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「甦る江戸文化」 西山 松之助

2014年06月30日 00時29分41秒 | 雑学知識
 「甦る江戸文化」 人びとの暮らしの中で  西山 松之助 著 NHK出版 1992年

 序―――「文化の時代」としての江戸時代

 前略

 もちろん江戸時代は被支配階層の人びとは、人権を正当に認められないきびしい時代であったことは、いうまでもない。
しかし、村の隅々にまで教育は普及し、どんな寒村でも、たいてい村ごとの祭礼にともなう民俗芸能や民謡・民話を持つようになっていて、余裕のある人たちは、生活に密着した「いけ花」とか「うたい」の稽古をするというように、江戸時代の人びとは、私たちが想像するより、はるかに豊かな自分たち自身で演じたり、歌ったり造形したり、歌・俳句はもちろん、いろいろなものをクリエイトする文化活動をしていたのである。 こういう江戸の文化について論じたいと考えているのだが、今その十項目の論述をはじめるに当たって、それら全体に関連する江戸時代の文化のきわめて巨視的な展望を試みておきたい。

1、大航海時代という全世界的規模の激動時代の潮流が日本にも波及し、有史以来はじめて西欧文化の強襲をうけたが、江戸時代は鎖国を断行して、海外文化の受容はわずかに長崎港において、中国とオランダの両国だけの、きわめて制限された交流しかない時代であった。
しかしこのことが、この極東のせまい島国のなかで内的発酵による日本独特の文化を創造させた。

2、古代以来、日本の文化センターは、奈良あるいは京都という一つだけの文化センター時代が続いた。
鎌倉政権は時代が短く、文化センターにはなりえなかった。
江戸時代は、江戸と京都の二つの文化センター時代であった。

3、慶長20年(1615年)から慶応4年(1868年)まで、253年間、日本国内では、「島原の乱」以外、
戦争のない平和な時代が続いた。
この平和の永続ということが日本文化の発展におよぼした影響はたいへん大きい。

4、いわゆる幕藩体制がガッチリと構成され、かつ鎖国政策が断行され、参勤交代制が諸大名に義務づけられた。
このことが文化におよぼした影響は絶大である。

5、西欧では近代国家への大転換を遂げつつあったのに対し、日本でも封建社会崩壊の諸条件が表面化しつつあり、時代の大きな転換の潮流が渦巻き、新しい文化が旺盛に創出されるようになった。

6、日本全国津々浦々に鶴・こうのとり・白鳥・雁・鴨その他の渡り鳥が飛来し、京都にも江戸にも時鳥がやかましいほど鳴き、両国隅田川の屋形船で川の水を汲んで茶を点てる茶会ができたほど自然は美しく、しかも江戸初期の日本人口は約1,800万人、幕末は約3,000万人ほどで、大都市の人びとの排泄物もすべて近郷近在の農地で肥料にされ、自然と人間との生態系の循環現象が最も好適に行われた時代である。
7、あらゆる文化ならびに文化品が手作りであったし、主としてオーダーメイド時代であった。
このため、特産品を求めて山奥や離島の隅々まで開発され、日本全国にわたり、人の通行する道が最も隅々まで四通八達し、多種多様の生産物、文化品が創出された時代である。
このため、地方と中央の文化的相互補完現象が典型的に大発展した時代である。

8、江戸時代は鎖国時代で藩独立国の集合体としての封建社会であったから、きわめて閉鎖された暗黒時代のように思われがちだが、幕府はきわめて敏感に海外の情報を蒐集し、海外文化に深い関心を示し、積極的対応を見せた。
一般社会の情報網も想像以上に発達していた。
たとえば参勤交代の大名は、道中を悠々と歩いていたのではない。
江戸への中間までは、国飛脚で、それより江戸までは江戸からの飛脚で、毎日大名に必要な情報が届けられた。
米相場その他の商品情報・政令伝達の情報網など、想像以上に発達していた。
一般社会の情報も読売・瓦版などによって早急に全国に伝達された。
このように、江戸時代は情報文化時代になっていたといえよう。

9、江戸時代の被支配者たる庶民は武家権力の強圧によって、御無理御もっともという言葉のとおりに無抵抗で無力であったのではなく、かなりきびしい政道批判をしていたし、かつ身分逆転の生活哲学を実践する文化社会を創出して、流血革命なく近代社会へ転じていくことができた。

10、寺子屋の発達、大衆相手の出版物の非常に大きな発展などによる庶民文化の進展が著しく、識字率が高く、高度文化が広く庶民にまで普及していた点では、18世紀から19世紀前半期の日本は、おそらく世界で最も進んでいたのではないかと考えられる。

11、日清戦争以降からとくに太平洋戦争後の日本では中国文化への関心が低くなった。
ところが江戸時代の中国文化崇拝の情熱は驚くべきもので、とくに長崎の中国人居留地区では中国文化人から直接教えを受けることができたので、明清文化の日本への影響はきわめて大きかった。

 江戸時代を巨視的に展望すると、大まかに見て右(上)のようなことが私の目に浮かぶ。
とんでもないという人もいよう。
たしかに近代日本では江戸時代は侮蔑されてきた。
それは誤りである。
江戸は正しく見直されなければならない。

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