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諏訪湖と河川を天然の防備とする
【歴史】
諏訪神社の神職諏訪氏は、戦国時代には上原城を本拠に国人領主化したが、やがて武田氏、次いで徳川氏に従い、天正18年(1590)に徳川氏の関東入りに伴ってこの地を離れた。代わって、築城名手と名高い日根野高吉が諏訪に入り、文禄元年(1592)から7年がかりで諏訪湖畔に高島城を築いた。城の完成後3年ほどで日野氏は下野壬生へ移封され、(関ヶ原の合戦で徳川方だった為家康の恩恵により)諏訪氏が11年ぶりに父祖の地を回復する。その後、諏訪氏は高島藩3万石の藩主家として、明治維新まで家名と城を守り抜いた。
【縄張】
諏訪湖を天然の防備とし、湖に流れ込む川を巧みに掘りに利用しており、水城とも浮き城とも呼ばれた。北の城下側に大手門を配し、そこから湖に張り出すように一直線に衣之渡郭、三之丸、二之丸本丸を並べ、本丸の南東に南之丸があった。本丸には石垣を積み上げ、三重天守を築いていた。、、、続日本100名城 公式ガイドブックより
場所は長野県諏訪市高島、諏訪市役所の隣にある「高島公園」
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県道50号線「高島城交差点」を堀沿いに曲がり、天守の向かい側に「高島城公園無料駐車場」がある。
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高島城公園の入り口はこの駐車場の向かい側です。
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まるで石垣の埋門のような公園入り口を入ると、本丸跡に池や藤棚が整備された公園となっています。
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また護国神社周辺は遊具なども設置され、子供たちや親子連れで賑わっていました。
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【遺構】
現在の高島公園
※諏訪高島城パンフレットより(上が南を表す)
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「土戸門跡」
高島城の勝手口に当たる場所で、資材搬入口や商人・職人の出入り口でもありました。
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城内より
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「三之丸御殿裏門(移築)」
昭和63年に所有者から市に寄贈され、この場所に移築されました。
この場所にはかつて川渡門があり、城が湖に面していた頃はここから船に乗ったそうです。、、、現地案内板より
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「富士見櫓跡」
本丸南東隅ある隅櫓跡で、土塁上には多聞が巡っていました。
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「冠木門、冠木橋」
二之丸と本丸の間にある内堀に架かる橋と門で、戦時では外敵の侵入を阻止する目的があります。
平時は役所向きの用事や「冠木門お通り」の資格を与えられたものだけが通行を許可されていました。
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冠木門(城内より)
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天守から冠木門、北東隅櫓まで、土塁上に多聞が巡っていた。
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「北東隅櫓」
東から西方向
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本丸北東隅櫓と冠木門・冠木橋
西から東方向
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「天守」
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内堀冠木橋から
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「内堀」
北面と東面の二面に残っています。
北東隅
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南東隅
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東面
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【天守(高島城天守閣展示室内)】
眺望
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北面の内堀と東側は茅野市との境の山
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住宅街の南側に諏訪湖が見えます。当時は城のそばまで湖があったそうです。
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高島城天守閣1F展示室
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模型
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江戸時代の高島城推定図(上が北を表す)
※高島城復興50周年記念誌より
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昭和45年(1970)諏訪住民の熱意で天守、冠木門、隅櫓などが復興され、市の中心部にある公園として愛され親しまれています。
しかし考えてみたら旧領復帰した諏訪氏はすごく運のよい殿様だったんですね。(これはあくまでもシロートの主観です
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諏訪藩は3万石の小藩でしたが、城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから諏訪の浮城と呼ばれ、『諏訪の殿様よい城もちゃる うしろ松山 前は海』と歌われた名城をタダで手に入れたんですから
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徳川氏に臣従したこと、旧領復帰したこと、そして前任者(日根野氏)が築城した新築の城(1598年完成)、築後3年(1601年入封)で、城の建設費タダで手に入れたって感じでしょうか
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【御城印】
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販売先;高島城天守閣1F展示室内
営業時間・休館日;諏訪市公式HP→こちら
【高島城】
《日根野高吉が築いた湖畔の城》
名称(別名);諏訪の浮城
所在地;長野県諏訪市高島1-20-1
城地種類;平城
築城年代;文禄元年(1592)~、慶長3年(1598)~
築城者;日根野高吉、
主な城主;日根野氏、諏訪氏
文化財区分;市指定史跡
近年の主な復元等;昭和45年(1970)本丸跡に天守閣を外観復元(鉄筋コンクリート)敷地内の公園整備
天守の現状、形態;独立式望楼型3重5階(1598年築 非現存)(1970年 RC造復興)
※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
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