民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「語りの力と教育」 その9 高橋郁子

2014年07月27日 00時04分29秒 | 民話(語り)について
「語りの力と教育」その9 高橋郁子

 第1節 「遠い記憶への憧れ」

 昔話の持つ伝承の力は独特な魅力を持ち、人々を引きつける。
語られる昔話が研究家の手によって活字化され、
それに引き付けられた文学者がさらに文学作品として昇華させていった。

 そのうちに活字から昔話の世界に入る者も出現し、
さらにはテレビアニメにより昔話を観賞する子どもも現れた。
水沢氏は社会の動きに反応する語り手の変化を次のように嘆いている。

「昔話は本来、口で語り耳で聞く語りのために、こういう擬態語が耳に残るように、
自然に、効果的に使われている。

 このごろのテレビばかり見ている近代的なおばばのムカシカタリには、この擬態語が脱落して、
まったく迫力にかける。(水沢4 p10」「現在は、もう昔話伝承の糸がきれかかっている。
村や家や小学校の生活のなかで、昔話の語りの場を失ってしまったかに見える。

 昔話は口で語り、耳で聞くというところが昔話の生命で、そこに人間的なふれあいもある。(同p14」

 水沢氏は晩年昔話を取り巻く状況の変化を嘆いていたが、
氏が精力的に収集していた昔話を活字として目にし、それにひかれて語り出した人々の出現には、
水沢氏は気がついていなかったようだ。