とやまお城探検隊は→こちら
昨年かな、いや一昨年くらいから、新湊の8号線脇、「射水市斎場」建設現場の向かい側で発掘調査が行われていたのを記憶していた。
工業団地の造成に伴う発掘調査なんだろうなと思って気にはしていた。
それが令和四年(2022)2月2日付けの北日本新聞掲載「とやまお城探検」で『沖塚原東B遺跡』として紹介された。
城跡だったんだ。
いや、そうではなく
13世紀後半から14世紀にかけた有力者の館跡だったようである。
湊を管理する守護所として「放生津城」が築かれ「沖塚原東B遺跡」は神樂川によって放生津城と結ばれており、何らかの関係があるものと考えられているそうです。
今年度の発掘調査の結果、館跡を巡る溝から木簡が出土し、邪気を払う呪文が書かれていたそうです。
放生津城の記事は→こちら
◆場所は富山県射水市沖塚原
国道8号線バイパス「鏡の宮」立体交差点の一つ高岡よりの「朴木口」交差点から、小杉方面に向かい200m程のところです。
昨年完成した「射水市斎場」の向かいにあたります。

◆沖塚原東B遺跡
現在は一旦埋め戻されています。
周囲は工業団地の造営で工事が進められています。

◆射水市斎場
道を挟んだ向かい側には射水市斎場が建設されました。
敷地規模も沖塚原東B遺跡に匹敵するくらいの広さがあり、何と言っても斎場を取り囲んでいる土の壁がどう見ても「土塁」に思えてしょうがない(笑)
広い駐車場と奥まったところに人目を遮るように建てられた施設は、往時の居館を彷彿とさせ興味深いです。

◆妄想
ワタシには現在に蘇った、土塁に囲まれた守護代の居館に見えてきたのでした(笑)

【沖塚原東B遺跡】
目標物;射水市斎場
目標物住所;富山県射水市沖塚原128
地図;