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「本居宣長」 自国のことを知らない人たち 吉田 悦之

2016年04月10日 00時22分09秒 | 古典
 「日本人のこころの言葉 本居宣長」 吉田 悦之(本居宣長記念館館長) 創元社 2015年

 「自国のことを知らない人たち」 P-110

 本(もと)と末(すえ)をきちんと区別する、これが宣長の基本です。
 不思議なことですが、日本人には自国の文化を軽んじる風があります。英語を教えることには熱心でも、日本語に関しては文章の体をなさなくても目をつむる、というのが今日の日本の状況です。「ハローウィン」や「クリスマス」には詳しくても、正月行事の「左義長(さぎちょう)」や、「山の神」も知らない日本人が増えています。これは今に始まったことではありません。

 まず日本語をきちんと使えること、歴史を知ることが最初なのです。失われつつある民族行事はともかくも、日本の伝統文化、あるいは作法や所作の洗練された感覚は、いま世界から注目されています。しかし、優れているから学べというのではありません。自国のことだからなのです。判断基準、あるいは思考形式は借りてくることはできません。自分の生まれ育った国を離れることはとても難しいことです。
 当時の知識人は中国を学ぶうちに、本末転倒、中国が中心になってしまい、「漢意(からごころ)」を絶対視することの恐ろしさを忘れていることに、宣長は警鐘を鳴らしたのです。

 (作者 注意書き)原文は原則として新字体・現代かなづかいに改め、読みやすくするために、適宜、ふりがなや句読点をつけるとともに、かなを漢字にするなどの調整をしました。和歌・俳句は、旧かなづかいのままとし、ふりがな、濁点をつけました。



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