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あみの3ブログ

ラーメン食べ歩きとお城歩き、その他感動したことを写真で綴る雑記帳
更新は不定期です

2020年10月のまとめ

2020-10-31 23:59:59 | まとめとカレンダー
10月に食べたラーメンの杯数、、、7杯
1月からの累計杯数、、、249杯

【月別グラフ】




【訪問店リスト】




【杯数上位店】




【削減目標】
40杯/月 以下、、、〇


【考察】
前月9月比、、、-20杯
昨年同月比、、、-37杯
前年累計比、、、-129杯

◆原因、、、現役を退き、趣味でラーメンを食べる資金難
◆要因、、、コロナ禍、気力・体力の限界

◆杯数上位
3杯、、、、なし
2杯、、、なし
◆初訪、、、自家製麺公園前(愛知県岡崎市)、麺匠かぐや(福井県敦賀市)
◆新店、、、カニラーメンよこあるき(岐阜)


【ご案内】
2020年12月31日をもってラーメン専門記事関係(食べたラーメンの全記録、及びまとめ)の更新を終了します。

既にラーメンブログから写真日記に内容を変更しており、更新も不定期となっております。
今後は心を動かされた事象(旅・食事・風景等)をブログとして書き留めていくつもりです。
もちろんラーメンは食事のひとつとして食べますのでご安心ください(笑)
今後とも拙いブログですがご愛読いただければ幸いです。

※不快に感じた方は直ちに閲覧を中止して下さい。閲覧は自己責任です。
あみの3ブログ管理人・あみの3

00 敦賀城@福井県敦賀市 令和二年(2020)10月25日

2020-10-30 10:04:07 | 城歩き
午前中の「金ヶ崎城跡」登城のあと→こちら
城下町の一杯を「麺匠かぐや」で愉しみ→こちら
いよいよ昼の部「敦賀城跡」散策です。

【敦賀城】
羽柴秀吉の家臣、蜂屋頼隆が三層の天守を持つ敦賀城を築城したが病死したため代わりに大谷吉継が5万石で入城、敦賀城を「水城」として大改修。大谷刑部少輔吉継が関ヶ原で自刃した後は徳川方の結城秀康によって代官が派遣されていたが一国一城令で廃城。その後は小浜藩の役所が置かれ、小浜藩主となった酒井氏によって幕末までの240年余の支配が続いた。

敦賀市民にとってNHK大河ドラマで大谷役をした「片岡愛之助」の人気とも相まって、敦賀に在籍した城主大谷刑部少輔吉継に対する愛着はひとしおです。
また大谷刑部少輔吉継は盟友石田三成が徳川家康打倒を訴えて立ち上がると、再三「三成に勝機なし」と説得。しかし三成の堅い決心を知り、熱意に感じ入ると敗戦を覚悟して西軍に加担した。関ヶ原の戦いでは病気が悪化し、失明してもなお輿に乗って軍勢を指揮し奮戦したが敗北自刃した。これが【義の人】たる所以で、全国に吉継(とりわけ女性)ファンが多い。
写真は2019年『関ヶ原戦国ウォーランド』大谷刑部少輔吉継陣中自刃の場面





地理に不案内で時間を節約するため、昼食の「麺匠かぐや」から近い順路で点在する史跡跡やゆかりの場所を回ったので順不同となっています。

【行程図】
「敦賀城中門が移設されたと伝わる来迎寺」→「三の丸趾碑がある西蓮寺」→「三の丸地蔵」→「大谷吉継奉納品が残る八幡神社」→「敦賀城礎石と堀跡が残る真願寺」→「敦賀城跡・代官所跡石碑がある市立敦賀西小学校」の順に車で移動しました。




【敦賀城中門が移設されたと伝わる来迎寺】
来迎寺の山門は敦賀城の中門であったと伝わっている。
一国一城令で破却された際に移築されたようで、同寺には腰高障子13枚も残っているそうです。



境内側から撮影
柱や扉は未だに朽ちていない



金属製の閂部、腐食はあるが今でも動きそうです



名称;時宗 来迎寺
所在地;福井県敦賀市松島町2丁目5-32
駐車場;あり
地図;




【三の丸趾碑がある西蓮寺】
敦賀城の三の丸があったと伝わっている場所に木製の「敦賀城三の丸趾」の碑が建っている。



建っている場所は西蓮寺の境内ではなく隣接した空き地?



現在は、鬱蒼とした木立に立て掛けてありました。
以前はしっかり地中に打ち込んであったようですが。



名称;浄土宗 西蓮寺
所在地;福井県敦賀市三島町1-3-6
駐車場;あり
地図;




【三の丸地蔵】
名前からこの辺りまで敦賀城の三の丸があったのかと推測させる。


現在は移転しています!!
元の場所には祠の基礎をコンクリートで固めた真新しい痕跡


移転先は路地を200mほど行った「霊山院」の境内で、祠が祀られています。


祠自体は新しく近所の方のお話では「個人で建立したものではないか」との事。
移転した理由については不明です。



名称;霊山院
所在地;福井県敦賀市三島町2丁目15-9
駐車場;不明
地図;




【大谷刑部少輔吉継奉納品が残る八幡神社】
弘治2年(1556)に朝倉義景が本殿を造営し、疋田城主の疋田景継が、同3年5月28日に阿弥陀仏像を奉納し、年々御供米50石を寄進されました。
元亀元年(1570)に織田信長と朝倉義景とが戦った時に罹災したが、天正12年(1584)に敦賀城主大谷刑部少輔吉隆が石燈籠一基を献納。
天正16年(1588)8月羽柴出羽守勝俊が幣帛を奉り、翌17年に大谷吉隆が太刀一口を奉納。
、、、福井県神社庁「八幡神社」より抜粋



敦賀城主大谷刑部少輔吉隆が石燈籠一基を献納
拝殿奥の三基並んだ稲荷の祠前にあります。脇には近年建てられた「奉納 大谷刑部少輔吉継」石碑がある。




さらに石造りの鳥居も大谷刑部少輔吉継が奉納したと伝わっている。
(背後にあるのは歴史資料館)





また本殿に掲げてある木彫りの龍の額もそうです。



写真は失念しましたが織田信長が奉納した「太刀」一口も確認されていると本殿入り口の案内板に書いてあったと記憶しています。
ぜひ拝観してみたいものですね。

名称;県社 八幡神社
所在地; 福井県敦賀市三島6
駐車場;あり
地図;




【敦賀城礎石と堀跡が残る真願寺】
大谷刑部少輔吉継、五万石敦賀城の跡



耐震化で建て替えられた真新しい本堂前に「敦賀城礎石」と「大谷吉継 敦賀城跡の石碑」が建っています。



すっかりリニュアルされた山門ですが、以前は「寺名の石碑」があった場所に「大谷吉継 敦賀城跡の石碑」があって、今は本堂の前に移築されたようです。



寺の横にはには堀の跡と思われる水路が今も残る。



大谷吉継が関ヶ原の戦いで石田三成と共に戦い敗れ自刃したのちは、越前北庄城主となっていた家康の次男「結城秀康」が代官を派遣していたが一国一城令により敦賀城は廃城となった。
現在でも真願寺周辺には「結城町」という地名が残り、往時を忍ばせている。



堀跡と思われる水路は敦賀港に繋がる運河に流れ込んでいる。
大谷刑部が敦賀城を「水城」に改築したことも何となくわかる。
「ほんの5万石とはいえ、敦賀は商人が力を持つ土地で、秀吉が東北との流通拠点として整備を促進させた時期。領主には目配り、気配りが求められた」福井新聞記事より引用
なので腹心の部下である「蜂屋頼隆」から「大谷刑部」へと敦賀支配を繋いだと考えられる。



名称;真宗大谷派 真願寺
所在地; 福井県敦賀市結城町14-1
駐車場;あり
地図;




【敦賀城跡・代官所跡石碑がある市立敦賀西小学校】



かつてこの地にあった「敦賀城」やその後の小浜藩による「敦賀町奉行所・代官所」、さらには明治維新で誕生した「敦賀県の県庁」が所在していたことを広く市民に知ってもらうことを目的に、平成九年(1997)11月「敦賀みなとライオンズクラブ」が結成20年を記念して建立したものです。



平成22年(2010)敦賀市教委は3月19日、同市結城町の敦賀西小校庭から戦国武将・大谷吉継が拡張、整備したとの伝承がある敦賀城の建物の一部とみられる礎石が見つかった、と発表した。敦賀城郭の痕跡が発見されたのは初めて。礎石が見つかった同じ土層からは複数の瓦が出土していることから、当時勢力のあった武士たちが出入りしていた建物の礎石とみられている。、、、2010年3月20日福井新聞掲載記事より引用

敦賀城はどこにあったか詳しく解明されておらず謎に包まれた城。
今回訪れたゆかりの場所が、今後明確に証明される日が来ることを期待します。

名称;敦賀市立敦賀西小学校付近
所在地;〒914-0064 福井県敦賀市結城町8−6
駐車場;
地図;



【敦賀城】
《豊臣政権 大谷刑部少輔吉継の城》

名称(別名);
所在地;福井県敦賀市
城地種類;平城
築城年代;天正11年(1583)
築城者;蜂屋頼隆
主な城主;蜂屋氏、大谷氏、松平氏
文化財区分;なし
近年の主な復元等;中門移築現存
天守の現状、形態;なし

※出典、、、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地図;


20248【初訪】 麺匠 かぐや「とんこつ塩」@福井県敦賀市 10月25日 とんこつ塩と北海道麺のマリアージュは、優しいなかにもキラリと光る個性が魅力!

2020-10-29 06:27:31 | 福井嶺南・敦賀・武生・鯖江・坂井・大野他
今回のお城歩きは福井県敦賀市にある『金ヶ崎城』と『敦賀城』
その城下町で頂く一杯は
敦賀市呉竹町
敦賀市役所の斜め向かい、大きな通りの角地と言う好立地にある
麺匠 かぐや



通りを隔てた向かいには『中華そば一力』があります。2014年訪問の記事は→こちら



『かぐや』という店名の由来は【かぐや姫】
お子様や大人の方まで愛され語り継がれるような 伝統的であり独創的な一杯を作り出したいという想いが込められているそうですよ(^^)/


中待ちスペースに5席ほどが用意されており、名簿記入方式で順番が来たらスタッフが店内に呼び込みしてくれます。
ジャズが流れる店内は、厨房に正対するカウンターに5席、2人掛けのテーブル席は組み合わせ自由で4人掛けとしても使えます。



麺メニューは「とんこつ塩」「海老塩」「旨味塩」の塩ラーメン
「熟成味噌」「海老味噌「旨味味噌」の味噌ラーメン
そして「特製つけ麺」
それぞれ「チャーシュー増し」と「大盛り」が設定されており、「小盛」が-100円と言うのも女性や連食時には嬉しい設定です。
サイドメニューとしては「焼きギョーザ」「チャーシュー丼」
そして各種トッピング
ランチタイムのセットメニューもあってお得です。



頂いたのはイチオシメニューの
かぐや流
とんこつ塩 780円(税込み)+味玉(クーポン)



スープは見た目よりアッサリ、スッキリしています。
逆に言えばシャバっとしているけど、しっかり豚骨のエキスが炊きだされているという感じ。

細かく丁寧に処理された背油がコク深い味わい。
イチオシの「塩」と言うだけあって塩角が取れ、突き刺さらないまろやかさ。醤油や味噌のコクのような味わいさえ感じる塩加減。
一口目から旨味を感じさせます。



麺は北海道の小林製麺より直送のかぐやオリジナル特注麺
表の暖簾にも『(株)太兵衛小林製麺』の名前がありました。→こちら


つるっとした口当たりと喉ごしのよさ。
ゴワっとしたコシの強さではなく、あくまでも滑らかな啜り心地の中太ストレート麺。
味噌やつけ麺ではどんな麺を使っているんだろうと、凄く興味があります。



ランチセットはお好きなラーメンに+100円から+200円で「Aランチ(白ご飯+ピリ辛もやし)」「Bランチ(ピリ辛ネギめし)」「Cランチ(チャーシュー丼+ピリ辛もやし)」「数量限定チャーハンランチ(炊き込みチャーハン)」が選べてお得ですヽ(^o^)丿
平日はビジネスマンのランチで賑わうんでしょうね♪



♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;麺匠 かぐや
住所;福井県敦賀市呉竹町2-5-25-1
電話:0770-36-4778
営業時間;11:00~14:15(L.o) 18:00~21:30(L.o)
定休日;火曜日
駐車;店頭の他、隣に契約駐車場あり
地図;

00 金ヶ崎城跡@福井県敦賀市 令和二年(2020)10月25日 金ケ崎の退き口

2020-10-28 05:20:47 | 城歩き
国史跡 【金ケ崎城跡】




NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、もうそろそろこちらの城が登場する頃ですね。
ミーハー歴史ファンもどきGGとしては興味津々!

【金ケ崎の退き口】
元亀元年(1570)若狭経由で敦賀に侵攻した織田信長軍は激戦の末手筒山城を陥落させ、金ヶ崎城の朝倉景恒に降伏を迫り城を接収した。義弟の浅井長政は祖父以来親交のあった朝倉氏との盟約に従い、朝倉氏へ攻め上がろうとする信長の背後を脅かした。退路を断たれ挟み撃ちになることを恐れた信長は、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を殿軍(しんがり)に残して金ケ崎城を脱出。若狭を通って京都へ退去した。この時長政の妻お市の方が、兄・信長に危機を知らせるため、両端を紐で結んだ小豆袋を送ったという逸話が残っている。
、、、「福井ヒストリーロード」現地案内板より抜粋




実は道を間違えて赤レンガ倉庫を右手に観ながら、手筒山を貫通する「金ケ崎臨港トンネル」に入ってしまいましたが、期せずしてコンビナート側から断崖の様子を見ることができました。


こちらは敦賀港ターミナル側から見た手筒山全体像です。朝一の写真でこの時はまだ曇っていました。




「敦賀港赤レンガ倉庫」が目印


ぐるっと回って、その裏手にある「金ケ崎古戦場駐車場」に車を停めました。
ここは広くてトイレも併設されていますし、無料なのでゆっくり散策が楽しめます。
背後の山に金ケ崎城、手筒山城があります。



ここでこの日の行程を図で示します。
「赤線」は往路
「青線」は手筒山まで
「朱色線」は復路です。



先ずは階段の先にある「金崎宮」を目指します。



社務所ではお守りや御朱印のほか「御城印」も新たに販売ちうw


金崎宮一帯は南北朝時代の激戦地であり、金ヶ崎城に立て籠もる新田義貞と後醍醐天皇の皇子(南朝)が、足利尊氏・光明天皇(北朝)側に敗退し悲惨な末路を辿った歴史がある。
金崎宮は、その尊良親王と恒良親王を御祭神としている。






境内を抜けると山頂の古戦場に向かう「花換えの小道」がある。
舗装されており敦賀湾と港湾施設が見下ろせる絶景の遊歩道です。



途中には「鴎ヶ埼休憩所」があり憩いの場となっています。



小道から山側に入ったところに「尊良親王御墓所見込み地」がある。
江戸時代に石室が発見され中から銅製の鏡など3点が出土、現在では「尊良親王自刃の地」として祀られている。



さらに進むと「金崎古戦場」の石碑
尊良親王を奉じる新田軍は、足利軍6万によって陸海より攻撃を受け落城。尊良親王、新田義貞嫡子以下戦死した多数の将兵の霊を慰めている。


石碑の横には「古墳」もあり一帯は広場として整備されている。
奥は「月見御殿」方向



「月見御殿址」
平坦部は当時の「本丸跡」と「金崎宮案内記」にはある。
(海望所から古戦場方向を望む)



この巨石のいわれは書いてないけど、月見御殿に関係するものなんだろうか?



岬の先端部は「海望所」となっています。



海望所からの展望
敦賀湾


足元には当時「絹掛けの松」があったそうだが、現在はコンビナートと積出港が眼下に広がる。



ここから今来た道を金崎宮へ戻るルートと、「城戸」を通って「手筒山展望台」へ行くルートに分かれる。

「三の木戸跡」
南北朝時代(1336-1392)金ケ崎城の三の木戸があった場所には大きな「堀切」が見受けられる。
地名は「水の手」といい、当時の用水場で、付近から清水が湧き出ていたと伝わる、、、案内板より



現在は平坦地に休憩場が設けられている。



「焼き米石出土跡」
この付近は戦国時代、金ケ崎城の兵糧庫があり織田・朝倉の攻防戦で落城の際倉庫は焼け落ち、その焼けた米が後に出土したと伝わる、、、案内板より


現在は小さな祠が建っています。



「二の木戸跡」
南北朝時代の第二の関門「二の木戸」があった場所。
この付近で激戦があったと伝わる。


分岐
「一の木戸」を経て手筒山展望台に向かうルートと、花換小道を迂回して「金崎宮」へ戻るルートの分岐点



一の木戸から120mほど先にある
「一の木戸跡」
南北朝時代の最初の関門跡で、こちらも激戦の地。


大きな掘割は敵の侵入を阻止し戦国時代、朝倉氏も利用した。



手筒山への分岐


急な登りと九十九折れが続き足元は滑るので要注意、クマ出没にビビりながら登る(;^ω^)


ここにも大きな掘割の跡


ここからの展望は山側の採掘場となる


疲れを癒してくれました(笑)
御想像にお任せします♡



「見張り台跡」
手筒山は南北朝時代から戦国時代にかけて山城として利用されていた。ここはその城郭の一部で見張り台跡と推定され、自然の地形を利用し人工的にも平坦地を作り敦賀全域に号令したと考えられる、、、案内板より



現在は野鳥観察にも使われる「展望台」が建っている。


ここからは360度のパノラマが楽しめます。
午後からは晴れてきて、青い空と紺碧の海が広がる敦賀湾の展望は忘れることができません。







「芝生広場」にはベンチや屋根付きの休憩場もあって、お弁当を広げる家族連れやカップルでにぎわっていた。



この先を進むと「手筒山城址」
現在では自然観察施設など自然と触れ合う憩いの場となっている。



ここから今来た道を「二の木戸址」まで戻り、「金崎宮」の裏山を迂回して神社社務所側へ降りることができるが、急な階段が続くので要注意。


トイレ側へ出てきます。



ここで疑問が湧いてきました。
その1
金崎宮に展示してあった敦賀工業高校建築システム科製作の「手筒山城郭模型」
金ヶ崎城の位置が展望台よりさらに手筒山城寄りに位置しているのだ。しかし、これを裏付ける縄張り図がヒットしない。
今後とも粘り強く調べてみたい。



その2
金ケ崎の退き口
殿(しんがり)を務めたのは「木下秀吉」だけだったのか?
信長はこの危険な任務を、新参の秀吉と光秀に競わせた。
摂津守護池田勝正が明智光秀や木下秀吉らを率いて殿軍をつとめ、信長を無事に逃がす功を挙げた。と言うのが正確なのではないだろうか?
殿の殿、三人の中で一番最後まで残っていたのが秀吉だったので活躍が目立ったという事か?
いずれにせよこの命懸けの働きで木下秀吉は織田家中から一目置かれる存在となり、その後の出世の足掛かりとなるターニングポイントであった事に間違いない。



【金ヶ崎城】
《南北朝時代の古戦場であり、戦国時代には織田信長最大の危機で有名な「金ケ崎の退き口」の舞台となった城》

名称(別名);敦賀城
所在地;福井県敦賀市金ヶ崎町1ほか
城地種類;山城
築城年代;平安時代(源平合戦のころ)
築城者;平通盛
主な城主;気比氏、甲斐氏、朝倉氏
文化財区分;国の史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;

地図;

鮎の里@富山県砺波市 10月21日 夢の平スキー場のコスモスと子持ち鮎!コロナ禍の中静かに楽しんできました!

2020-10-23 10:39:54 | 思い出のランチなど
【100万本のコスモス】



この日は朝から晴天に恵まれ、絶好のお出かけ日和。
「花の命は短くて、、、」
そうなんです、
花の見ごろと、お天気と、お休みが合致するタイミングってなかなか無いんですよね。
秋のお花と言えば、色々ある中でも「秋桜(コスモス)」が人々を惹き付けます。
富山県では『夢の平スキー場』のゲレンデ一面に咲く100万本のコスモスの群生が一番見ごたえがあると思います。



例年ですと、10月中旬から下旬にかけての2週間にわたり「となみ夢の平コスモスウォッチング」というイベントが開催され県内外からたくさんの観光客が訪れます。しかし今年はコロナ禍のなか、他のイベントと同じように中止となってしまいました。
主催団体では《オンライン配信》おうちでコスモスウォッチング!と銘打って動画を配信していますのでそちらでも楽しむことができます。

夢の平へは毎年訪れていますが土日のイベントは大変な混みようで、ゲレンデまで1時間から2時間の渋滞なんて当たり前。なので平日に行くようにしています。
それでも天気の良い日は結構な人出で、時間帯によっては30分から1時間くらいの渋滞は覚悟しなくてはなりません。

訪れた10月21日は前日に引き続いての好天で、駐車場は上も下も満車。運よく帰る車の後に滑り込むことができました。
ロッジ前の芝生広場では敷物を広げてお弁当を食べる家族連れの姿があちこちで見られました。



標高の高いところからは砺波平野や遠く富山湾まで一望できます。



リフトからの眺めも最高なんですが営業は土日のみとなっています。



コスモス荘の反対側にある古い校舎のような施設。ライブカメラが設置してあり県内の放送局でもこの映像が使われることがあります。
散居村の写真展など開催されていますが、現在は閉鎖中です。



バーベキューテラスからのコスモス畑



10月21日はやや見ごろを過ぎていました。





今シーズン最初の訪問は10月7日、曇天でしたが花は瑞々しかったです。
以下、10月7日に撮影した写真です。

「バッタとコスモス」


「赤とんぼとコスモス」アキアカネって言うんでしょうか?













来年は普通に開催されることを祈ります。
♪ ♪
【コスモスウォッチング】

富山観光ナビ<オンライン配信>2020となみ夢の平コスモスウォッチング→こちら
砺波市公式観光サイト砺波旅『おうちでコスモスウォッチング!』は→こちら

会場;となみ夢の平スキー場
住所;富山県砺波市五谷字源谷22
電話:0763-37-1575
0763-33-1111 (となみ夢の平コスモスウォッチング実行委員会(砺波市商工観光課))
営業時間;
定休日;
駐車場;あり
地図;



【庄川の子持ち鮎】



花より団子!
コスモスを愛でる前に腹ごしらえ(笑)
夢の平スキー場から車で10数分、庄川沿いには川魚料理のお店が軒を連ねる。 その中でも毎年「春のシーズン幕開け」と「秋の子持ち鮎」の2回必ず訪れるのが、2016ミシュランガイド富山・石川特別版でビブグルマンに輝いた
鮎料理の店 鮎の里(あゆのさと)


開店30分前に到着して正解でした。 この日は団体が入ったとかで大変混みあっていました。
その団体と言うのがあろうことか(笑)お友達の「めたぼんさん」の団体だったとは(笑)
めたぼんさんTwitterより転載



いつもの座敷席は予約で埋まり、


後のお客さんは入り口のテーブル席に案内となっていました。



自分らは幸いにも座敷下手ではありますが、なんとか1卓確保することができました。

焼き場の様子
炭火の前に整然と並べられた「鮎ちゃん」
職人が手際よく焼いておりました。



頂いたのは一番リーズナブルな
庄川膳 2700円(税別)


「お通し」の他に「鮎のマリネ」「鮎の甘露煮」「子持ち鮎の塩焼き(3本)」とご飯と味噌汁付き。
白ご飯を「鮎寿司」に変更して3410円(税込み)

宮川の「鮎めし」は野趣たっぷりで旨いすが、こちらの「鮎ずし」はめっちゃ上品で美味しい!


一番リーズナブルなセットにしたのは、鮎をとことん堪能したいからです。
「子持ち鮎塩焼き」単品で5本追加
1匹605円×5本で3025円(税込み)


庄川水系の鮎は小ぶりなので頭から丸かじり。
これが岐阜県を源とする「宮川水系」(神通川)の鮎だとカマスか中型のアジくらいの大きさになる。とても頭から丸かじりできないので、きれいに骨を抜く技が必要になる(笑)
勿論ワタシは体得済み(笑)

焼きたてなの熱々、お腹は卵でパンパン!


塩の効いた熱々の鮎に冷たいビールはつきもの!と言いたいのですが、運転手の私は「ノンアル」なのでご安心ください(笑)


団体さんのおかげで外待ちが長蛇の列(;'∀')
早く来てよかった~(^^)/
大満足で暖簾を後にしました


♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;鮎料理の店 鮎の里 (あゆのさと)
住所;富山県砺波市庄川町金屋2131-6
電話:0763-82-7110
営業時間;11:00~15:00(L.O.14:30) 16:30~20:30 (L.O.20:00)
定休日;鮎シーズン中(3月~11月末)は無休
駐車場;あり
地図;








20247 横浜家家ラーメン 友喜家「バターチキンカレーラーメン」@金沢市 10月20日

2020-10-22 09:18:29 | 石川県(金沢・野々市他)のラーメン
前回のエントリーは→こちら

店主の気まぐれ
期間限定、平日限定
1日20食限定
超レアな限定ラーメン

バターチキンカレーラーメン大盛り1200円(税込み) 



横浜家系ラーメンの濃厚スープにバターの風味
生クリームのコク



カレーには「福神漬け」かと思いきや、なんと!「柴漬け」でした!
豚チャーシューのサイコロ切り
スープには鶏胸肉も入ったチキンカレー
ヒリリとした山椒の刺激



麺はもっちりした中太麺
カレーと豚骨の濃厚スープには、ちょっと細めに感じました。



日本人が大好きな「ラーメン」と「カレー」の組み合わせ!
GGのお腹には重たかったが、とても旨かった(^^)/


♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;横浜家系ラーメン 友喜家(ゆうきや)
住所;石川県金沢市田上さくら2-96
電話:076-205-2286
営業時間;11:00~15:30 17:30~21:00
定休日;月曜日
駐車場;あり
地図;

045 岡崎城@愛知県岡崎市 令和二年(2020)10月11日 見どころ編

2020-10-18 07:02:49 | 城歩き
徳川家康生誕の城 【岡崎城】

岡崎城は康正元年(1455)ころ土豪の西郷頼嗣が創築し、家康の祖父・松平清康が享禄4年(1531)に改築を行う。その城で天文11年(1531)松平竹千代(徳川家康)が生まれた。幼くして今川の人質だったが、桶狭間の戦い後は岡崎城に戻り、ここを拠点に三河を統一した。家康が浜松城に拠点を移すと子の信康が入り、信康の自刃後は城代が置かれた。家康が豊臣秀吉によって関東に移されると、田中吉政が入り総構えの堀を築いた。関ヶ原の戦い以降は徳川氏の聖地として重視され、譜代大名・親藩が城主となった。元和3年(1617)には、三重三階、付け櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれた。明治初期に取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)



松平八代・徳川将軍家菩提寺 浄土宗「大樹寺」の記事は→こちら

岡崎城下で一杯の記事は→こちら



早朝に岡崎入りし、「岡崎城」・「三河武士のやかた家康館」の開館時間9時までに、まず「菩提寺・大樹寺」を見学。
その後岡崎公園に移動、園内にあるゆかりのスポットをチェック。
そして定刻9時、開館を待って「岡崎城」登城、次いで「三河武士のやかた家康館」見学、お土産どころ「おかざき屋」をひやかしw
かねてから訪問希望の『自家製麺公園前』にて昼食。
という流れで、台風一過の好天にも恵まれ楽しい一日を過ごしました。


【見どころ編】
◆岡崎公園 施設名称案内
1巡目、、、赤色矢印
2巡目天守・家康館・おかざき屋から帰路、、、青色矢印



◆岡崎城縄張り
「岡崎城図」後本多家・江戸時代後期(岡崎城跡石垣巡りパンフ、、、岡崎市教育委員会)
江戸時代の主要な主郭は河岸段丘の頂上分にあり最南端部に本丸・天守を置き、龍城堀と青海堀で守りを固め、周囲には風呂谷曲輪・隠居曲輪・持仏堂曲輪・坂谷曲輪が取り囲んでいた。傾斜に沿って二の丸・東曲輪・北曲輪があり、下段の平地に三の丸・菅生曲輪・備前曲輪・浄瑠璃曲輪・稗田曲輪・白山曲輪が配されていたことがわかります。


◆現在の地図に重ねたもの
(出典、、同)
東側の菅生曲輪は芝生広場と駐車場に、西側の白山曲輪は住宅街の町並みに、北側の稗田曲輪・北曲輪・三の丸・備前曲輪は国道1号線により分断されビルが立ち並ぶオフィス街となっています。

岡崎城跡の石垣には岡崎産の花崗岩が使用されており、中世から近世にかけての複雑な縄張りを構成する遺構なので、石垣巡りも大きな楽しみの一つとなっています。



「菅生曲輪」(現在多目的広場)
東曲輪の一段下にあった武家屋敷
上段にある東曲輪(大型バス駐車場)からの傾斜地には法面保護の石垣があり、菅生曲輪には南北の屋敷地を繋ぐための土橋も架けられていた。


(一般車・大駐車場)



「隠居曲輪」(現在お食事処)
半円形に堀に突き出た曲輪。堀に面した石垣は何度も崩れその都度修復した痕跡が残る。
こちらは堀の対岸から見たほうが分かり易い。



「辰巳櫓台下石垣」
天守から辰巳の方角(南東)にある隅櫓で最も完成度の高い石垣。大きさや形が整えられた石材が布積みで積み上げられ、隅角部の算木積みは精巧に加工された石材を使用し、稜線は一直線に仕上げる「江戸切り」が見られます。



「青海掘」
本丸北側に位置し、本丸と持仏堂曲輪を隔てる堀です。岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の法名「青海入道」に因み名づけられました。城内でも古い時代に構築されたと考えられる曲線的な堀です。本丸側は急斜面の土塁のままですが、対面側は後の改修により石垣が築かれたもので、築城の変遷が見られます。



「月見櫓」
本丸南側に位置し、城主が月見をするための櫓が建っていました。丘陵の先端に建つ櫓の南方は見晴らしがよく月見には最適です。風呂谷曲輪から本丸にかけての経路を眼下に見おろすことから防御上も理に叶った立地です。



「龍城神社」
岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の夢枕に現れたという龍の化身で、守護神として祀り城の別名「竜城」の元となった。
家康公の遺徳を忍び東照宮として祀り、後に本田忠勝も合祀。



「本丸埋門北袖石垣」
本丸埋門から北方向に延びる石垣で、高さは10mを超える大規模なものです。石材には大型の自然石や割石が使用され、大きさや形は不揃いながらも、横方向の目地の一部が揃う事から持仏堂曲輪腰巻石垣より先行する江戸時代前期の構築と考えられます。



「坂谷曲輪」
本丸から二の丸西に位置し、南北に細長い曲輪です。
奥に見える橋は「伊賀川」に架かる「竹千代橋」


「坂谷門」
天守からほぼ真西に坂谷門があり門の前方には攻防の要となる半円形の馬出がありました。
正面に見える住宅街は当時の「白山曲輪」


現在は門の石垣が残るのみですが、石垣には大きな石材が使用され風格の高さを感じさせます。また門の梁が架け渡されていた事を示す痕跡が残っています。



「持仏堂曲輪腰巻石垣」
江戸時代前期に構築された石垣で、後世の改築を受けることなく現在まで残る貴重な石垣です。大きさや形が整えられた石材が布積みに近い積み方で築かれています。隅角部の角石は長辺と短辺が交互に配置された算木積みとなっており、その表面はノミで平滑に仕上げられています。



「産湯の井戸」
天分11年(1542)12月26日に徳川家康が誕生した際に、この井戸から産湯の水を汲んだと伝えられています。



「坂谷橋」
白山曲輪と稗田曲輪方向の住宅街から二の丸(岡崎公園)に抜ける生活道路で自転車でも渡れる。


ここからの展望はとてもよく、橋を渡った住宅地から見る天守西側の表情も良い。


公園側橋詰の河川敷広場にある案内板には竹千代の可愛い石像が建っています。
竹千代もコロナ対策してますよ♪



「北面城壁」
国道1号線に面した城壁
「北曲輪」、「三の丸」(家老級の屋敷)、備前曲輪が国道1号線によって分断されました。


この城壁の先、公園の北東隅に大手門がある。


そこは岡崎公園の正面入り口となっているが、中央分離帯付き片側2車線なので反対車線からの侵入はできない。


入り口には「岡崎城下東海道二十七曲がり」の石碑


「東曲輪」跡地を利用した大型観光バスの駐車場もある



「大手門」
公園北東隅にある国道1号線に面した正面玄関。
築城当時の位置とは違うが立派な門が再建されている。



「二の丸」
二の丸御殿(藩主の居館)があった曲輪
現在は休憩所、「三河武士のやかた家康館」などの建造物や、偉人の銅像などのある憩いの場として市民から親しまれている。

二の丸方向からみた「大手門」
背後の高層ビルとの対比が面白い。


「二の丸井戸」
この井戸は平成19年の発掘調査で発見されたものです。二の丸には御殿(城主の住居)があり、絵図には4基の井戸が描かれています。御殿の北東部に位置することから、台所や厩の付近の井戸と考えられています。


「能楽堂」


「天守を戴いた公衆電話ボックス」
背後には岡崎城天守が見える絶好の位置(NTT)


「天守台の石垣に載ったからくり時計」


毎正時と30分になると家康公が能を舞います。最後に遺訓を語る時計塔です。


花時計ひろば周辺の銅像


「徳川家康公銅像」
家康公没後350年祭を祈念し、彫塑家「高村泰正」氏により制作されました。
こちらも高層ビルとの対比で面白く(^^)/



「太鼓門」
二の丸から持仏堂曲輪に通じる櫓門で、現在は石垣だけが残る。江戸時代に城下に時を知らせる太鼓が置かれていたことから太鼓門と呼ばれていました。



「廊下橋」
脱出の際に敵から狙われぬよう、堀に架けた橋の上に櫓を建てたもの。岡崎城の廊下橋は、本丸天守と外側の曲輪(持仏堂曲輪)が直接繋がった日本唯一のもので、現在は明治から大正に時代に積んだ石橋が架かっている。


反対側の坂谷曲輪方から撮影



「岡崎城天守」
最初の天守は豊臣の重臣・田中吉政が城主であった頃に建てられました。天守台の北側と東側に大きな鏡石が据えられており、石垣の隅は、野面積みならではの内へ向かう珍しい反りをしています。



現在の天守は昭和34年に再建された鉄筋コンクリート3層5階建ての歴史資料館となっています。


1階は券売所・休憩所
御城印の販売はこちらです。


2階から4階は「藩政と支配」、「城下町の文化と産業」、「城と城主」をテーマにした展示にとなっており
5階は展望台となっています。


天守からの展望
北東「三の丸」「浄瑠璃曲輪」方向のビル群


菩提寺「大樹寺」方向の展望


特設望遠鏡から見た「大樹寺」
山門の大屋根が見える


開館時間;9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日;年末(12月29日~31日)
入館料;一般大人200円、小人100円(税込み)


「三河武士のやかた家康館」
名誉館長は徳川恒孝氏

外観から想像するより内部は広くてびっくり!
史料も豊富で、映像やビジュアルを駆使して非常に分かり易い。
企画展はとてもアカデミーで内容が濃い。



特別展示室(地上1階)
企画展示;「岡崎城跡出土品展示」2020年11月18日まで
映像コーナー
甲冑試着体験室(現在コロナの関係で中止)

常設展示室(地下1階)
1、松平氏と譜代家臣の形成
2、家康の出生から人質時代
3、家康の三河平定
4、織田・豊臣政権下の家康
5、江戸時代の基を築いた家康
戦国武士の体験コーナー
本物と同じ重量と大きさの「槍」や「刀」、「鉄砲」などを手に取って写真撮影できるので子供だけではなく大人にも人気。


開館時間・休館日は岡崎城天守と同じ
入館料;一般大人360円、小人200円
岡崎城天守との2館共通券は大人510円、小人270円とお得(いずれも税込み)



お土産どころ「おかざき屋」
八丁味噌や記念グッズも豊富→こちら


ちなみに
岡崎市のおすすめお土産10選
【1】まるや八丁味噌の『八丁味噌』
【2】スマイル-リンクの『岡崎ぎゅーっと肉味噌』
【3】鈴村米殼店の『玄米だんご』
【4】マジカルの『堅焼き味噌ランタン』
【5】中田屋の『かりんとう』
【6】池田屋の『心を込めて心太』
【7】小野玉川堂の『いちじくどら焼き』
【8】近江屋本舗の『夢大福』
【9】和泉屋の『オカザえもんどら焼き』
【10】カントリークリスマスの『バニラシフォン』

そして忘れてはいけないのが岡崎市のゆるキャラ
【オカザえもん】こちら




♪ ♪ 御城情報 ♪ ♪
【岡崎城】
《長らく聖地となった徳川家康誕生の城》


名称(別名);竜城
所在地;愛知県岡崎市康生町561 岡崎公園内
城地種類;平山城
築城年代;康正元年(1455)ころ、天正18年(1590)
築城者;西郷頼嗣、田中吉政
主な城主;西郷氏、松平氏、田中氏。本多氏、水野氏、松平(松井)氏
文化財区分;市指定史跡、県指定文化財1件
近年の主な復元等;平成7年に天主の外壁等の補修。平成19年に天主の耐震補強、展示改装工事
天守の現状、形態;層塔型、三重五階、鉄筋コンクリート(復興)
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)

地図;


※参考資料、、、現地案内板、岡崎城跡石垣めぐりパンフレット(岡崎市教育委員会)、岡崎公園巡りパンフレット(岡崎市観光協会)、岡崎城・家康館パンフレット

松平家・徳川将軍家の菩提寺 大樹寺@愛知県岡崎市 令和二年(2020)10月11日 

2020-10-17 06:39:28 | 城歩き
重要文化財 浄土宗【大樹寺】





桶狭間の戦いで敗れた家康公が逃げ帰り自害を試みた際に大樹時住職から「厭離穢土 欣求浄土」の教を説いて諭された。
以来、家康はこの言葉を馬印として掲げるようになる。
写真は2019年関ヶ原ウォーランドでの撮影の一コマ「東軍徳川家康本陣」の場面





かつて、桶狭間の戦いで敗れた家康公が逃げ帰り、自害を試みた際に、住職から「太平の世を目指す」教えを受け、思いとどまったという、歴史的に大きな役割を果たしたお寺です。岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれ、歴史的眺望として約370年間守られてきました。
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)4代親忠により勢誉愚底上人が開山しました。松平8代の墓、国の重要文化財の冷泉為恭ふす間絵、歴代将軍の位牌、家康73歳の時の木像などが祀られています。
また、国の重要文化財である多宝塔は、天文4年(1535)に家康の祖父・松平清康が建立しました。1層は方形、2層は円形のこの二重の塔は、蟇股(かえるまた)・拳鼻(こぶしばな)などの彫刻模様に室町末期の美しい様式を見ることができます。

、、、岡崎おでかけナビより引用→こちら



コロナ禍で宝物の一部が公開休止とのことで、外観だけを拝観することとし岡崎での朝一のスタートを切ることにしました。
到着したのが午前7時過ぎ、
広い駐車場は流石に閑散としていましたが、散歩の人やお墓参りのご婦人と挨拶を交わしながら散策。

山門前の通りは石畳で、歴史的景観が保護されています。


この通りを隔てた向かい側には「大樹寺小学校」があり正門や裏門も趣のある門です。
それもそのハズ、もとは大樹時の境内だったそうです。
明治維新により将軍菩提寺としての財政的基盤を失い、(広い境内は分割民営化され)明治6年には境内に大樹寺小学校が開校された。




「本堂」
松平家と徳川幕府の庇護のもと隆盛を誇っていた大樹寺も、安政2年(1855)幕末の騒然たる時代に、出火により本堂、庫裏、書院など主要建物が全焼しました。万事が倹約のおり、寺領内のものを使用することで規模の維持を幕府に申し出ましたが、結局約2~3割減の規模で再建されたようです。写真のようになんとなく、本堂の屋根が覆いかぶさるように低く感じられますが、これも倹約の結果とされています。




県指定文化財「山門」
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立(県指定文化財)
境内より撮影
本堂からは山門、総門を通して一直線上に岡崎城を望む事が出来る事で有名です。この景観の保護は市の条例でも定められています。(ビスタライン)



岡崎城天守の展望台、特設望遠鏡から撮影
山門の大屋根が見える



また山門に掲げられている寺名の額は、後奈良天皇の勅額「大樹寺」です。(重要文化財)



県指定文化財「鐘楼」
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。楼上の大鐘は九代将軍家重公改鋳によるものです



国指定重要文化財「多宝塔」
大樹寺には創建当時の建物はありません。最古の建物がこの多宝塔です。天文4年(1535)松平清康公(七代)の建立になるものです。室町末期の様式を示しています。



「松平八代・家康公墓地」
 元和元年(1615)徳川家康公は先祖松平八代廟所を寺内に建立しました。元和三年には家康公の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。


昭和44年には岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しました。



「松平八代」とは
初代「親氏」から家康の父、八代「広忠」までが【松平宗家八代】
(「家康」は「広忠」の子で九代目のハズだが、三河国守の地位を得るため朝廷から許されて「徳川」に改名(1567)したため九代目には数えない)
この家系図にある人物がたちが、その後の「十八松平」(十四松平とも言う)の始祖となっていく。






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【お寺情報】

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寺名;浄土宗成道山松安院 大樹寺(だいじゅじ)
住所;愛知県岡崎市鴨田町字広元5‐1
電話:0564-21-3917
営業時間;9:00~16:00(拝観受付は15:50まで)
拝観料;大人400円、障がい者350円、小中学生200円、幼児無料。団体割引(15名以上)一人350円
駐車場;大型観光バス対応
地図;


※参考資料、、、浄土宗大樹時公式HP、岡崎おでかけナビ、三河武士のやかた家康館パンフ「松平八代」

20246 カニラーメン よこ歩き「カニ醤油」@岐阜県各務原市 10月11日 クリーミーな濃厚豚骨スープと蟹の風味が堪らない旨さのハーモニーを奏でます!

2020-10-16 06:16:04 | 愛知・岐阜・三重のラーメン
2020年7月3日
岐阜県各務原市鵜沼、R21沿いの商業集積地にグランドオープンした
カニラーメン よこ歩き

ご存知、関の名店『白神』出身
オープン以来「蟹」を使ったスープが話題となり人気沸騰!
まさに話題の新店と言ったところです。

お隣のあんかけスパゲティのお店と統一性のある外観で、以前はやはり外食のお店だったようですね(ファミレスかステーキハウス的な?)



店内は右側部分を使い、手前の窓際は中待ち席。
入り口の券売機で食券を買って待つシステム。

厨房に正対するカウンター席とテーブルのボックス席が3卓。
日曜日とあって遅い時間にも関わらず、親子連れやカップルなどで賑わっており、特に小さなお子様を連れた若いご夫婦が目立ちました。
これは看板の「カニラーメン」のかにさんが可愛くて受けたせいか?またはファミレス的なお店の雰囲気がそうさせたのかもしれませんね。



店内には白神グループ専用小麦「北の麦味」の粉袋がディスプレーしてあり、「100円プレミアム」と同様《白神の系譜》を強く物語っています。



イチオシメニューは「カニ玉」
そして醤油・味噌と続き、デフォの他トッピングによって「特製」「味玉付き」「辛」が選べるようになっています。



初訪なら当然「カニ玉」を選ぶべきでしたが、お友達の投稿の『醤油の方が蟹の風味が感じられた、、、』というフレーズが強く印象付けられていたせいか、気が付いたら「醤油」をポチっていました(笑)

カニ醤油 890円(税込み)



クリーミーな濃厚豚骨スープ。
そして湯気とともに立ちのぼる「蟹」の香り。
蟹の身をトッピングしただけの名ばかりの蟹ラーメンとは訳が違います。
こちらは出汁に蟹の風味が染み込んで、蟹の姿は見えずともこれはれっきとした蟹です(^^)/

先ほどクリーミーなスープと言いましたが、その中には骨の微粉まで溶け込んだような濃厚さが舌に伝わってきます。
その濃厚な豚骨に引けを取らない蟹の風味。
甲殻類を焼いたときに感じる特有の芳ばしさではなく、煮出したフレッシュな風味、そんな味わいでした。



麺は先ほど紹介した、白神グループ専用小麦「北の麦味」を使った自家製中太麺。
プリッとした口当たりで、噛みしめるともっちりした中に粉の味わいを感じ、濃い~スープと一緒に食べることで相互に混じり合いとても美味しく感じる。



グリルパンで一枚ごとに焼いたチャーシューの焼き目がなんとも食欲をそそります。
肉は焼くに限る(笑)
そして下味も付いてこれは旨い



白の丼と受け皿も清潔感があっていいですよね。この辺もファミリー受けする要因でしょうか?

再訪の際には蟹の身入り特製カニ玉を頂くことにします(^^)/




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【お店情報】

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お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;カニラーメン よこ歩き
住所;岐阜県各務原市鵜沼三ツ池町3-384
電話:
営業時間;11:00~14:00、18:00~21:00
定休日;月曜、第3火曜
駐車場;共同駐車場あり
地図;

20245  自家製麺 公園前「塩らぁめん味玉付き」@愛知県岡崎市 10月11日 淡麗コク旨! あとから旨味とコクが押し寄せるバランス重視の塩清湯!

2020-10-15 06:16:45 | 愛知・岐阜・三重のラーメン
今回のお城歩きは愛知県の岡崎城。 
そして岡崎で食べる一杯はこちら↓

2015年5月20日
愛知県岡崎市柱にオープンした
自家製麺 公園前(じかせいめんこうえんまえ)

お店は閑静な住宅街の中にあって、目の前が『竹の花公園』。なのでそれが店名の由来なんでしょうね。
自分的には岡崎城を訪問した際には絶対訪問しようと決めていたので、公園前すなわち岡崎公園と思い込んでいました(笑)




お店に到着したのが10:30過ぎ。日曜日ともなると開店30分前でも先客11人とは流石の人気ぶり。お隣の広い駐車場は既に一杯でしたが、なんとか止めることができました。
こちらは名簿記入式ではなく並び順方式。なのでルールもしっかり明文化され掲示されています。



店頭の外待ちスペースには丸椅子が用意されしかも屋根付きなので、雨の日や今日のような炎天下でも待ち時間が苦にならないように配慮されています。



最後尾に接続すると、既に先頭の人から順番に一組ずつ店内に案内されているではありませんか!
なるほど日曜日の開店待ち客の多さに、開店時間を繰り上げて対処するとはまさに《神対応》
結局入店できたのは11時少し前で、先客の人数から見て奇跡的な速さでした。

店内は突当りに厨房と、それに正対するカウンター席のみ。
窓際は中待ちスペースとなっています。



店内に呼びこまれると先ず券売機で食券を買いますが、一組ずつ案内されるので背後霊を気にせず安心してメニューを選ぶことができます(笑)



麺メニューは「らぁめん」と「つけ麺」
味は塩・醤油・ゆず塩(ラーメンのみ)、つけ麺はこの他に「辛つけ麺」が設定されています。
全メニューに「味玉」トッピング+150円が用意され、全12アイテムとなっています。



こちらは「塩」推しのようなので、
塩らぁめん 味玉入り 1050円(税込み)をオーダー



先ずはスープを一口。
う~ん? 薄い?
二口目、旨味がドーン!
三口目、コクが凄い!
なにコレ? めっちゃ美味しい!

淡麗コク旨
旨味が後から後から押し寄せるようなスープ。
動物系と節・昆布・アゴ煮干し等のWスープと思われますが、鰹節や鯖節のいわゆる薫香が抑えられスッキリとした飲み口でありながら、それは日本人の琴線に触れる旨みです。
昆布やアゴ煮干しも本当に上品に抑えられ、どれ一つ際立った様子が無くバランスがすごくいい!



自家製麺を店名に冠するに値する秀逸な麺。
ザクっとした食感の低加水ストレート細麺。 全粒粉ブレンドで啜る度に小麦の香りが鼻から抜けていきます。
いわゆるザクパツ細麺とは一線を画したしなやかさも併せ持ち、食感と啜り心地がすごく気持ちよかったです。



大判のレアチャーシューはほんのりスモークがかかりしっとりした歯ざわり
噛みしめると肉の旨味がじゅわーっと出てきます。



高めに価格設定された「味玉」
プリッとした白身の弾力とゼリー化した黄身のねっとりした食感。
味も染みてめっちゃ美味しい。濃い醤油タレで誤魔化したものとは全く違い、価格に応じた品質だと感じました。



食後はカウンターの台の上にのせて片付けるのがルール(お店のお願い)
よく見るとこの丼の形、ツバ広で浅いのは福井の『鶏っぷ』など食の道場出身のお店に共通するアイテム。もしかしてそうなのかな?(これは私の妄想ですw)



こちらのお店はSNSで情報発信されており、ワタシもフォローさせていただいております。
研究熱心な店主は全国を食べ歩いて研鑽に励んでおられますが、先日は私の地元氷見にも来られ『多古爺』や富山の『翠月』など数件を食べ歩いたと記されていました。
帰り際にそんな話題で会話できたのも今回の大きな収穫の一つでした。

次回北陸遠征の際は是非お声掛け下さいね、アテンドさせていただきますよ~ヽ(^o^)丿


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【お店情報】

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店名;自家製麺 公園前(じかせいめんこうえんまえ)
住所;愛知県岡崎市柱4-8-16
電話:0564-54-5220
営業時間;11:00~14:00
定休日;月曜日・火曜日
駐車場;お店横に数台分
地図;