理工学部で学んだ父は
大学時代にどのような勉強をしたかを
家族に話すことは今まであまりなかった。
だが、先日実家に行った時のことだ。
孫たちが来るといつもよりお酒が進むらしく、
ほろ酔い気分に。
口も滑らかになった頃、
こんなことを話し始めた。
父が大学に入った1950年代、
政府は原子力の平和利用に乗り出した。こちら
父が通う大学でも
「原子力発電」についての講義が開かれたのだそうだ。
大講義室には500人もの学生が詰めかけ
講師の話を熱心に聞いていた。
だが、講義を何度か聞くうちに、
学生達の間にどんどん疑問がわき起こってきた。
原子力による発電は安全と言われるが、
本当は危険なのではないか。
燃料棒を常に冷やさねばならないのに、
電源が途絶えた場合はどうするのだ。
講義を聴く学生が一人、また一人減っていく。
父とその友人達も悩んだ。
教授に勧められて出席はしたものの、
これはエライことだ。
原子力の開発は危ないぞ、という結論に達し、
講義に出るのを途中で止めてしまった。
その後も聴講する人は減り続けた。
最終的に残ったのは十数人、
その殆どが原子力関連の企業に就職したという。
講義が終わった後、
「脱落」した生徒達に、ゼミの教授がこんなことを言ったそうだ。
「今だから話すけれど、
正直なところ、
君たちが講義を聞くのを止めてくれて
僕は本当に嬉しい。
講義を勧めた立場から、あからさまに「止めろ」とは言えない。
でも、このまま原子力の開発に君たちを送ることになれば
親御さんに申し訳ないと思っていた。
なぜあんな危険な職場に子供を送ったのかと責められるだろうから。
だから、止めてくれて本当に嬉しいのだ。」
今から60年前、
日本が高度成長期を迎える頃、
大学では原子力促進の講義が行われていた、という父の証言。
埋もれさせてしまうのは惜しいので、
このような形で残すことにした。
ただ、父からの伝え聞きなので、
細かいところは違っているかもしれないが、
そのあたりはご理解頂きたい。
大学時代にどのような勉強をしたかを
家族に話すことは今まであまりなかった。
だが、先日実家に行った時のことだ。
孫たちが来るといつもよりお酒が進むらしく、
ほろ酔い気分に。
口も滑らかになった頃、
こんなことを話し始めた。
父が大学に入った1950年代、
政府は原子力の平和利用に乗り出した。こちら
父が通う大学でも
「原子力発電」についての講義が開かれたのだそうだ。
大講義室には500人もの学生が詰めかけ
講師の話を熱心に聞いていた。
だが、講義を何度か聞くうちに、
学生達の間にどんどん疑問がわき起こってきた。
原子力による発電は安全と言われるが、
本当は危険なのではないか。
燃料棒を常に冷やさねばならないのに、
電源が途絶えた場合はどうするのだ。
講義を聴く学生が一人、また一人減っていく。
父とその友人達も悩んだ。
教授に勧められて出席はしたものの、
これはエライことだ。
原子力の開発は危ないぞ、という結論に達し、
講義に出るのを途中で止めてしまった。
その後も聴講する人は減り続けた。
最終的に残ったのは十数人、
その殆どが原子力関連の企業に就職したという。
講義が終わった後、
「脱落」した生徒達に、ゼミの教授がこんなことを言ったそうだ。
「今だから話すけれど、
正直なところ、
君たちが講義を聞くのを止めてくれて
僕は本当に嬉しい。
講義を勧めた立場から、あからさまに「止めろ」とは言えない。
でも、このまま原子力の開発に君たちを送ることになれば
親御さんに申し訳ないと思っていた。
なぜあんな危険な職場に子供を送ったのかと責められるだろうから。
だから、止めてくれて本当に嬉しいのだ。」
今から60年前、
日本が高度成長期を迎える頃、
大学では原子力促進の講義が行われていた、という父の証言。
埋もれさせてしまうのは惜しいので、
このような形で残すことにした。
ただ、父からの伝え聞きなので、
細かいところは違っているかもしれないが、
そのあたりはご理解頂きたい。