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「無名の人生」 その8 渡辺 京二 

2018年02月12日 01時14分51秒 | 生活信条
 「無名の人生」 その8 渡辺 京二  文春新書 2014年

 1、私は異邦人 P-21

 『逝きし世の面影』は、私の著作のうち最も知られている本だと思いますが、この本を書くことによって思わぬ波が押し寄せてきました。

 中略

 この本は、維新前後に日本を訪れた西洋人の眼に、日本人の姿とその暮らしがどう映ったかを描いたものです。彼らの滞在記録を見ると、明治20年代か30年代ぐらいまでは、日本人がとても幸せそうに見えた――彼らは一様に、そう書いている。逆にいえば、それ以降は近代化の波に洗われて、そうした美点が失われていったわけです。

 私の本はそれらの証言を拾い集めたもので、けっして都合のよい史料だけを取捨選択して並べたりはしていません。にもかかわらず、「あの頃は良かった」という印象を読者に与えることになりました。そのために、学者、とくに歴史の専門家・研究者からはかなり反発を受けました。

 これまでの歴史研究は進歩史観が大勢を占めていて、江戸時代よりは明治時代のほうが文明の進んだ社会であった、というのが基本的な態度です。特に戦後学会を制覇したマルクス主義史学からすると、江戸時代は封建制の悲惨な時代ということになる。私が紹介した外国人の証言はそういう見方をまったく裏切っているのですね。彼らだって、外国人の書いたそれらの史料を当然知っていたはずです。しかし、彼らの信奉する史観とあまりに反するために、無視するしかなかったのでしょう。彼らの眼にバイパスがかかっていたとしか思えません。

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