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あみの3ブログ

大阪城@大阪市 2023年4月1日

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巨城を実感させる広大な堀と壮大な石垣
大阪城(明治以降は大坂城)は、水運の便に恵まれた上町台地に豊臣秀吉が天下取りの拠点にすべく、天正11年(1583)に築城を開始。これが豊臣大坂城である。天正13年(1585)には五重八階、黑漆塗りの下見板と金箔瓦、金の飾り金具を付けた豪華な望楼型天守を完成させ、これによって秀吉は天下人の威厳を欲しいままに示した。しかし慶長20年(1615)の大坂夏の陣で、豊臣大坂城は天守もろとも炎上してしまった。その後、豊臣秀忠は徳川への政権交代を天下に知らしめるために、豊臣大坂城の縄張りの上に盛り土をし、石垣を新たに積み直して城を築いた。そして秀吉の天守を上回る規模で白漆喰総塗籠の徳川大坂城天守が寛永3年(1626)に完成した。しかしこの天守も寛文5年(1665)に焼失。以来昭和6年(1931)に復興されるまで天守は存在しなかった。この大坂城天守の外観は豊臣大坂城の天守の復元を目指したもの。
なお戦後の調査の結果、天守台は徳川大坂城のもので、豊臣時代の天守台は地中に埋もれていることがわかった。(日本100名城 公式ガイドブックより)


場所は大阪市中央区大阪城1-1
大阪府庁の目の前で
南には阪神高速13号東大阪線・森之宮ICがあるという、大阪のど真ん中。

車中泊した大阪府羽曳野市にある道の駅「しらとりの郷羽曳野」は夜間トイレ・洗面所が使えないというハプニング。調査が不十分でした💦
早朝の移動を決行し、高速道路を30分ほど走って、お城の見えるコインパーキングで夜明けを待つことにしました。



東の空が白み始めるころ、コインパーキングから徒歩で出発。
まず最初に向かったのは
大坂城の南約1.5Km先にある、真田丸の抜け穴で知られる「三光神社」。



大坂城外堀の西側を南下、
先ず見えてきたのが
重要文化財「乾櫓」


そして「千貫櫓」


「千貫櫓」と「大手門」



重要文化財「六番櫓」



ここで日の出を迎えました。
櫓がシルエットになり素晴らしい光景でした。



ここからは外堀を外れ、
上町筋を通って長堀通りまで進み、玉造筋手前で南に折れると宰相山公園の一画に「三光神社」があります。



この辺りに「真田丸」が築かれていたと言われており、付近には「真田山公園」とか「真田山小学校」などの地名が残ります。
三光神社にはその「真田丸の抜け穴」と伝わる穴の出口があっって、今なお熱心なファンが巡礼に訪れているそうです。




拝殿の真田幸村


NHK大河のさいの盛り上がりを感じます。




「真田山」周辺には真田幸村にまつわる伝承も多く、明星学園の近くには「真田丸顕彰碑」が建立されています。





この辺りで時刻は7時となりましたので、大坂城に戻ることにしました。
ちなみ真田山横を走る国道308号線は、大坂城惣構の南側にある東西空堀の跡で、西から東に傾斜しています。また交差する玉造筋は大坂城の方向から南に向かって傾斜しており、この交差点辺りがちょうど谷が交差する一番低い場所のようです。本丸の辺りから比べると15mほど低くなっています。


八尾町筋を北上し、中央大通りから大阪城公園に入りました。
噴水広場を抜け内堀沿いに「青屋門」まで行き、「極楽橋」を渡るといよいよ本丸です。
本丸周辺の案内図です。(大坂城パンフレットより)



ヤマップ行動履歴より







東外堀
玉造口から入らなかったため一番櫓を見逃しております💦


東外堀の外側は桜並木となっており、満開を迎えた桜の下では早朝から場所取りするグループでいっぱいでした。




青屋門から外堀を渡りました。
青屋門枡形・石垣


「青屋門」



極楽橋から本丸へ





極楽橋枡形


巨大な鏡石と天守


秀頼公と淀君主演の地・石碑


山里口出枡形


天守台石垣(爆撃跡??)



本丸から天守閣(南面)
明治以降陸軍要地として使われていたが、昭和6年市民の熱意によって現在の天守が復興され、平成9年には国の登録有形文化財になった。
豊臣期の天守は推定で約40mの高さ。徳川時代の天守の約70m東、やや北寄りに位置していた。
徳川秀忠の号令で天下普請が始まり、豊臣期本丸地盤・石垣を地中に埋め(地盛して)その上に徳川本丸地盤・天守台石垣・天守閣を築いた。
現在周辺では発掘調査が進み、地下から豊臣期の石垣の一部が発掘されています。
また、豊臣大坂城の石垣公開に向け、現在工事が進められています。



重要文化財の「金蔵」



桜門枡形より天守


桜門石垣より空堀


桜門枡形の巨大な鏡石


空堀に架かる橋と
重要文化財「桜門」


二の丸にある「豊国神社」と太閤さん






重要文化財「六番櫓」(城内より)




重要文化財「多聞櫓・続櫓」(城内より)


狭間




大手門(城内より)


重要文化財「大手門(櫓門)」


「大手枡形虎口 大門と多聞櫓」
枡形に鋼鉄製の大門を備える渡櫓、南に折れてのびる続櫓から成る多聞櫓はほかにもあったが、現存しているのはここだけ。
寛永5年(1628)頃創建、落雷焼失ののち嘉永元年(1848)再建、昭和44年(1969)解体修理。





重要文化財「千貫櫓」
西外堀から
大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓。元和6年(1620)創建。
石山本願寺を攻めあぐねた信長が、この辺りにあった櫓を「千貫出しても奪いたい」といったことに由来するという。



重要文化財「千貫櫓・大手門・多聞櫓」
西堀に架かる土橋から


大手高麗門


同城内より





デザイン性を感じる石積み




トイレも



天守閣虎の意匠は見事

天守閣入場口

最上階のショップ

天守閣からの眺望
本丸南方向


西の丸方向



帰路
極楽橋から内掘り沿いに「京橋口」方向に進みました。
内堀遊覧船乗り場付近から豊臣幟旗と天守北面



内堀と天守北西面 


内堀と天守西面



北仕切り門



枡形虎口



巨大な鏡石




当日の行程
ヤマップより
活動時間 5:30-9:56、4時間26分
移動距離 6.8km
高低差  4m-33m 



【大阪城】
《豊臣と徳川が築いた天下人の大城郭》

名称(別名);おおさかじょう 錦城、金城
所在地;大阪市中央区大阪城1-1
城地種類;平城
築城年代;天正11年(1583)、元和6年(1620)
築城者;豊臣秀吉、徳川幕府
主な城主;豊臣氏、松平氏、徳川氏
文化財区分;国指定特別史跡、重要文化財
近年の主な復元等;平成7~9年に天守閣改修
天守の現状、形態;望楼型、五重八階 鉄筋コンクリート造り

※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;



【御城印】


配布場所;大阪城天守閣内1Fミュージアムショップ
webページは→こちら
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