思っていたんですよ。」
久しぶりのおいしい珈琲とモーニングサービス。
義母の粋な計らいに感激した私だった。
体調を崩して入院しておりましたが、
先日無事退院致しました。
今まで病気らしい病気を何一つしたことがなかったのに、
40過ぎると人間ガタが来るのでしょうか、
まさか入院することになるとは思いませんでした。
あらためて、健康のありがたみを知った次第です。
お見舞いのコメント、たくさんありがとうございました。
すぐにでもお返事したかったのですが、
会社に来てびっくり!
未処理の仕事が山のように机に積まれておりました。
(事務員は私一人しかいないので致し方ありません・・・・)
まずはそれらを片付けてから、ゆっくりさせていただきたく思いました。
ベトナム記も未だ終わっておりませんが、
ひとまず、
「tenchanの身に一体何が起きたのか?」
を、記事にしてみます。
朝起きたら蜘蛛になっていたのは、カフカの「変身」、
人体実験して蝿男に変わったのは、映画「ザ・フライ」
私の場合、朝起きたらら、マツコ・デラックスになっていた。
息が苦しい。声が出ない。
舌が思うように動かせない。
顎がこわばり噛むこともできず、ご飯も食べられない。
喉が異常に渇くので水を飲もうと思っても、噎せて飲めない。
自分でもちょっとこれはマズいと感じた。
耳鼻咽喉科で受診して、ファイバーで喉の状態を診た先生が、
血相を変えて言った。
「すぐに大きい病院に入院してください。」
紹介状を持って総合病院へ向かったが、
そこでも重大な症状だと告げられた。
咽頭浮腫、唾液腺炎、喉頭痛、呼吸困難。
喉が腫れて気管を塞いでしまったのだ。
ファイバーで撮った画像を見せてもらったが、
喉の内部がぶよぶよに腫れて、
気管の入口がもう少しで塞がりそうになっていた。
道理で息苦しいはずだ。
原因は分からない。
一番可能性があるのはムンプスウィルスらしいが、
おたふく風邪は5歳の時にやった記憶がある。
が、体が弱ってると2回罹ることもあるらしい。
すぐに個室に入り、48時間連続の点滴治療が始まった。
抗生物質、ステロイド剤、栄養剤、など、プラスチックの容器が常に2本ぶら下がっていた。
その合間に、CT、レントゲンを撮る。
ドクターは頻繁に症状を見にきてくださった。
誤燕の危険があるため、食事は2日間禁止。水分も丸1日飲まないように言われた。
体がしんどいのでご飯を食べたいとは思わなかったが、
水が飲めないのは辛かった。
うがいで何度も口の中を湿らせた。
実家の両親にも連絡した。
「何か食べられるものは?」
と、気遣ってくれたが、まだ何も食べられないことを知ると、
子ども達に食べさせてやって、と菓子類をいろいろ持ってきてくれた。
点滴を始めた翌朝、早くも効果が現れた。
顔の腫れが若干引いたのだ。
見舞いに来た義母も、良くなったね~と言ってくれた。
それにしても、今回もまた義母に世話をかけてしまった。
診察に出かけてそのまま入院したので、
義母に一旦家に帰ってもらって、必要なものを取ってきてもらった。
義母はとても用意周到な人で、
数年前に病気で入院した時の経験から、
「これからは、いつ何時病院のお世話になるかもしれない。」
と、「入院セット」を押し入れにしまってあるのだ。
今回はその「入院セット」をそのままお借りした。
下着類は私のタンスの中から取りだしてもらった。
↑数日前に出来心を起こし、普段はやらない「引き出しの整理」をしておいたのでよかった~(汗)
入院のことは夫には知らせていなかった。
ちょうど中国に出張すると言っていたから。
出張先ではお客との商談や会食で忙しい。
あちらがホテルでメールを見なければ
連絡の取りようがないのでそのままにしておいた。
点滴に繋がれている最中、夫からメールが入ってきた。
「今、広州に来てる。メシがウマい!」
入院のことを知らないとはいえ、
ナイスなタイミングだ。
「○○病院に入院中」と返しておいた。
3日目の朝、ようやく食事が出た。五分粥、味噌汁、刻み食のおかず。
看護士さんに、
「よく噛んで食べてね~。」
と、言われたが、
噛むそばから喉に消えていく~。
昼はもう少しご飯の固形物が増えていた。おかずは同じく刻み食。
でも、食べられるってなんて幸せなんだろう。
食事が出来るようになってからは、回復は早かった。
顔の腫れも日に日に引いていった。
鎖骨も見えないほどだったのに、
だんだん元のようにシャープになってきた。
抗生剤の点滴を中止してもぶり返すようなことがなければ
退院できるということだった。
当初、1週間くらいの入院予定と言われていたが、
5日目で退院してもいいことになった。
退院の日。
朝食を済ませるとすぐに着替え、荷物をまとめる。
予定の時間に義母が来てくれた。
会計を済ませて外に出る。
「お義母さん、いろいろありがとうございました。
食事の用意や、お弁当も作ってもらってすみません。」
「いいよいいよそんなこと。
それにしても早く治ってよかったね~。」
まだちょっとふらつくので、車の運転は義母にお任せする。
「ね、まだ時間早いから、ちょっと寄り道していこうか。」
ハンドルを握る義母が言った。
「入院中、飲みたい~!って思っているんじゃないかって言ってたんだよ。」
向かった先は珈琲専門店。
「あ~嬉しい♪
実は、退院したら真っ先に行きたいっ!てお願いしようと思っていたんですよ。」
久しぶりのおいしい珈琲とモーニングサービス。
義母の粋な計らいに感激した私だった。