「大本営発表」 その6 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年
「はじめに」 その5
ところで、われわれは戦後70年以上にわたって「大本営発表」という比喩を絶やさず、その再来を恐れてきた。一定の条件が揃えば、再び大本営発表の悪夢がよみがえるかもしれない。そんな恐怖が日本人の心を捉えてきたのだ。
それは決して杞憂ではなかった。
不幸にも、福島第一原発事故は「あてにならない当局の発表」が依然としてまかり通っていたことを明らかにした。電力会社による広告費を使ったマスコミ懐柔の実態もまた明らかになった。
もちろん、現在の日本には戦前のような陸海軍もなければ、抑圧的な言語統制の仕組みもない。反対に、表現の自由を保障する憲法や、多種多様なメディアも存在している。ただ、それにもかかわらず、原発の「安全神話」なるものが日本社会を覆ってしまった。われわれが大本営発表の歴史から学ぶべきことは決して少なくないのではないか。
「はじめに」 その5
ところで、われわれは戦後70年以上にわたって「大本営発表」という比喩を絶やさず、その再来を恐れてきた。一定の条件が揃えば、再び大本営発表の悪夢がよみがえるかもしれない。そんな恐怖が日本人の心を捉えてきたのだ。
それは決して杞憂ではなかった。
不幸にも、福島第一原発事故は「あてにならない当局の発表」が依然としてまかり通っていたことを明らかにした。電力会社による広告費を使ったマスコミ懐柔の実態もまた明らかになった。
もちろん、現在の日本には戦前のような陸海軍もなければ、抑圧的な言語統制の仕組みもない。反対に、表現の自由を保障する憲法や、多種多様なメディアも存在している。ただ、それにもかかわらず、原発の「安全神話」なるものが日本社会を覆ってしまった。われわれが大本営発表の歴史から学ぶべきことは決して少なくないのではないか。