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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「古事記」 田辺聖子

2014年04月08日 00時01分26秒 | 雑学知識
 田辺聖子の「古事記」 集英社文庫  1986年に発行されたものの文庫版

 わたしと「古事記」

 「古事記」の魅力は、まずもっとも古い日本語の文献であるということである。
 それも飾らぬ素朴な言葉が出てくる。
千五、六百年昔の言葉を、いまもなお理解でき、現に使っている、
などというのはなんとめざましいことだろう。
私は関西育ちであるが、曾祖母や祖母などが使っていた古い大阪弁、たとえば、叫びわめく、
などという意味の「おらぶ」を、大阪の方言だと思っていた。
それが学生時代に、『古事記』を読んで、その中にちゃんと「おらぶ」が出てくるのを知り、
民族のへその緒はつながって脈々とうけつがれている、という感動に打たれた。

 『古事記』はその点でも我々がいとおしむべき古典である。
 また『古事記』はすべての日本文学の、「出(い)できはじめの祖(おや)」である。
ここにおさめられた歌謡はやがて『万葉集』『古今和歌集』へうけつがれ、物語は『源氏物語』へ、
近世文学へと発展する。

 それ以上に私には『古事記』のどんな小さい物語にも、
人間が生きることのエッセンスがふくまれているように思えてならない。
人々の真実と愛が語られ、いつもそこから物語りは創られていくのである。

 若いときから私は『古事記』の歌謡に魅せられている。
ふしぎな詩句のつらなりが、私たちに遠い玄妙な記憶をよびさます。
それはいつも刺激的で、『古事記』は永遠に若々しい。
『古事記』は私たちの誇る民族遺産ではあるけれど、
戦時中のように国粋主義に利用されることは再びあってはならないと思う。

 何より『古事記』は、愛の書物であり、人間の物語、
真実の尊厳をうたいあげる詩集であるのだから。

「思い出の記」 小泉 節子

2014年04月06日 00時25分41秒 | 民話の背景(民俗)
 小泉八雲 「思い出の記」 小泉 節子(セツ) 八雲の妻  恒文社 1976年

 P-21

 怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」といっていました。
私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
淋しそうな夜、ランプの芯を下げて怪談をいたしました。
 ヘルン(ハーン)は私にものを聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。
その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。
その頃は私の家は化け物屋敷のようでした。
私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。
このことを話しますと「それでは当分休みましょう」といって、休みました。
気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。

 私が昔話をヘルンにいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体話します。
面白いとなると、その筋を書いておきます。
それから委(くわ)しく話せと申します。
それから幾度となく話させます。
私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、
あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければ
なりませんから、夢にまで見るようになって参りました。

 話が面白いとなると、いつも非常に真面目にあらたまるのでございます。
顔の色が変わりまして目が鋭く恐ろしくなります。
その様子の変わり方がなかなかひどいのです。
たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつものように話して
参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえているのでございます。
いつもこんなですけれども、私はこの時ふと恐ろしくなりました。
私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。
「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。
どんな風をしていったでしょう。
その声はどんなでしょう。
履物の音は何とあなたに響きますか。
その夜はどんなでしたろう。
私はこう思います。
あなたはどうです、などと本に全くないことまで、いろいろと相談いたします。
二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。

「民俗誌・女の一生」 野本 寛一

2014年04月02日 00時04分36秒 | 民話の背景(民俗)
 「民俗誌・女の一生」 母性の力  野本 寛一 著  文春新書 2006年

 「女たちのことづて」 P-18

 本書は手のとどく過去を生きたこの国の女たちの「民俗誌」である。
海辺のムラ・山中のムラ・平地水田地帯などに生きる人びとの仕事や暮らしに関する誇りに
耳を傾けてきたのである。
が、その間に、女性たちの「体験」と「伝承」の総体がじつに厖大なものであることが
身にしみて感じられるようになった。
その厖大な体験や伝承はこれからどこへ行ってしまうのか、それらは水泡のように消えてしまって
よいものなのか、こうした思いがしきりに胸をよぎるようになった。

 戦前期に生きた女たちは、たしかに陋習(ろうしゅう)に悩まされ、
種々の仕事の厳しさに苦渋を舐めてきた。
しかし、一面、女性としての誇りを持ち、逞しく働き、夫と協力し、
様々な感動を抱いていたのも事実である。
そうした、ふくらみのある彼女たちの人生を、ある側面のみを見て、図式的・観念的に一括して
刻印してしまう傾向はないだろうか。

 大量生産・大量消費、大量の情報、電子化の浸透などによる生活様式の変化の波は、
怒涛のように押し寄せた。
都市集中、農村漁村の過疎化も進んだ。
そのため、生業や生活、村落社会・町内などに網の目のように張りめぐらされ、
生態系のように機能していた多彩な伝承や民族的システムは寸断された。
様々な伝承の中には断絶したものも多く、総じてその水脈は細り、枯渇の危機に瀕している。
個人を結び、イエとイエとを繋ぎ、地域を束ねていた伝承の糸が切れ、価値観の混乱によって、
日本人は様々な面で方途を見失っているのだ。

 中略

 本書に登場する女性たちは、厳しい時代を生きぬく中で、様々な労苦に耐えながらも、
自らに誇りを持ち、家族や隣人を愛し続けてきた。
とりわけその母性は豊かだった。
この国には女性を蔑視する風潮が充満していたように解説されることが多いのだが、
手のとどく過去の民族社会のシステムや民俗の思想を細かく見てゆくと、
実態は決してそんなに単純なものではなく、地域社会や、
イエとして女性と母性を尊び守る潮流が絶えることなく流れていたことに気づく。
その時代はまた、男たちにも厳しい時代だった。
地主・小作・自作農が混在した時代=1946年10月、自作農創設特別措置法・農地調整法改正の
交布によって農地改革がなされる前の時代は、階層差が厳然として存在していた。
多くの小作農においては、男にも女にも厳しい時代だった。
そうした中でも、女性を尊ぶ心は生きていたのだ。
女性について考えることはとりもなおさず男性について考えることであり、
社会について考えることにほかならない。

 後略