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「盛り場の民族史」 神崎 宣武

2013年05月27日 00時11分32秒 | 大道芸
 「盛り場の民族史」P-29~P-31  神崎 宣武(1944年生)  1993年 岩波書店

 徳田さん(68才、平成5年現在)は、短く刈り込んだ白髪頭に手拭いで鉢巻きをし、商いをはじめる。
ダミ声である。が、けっして大声は出さない。むしろ、仏頂面。
ひとりごとを、しかも棒読みで唱えるごとく愛想のない口上である。
しかし、それも話術のひとつなのであろう、自然と客の足が止まるのである。

 「もうちょっと前の方へ集まってもらいましょう。
何もこのナイフで切りつけようとするんじゃない。
ナイフの使い方を、席料とらずにお教えしようというわけだ。
このナイフ、十徳ナイフという。
私の親父が徳田十兵衛。徳田の十兵衛が工学博士、伴野明先生のもとに通って三年八ヶ月、
出雲の玉鋼(たまはがね)を鍛えあげてつくりだした特許ものだから、十徳ナイフという。
その技術開発の由来は、これなる説明書に書いてあるので、必要な人は申し出ておくれ。
ただし、ナイフについての箱入りだ。
ただではない。ただは、非常識。たった二千円ほど使いなさい。
 というても、あわてるな。あわてる乞食はもらいが少ない、というぞ。
これから私が使ってみせるから、その目でたしかめてください。
 十徳は、十の徳。ナイフはナイフでも、ただの切れものではない。
ナイフをたたんで、こいつを引き出すと、錐(きり)。キリキリッの錐。
おあとは、千枚通し、栓抜き、缶切り、やすりにガラス切り・・・・・」

 といいながら、徳田さんは、実演をするのである。
木片を削り、缶を切り、ガラスを切る。
じつに無造作な、しかし、見事な手さばきである。
とくに、厚手のガラスに波状の切れ目を入れ、
手でぽんと叩いて、その切れ目通りにあざやかに割るところでは、
とりまいた客からため息やら歓声があがる。
 徳田さんは、相変わらずの仏頂面である。

 「これは、私の腕ではない。
十徳ナイフ、十の徳のうちのひとつ、ダイヤモンド・ローラーの冴えなんだ。
このローラーの先っぽは、タンガロイ、鋼(はがね)の三倍の硬さがある。
どんなガラスでも自在に切れる。
だが、見てのお楽しみはここまで。あとは使ってのお楽しみだ。
包丁が持てる人、箸が持てる人なら誰でもが使えます。
資格は問わず、免許は皆伝。
黙ってみてるこたあねえだろ。ウンとかスンとかいいなさい。
ウンで二千円、スンで二千円。ハイ!二丁で四千円だ」

 徳田さんの口上につられて、思わず「ハイ」と答えてしまう客が必ず二人や三人はいるものだ。
話のつじつまが合っていない、とか、どこかで聞いた話だなあ、とか、
使いこなすには相応の技術がいるだろう、とかの疑問をはさませないで押し切る話術と演技・・・・・
それが、大道でのタンカバイ(口上売り)なのである。

 いうなれば、客の平常心を奪う「商いの芸」なるものが存在するのだ。
徳田さんの場合、話術や技術はもちろんのこと、その仏頂面までが芸のうち、ということになるだろう。

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