石山城はおおい町石山背後の山頂に位置しています。石山は街道が交差する交通の要衝で、標高190メートルの主郭からは佐分利川上・中流域を一望できます。ここに山城を築き佐分利一帯を治めたのは、若狭守護・武田氏の家臣・武藤氏でした。
天文7(1538)年の武田氏の家督相続をめぐる内紛のなか、武藤氏は加斗庄(現小浜市)の掌握や、本郷氏、逸見氏(現高浜町)の領地に侵入するなど活発に動きます。若狭の多くの国衆が時の権力者・織田信長の傘下に入るなか、武藤氏は拒み続け、元亀元(1570)年、信長は武藤氏討伐の軍を起こします。しかしその実態は越前朝倉氏討伐で、敦賀まで進軍しますが、浅井氏の離反により信長は撤退戦を強いられます。その後、織田家重臣・丹羽長秀と明智光秀が石山城攻略のため派遣され、石山城は落城します。この一連の動きは『信長公記』に記されています。
山城の一部は舞鶴若狭自動車道建設時に削平されましたが、山頂の主郭やそれに連なる郭など主要な施設は残っています。工事に伴う発掘調査では郭から礎石が見つかり、建物があったと推測されています。陶磁器なども出土し、その年代は16世紀中頃から後半とされています。、、、福井新聞D刊「ふくいの山城へいざ」より
場所は福井県大飯郡おおい町石山
舞鶴若狭自動車道「大飯高浜IC」下車、県道16号線(坂本高浜線)を石山方面へ。「佐分利川」を渡り、県道1号線(小浜綾部線)交差点を直進して、
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「おおい町石山郵便局」を左手に見ながら直進。
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舞鶴若狭自動車道路の高架をくぐり、
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ループした県道16号線の真下に登城口があります。
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2020年NHK大河『麒麟がくる』のブームにあやかった「明智光秀の幟旗」が目印だったのでしょうが、今は見る影もありません😿
現地説明板や明確な案内板はありませんので要注意です。
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車はこの空き地に停めることができます。
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谷川に架かる橋を渡って山に入ります。
登城道は整備され、踏み板もしっかりあります。ただ、案内板が全くありませんので少し不安ではあります💦
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九十九折れの遊歩道を登ること10分、段郭に到着。北面には獣除けのフェンスが張り巡らされています。
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ここが段郭の北端で、ここから尾根のピークにある主郭を目指して登って行きます。
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ここで当日の行程を縄張り図で示します。
ところが今回は縄張り図がないので概念図💦で示します。
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マップに落とし込んだ行動履歴で補完します。
ヤマップより
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「段郭」
階段状に9段数えることができました。
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しかし、北端のフェンスの先にあった段郭の一部は、道路建設で削られてしまったそうです。
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主郭に近づくとブルーシートに覆われた一角が現れました。
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「二郭」から「主郭」「南郭」の一帯は発掘調査が行われているようです。
発掘調査によって多数の礎石が見つかっており、複数の建物が建っていたことが伺えます。
また、陶磁器なども出土しており、その年代は16世紀中ごろから後半とされています。
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「二郭」
東側
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西側
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北側
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「主郭」
東側斜面の岩盤
自然地形を取り込んで切岸からの石垣としたのでしょうか?
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北側
石垣の一部とみられるものが遺っています。
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東側
こちらの面にも石垣の一部とみられるものが遺っています。
この山は岩石が豊富なので石垣を積んだことは容易に想像できます。
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「南郭」
主郭より
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南側より、後方は主郭
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南郭南端
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「東尾根三重堀切・竪堀」
南郭の南端から東に伸びる尾根に掘られた三重堀切と竪堀がみどころです
南郭南端の堀切からの竪堀
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そこに設けられた遊歩道
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堀切と斜面に彫り込まれた竪堀
第二堀切東側と南郭切岸
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同西側
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同東側竪堀
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第三堀切断面東側
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同東斜面竪堀
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「眺望」
段郭北端のフェンスの辺りからは舞鶴若狭自動車・大飯高浜ICが眼下に見える。
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主郭からは高い樹木に遮られ眺望は無いが、僅かに東側に開けた場所があった。足元に走るのは県道16号のループ。
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「城址がある石山遠景」
県道16号線から
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舞鶴若狭自動車から
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「まとめ」
若狭守護武田氏の家臣だった武藤氏なら、当然主君の石垣の城「後瀬山城」にならって自らの石山城にも石垣を積んだと考えられます。
後瀬山城の記事は→こちら
また、高浜町馬居寺にある「白石山城」と同じく?? 白っぽい岩石で覆われた山なので、石の調達も容易だったと推測されます。
白石山城の記事は→こちら
以上は個人の感想なのでご容赦願います<m(__)m>
【石山城】
《いしやまじょう》
名称(別名);
所在地;福井県大飯郡おおい町石山
城地種類;山城
標高/比高;190m/120m
築城年代;室町期
廃城年代;元亀元年(1570)
築城者;武藤氏
主な改修者;
主な城主;武藤氏
文化財区分;
主な遺構;古和・堀切・竪堀
近年の主な復元等;
※出典、、、福井新聞D刊、若狭地城郭巡りガイドブック
地図;