肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

久しぶりの風邪

2010-03-30 21:42:42 | Weblog
携帯からの投稿です。

3年ぶりくらいにひどい風邪を引きました~。

鼻水かんでばっかりで、鼻の下真っ赤なの~。
でも仕事休めないんだな…。
鼻が詰まったフランス人みたいな声で電話応対してます。

ということで、記事の更新もままならず…。
コメントもたくさんいただいていますが、またゆっくりとさせていただきます。

花嫁修行?中

2010-03-24 12:44:29 | 子供の話題
4月から一人暮らしを始める長男。

学生寮ではなく、普通のアパート。
いわゆる「1K」という、
ワンルームの中に風呂もトイレもキッチンもぜーんぶついてるが
恐ろしく狭い物件に住むことになった。

家では、作ってもらった料理を食べ、
掃除も洗濯もなーんにもしたことのない人間である。

どうせ学食で昼も夜も食べるんだろうと思っていたら
「自炊する。」
と言うのだ。

しかも
「料理の練習しなくちゃな。お母さん教えて。」
そう自分から頼んできたのである。

そこで、合格が決まった翌日から
花嫁修業(?)が始まった。

朝、まだ薄暗い中、
いつもだったら4回も5回も起こさないと起きないのに
一発で布団から出る。

おぉ~!意気込みが違うね。


まずは朝食の基本、味噌汁から。

鍋に湯を沸かし、煮干しの粉を入れ
慣れぬ手つきで材料を刻んで投入。
味噌を溶いて出来上がり。

次は卵焼き。

途中まではよかったが、
卵液を流し込んでくるっと巻き上げるところで苦戦。

どれどれ・・・・しかたがないなぁ・・・。

交代して私がくるっとひっくり返すと、

「プロい!」
驚きの声。

夜は夜で、
ゲームもテレビもスパッと止めて
キッチンに入ってくるんだから偉いもんだ。

ただ、包丁の扱いなどは、見ていられないほど危なっかしい。
手を出したいのをグッと我慢して見守る。

「俺、なんか筋がよくねぇ?」

自画自賛しながら切っていると、

「!」

動きが止まり、指を押さえている。

「痛てぇ!油断した。指切った。」

料理のやり始めにはこういうことも付きものなのだよ。


さて、短い期間で多くのことを教えるのは無理がある。
「これから作ることになるであろう」メニューを厳選して
一つ一つ教えていく。


ある日、ハヤシライスを作ってみたいの言うので
一緒に材料を買って作ることにした。

ブラウンルーを作って、赤ワインも入れて、
市販のドミグラスソースをちょっと足すのが我が家流。

長男は言われた通りに具材を切って、
下ごしらえをしたあと、順番に炒め煮込んでいく。

仕上げの段階になった。

自分で考えた調味料をいろいろ入れて、味見をしていた長男だが、
今一つ納得がいかない様子だ。

そこで私が、いつものようにパパッと、
スパイス類その他の調味料を足してみた。

一口味見した長男。

「あ~ウマいっ!これがお母さんの味や。」

満足した表情を見せた。


そうか、「お母さんの味」か。

君の舌にちゃんと伝わっていたんだね。


「ご飯出来たって呼んでくるわ。」

と、みんなに知らせに行った長男。

その後ろ姿を見ながら
もうじきこの子は、遠く離れたところで一人で生活するんだなぁ・・・・
と思い、鼻の奥がツンとしてくるのだった。


長男の同窓会

2010-03-23 14:53:47 | 子供の話題
個人情報保護のため、卒アルなどに名簿を載せないことが当たり前になった。

卒業した友人との連絡は、もっばら携帯メールで行っている長男。

先日も、中学の同窓会の連絡が入ってきた。

「○○っていう店に○時集合だって。」

4月から地元を離れて生活する長男にとって
幼い時からの友達とこうやって騒ぐのも少しの間お預けになる。

「みんなの情報も知りたいし、行ってくるわ。」

そう言うと、愛用の自転車に乗って出かけていった。

一次会でご飯を食べて、カラオケにでも行って
そこそこの時間には帰ってくるだろう・・・・・
そう思っていたが、
時計を見ると、早11時。

これはちょっといつもより遅くない?


都会では夜11時なんて大したことないのかもしれないが、
ここは岐阜市。
私の個人的意見では、遅くとも10時には帰宅しているのが望ましい。

なのに11時。

久しぶりに会っておしゃべりしていると
つい時間を忘れてしまうのは分かるが、
一応、小言メールを入れる。

しばらくして返事が来た。

「ちょっと待っとって。」


「待っとって」、と返されても引き下がるわけにはいかない。
それにもうじき、心配した義父母が
はまだ帰らんのか?」
と寝床から出てくるに違いないから。

ここはなんとしても居所を確認せねば。

「今どこ?」

速攻で返事が来た。

「○○○(←ファミレス)」


カラオケではなくて、ファミレスでおしゃべりしているようだった。


4月になれば、みんな進路もバラバラになるだろうし、
今夜は大目に見るか・・・・。

もしもの場合を想定して、
それまでビールを飲まずに待っていたが
ま、どこにいるかも分かったし、飲むとしよう。
テレビを見ながらプルトップを開けグビっと飲む。

案の定、心配した義母が襖を開けて
ちゃん、まだ帰っとらんの?」
と聞いてきた。

今、二次会でファミレスにいて、もうじき帰ってくると連絡ありました。
と、報告しておく。

日付が明日に変わる少し前、
表で自転車の音がしたと思ったら
長男がようやく帰ってきた。

ちょっと~遅すぎ!

「わりぃ、わりぃ。でも、一応12時前には帰ってきたやろ。」

こんな時間まで何やってたの?

「しゃべっとった。(しゃべっていた)」

帰った子もいたでしょ。

「うん、でも最後30人ぐらいは残っとったよ。」

男子だけ?

「ううん、女子もおったよ。」

まあ・・・・
それにししても遅かったわね・・・・って、何、この臭い?

「ああ、これ?
もう最悪なんだよ~~~。
たばこ吸うやつがいてさぁ、もう臭くてたまらんかった。
煙吸って死ぬかと思った。」

え~っ!

それ誰よ。

「目の前に座った女子。
それも、一本だけじゃなくて、
ずーーーっと吸いやがって。
もう、やめてくれって感じやし!
こっちに向かって煙吐くなよって言いたかった。」

え~~~っ!

女の子・・・・。

名前は?

「わからん。」

なんで?同級生でしょ。


「知らん。
今日は、女子の変貌ぶりに愕然とした。
みんな髪の毛染めて、化粧してまつげが長くなって
一体誰が誰だか判別できんかった!
だからもう、男同士で固まって話しとった。

そんじゃ、髪の毛に臭いついたから、風呂入ってくるわ~。」

そう言うと、ダッシュで風呂場に向かっていった。



18歳で既にヘビスモですか~。
こうなるには高校時代から吸っていたってことだろうが・・・・・


親は知らなかったのだろうか?



喫煙は法律で認められた大人の嗜みとして否定はしない。
が、こうして未成年が吸う場面に遭遇すると、
なんだかやりきれない思いになる。


TASPOを導入しても、未成年が煙草を買うのは止められない。
店頭で買う時も身分証明書の提示を必要にしなくては。





出会いに感謝(高校編)

2010-03-15 13:03:45 | 子供の話題
見事←先生のお情けで
志望高校に合格させてもらった長男だが、
それからの道のりは容易ではなかった。

古典単語を語呂合わせで覚える荒技の記事でもご存じだと思うが
関連記事 ゴロゴ13
とにかく、国語はひどかった。


それなら得意の理数科目はどうだったかといえば、
こちらも最初からよかったわけではない。
目に見えるように偏差値が上がっていったのは
2年の後半から3年の前半にかけてだった。


本人の努力もあった。
でも、高校3年の間に、
様々な人との「出会い」があったからこそ
合格という結果に繋がったのだと思っている。


今回はお世話になった方々への感謝の気持ちを込めて、
長男の「出会い」の数々を語ってみたい。



高校最初の数学の授業で
N先生にいきなり当てられた長男

先生は、よそ見している長男を教壇から見つけ、
「コイツ、話聞いてないな~。
よし、ちょっとカツ入れてやるかぁ~。」
と、多分お灸を据えるつもりで当てたのだと思う。

「この問題、解いてみろ。」

黒板に書かれた問題をやらされる。

ところが、先生の思惑に反してというかなんというか
スラスラっと完答してしまった。

「おお、お前、なかなかやるな。
解き方がいいぞ。
名前は?・・・・か。
よし、決まった。
、お前は来年理系を選択しろ。
俺のクラスに来い。」

こうして数学の初日の授業で、
彼の理系行きが決定したのである。
(先生に言われてすぐその気になった長男も、
実に単純ではあるが・・・・・)



1年生の時の担任は現代社会担当のM先生。
懇談の時には
「とにかく、家での学習時間が少なすぎます。」
と、いつも叱られていた。

目の前に置かれたデータを見ると、
「平日30分、休日1時間」
となっている。
ただしこれは、あくまでも「自己申告」だ。
彼の様子を見ている限り、
「平日0時間、休日30分」であることは間違いなかった。

指摘されても顔色一つ変えぬ長男に先生は
「君は、君は、一体どういうつもりなんだ!
これでいいと思っているのか!」
と、真剣な顔で怒り始めた。

先生はさらに続けた。
「僕は、できない子にはいわない。
君には能力があると思うから、こうやって言ってるんだよ。
君の力だったら、○大も、□大も、ひょっとして△大も狙える。
だから、もうすこし自分の学習を見つめ直してみないか。」

先生からそんな風に言われて、とてもありがたく感じた。
これでちょっとは勉強するようになるかもしれない・・・・。

だが、その期待はあっさり裏切られた。


毎日部活で遅く帰ってきて、
ご飯食べてテレビ見てお風呂入って寝るだけの生活だった。



2年の担任K先生は、数学担当。
スキンヘッドに近い五分刈りで、色つきの眼鏡をかけ、
口ひげを蓄えていた。
その風貌から「組長」というあだ名がついていた。

組長は柔道部の顧問でもあった。
放課後、長男が部活の練習をしていると
柔道着を着た組長がのっしのっしと歩いてくる。

、お前、先週末の課題がまだ出とらんぞ。
いつ出すんや?」

胴着姿の組長に震え上がる長男。

「はい、すみません。明日ちゃんと出します。」

そこまで言われても、家ではやらない。
じゃあ、いったい彼はいつ宿題をやっているのだろう?

それは、組長との懇談の席で明らかになった。

「先生、この子、家で全く勉強しないんですけど、
宿題とか、ちゃんとやってますでしょうか?」
私は恐る恐る聞いてみた。

「まあ~期日にきっかりと出すってことはないですけど・・・・
一応・・・・・一週遅れくらいで出してます。なあ。」

「はい・・・・。遅くなるけど・・・・・出してます。」
ボソボソっと答える長男。

「そうですか・・・・・。
でも、家で勉強しているところを見たことないんですけど・・・・・・
じゃあ、一体どこでやっているんでしょう?」

組長と私の視線が長男に向けられる。

「・・・・・休み時間とか、保健の時間とか・・・・・、」
小さな声で答える長男。

「笑わせてくれるな・・・・・」
呆れて物も言えんという表情の組長。

こんなに恥ずかしい思いをした懇談会もなかった。



物理のY先生は、2年から長男のことを指導して下さっていて、
彼のことを非常に気に入ってくれていた。

ある日、物理講義室で自習している長男のところへ、先生はふらっと立ち寄った。
「おぉ~、、ここにおったんか。お前を探しとったんや。」
「先生、僕、いつも放課後はここにいます。何でしたか?」
「うん、テキストのあの問題、もう解いたか?」
「いえ、まだですけど。」
「そうかー、いやな、お前いつも面白い解き方するから、
この問題どうやって解くかなーとちょっと参考にしようと思って。」


そして、以前にも記事にした3年の担任O先生。こちらこちら
この一年間、本当にお世話になった。


君は、まだ荒削りですけど、
非常に高い能力をもっています。
ぽかミスさえなければ、本番も大丈夫だと思います。」

そう太鼓判を押して下さった。


こうやって多くの先生達に
君の能力を引き出してもらったのだなぁ。
この高校を選んで本当によかったね。
そう長男に言うと、
「うん、僕もそう思う。
多分、他の高校だったら、こんなに俺のことを気にかけてくれんかったと思う。」
と、心から感謝しているようだった。





帰国子女枠受験

2010-03-11 12:26:23 | 受験ネタ
今日は岐阜県公立高校の一般受験が行われている。

3年前、うちの長男も特色化選抜で結果が出ず、
2度目のチャンスにトライしたのだが・・・・・
実は、「一般受験」ではなく「帰国子女枠受験」をさせてもらったのだった。

岐阜県の公立高校では
定員とは別に「帰国子女枠」というのを「若干名」設けている。

受験する資格があるのは
「海外で2年以上生活し、帰国後2年以内の者」

長男はロンドンで4年過ごし、帰国して1年が経っていた。
まさにこの条件に当てはまる。

受験科目は
「国語」、「数学」、「英語」
それに
「小論文」と「面接」が行われる。

現地校に通っていた長男は
日本の科目を殆ど勉強していなかったので、
理科と社会がないのは非常に助かる。

ただ、こういう受験方法があることは、ギリギリまで本人に伏せていた。

何故なら、帰国枠があることを話すと、
ああいう性格なので、理科社会を勉強しなくなってしまうからだ。

1月に入ってからの懇談、
私は本人のいない席で、担任の先生に
「帰国枠を積極的に使いたい。」と、打ち明けた。

先生は
「僕が受け持った生徒で帰国枠を使う子は初めてですが、
教育委員会に聞いて準備します。」
と言って下さった。

「ただ、特色化選抜が終わるまでは、
本人には一般受験をするのだと言っておきましょう。」

先生はそう約束してくれた。


帰国枠受験を申請するためには
現地校での成績証明や在学証明書などの書類が必要になる。
実は帰国する時に、こういうこともあるかもしれないと
書類を揃えておいたのだ。



特色化が終わったとき、私は長男を呼び、
帰国枠で受験することを初めて告げた。
「受験科目は、英数国、それに小論文と面接」

それを聞くと、長男は
「やったー!俺、超ラッキーじゃねぇ?」
もう、理社をやらんでいいんだよね。?」
と、有頂天。

「・・・・・でも、帰国枠使うって、なんで最初から言ってくれんかったの?」

「そんなことをしたら、君が理社を全く勉強しなくなるのは目に見えているでしょ。
勉強してないと、高校に入ってから困るのよ。
それに、3科目だけだっていっても
小論と面接があるからね。
担任のM先生が特訓するそうです。」

「えー!マジかよ~!」

次の日からM先生の特訓が始まった。

先生は長男にテーマをいくつか与えて文章を書かせ、
誤字脱字を直し、書けない漢字を書かせ、
文法的におかしいところを添削してくださった。

面接の練習もして下さった。


そして本番の日。

長男の受験番号は2001番。
帰国枠で受けるのは一人だけだった。

みんなと離れた教室に用意された机とイス。
試験官の先生が一人同席する中、問題を解く。

休み時間に、同じ中学の子と廊下で談笑することはできたが、
他の生徒達から
「ねぇ、あそこで一人だけ受けてる子、誰?」
みたいな視線を感じたそうだ。

午後は小論文と面接。

小論文では、
なんと、M先生が与えて下さったテーマの一つが
そのままではないが、殆ど同じ意味のものが出題されていたそうだ!

「これだったら俺にも書ける!」

リラックスして書くことができたそうだ。

面接でも、先生と練習した時の質問が似通っていて
落ち着いて答えることができたそうだ。

ただ、一人の面接官が
「我が校の運動部で、一番活躍しているのは何部か知っていますか?」
と聞いてきて、
これには長男、
「すみません、分かりません。」
と、正直に言うしかなかったそうだ。

そして合格発表の日、
一般受験の発表掲示板からちょっと離れたところに、

帰国生徒等に係る入学者選抜
2001番

長男の番号が張り出されていた。


合格できてホッとしたが、
あとで、当日の点数を聞きにいって愕然とした。


国語が悪いのは仕方がないと思っていたが、
得意の英数でも点数は伸びていなかったからだ。

これで一般受験だったら、確実に落ちていただろう。
滑り込ませてもらって本当に感謝している。

当時、長男の合格を決めて下さった先生方、
3年後に大学受験で学校に貢献したということで
借りをお返ししたと見なしていただけないだろうか・・・・(汗)




春到来

2010-03-10 12:45:19 | 子供の話題
昨日は次男の中学の卒業式。

先日行われた長男の高校のあっさりした雰囲気とは違い、
地元ならではの心温まる式だった。

一学年の生徒が少ないということもあり、
卒業証書は一人一人壇上に上がって授与される。

そこで目にした粋な計らい!

普通、証書の授与が行われる時は、
壇上での生徒の背中が小さく見えるだけだ。

ところが今回は、
受け取る時の子ども達の表情がよく分かるようにカメラがセットされ、
上部の壁にプロジェクターで映し出されたのだ。

緊張した顔、吹き出しそうな顔、
みんなの表情がよく分る。
とても素晴らしい演出だった。


体育館での授与式が終わるとそのまま教室に移動。


先生や友達へのお礼の言葉を交わしたり、
歌を歌ったりした。

中でも印象的だったのは
桜ノ雨という歌。
absorbというグループが歌っているのだが、
最近「卒業ソング」として全国に広まっているらしい。



absorbのwebはこちら(音が流れるのでご注意!)

リーダーの森さんは多治見市の出身だそうだ。


一本締めの後、解散になったが、
あちらこちらで写真撮影の輪ができて
最後のお別れをみんななごり惜しんでいた。


中学を卒業すると、それぞれ進路がバラバラになる。
生徒だけでなく、お世話になったお母さん方にもこれでお会いすることがなくなるのだ。
そういう方達に、短くではあるがお別れの挨拶をしてから帰ることにした。

ちび姫が中学に入る頃には
今在籍中の先生方も、殆どいなくなってしまうだろうな、
と、ちょっと寂しい気がしながら、
校舎をあとにした。


この日は、もう一つ重要なことが待っている。

長男の第一志望国立大の合格発表だ。

卒業式の後、仕事の予定だった私は
お昼ご飯もそこそこに事務所に飛び込んだ。

発表は1時。

一刻一刻と時が過ぎていく。

いつものようにパソコンを開け、発表を見ようと待ちかまえていた。

すると、12時50分に長男からメールが!


「合格しとったよ!」


ええっ?発表1時じゃなかったの?





卒業後も学校の自習室に通っていた長男は、
発表当日も、
「ま、家にいてもやることないから学校行くわ。」
と、土砂降りの雨にもかかわらず出かけていった。


自習室で問題を解きながら発表の時間を待っていると、
2年の時の担任だった数学のK先生が長男に電話をしてきた。

「おい、、○○大、もう発表になっとるぞ!」


「えー!そうなんですか。こっちのパソコンなかなか繋がらなくて。」

「そうか、じゃぁ、こっち来て見てみろや。」


と担任のO先生はK先生のところへ駆けつけ、
受験番号を確認。

PDFファイルを下のほうにスクロールして見つけた
自分の受験番号。


「おめでとう、合格やないか~!」

周りの先生に「おめでとう!」「おめでとう!」
と祝福されたそうだ。

それにしても、2年の担任が気にしていてくれたなんて、驚き。
君は本当に「愛されキャラ」なのだね。



メールのあと私にかけてきた電話で

「やったー。合格しとってよかった~!」

弾むような声で報告してくれた。



高校受験の時と違って
初めて自分で勝ち取った「合格」だ。
長男のホッとした嬉しそうな声を聞いて
「おめでとう~。本当によく頑張ったね。」
と、涙声で返すのが精一杯だった。





ダブル受験の暗い冬が去り
晴れて兄弟二人とも第一志望に合格。

春到来のtenchan家です。

銭湯の思い出②

2010-03-08 12:41:28 | 自分のこと・思い出
銭湯に通い始めてしばらくすると、
だんだん自分のペースというものができてくる。

出かける時間帯はこの頃、
靴を入れる下駄箱はだいたいこの辺り、
着替えを入れるロッカーはこの位置、
給湯&シャワーはなるべく浴槽に近い場所で、でも3台くらい離れたところに座って、
というように、自分なりの normal routine ができてくるのだ。 

また、銭湯内の「備品」にも目が行くようになる。

茶色い座席シートのマッサージチェア。
100円硬貨を入れると、
首と腰の辺りにある丸い玉がグリングリン回って揉みほぐす。
切替のスイッチを押すと、今度はトントントンと叩きに変わる、あれだ。
あまり肩凝りする方ではなかったので、
この機械にお世話になることはなかったが。

大きな体重計。
下宿には体重計がなかったので、
銭湯で量る体重は、自分の健康管理のための必需品だった。
岐阜を出てきた時は「やや痩せ気味」の範囲だったのに、
喫茶店でアルバイトを始め、ケーキを毎回食べるようになってから
体重は一気に増加。
冬を迎える頃には6Kgオーバーになっていた。

そして
いろんな種類の牛乳が入った冷蔵ケース。
小さい頃、祖母の家に行くと、
時々銭湯に「お楽しみ」として連れて行ってもらうことがあった。
祖母が湯上がりに必ず買ってくれたのが「コーヒー牛乳」。
そのコーヒー牛乳が、一人暮らしの銭湯通いで目の前に出現したのだ。
飲むか?いや、もったいない。でも一本だけなら・・・・・。
2ヶ月くらいの葛藤の後、
私は初めて自分でコーヒー牛乳を買った。
冷たくて甘い、幼い日の思い出の味だった。
その後もたま~に飲みたくなると、
冷蔵ケースから出して番台のおじさんにお金を払って飲むことがあった。

さて、その番台のおじさんは
プロ級の視線を持つ人だった。

おじさんの視線の先は、
番台の正面に取り付けられた小型テレビの画面。
そこから一秒たりとも視線を外さない。
女湯の脱衣場をちら見することは全くないのだ。

私が使うロッカーは、番台から一番遠いところにあったが、
そこからおじさんのほうを見ていても
顔が脱衣場に向くことはなく、
いつも真正面のテレビを観ているのだ。
テレビは大抵「ジャイアンツの野球中継」だった。

おじさんは余分なことは一切しゃべらない。
回数券を一枚番台に置くと、
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ~。」
と、正面を向きながら言う。

帰る時に
「ありがとう。」
と声を掛けると
「ありがとうございました~。おやすみなさい。」
と返事をする。
でも視線はテレビに釘付けのまま。

すごいプロ意識だ。

おじさんが視線を固定してくれるお陰で
私は安心してこの銭湯に通うことができた。

普段は無口なおじさんだったが、
毎日通い顔なじみになった私に
「きょうは遅いね~。」「気を付けて帰ってね。」
などと、ちょっとずつ声を掛けてくれるようになった。

ある日、回数券が残り少なくなったので
「一綴り下さい。」
と、番台で頼んだ。
「ハイ、どうぞ。」
と、渡してくれたおじさん、
「お姉さん、田舎はどこ?」
と聞いてきた。

関東では出身地を聞く時に「田舎はどこ?」
という言い方をする。
これは岐阜ではあまり使わない表現なので、
最初は面食らった。
岐阜で相手の出身地を聞く時は
「どこの出身?」とか「お国はどちら?」
と質問するのが普通だ。
岐阜そのものが田舎だから、「田舎どこ?」
と聞いても通じないのだ。

おじさんに出身地を聞かれた私は
「岐阜です。」
と、答えた。
すると、おじさんは
「そう~。岐阜なの。
おじさん若い頃、岐阜でよく遊んだよ。」
と、懐かしむような表情で教えてくれた。



おじさん、岐阜で遊ぶって・・・・

その言葉はとても深い・・・・・



動物園も遊園地も何もない岐阜で遊ぶっていうのは、それは・・・・・



柳ヶ瀬のスナックで飲んで
せっけんランドに繰り出す
ってことに他ならない。


銭湯のおじさんだけに
シャボン玉ホリデーでお楽しみでしたか!


その後、大学4年の時に弟が上京してきて
二人の大学の中間地点にアパートを借りることになった。
今度はお風呂付き。
私の銭湯通いも3年間で終わりを告げたのだった。









銭湯の思い出①

2010-03-05 12:47:54 | 自分のこと・思い出
もうじき長男が家を出て一人暮らしを始める。
今時の学生さんは、一体どんなところに住むのだろう。
そんなことを考えながら、自分の学生時代に思いを馳せた。





私が住んでいた下宿は
6畳一間、キッチン流し台付き、トイレ共同、家賃2万円の物件だった。

築30年以上は経っていたと思う。
一般家屋を下宿用に改築したもので、
右半分は大家さんが住んでいて、
左側には下宿用の玄関があり、一階に6畳間が一つ、二階には4畳半が2部屋あった。

畳も襖も新しくしてもらって、学生の一人暮らしにはちょうどよかったが、
お風呂がなかった。

できればお風呂付きの部屋にしたかったのだが、
お風呂があると家賃は途端に跳ね上がる。
工面して仕送りしてくれる両親に
これ以上負担をかけるわけにはいかなかった。

親元で毎日内風呂に入っていた私は
いきなり「銭湯生活」をすることになったのだ。

当時入浴料がいくらだったかはっきり覚えていないのだが、
200円よりちょっと高かったと思う。

10枚綴りの回数券を買うと、少しお得になったので
いつもそれを買うことにしていた。

銭湯は下宿から歩いて5分くらいのところにあった。

せっけん、シャンプー&リンス、タオル類を
洗面器の中に入れて歩いていく。

すぐに脱げるようにサンダル履きで。

こうして始まった銭湯通いだったが、
大きな浴槽でゆったり浸かれるのが気持ちよく、
楽しく通ったのを覚えている。



下宿には洗濯機もなかったので
週に何回か、銭湯の隣りにあるコインランドリーを利用していた。

全自動式の洗濯機・・・・
一回の工程は50分程度なので、
お風呂に入っている間にちょうど洗い上がっていることになる。
だから、洗濯物がある時は
先にコインランドリーに寄り、機械をセットしてから銭湯に入っていた。

ある日、いつものようにお風呂を出て
自分が使った洗濯機のところに向かった。

脱水の終わった洗濯物を取り出し
袋に入れて持ち帰り、部屋の中で干した。

ん・・・・?

おかしいわ・・・・何か足りない・・・・・



そうだ!下着がないわ!




えー!うそ。


下着が盗られた!


銭湯に入っている間、
洗い終わった機械の中から
下着だけ抜き取られてしまったのだ。

腹が立ってしょうがない。


しかもその下着は
一人暮らしを始めて、自分でデパートに行って買ったお気に入りの可愛いやつだった。
田舎の用品店で母が買ってくれた履き込みの深い「グンゼのコットンパンツ」
ではなくて
光る素材でレースなんかついてるおへそが見えちゃうやつだ。
(あー、でも、まだ「勝負下着」という意味合いのものではなかった、ということは一応申し上げておこう。)

被害はその後も何度かあった。

たまにストッキングなどを洗う時、
ネットに入れるのだが、
そのネットごとなくなっていることもあった。


友達に話すと
「あー!私も。取られたことがある。」
と、同じような目に遭っている子もいた。


こうなったらもう自衛するしかない。

そう考えた私は、
お風呂に入る前ではなく、出てからセットすることにした。
入浴時間+洗濯時間という
何とも効率の悪い時間の使い方だったが
下着を取られるよりはマシだ。

だが、冬場はさすがに堪えた。
かぐや姫の「神田川」じゃないけれど
♪洗い髪が芯まで冷えて~♪のように湯冷めしてしまう。

そこで私は次なる策を講じた。
大家さんに了承を得ると、
バイトで貯めたお金を持って秋葉原の電気街に向かい
2層式の洗濯機を19,800円で買ったのだった。

初めて下宿に洗濯機が届いた日、
私は嬉しくて嬉しくてすぐに洗濯をした。
着ているものだけじゃなく、シーツなんかも引っぱがして全部洗った。
お日様の光を浴びて乾いた洗濯物は
取り込むと日向の匂いがした。

その洗濯機は、
3年後に東京に出てきた弟に引き継がれ、
弟が卒業する時には、
これまた入れ違いで上京して来た従弟に引き継がれたのだった。

リングの思い出

2010-03-04 12:44:41 | 子供の話題
リングっていっても、指輪の事じゃないです。

あの怖~い映画、「リング」のほう。



ロンドン時代、子ども達に英語を教えてくれた家庭教師のA先生は、
日本の文化にとても精通していていました。
日本映画もよく見ていて、
「リング」も、彼が大好きな映画の一つ。

ある日、レッスンの時に、
「今夜、BBCで『リング』が放送されるから、君たち観てご覧よ。
僕が今まで観た映画の中で、一番怖かったんだ。
でもすごく面白いよ。」
と、息子達に勧めました。

私は既に日本で観ていて、内容を知っていたので
「観ない方がいいと思うよ。」
と、忠告したのですが、
ダメと言われると反対のことをしたくなる年頃の二人です。

「おれたち、怖くないもん、絶対大丈夫だから観る!」
と、言い張りました。

そこまで言うのなら観てごらん。でも知らないよ。

そう言い置き、リビングに二人を残してちび姫を寝かせに行きました。


途中、様子を見にいくと、
ソファーの上で二人は毛布にくるまり、くっつきながら見ています。

ちょうど、松嶋奈々子ちゃんが井戸の中で奮闘しているところでした。

貞子姉さんが水の中からガバーっと出てくるシーンで
一瞬ギョッとしましたが、
「こんなの全然平気だし。」
と、まだ大丈夫な様子でした。

姉さん井戸から引き上げられ、これで呪いも解けた~。
よかったよかった~のシーンになると、

「なーんだ。これで終わりか。大したことないじゃん。」

と、余裕の表情を見せる二人。

ところが、例のシーンに差し掛かると・・・・・







二人とも体が固まりました。





エンドロールが流れると、
ベッドに逃げ込み
そのまま布団を被って震えてました。



おまけ:

数日後、薄暗い中一人だけ朝早く目覚めた長男、
誰もいないリビングに下りてきて、テレビのスイッチを押したところ、
ビデオデッキとの接続がされてなくて、画面が砂の嵐に!

「ギャー!!」

大声で叫びながらベッドに逃げ戻ったのでした。



今でも「リング」の話になると
この話で盛り上がるtenchan家なのです。

あっさり過ぎる卒業式

2010-03-03 12:42:38 | Weblog
昨日の記事は、ちょっとおセンチな自由詩風でしたが、
今日はいつものように呆れてお笑い下さい。






3月1日、岐阜県の公立高校では一斉に卒業式が行われた。

私も長男の学校へ出かけていった。

受付を済ませて席に着く。
在校生がドヤドヤやって来る。
揃ったところで卒業生の入場だ。

親たちは自分の子供が入ってくると
腰をちょっと浮かせ、携帯を高く掲げて撮ろうとするが、
携帯のカメラ機能では、上手く撮れるわけがない。
みんな、残念そうに席に着く。

式が厳かに始まった。

国歌斉唱。
「ピアノの前奏のあと斉唱下さい。」
とのアナウンスがあり、ピアノの伴奏が始まった。

「き~み~が~~よ~~は~」
とワンフレーズ歌ったところで、ハッと気がついた。

周りのお母さん達は歌ってない!

両隣も前も後ろも、
だーれも歌っていないのだ。

ここで大声を上げて歌うと
ちょっとハズい・・・・・(汗)

だが、歌わないのも自分のポリシーに反するので
声量を限りなく小さく絞って
ミュートギリギリ、ジャニーズの口パクのごとく
形だけ歌うことにした。

卒業証書の授与は、何ともあっけなかった。
担任が出席番号順に名前を呼び
生徒は返事をしてその場に立つ。
3年生全員の名前が呼ばれたあと、
代表者一人だけが壇上に上って証書を受け取るのだ。

校長先生、PTA会長の話のあとに、送辞、答辞。

仰げば尊し、蛍の光の合唱は、
前日に練習しただけなので歌い慣れてない。
声が消え入るようにに小さい。
最後の校歌だけは、さすがにちょっと大きかったが。

どうも、高校になると
卒業式というのはあっさりしてあまり感動もないものらしい。
感激屋の女子でさえ、目を真っ赤にして泣いている子は
一人もいなかった。

それもそうだ。
国公立の合格発表は一週間以上先の話。
自分たちの行き先も決まっていないのに
卒業して友と別れるからといって、涙に暮れてはいられないのだから。

式終了後、保護者は三々五々解散してお終いだった。
生徒達は仲間内で「打ち上げ会」をやることになっているので
親の出る幕はないのである。

でも、せっかく来たのだから、
最後くらい長男とそのクラスメートの姿を写真に収めたくて
教室まで行ってみた。

クラスでは最後のホームルームの最中。
卒業証書が一人一人に手渡しされ
先生からの餞の言葉が贈られた。

教室から出てきた長男に
「ワンショット撮らせて。」
と頼んだら、
「いい。」
と、それだけ言って、
去っていってしまった。
一緒にいた友達が
「おい、いいのかよ。撮ってもいいぜ。」
と勧めてくれてるのにもかかわらず。

こうして長男は、卒業後の打ち上げ会に行ってしまったのだった。





高校を卒業した長男だが、
まだ国立の後期日程が残っているので
実はその翌日から、自習室で勉強するために登校している。

「家にいても勉強できん。」

のだそうだ。

「なんかさー、後期日程とか、要らないし。
もう、前期終わった時点で
モチベーションが下がりっぱなしで、やる気にならん。」

とも言っていた。

周りの友達も、全然やる気が出ないと言っているそうだ。

一体、何のための誰のための、「前期日程」「後期日程」なのだろう。

親の立場からすると、
前期で合格した場合に、後期の受験料は返金されないのが大変痛い!

高校入試も、大学入試も
システムを単純にしたほうが、絶対にいいと思うのだが。