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「坂の上の雲」 「あとがき」その1 司馬遼太郎

2015年01月29日 00時26分47秒 | 雑学知識
 「坂の上の雲」 第一巻  司馬遼太郎 著  文芸春秋 2004年

 「あとがき」その1

 小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつくるほどの厳密さもないことである。小説というものは一般に、当人もしくは読み手にとって気に入らない作品がありえても、出来そこないというものはありえない。
 そういう、つまり小説がもっている形式や形態の無定義、非定型ということに安心を置いてこのながい作品を書きはじめた。
 たえずあたまにおいているばく然とした主題は日本人とはなにかということであり、それも、この作品の登場人物たちがおかれている条件下で考えてみたかったのである。

 維新後、日露戦争までという三十余年は、文化史的にも精神史のうえからでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。
 これほど楽天的な時代はない。
 むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない。明治はよかったという。その時代に世を送った職人や農夫や教師などの多くが、そういっていたのを、私どもは少年のころにきいている。
 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」
 という、中村草田男の澄みきった色彩世界がもつ明治が、一方にある。

 ヨーロッパ的な意味における「国家」が、明治維新で誕生した。日本史上、大化改新という管制上(現実はどうであったか)の強力な中央集権国家が成立した一時期はあったが、その後、すぐ日本的自然形態にもどった。日本的自然形態とは、大小無数の地方政権の寄りあいというかたちである。封建とか、地方分権主義とかよんでもいい。あの維新前における最強の政権であった徳川政権ですら、徳川将軍家は、実質的には諸侯のなかでの最大の諸侯というだけにすぎず、その諸侯たちの盟主というにすぎなかった。元禄期の赤穂浪士には浅野侯への忠義はあっても、国家意識などはなかったのである。

 ところが、維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。天皇はその日本的本質から変形されて、あたかもドイツの皇帝であるかのような法制上の性格をもたされた。だれもが、「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

 いまからおもえばじつにこっけいなことに米と絹のほかに主要産業のないこの百姓国家の連中が、ヨーロッパ先進国とおなじ海軍をもとうとしたことである。陸軍も同様である。人口五千ほどの村が一流のプロ野球団をもろうとするようなもので、財政のなりたつはずがない。
 が、そのようにしてともかくも近代国家をつくりあげようというのがもともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民たちの少年のような希望であった。少年どもは食うものも食わずに三十余年をすごしたが、はた目からみるこの悲惨さを、かれら少年たちはみずからの不幸としたかどうか。


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