今、勤めている介護施設では若年性認知症の女性の方がいます。
人間としては、壊れているのです。
この人をお風呂に入れるのに、本当に苦労をします。
第一、言葉が通じないのです。
服を脱がすにも力づくでないと、物凄い反撃を食らいます。
体を洗うにも、椅子に座ってくれないのです。
挙句の果てには、湯船で便をします。
人間としての認知がないので、便を手でつかんだりします。
この人に当たったら、「やべぇなぁ。」と、思うのです。
しかし、予想は外れて、2度も当たってしまいました。
もう、一人では手に負えず、人を呼ぶこともあります。
今回は、一人で出来たけど、次はない。と、思います。
こんな時、「早く死んでくれ。」と、心で思います。
若年性なので、若いのです。
死ぬには、まだまだ先のようです。
この人が死ぬか、私が根を上げて施設を辞めるかが、勝負になります。
できるなら、私は、施設を去りたい。と、常々思っています。
それだけきつい仕事なんです。
いつ、私も若年性認知症になるかもしれません。
その時は、どんな扱いになるのか、わからないのです。
できるなら、死ぬまで認知症にはなりたくないのです。
こればかりは、運としか言いようがない。
人間としては、壊れているのです。
この人をお風呂に入れるのに、本当に苦労をします。
第一、言葉が通じないのです。
服を脱がすにも力づくでないと、物凄い反撃を食らいます。
体を洗うにも、椅子に座ってくれないのです。
挙句の果てには、湯船で便をします。
人間としての認知がないので、便を手でつかんだりします。
この人に当たったら、「やべぇなぁ。」と、思うのです。
しかし、予想は外れて、2度も当たってしまいました。
もう、一人では手に負えず、人を呼ぶこともあります。
今回は、一人で出来たけど、次はない。と、思います。
こんな時、「早く死んでくれ。」と、心で思います。
若年性なので、若いのです。
死ぬには、まだまだ先のようです。
この人が死ぬか、私が根を上げて施設を辞めるかが、勝負になります。
できるなら、私は、施設を去りたい。と、常々思っています。
それだけきつい仕事なんです。
いつ、私も若年性認知症になるかもしれません。
その時は、どんな扱いになるのか、わからないのです。
できるなら、死ぬまで認知症にはなりたくないのです。
こればかりは、運としか言いようがない。
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