浅尾弥子のノンジャンル道

 
 富山県小矢部市のシンボルキャラクター・メルギューくんの
 お姿をお借りして、日々更新。

背番号のないエース(砂川啓介・編)

2017-07-19 15:55:36 | 背番号のないエース
ある人にとっては「たいそうのおにいさん」、
ある人にとっては「大山のぶ代さんの夫」でしょう。

ミツコにとって、
砂川啓介さんは「演出家」です。



いまからもう、何十年も前のこと。

砂川先生が、
「劇団新児童」のために演出した作品「杜子春」の
ダンスパートに出演させていただきました。

劇団新児童は、老舗の児童劇団。
子どもや青少年向けの芝居を、
全国各地の小学校、中学校、公共ホールで
上演しています。



たまたま、ご縁があり、
ミツコも、ダンス仲間と3人組で、
行脚に加わらせていただいたのでした。

弘前、黒石、敦賀、笠間、水戸・・・。

当時は、ミツコも学校に通っていたため、
先生方の理解を得ながらの活動でした。



朝9:00の小屋入りを目指し、
マイクロバス、もしくは列車で出発。
到着するやいなや、仕込み。

午前、上演。

昼食は、出前のラーメンかチャーハン、または中華丼。
幕の内弁当のときもありました。
スタッフも主役も端役も、み~んな同じメニューです。

午後、上演。

すぐさま、バラシ、搬出。
我々の役割は、背景の幕を畳むこと。
バラされた大道具を、どんどんトラックへ運びます。
詰め方にも順番があり、それをいい加減にすると、
次回の仕込み時にしわ寄せがくるので、
慎重に、かつ迅速に。

舞台の掃き掃除をして、
マイクロバス、もしくは列車で帰路につきます。

泊まりの場合は、一座で宿へ。
夕食は、宿飯(やどめし)か、近隣の食堂です。

長期滞在の際は、休演日もあるため、
数人でボーリングをしたり、
図書館や喫茶店で過ごしたものです。

が、ほとんどは、会場と宿の往復のみ。

それでも。



楽しかったんだなあ。

分け隔てなく、接してくれた劇団員のみなさん。
運転手さん。スタッフさん。

みなさんと、力を合わせて、
数多く舞台に立てたのは、大きな財産です。



砂川先生の演出作品は、とてもエキサイティングでした。

1幕は、洛陽。
2幕は、峨眉山(がびさん)。

砂川先生ご自身が、
モダンダンスをなすっていたこともあり、
そのためか、
踊りに対して、崇高な、尊敬の念がこもっていたように
感じました。

芝居の添え物ではなく、
きちんとしたシーンとして、成立させてくだすっています。

ある程度、自由にやらせていただく場面もあり、
毎回、新鮮味をもってトライすることができました。



いったい、何回、出演させていただいたろうか。

街から街へ。
繰り返される毎日で、
意欲を持続し、取り組むことができたのは、
ひとえに、
すばらしい演出だったからではないかと思います。

「砂川啓介といえば、若いころ、そりゃあ美青年だった」と
とある世代以上のかたに聞かされ、
気取り返ってるのかなあ、とか、
灰皿飛んでくるのかなあ、とか、
不安ばかりで赴いた稽古場。

砂川先生は、
やさしく、あたたかく、私たちを見守りながら、
ご指導してくださいました。



このたびの訃報を受け、
当時の劇団の方々と、しばし、思い出に浸りました。
こうした時間もふくめ、
多くのものを、遺してくだすった砂川先生。
本当に、ありがとうございました。



「VIVA YOU」の旅行カバン。
「杜子春」用に購入しました。
つい先日も、使用したばかり。
今もなお、現役でっす。

これからも、がんばるぞ!
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