民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「語りの力と教育」 その6 高橋郁子

2014年07月21日 00時41分36秒 | 民話(語り)について
 「語りの力と教育」 その6 高橋郁子

「口を閉ざす語り手」

 昔話の場の変化を考察する前に、この章では家庭内で語りを行っていた
人々の心の変遷を考えてみたい。

「私のうちも五人の子供が皆出てしまい、孫もいません。淋しいことです。
たまに孫を連れて息子や娘が遊びにきますが、
たまに会うだけだから『いい顔』をしなければなりませんし、
孫のしつけなどにいいたいことがあっても言えないのが正直のところです。/斉藤清吉(こつP63」

 これは地方自治体がまとめた、高齢者の文集の中の一説である。
高齢者は、それまで当たり前であった幼い者へのしつけですら、
「いいおじいちゃん」であるために躊躇しているのである。

 かつて、語りの場が提供されていた時代はどうであったか。

「幼いときの聞き好き、語り上手が、やがて長じて語り好き、
語り上手のムカシカタリのカタリジサやカタリバサになるのだった。
どの伝承者も子どものときには語り手からムカシを掘り起こす驚くべき聞き手であった。(水沢4p8」

 昔話を上手に聞く子どもは、素晴らしい伝承者に育つのである。
よい話も悪い話もたくさん聞き、取捨選択をして子どもの感性は育っていくのである。
高齢者は「いい高齢者」「悪い高齢者」などと考えて子供たちに気兼ねをする必要などなかった。

「積極的に自分の聞きたい話を、かんたんなヒントで語り手の記憶を掘り起こしていく。
記憶の底に埋没している光ったムカシを、忘却の深層部に眠っているムカシを引き出していく。
(中略)自分一人では、そのすべてを思い出すことはできなかったであろう。
引き出し役の聞き手が必要だった。
聞き手しだいによるのだ。(水沢4 p8」

 これは、昔話の研究家として膨大な資料を収集した水沢謙一氏の言葉である。
研究家と、幼い子どもの聞き取り方には大きな違いがあるだろう。

 しかし水沢氏は、昔話の伝承者が子ども時代には「驚くべき聞き手であった」と評している。
高齢者は幼い子どものあどけない表情や無邪気な質問を受けることによって、
「忘却の深層部に眠っている」記憶を引き出すこともあったのだ。

 高齢者と若年層の者が語りあう重要性はここにある。