「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」 正岡子規 著 角川ソフィア文庫 平成21年
「仰臥漫録―解説」その3 嵐山 光三郎
その三日後の10月13日の記載が『仰臥漫録』の圧巻となる。
「・・・・・さあ静かになった。この家には余一人となったのである。余は左向きに寝たまま前の硯箱を見ると四、五本の禿筆(ちびふで)一本の検温器の外に二寸ばかりの鋭い小刀と二寸ばかりの千枚通しの錐とはしかも筆の上にあらわれて居る」
子規は、剃刀で自殺する衝動にかられた。つぎの間に行けば剃刀がある。けれどそこまで這っていくことができない。小刀ではのど笛を切断できず、錐で心臓に穴を開けることはできそうだが三つか四つ開けるのが恐い。
自死への誘惑を、錐と小刀の絵を描くことで押さえた。絵の上に「古白曰来」(古白(こはく)曰(いわ)く来(きた)れ)と書いた。
古白(藤野古白)は、子規の従兄弟で、東京専門学校(現・早稲田大学)で文学を修めて、子規とともに俳句を志したが、自信を失って二十五歳でピストル自殺した。子規はその才を痛恨して『古白遺稿』を編んだ。自殺した古白が、「こちらへ来い」と呼んでいる。と書いてしまえば、それが護符となる。
絵を描くことは、子規にとって治療行為であった。『病牀六尺』(8月7日)に「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分かって来るような気がする。」と書いている。モルヒネを飲んで、忘れ草や蝦夷(えぞ)菊を描いた。
漱石は、熊本五高へ赴任(漱石、子規はともに三十歳)したとき、子規より、一首の歌を添えて東菊の絵を送られた。壁にかけて眺めてみると、「いかにも淋しい感じがする」と漱石は思い、「子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかった様に見える。僅か三茎(みくき)の花に、少なくとも五、六時間の手間を掛けて、どこからどこまで丹念に塗り上げている」(「子規の絵」)と評している。俳句や歌は無造作にす早く詠む子規が、絵には時間をかけた。
子規は小学生時代に「画道独り稽古」の模写をして、絵が得意だった。裏の畑に咲くそら豆やえんどうの花を見て、「草花は吾が命」と感じていた。子どものころは「赤」の色を好んだ。三十二歳のとき、中村不折(ふせつ)に絵をほめられ、絵の具を貰って、いっそう絵を描くことに夢中になった。
「ある絵の具とある絵の具とを合わせて草花を描く。・・・同じ赤い色でも少しづつの色の違いで趣きが違って来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいうものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであろうか。」(『病牀六尺』89、8月9日)
「仰臥漫録―解説」その3 嵐山 光三郎
その三日後の10月13日の記載が『仰臥漫録』の圧巻となる。
「・・・・・さあ静かになった。この家には余一人となったのである。余は左向きに寝たまま前の硯箱を見ると四、五本の禿筆(ちびふで)一本の検温器の外に二寸ばかりの鋭い小刀と二寸ばかりの千枚通しの錐とはしかも筆の上にあらわれて居る」
子規は、剃刀で自殺する衝動にかられた。つぎの間に行けば剃刀がある。けれどそこまで這っていくことができない。小刀ではのど笛を切断できず、錐で心臓に穴を開けることはできそうだが三つか四つ開けるのが恐い。
自死への誘惑を、錐と小刀の絵を描くことで押さえた。絵の上に「古白曰来」(古白(こはく)曰(いわ)く来(きた)れ)と書いた。
古白(藤野古白)は、子規の従兄弟で、東京専門学校(現・早稲田大学)で文学を修めて、子規とともに俳句を志したが、自信を失って二十五歳でピストル自殺した。子規はその才を痛恨して『古白遺稿』を編んだ。自殺した古白が、「こちらへ来い」と呼んでいる。と書いてしまえば、それが護符となる。
絵を描くことは、子規にとって治療行為であった。『病牀六尺』(8月7日)に「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分かって来るような気がする。」と書いている。モルヒネを飲んで、忘れ草や蝦夷(えぞ)菊を描いた。
漱石は、熊本五高へ赴任(漱石、子規はともに三十歳)したとき、子規より、一首の歌を添えて東菊の絵を送られた。壁にかけて眺めてみると、「いかにも淋しい感じがする」と漱石は思い、「子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかった様に見える。僅か三茎(みくき)の花に、少なくとも五、六時間の手間を掛けて、どこからどこまで丹念に塗り上げている」(「子規の絵」)と評している。俳句や歌は無造作にす早く詠む子規が、絵には時間をかけた。
子規は小学生時代に「画道独り稽古」の模写をして、絵が得意だった。裏の畑に咲くそら豆やえんどうの花を見て、「草花は吾が命」と感じていた。子どものころは「赤」の色を好んだ。三十二歳のとき、中村不折(ふせつ)に絵をほめられ、絵の具を貰って、いっそう絵を描くことに夢中になった。
「ある絵の具とある絵の具とを合わせて草花を描く。・・・同じ赤い色でも少しづつの色の違いで趣きが違って来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいうものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであろうか。」(『病牀六尺』89、8月9日)