肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

国語力

2009-11-28 19:22:11 | 子供の話題
↑これ、
うちの長男が書いた字。

なんて書いてあるかって?

一応
「入試」
なのだそうだ。

入試関連の資料ファイルにマーカーペンで書いたのだ。

が、しっかり書き間違えている・・・・・(汗)


多分、右側の「式」のほうを書く時に、
戈(ほこ、ほこづくり)みたいに斜めの線を入れ、
入れてから、「あっ、違う。」と気が付き、
更に斜線で消したのだと思われる。

「試」は小学4年生で習う漢字。
小4から中2までロンドンで過ごした長男にとって
この時期のものは苦手なようだ。



義務教育の半分をロンドンで過ごした長男は
国語力が弱い。

特に漢字は苦手で、
彼の書いた文章を見ると、ひらがなが多くてまるで小学生が書いたようだ。

得意な数学では、実に美しい答案を書く事が出来るのに、
このアンバランスさは非常に口惜しい。

やはり、4年の海外生活が
国語力を衰えさせたのは間違いない。



駐在時代に、「海外子女教育」という雑誌が毎月配布された。
海外における子供の教育について、様々な方面からのレポートが掲載されているのだ。

日本語学校では、家庭では、こんな取組をしている。
こんなことをして日本語の力をキープし、
且つ、現地の言葉もマスターして、
今は、それらを生かす仕事に就いている。

そんな素晴らしいお子様達の姿が
毎月報告されるのだ。



だが、我が息子達、
けっしてそんな理想通りには動いてくれなかった。

だいたい、読書が嫌いで
読む本と言えば、唯一「ハリーポッター」。
あとは、ゲームの攻略本か、「まんが日本の歴史」がいいところだった。

日本語学校の補習校では、国語の授業しかやらなかったので
わざわざ進研ゼミのチャレンジを取り寄せて
「赤ペン先生」の通信教育もさせてみた。

次男はコツコツタイプだったので、ちゃんとやり、
ポイントシールを集めて、好きな景品をゲットしたりしていたが、
長男は大ざっぱな性格なので、
「俺には合わない。」と一蹴。
冊子の問題はやらずに、提出問題だけペラっとやるだけ。
それも、2,3ヶ月遅れて出していた。

海外子女教育の中にでてくる子ども達と
うちの子はこんなにも違っている。

英語だって、そんなに分かっているようには見えないし、
日本語だって怪しくなってきている。

このままだと、
英語も日本語もできない宇宙人のような日本人になって、
帰国しなくてはならない。

親が焦れば焦るほど、
子供は意固地になって反抗する。
まさに八方塞がりだった。

長男の高校受験を機に、夫を残し一足帰国したが、
帰ってからもまた、大変な日々が待っていた。

一番苦労したのは、4年間サボりまくっていた長男だった。

日本の学校生活の習慣を、ほぼ忘れていた。

黒板に書かれたことを、ノートに書き写すことを知らなかった。
「予習」って何?と、友達に聞いて絶句された。
配られたプリントをノートに貼ること。
授業中に発言するのはいいが、友達とおしゃべりすることはいけないこと。

日本にいた頃は自然に出来ていたことが、
4年の海外生活で身に付かなくなっていた。

一つ壁にぶち当たると、「何故?」という疑問が生まれ、
「そんな無駄なこと!」と反抗心をむき出しにする。

日常のあらゆる場面で、ストレスが溜まっていった。


一番きつかったのは、
何事にも「提出期限」というものがあり、
それを一日でも過ぎると、「未提出」と見なされてしまうことだった。
イギリスで「すみません~遅れました。」
と、レポートを遅く出す常習犯だった彼にとって、
これは、相当大変だったに違いない。


そんな不満のはけ口を、母親や弟に向け、
毎日喧嘩が絶えなかった。

たまに、父親から電話がかかると、
直立不動で
「はい、はい、すみませんでした。はい、わかりました。」
と、その場は大人しくなる。
が、2,3日もすると、また荒れるのだ。


私自身、
子供を信じてやりたい気持ちと、
投げやりの気持ちとの間をを行ったり来たりしていた。



無事に高校に入学が決まり、
自分の居場所を見つけた長男は、
荒れ狂っていた日々が嘘のように穏やかになり
こちら側に戻ってきた。


しかし、国語力は相変わらずだ。

理系の父親の血を引いて
そちらはどんどん力を伸ばしていっているのに・・・・

書き損ないの「試」の字を見て
日本語を一番覚える時期に、外国で過ごさせてしまったことを
本当に申し訳なく思った。


涙でぼやける「試」の文字が
なんだか「誠」に見えてくる、母なのであった。








たまには一人で帰りたい

2009-11-27 12:44:27 | 子供の話題
長男と二人きりになった時、
こんな事を聞いてみた。

「ねえ、今までコクったり(告白する)、コクられたりしたことってあるの?」

「いや、ない。」

「ホント?一回もないの?」

「うん、ない。」

「そっかー・・・・・。
でも、・・・・・ないっていうのも寂しいもんだねぇ~。」

すると長男は、
勉強する手を休め、後ろにグーンと仰け反り背中を伸ばしながらこう言った。

「そうでもないよ。
俺さぁ、コクったりコクられたりってこと、まだなくて正解だと思うわ。」

「そうなんだー。
でも、彼女ほしいとか、そういう話って友達同士でしないの?」

「するよ、そりゃ。
するけど、彼女ほしいっていうのと実際に付き合うのって、違うんだよ。
付き合ってる奴をみると、いろいろ大変なんだなーってつくづく思うし。」

そう言って長男は、彼女がいるクラスメートA君の話をしてくれた。







A君は、優しい雰囲気がにじみでているナイスガイ。
文化祭で見かけたが、
背が高くて、なるほど、女の子に持てそうなタイプだ。

その彼には現在付き合っている彼女がいて、
チャリ通の二人はいつも一緒に帰っていくのだそうだ。

長男達「彼女いない組」には、
うらやましいほどの話である。

ところが、幸せいっぱいのA君、
ときどき長男達にこう漏らすのだそうだ。







「おれ、たまには一人で帰りたい・・・・。」




それはイカンやろう!
そんなことをしたら彼女が可哀想やろう!
そりゃおまえの我が儘や!

そう言ってA君を責める「彼女いない組」の面々。

でも、A君、憔悴した顔でこう続けたのだ。

「彼女と一緒に帰るのは楽しい。それは本当。
でも、俺だってたまには BOOK OFF とかコンビニ行って立ち読みしたいし、
他に寄りたいところもある。
お前らとマック行って、しゃべったりもしてみたい。
でも、一緒に帰らないと、なんか彼女に悪いし、
こんなこと言ったら悲しむかもしれないと思ったら
余計言えない・・・・。」






「帰るとか帰らないとかで悩んでいるA君を見るとさぁ、
あー彼女と付き合うのも面倒くせぇもんだなーって思うわけよ。
しかも、今、受験だろ。
そんなことやってらんねぇっていうのが、俺の気持ち。」


そうだね。まだ君には早いかもね。
今のところは勉学に勤しんでくれたまえ。

女の子のお尻を追っかけるのは、
もうちょっと後にしてほしいというのが
母の正直な気持ちである。



優しいA君は、今でも彼女と毎日帰っているそうだ。

父親を越える

2009-11-26 12:07:31 | 子供の話題
「あいつら(息子達)は、俺を絶対越えられない。」

一体どういうつもりで言うのかしれないが
へべれけに酔った時に出る、夫の口癖。

親だったら普通、自分を越えてほしいと思うのが当然だと思っていたが
どうやら夫はまだ成長過程にあるらしい。

息子達は息子達で
「お父さんは俺たちが越えて見せたとしても
『時代が違う。』とか何とか言って、
たぶん認めないんだろうな。」
と、やけに悟ったことを言う。

じゃあ、君はどうなの?
自分の子供に越えられたくないって思う?
そう次男に聞くと

「それは違うな・・・
俺はむしろ、越えてほしいよ。」

意外な答えが返ってきた。

なんで?

「だって、俺で終わってほしくないから。」

なんだかジーンときてしまった。

その話を夫にすると

「あのさ、それって、
俺がすごく小さな人間みたいに見えるじゃん。」


いやいや、そうじゃなくて、
単純に子供の成長を喜んで言っただけなのよ。

全く・・・

男の人って幾つになっても
持ち上げられたいのね。

男子が大勢いると
それぞれをヨイショしなきゃならないみたい。

やれやれ・・・・

豆腐の生煮え

2009-11-25 12:39:41 | 生活
子供の頃から不思議だったことがある。

親からもそう言われたし、
嫁ぎ先でも言われていた「教え」。


「豆腐の生煮えは食べるな、お腹をこわすから。」




これって、岐阜だけ?

うちの両親は名古屋市出身だけど
豆腐の生煮えはダメと言っていた。

でもね、本当にそうなの?

湯豆腐にして中まで火を通せばいい、これはわかる。

冷や奴として、豆腐を冷たいままで食べてもOK。

なのに生暖かいくらいで加熱をストップした豆腐は食べちゃダメって。

どうして?

成分が何か変わるの?

不思議だ・・・・・





私の勝手な推測だが、
冷蔵庫が普及していなかった頃、
豆腐は傷みやすいので
冷や奴で食べるなら買ってきてすぐに。
時間が経ったら
ちゃんと火を通して食べろ、
ということだったのかなと。



どなたか理由をご存じ?


追記:
「豆腐の生煮え」の理由は、結局分かりませんでしたが、
何か知っている人がいらっしゃれば、情報お待ちしております。
「私もその言い伝え知ってます。」
という方も是非、お知らせ下さい。

そば居酒屋 楽

2009-11-24 12:53:25 | お店レポート
大好きなベーカリーRUSTICOのすぐ隣にある
「そば居酒屋 楽」。



この連休中に、そば好きの義母と出たがりのちび姫と一緒に行ってきました。

横に長い店舗で、入って左側がイス席、右が掘りごたつ席とカウンター席になっています。


ちび姫は「デザート、デザート」
と、デザートが付いているのがいいと言うので、日替りランチ(そば付)…850円 を頼み、
義母と私は、遅めのお昼ということもありとてもお腹が空いていたので、
天丼セット…950円 を頼みました。

そばは、ざるとかけのどちらかを選びます。

私とちび姫はざる、義母はかけを選びました。

ホールにいる店員さんは皆若くて元気いっぱいです。
きびきびと動いて気持ちがいいです。

そばはちょっと白めの二八蕎麦なのかな?
しゃっきり茹で上がって、つるっとした喉越しです。

ざるのほうはキーンと気持ちよいほどに冷えています。
おつゆもスッキリとした味でした。

義母の食べたかけは、つゆの中でもしっかりした食感だったそうです。

こういう、つるつるしたそばも好きなんだけど、

ここからもうちょっと北のほうにある
「山茶」 岐阜市打越248番地2
とか、
「吉照庵」 岐阜市米屋町25番地
「胡蝶庵 仙波」 岐阜市日光町3丁目26番地

のそばのほうが
そば粉100%のぼそぼそっとした食感で好きかな。


それではいつものtenchan辛口コメント、いっちゃいますか?

義母と意見が一致したんですが、
天丼が重い・・・・
二人とも完食することが出来ませんでした。
そばを単品にして
それだけでは足りないなら、
サイドメニューから何か頼んだ方がいいかも。

お店が随分広くて、
しかも、掘りごたつ席の仕切がかなり高いんです。
それに、店員さんは凄く忙しそうに働いているので
ホールに誰もいないことがあり
オーダーしたり、そば湯を頼むタイミングが難しいの。
ピンポーンと押すやつもテーブルにはないし・・・・
周りのお客さんを見ていると、
仕切から顔をにゅーっとだして、
「すみません~!」
と、遠くにいる店員さんに声+視線で訴えていました。

器はどれも重厚で趣があるんだけど、
こんなに重くては、従業員さんは洗うのが大変だろうな~と思っちゃいました。
あと、湯飲みの中が茶渋が目立ちました。
ほうじ茶を出すから茶渋がつきやすいんだろうけど、
飲食店だもの、もう少し気を付けてほしいです、
ちなみに私の湯飲みはひびが入ってました。(笑)

それからおなじみの「トイレチェック」

混んでいる店内の割には
きれいにメンテしてありました。

目を引くのが和風の洗面ボウル。
陶器製の洗面ボウルがカウンターにはめ込まれています。
が、ちび姫が手を洗いながら叫びました。
「ママー、この蛇口、狭すぎて手が洗えない!」
見ると、蛇口がかなり低くなっていて
手を洗うと鉢にぶつかってしまうんです。
これはちょっと設計ミスかも。

それから、L字型になったカウンターに洗面が2つありますが、
手洗いソープが真ん中に1個しか置かれてなくて
手を濡らす→ソープの場所まで移動してワンプッシュ→慌てて洗面に戻り流す
というなんともマヌケな動きをしなければなりません。
洗面のそれぞれにソープがあるといいな。
高いものでもないでしょうから、一個ぐらい追加してほしいです。


細かいところを挙げればきりがありませんが、
こういうところをちょっと直してもらえると、うれしいです。

そばはおいしかったし、また来てみたいな。
居酒屋さんなので、今度は、飲んだ後の〆にそばっていうのもいいね。



Stop Child Abuse!

2009-11-20 12:32:52 | 子供の話題
ロンドン時代にテレビで見た
児童虐待防止啓発のCMです。



Child Abuse Commercial half animated




子供がアニメのキャラクターとして登場するので
最初は幼児向けの番組か何かだと思って見ていたら
だんだんそうではないことが分かり、
結末を見るのが恐ろしかったのを覚えています。


虐待による子供の死を耳にする度に
「周りからの通報はあったが、一歩踏み出せなかった。」
などと、悔いる言葉が聞かれます。

新政府になった今、
法律を改正して、行政として出来る権限をもっと増やしてほしいと思います。


ブログ友のMrs.Bさんも「子供は世界の宝。」と仰っていますが、
本当にその通りです。
子供を守るのは我々大人しかいません。

自分の子供も大事だけど、
他人の子も大事な子なのです。







先日、事務所で仕事をしていると
外で子供の泣き声がしてきました。

何事かと思って外に出ると、
雨の中、小学3年くらいの女の子が
わんわん泣いています。

傍らには大人用の自転車が倒れ
同級生でしょうか、男の子が二人少し離れたところに立っています。

私は女の子に近づいて、
「どうしたの?」
と、聞きました。
女の子はしゃくり上げながら
「わたし・・・・倒してないのに・・・・
○君と□君が、わたしが・・・・自転車・・・・倒したって言うの・・・・。」

倒れている自転車はさび付いていて
放置自転車だと思われました。

きっと通り過ぎる時に、持っている荷物か何かに当たって倒れたのでしょう。

それを元に戻せと、男の子達に責められ、
片手に傘を持っていては、自転車を立てることも出来ず、
パニックになってしまったというわけです。

私は女の子に
「そうかー。重くて大変だったね。
大丈夫。おばちゃんが、立てておいてあげるから。
それに、この自転車はここに捨ててあったものだから心配しなくていいよ。
おばちゃんが、ちゃんと警察に言っておくからね。」

女の子は少し泣きやんで「うん」と頷きました。

それから私は、男の子達の方に向いて
「あなた達も、いじめちゃだめよ。」
と一言言いました。

「いじめてないもん!」

二人は納得がいかないというふうにぶちぶち言いながら帰っていきました。

確かに、彼らからすれば、
別にいじめていたわけではないのでしょうが、
雨の中、重い自転車を一人で戻せ、と言うのは、
どう考えても優しくないでしょう。

知らないおばさんに叱られたことが
あの子達の頭に少しでも残っていてくれれはいいな。
そう思いました。





このCM、
日本では、TVでの放映は、色々制約があって難しいかもしれないけど、
こうやってブログを通して、多くの人に見てほしいと思います。

70年前 祖母の場合

2009-11-19 12:38:54 | 自分のこと・思い出
私の出産の度に、
「パパさんはそばにいたの?」
と、常に心配していた祖母。


「大丈夫、手術の間ちゃんと待ってたし、
一晩付き添いもしてくれたよ。」
そう母が伝えると、
「よかった~よかった~。」
と、安心したそうだ。

ちび姫を見せに行くと、
「tenchan、女の子だって!

儲けもんやったねー。」

と、くしゃくしゃの笑顔で迎えてくれた。

「パパさん、側にいてくれたんだって。
優しくていい旦那さんやねー。」

祖母がこれほど、出産時に夫がいることを望むのは、実は理由があるのだ。



祖母の時代は
陣痛が来たらお産婆さんを呼んでくるという
自宅出産が当たり前だった。

母の記憶によると、
弟(私の叔父)が生まれる時は
子ども達だけ別の部屋に押しやられて、待っていたそうだ。

3姉妹続いたあとの待望の長男誕生。

家中がお祝いムードの中
電話のベルが鳴る。

祖父が小声で話すのを、祖母は聞き逃さなかった。

「今は・・・・ちょっと、まずいでなぁ・・・・・」

出産を終えたばかりの祖母を残し
祖父は女のところへ出かけてしまった。

せめてその日は家にいてほしかった・・・・

祖母が寂しそうに語るのを、私は今でも覚えている。



おじいちゃんへ、

私が赤ちゃんの時に死んじゃったから
全然記憶にないけど・・・・

おじいちゃん、

おばあちゃんは今年、桜の季節にそちらへ逝きました。


孫もひ孫もたくさん生まれて
海外旅行にも行ったし
やりたいこともいっぱいして
幸せな人生だったよ。

おじいちゃんが死んだ時より
もっともっと小さくなって、しわくちゃになっちゃったから、
そちらで会っても分かんないかもしれない。

目もよく見えないし、耳も聞こえないし、足も弱ってるから、
ちゃんと案内してあげて下さい。
「あんたなんか知らん。」
って言われたら、そりゃ仕方がないけどね。





計画分娩

2009-11-18 12:01:43 | 自分のこと・思い出
ちび姫を授かった時は
先生に初診ではっきりと言われた。

「今度は帝王切開でお願いします。」


もちろんそのつもりだった。

手術は月曜日の朝に決定。
緊急で夜に行う手術と違い、
スタッフの負担も軽いに違いない。
計画分娩の利点である。

前日の夕方から入院。
夕食はなし。
術後の食事まで、なーんにも食べられないのだなぁ。
と思うと、余計に空腹を感じる。

手術の朝、看護婦さんが準備の為に入ってきた。

が、入るなり、驚かれてしまった。

「えっ?tenchanさん一人?
ご家族は?ご家族は誰も来ていないの?」

なんて薄情な家族!と思われたかもしれない。

でも、帝王切開は3回目なので、私はもうすっかりベテランさんだ。

どんな流れなのか大体分かっているので大丈夫。
手術前は来なくてもいいよ。
赤ちゃんが生まれるのは1時間ぐらい後って言うから、
そのくらいの時間に来てね。
そう家人に言いいおいてきたので、誰も来なかったのだ。

また、夫と義母には小学校に通う長男次男の世話を頼んでいたので
忙しい時間帯に呼びつけるのは気の毒だという思いもあった。

陣痛もない穏やかな出産。

私は手術が始まっても
先生や看護婦さん達とおしゃべりしていた。
一回目の時はお腹を押されて痛かったとか、
二回目は子宮口が8cm開いたところで切替になったとか、べらべらと。
慣れたものだ・・・・・


そして赤ちゃんが取り出された。

「おめでとうございます。

元気な女の子ですよ。」

看護婦さんが赤ちゃんを顔の近くに連れてきて見せてくれた。

コンタクトレンズを外しているので
あまりよく見えなかったが、
二人のお兄ちゃんの時と同じ顔をした赤ちゃんだった。

そうか、女の子か・・・・女の子が私のところに来てくれたんだね。

下で待ってる家人は
女の子と分かったら大騒ぎするだろうな・・・・
手術台の上で私は、漠然とそんなことを考えていた。




前二回の時は、
途中から吐き気が襲ってきた。
陣痛が激しくなる前に軽く食事を取ったからかな、
と、思っていたが、
今回、絶食したのにもかかわらず、気持ち悪くなってきた。

赤ちゃんの顔を見て安心した私は、
「先生、前と同じように、薬で眠らせて下さい。」
と、申し出た。
慣れたものだ・・・・


目が覚めると、夫が病室にいた。

「みんなは?」
私が聞くと、
「新生児室」
夫は答えた。

「おふくろがさ、着くなり、
『どっちやった?どっちやった?』って聞いてきて
『女の子だったよ。』って言ったら、
新生児室に直行したよ。」

「お義母さんらしいね。」

私がそう言うと、夫もフフっと笑った。


tenchan家に幸せを運ぶ、ちび姫の誕生だった。





前二回の帝王切開と大きく違ったのは、
術後の痛みが軽減されたことだった。

腰椎麻酔の他に硬膜外麻酔を用いたことにより、
痛みをあまり感じなかった。

翌日すぐに起きあがっていたし、
2日目にはもう歩いてトイレにも行けた。

帝王切開では術後、子宮を収縮させる薬を点滴に混ぜるが
これは3回とも半端なく痛かった。
ベッドの手すりにしがみついて耐えていた。
最初の時は痛み止めを打つのは身体によくないのかしら?
と、勝手に想像していたので我慢していたが、
我慢する必要なはいと聞いて、
3回目は、子宮収縮剤を注入すると同時に
「痛み止めもお願いします」
と頼んでおいた。
慣れたものだ・・・・・。





後で実家の母から聞いた話。

赤ちゃんが先に出てきて
みんなが大騒ぎしている頃、
夫は一人廊下のベンチで座っていたそうだ。

母が声を掛けると
「上二人の時より遅いですね~。」
と、文庫本を読みながら、
私が手術室から戻るのを待っていたそうだ。



次男の出産 またしても

2009-11-17 12:23:58 | 自分のこと・思い出
次男を授かった時、産婦人科の先生に
「一度目が帝王切開だった場合、次も帝王切開にすることが多いですが、
人によっては自然分娩出来る人もあります。
どうしますか?」
と、聞かれた。

少し怖い気もしたが、チャレンジして普通分娩で生むことに決めた。

長男の時と同様、臨月までは順調な経過。

38週になり陣痛が来て、5分間隔になって入院した。

長男の時は子宮口がいつまでも開かず、
陣痛の間隔もあまり短くならないうちに帝王切開に切り替えた為、
まだ極限状態にはなっていなかった。

帝王切開に切り替わって
陣痛の痛みを和らげる薬を打ってもらったので
手術の準備をする間、看護婦さん達と軽く談笑するくらいの余裕があったのを覚えている。


次男の時は、割と順調に子宮口が開いていった。

陣痛は1分間隔になってきた。

気が遠くなるような痛みの波が来たと思ったら
一瞬すーっと引く。
そしてまたすぐに来る痛み。

「ヒッヒッフー」
なんて母親教室で習った呼吸法など、
何処かへぶっ飛んでしまった。

そんな悠長なことやってられますか、この痛いのに。

「ヒッヒッフー」が
「ヒーヒーフーフー」とか「ヒーフー」など
もう滅茶苦茶になってしまった。

背中が割れるように痛い。

側にいる夫に
腰をグーンと押してもらうように頼む。

陣痛の波が来ると
彼の腕を、アザがつくくらい、もの凄い力で掴んでいたそうだ。

子宮口は8cmまで開いていた。

もうちょっと頑張れば赤ちゃんと会える。

そう思って必死に耐えていた。

ところが・・・・・


医師と助産婦の出入りが急に激しくなる。

そして医師からこう告げられた。

回旋異常です。
赤ちゃんが産道をうまく通れません。
危険ですので帝王切開に切り替えます。」



緊張の糸が切れるというのはこういうことなのだろう。

赤ちゃんを生む為に、と頑張っていた私の気持ちの高まりは
一気に突き落とされてしまった。

それなら早く!早く、この痛みを薬で止めて~!

痛みから逃れたいという一心で、私は絶叫した。

今まで大人しく頑張っていた模範的妊婦は
泣き叫ぶただのダメダメちゃんに成り下がってしまったのだ。

出産後に看護婦さん達から口々に言われた。
「それにしても、tenchanさんの変わりぶりは凄かったわねー。(笑)」
イヤ全くお恥ずかしい・・・・

私が苦しむ姿を見て
何も出来なくて側でオロオロしていた夫。
付き合い始めてからずーと守ってきた禁煙を
この夜、初めて破ったそうだ。


Viaggioでランチ

2009-11-16 12:37:02 | お店レポート
義父母も出かけ、夫もゴルフの日曜日、
子ども達と私だけのお昼ご飯になりました。

11時近くになると
腹ぺこブラザーズがそわそわして私のところにやってきます。

「ねえねえ、今日のお昼は、何処・・・じゃなくて何食べるの?」

ふふふ、「何」じゃなくて「何処」と聞いてくるところが可愛いわね。

君たち、ランチに出かけることを期待してるのね?

「まだ決めてないけど、何が食べたいの?」

「何でもいいけど・・・・
イタリアンがいいかな。」

そうね、君たちとだったら、イタリアンでもいいかもね。

ということで出かけた先は

Viaggioさん。


長男がまだ小さい頃に偶然見つけて入ったお店で
とてもおいしかった事を覚えています。

その後、子供連れで食事をするのは
周りに迷惑をかけかけるかも、と遠慮して
ずーっと行ってなかったのですが
久しぶりに寄ってみました。

ランチは
パスタランチとピザランチに分かれています。
(サラダ、パン、ドルチェ、ドリンク付き)
「本日のパスタ、ピザ」のなかから選びます。

スープや前菜などがつくと、ちょっと値段が上がります。
お二人様ランチ、というのもあります。


4人ともパスタランチを選択。


ちび姫と私はトマトソース系「キノコと挽肉のラグー」

長男はオイル系「白菜、松の実入りペペロンチーノ」

次男はクリームソース系「エビとトマトのクリームソース」

↑メニューの名前、正確に覚えてないので、違うかもしれない・・・・

大食いの長男は単品でピザ・マルガリータを注文。
縁が軽く焦げた生地が薄いタイプ。
厨房の石窯で焼いているのが見えます。


みんなでお皿を突っつき合って食べました。

どれもおいしかった~。

味にうるさい次男が「おいしい~おいしい~」を連発。

長男は
「俺、クリームソースのパスタって
あまりいい思い出がないんだけど、
ここのはウマイ!」
と、絶賛。
彼、文化祭などの打ち上げで「サイゼリア」によく行くので
「比べてみて、どう?」
と、わざと聞いてみたら
「そんなん、比べる方がおかしいだろう。
俺があそこで食べるのは、フライドポテトだけだ。」
と申しておりました。

ドルチェは、パンナコッタ&カラメルソース、ルビーグレープフルーツ付き。

濃厚なクリームとほろ苦いキャラメルソースの味を楽しみました。

4人だけのランチタイム。

来年兄ちゃんが大学に行っちゃったら、このメンバーで来ることは
あまり無いかもしれないけど、
機会があったらまた来ようね。