「無名の人生」 その7 渡辺 京二 文春新書 2014年
序 人間、死ぬからおもしろい その7 P-15
われわれは、年をふるにつれて知識や経験を積むこともあれば、老いてますます人間関係などがまずくなることもあります。しかし、100年生きようが500年生きようが、あるいは1,000年以上生きようが、生まれたときから同じ一個の人間です。その間に成長したりすることは多少はあるとしても、所詮、高が知れている。たとえ100年生きても退屈きわまりないものです。人間の生命に限りがあるのは、退屈さにピリオドを打つためではないのでしょうか。
中略
人間、死ぬから面白い。
こんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれません。しかし、人間、死ぬからこそ、その生に味わいが出てくる。かく言う私だって、まだまだ死にたくはありません。今でも世の中には執着がある。けれども、死ぬからこそ、今を生きていることに喜びが感じられるのです。
序 人間、死ぬからおもしろい その7 P-15
われわれは、年をふるにつれて知識や経験を積むこともあれば、老いてますます人間関係などがまずくなることもあります。しかし、100年生きようが500年生きようが、あるいは1,000年以上生きようが、生まれたときから同じ一個の人間です。その間に成長したりすることは多少はあるとしても、所詮、高が知れている。たとえ100年生きても退屈きわまりないものです。人間の生命に限りがあるのは、退屈さにピリオドを打つためではないのでしょうか。
中略
人間、死ぬから面白い。
こんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれません。しかし、人間、死ぬからこそ、その生に味わいが出てくる。かく言う私だって、まだまだ死にたくはありません。今でも世の中には執着がある。けれども、死ぬからこそ、今を生きていることに喜びが感じられるのです。