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あみの3ブログ

飯盛城@大阪府大東市他 2023年3月31日

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飯盛城跡は大東市、四条畷市にまたがる飯盛山の山頂に築かれており、城域は東西約400m、南北約700mを測ります。永禄3年(1560)天下人・三好長慶が居城としました。そして当時の日本の中心であった京都と五畿内を支配する三好政権の拠点や文化交流の場となりました、城は南エリアと北エリアに分かれており、北エリアは防御空間、南エリアは居住空間であったと考えられています。
発掘調査などの結果から、飯盛城は織田信長によって完成される高石垣や天守を備えた「織豊系城郭」に先行して、石垣・礎石建物・瓦の3つの要素を取り入れた城であることが明らかになりました。城を破却した痕跡が認められないことから、城跡は、飯盛城が城郭としての機能を失う永禄12年(1569)頃の姿を留めていると考えられます。、、、飯盛城パンフレットより

場所は大阪府大東市大字北条、大阪府四条畷市大字南野
阪奈自動車道と国道163号線(学研都市連絡道路)を繋ぐ山岳スカイラインのような県道701号線から、山中に分け入った場所にあります。周辺には大阪桐蔭高校野球部のグラウンドや大阪産業大学の第9グラウンドがあります。
目標にする場所としては
キャンピィだいとう 大東市野外活動センター】webページは→こちら
大阪府大東市龍間1846(電話072-874-5165) 
が分かり易いです。



「キャンピィだいとう」の川向にある「飯盛城跡駐車場」はアスファルトで舗装され、フェンスまで備えた立派な駐車場です。
駐車場から城域までは12分、距離にして約700m、比高約40mです。




当日の行程を縄張り図で示します。(同パンフレットより)


南北の尾根上に主要な郭があり、東にのびる三つの支尾根と西にのびる二つの支尾根に曲輪群を配した広大な山城です。
駐車場からハイキングコースを進むと「楠公寺」に至ります。ここは城域の「Ⅹ郭(馬場)」があった場所です。
ここまで車で来ることができそうですが、境内は関係者以外駐車禁止となっています。
また、境内には公設のトイレが完備され、パンフレットも置いてあるのでありがたいです。


境内左手の墓地の中を抜けて山頂に向かうと「Ⅷ郭(千畳敷郭)」や「Ⅸ郭(南丸)」に至るようですが、自分はハイキングコースを進みました。
しばらくすると、「曲輪群B」と「主郭」の分岐にあたる大きな曲がり角がありましたが、さらに主郭のある頂上を目指しました。



いよいよ南北に走る尾根上の分岐に到達です。
この分岐から一旦南方向に向かいました。

大きな堀切


NHKやFMの送信所が建っているのが「Ⅷ郭(千畳敷郭)です。


南方向に傾斜する尾根を階段状に削平して築いた広い郭です。



その先さらに下って行くと「Ⅸ郭(南丸)」があります。
ここが城域の最南端で、虎口を守備する役割があったと思われます。周囲は空堀や竪堀で強固な守りとなっています。


「Ⅸ郭(南丸)」の虎口土塁と石垣
虎口の左右に土塁を設け、それぞれの法面に石を積んだ跡です。三角形や円形の大きな石が特徴です。




ここで先ほどの分岐まで戻り、尾根上の北側にある主郭を目指します。

分岐から「Ⅸ郭(南丸)」に至るには土橋を通らなければなりません。
尾根の左右を堀切によって通路を狭めて、一気に攻め込まれないようにしています。


土橋を渡り、急な丘を登った先が「Ⅸ郭(南丸)」です。


「Ⅸ郭(南丸)」に建つ城址碑と小楠公銅像



北側に接しているのが「Ⅱ郭(本郭)」です。
現在展望台休憩場が建設されています。


主郭から東にのびる支尾根上に築かれているのが「曲輪群B」
西にのびる支尾根上に築かれているのが「曲輪群A」です。

主郭東側の斜面には数か所に石垣が残っています。
ハイキングコースから見れるものもありますが、多くはそこから外れた斜面上にあり、足場が悪く滑落の危険が伴います。


階段状に曲輪が連なり、その斜面に石垣が築かれていたようです。


階段状の曲輪の法面に築かれた石垣は、麓から見上げると一帯になって一面の石垣のように見えたと考えられています。


堀切




「Ⅲ郭」から「Ⅳ郭(三本松丸)」を経て「Ⅴ郭(御体塚郭)」に至る。


その周辺にも多数の石垣が残っています。


こちらは「Ⅴ郭(御体塚郭)」の北東斜面に築かれた石垣です。権現川沿いの登城道からの視覚効果を狙ったものと考えられています。











「Ⅵ郭」


Ⅵ郭は最北端の曲輪で「飯盛山史跡碑」が建っています。


ここからの眺望はすばらしく、北東から南西方向が一望できます。



近年発掘調査が進むにつれ新たな石垣群の発見が相次ぎ、戦国時代末期では珍しい本格的な石垣を多用する山城であったことがわかってきました。
石垣が築かれているのは北エリアの東側に集中しています。これは登城道から見える位置に石垣を築くことで、城主の威光を示したと考えられています。
石垣の特徴は自然石を垂直に近い勾配で積んだ野面積みです。石垣は勾配が垂直に近くなるほど高く積むのが難しくなります。そのため1段目の石垣を積んだ後に犬走状の平坦面を設け、さらに2弾目を積む段築状石垣として、高く見せる工夫がされています。また、延長の長い石垣では崩れるのを防ぐため隅角部(出隅)が構築されています。(石垣の塁線を外側に曲げて造られた凸部分の角)


自分のルールでは、遠征先での山城入山を13時までとしていましたが、快晴に恵まれたこともあって夕方近くの時間帯での登城を強行してしまいました。
道迷いすれば日没となり、遭難する危険が高い行為です。
本来の計画では翌日に「大阪城」と「飯盛城」を訪れるハズだったのですが、初日の行程に余裕ができて、もう一つぐらいいけるやろ!と強行した訳です。
下山時間を気にしながらだったため、支尾根などを端折ってしまい、せっかくの機会を有効に活用できなかったことが悔やまれます。
今後の反省点として活かしていきたいと思います。
ヤマップ行動履歴
S15:43-G16:50 所要時間1:22
距離3.0Km
高低189m



【飯盛城】
《信長に先立つ天下人三好長慶の居城》

名称(別名);いいもりじょう 飯盛山城、河内飯盛城
所在地;大阪府大東市大字北条、大阪府四条畷市大字南野
城地種類;山城
標高/比高;314m/210m(駐車場からの比高51m)
築城年代;享禄年間(1528~32)、永禄3年(1560)
廃城年代; 天正4年(1576年)
築城者;木沢長政、三好長慶
主な改修者;木沢長政、三好長慶
主な城主;木沢氏、安見氏、三好氏
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;曲輪、石垣、虎口、堀、土橋、土塁、切岸
近年の主な復元等;


※出典、、、続日本100名城
地図;



【御城印】


配布先;前述のキャンピィだいとうwebページは→こちら
もしくは、大東市歴史民俗資料館(大東市野崎三丁目6番1号)webページは→こちら
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