「どくとるマンボウ青春記」 その2 P-20 北 杜夫 新潮文庫 (平成12年)
ところが、私は、読書するよりも、もっとくだらぬ外形にまず時間を割いてしまった。帽子に、夢にまで見た白線(旧制高校生は白線帽が特徴であった)を巻き、それに醤油と油をつけて古めかしく見せようと努力した。次に、一人の友人から当時には貴重なものであった地下足袋とひき換えに、でっかい朴歯の下駄を獲得した。それには普通の鼻緒がついていたが、私はどえらい苦心ののち、直径4センチもある鼻緒を自ら作りだし、これを朴歯にとっつけた。旧制高校生の弊衣破帽というのはむろん彼らなりの裏返されたおしゃれで、いつの世にもわざと異様な格好をし、一般の世人とは区別されたがる人種がいるのと同様である。
私はそのとてつもない太い鼻緒に、更に墨くろぐろと、「憂行」と大書した。憂行(ゆうこう)とは、おそらく『昭和風雲録』辺りから由来した、右翼的で感傷的な、つまり「混濁の世を憂い行く」という意味くらいの雅号のつもりであった。ちなみに、憂行生なら号になるが、憂行では意味をなさない。しかし私は、素晴らしい雅号をつけたつもりで内心大得意で、ゴム版を彫って憂行の印を作り、これを自分の持ち物、友人に出す手紙などに、片端からベタベタと押しつけた。
ところが、私は、読書するよりも、もっとくだらぬ外形にまず時間を割いてしまった。帽子に、夢にまで見た白線(旧制高校生は白線帽が特徴であった)を巻き、それに醤油と油をつけて古めかしく見せようと努力した。次に、一人の友人から当時には貴重なものであった地下足袋とひき換えに、でっかい朴歯の下駄を獲得した。それには普通の鼻緒がついていたが、私はどえらい苦心ののち、直径4センチもある鼻緒を自ら作りだし、これを朴歯にとっつけた。旧制高校生の弊衣破帽というのはむろん彼らなりの裏返されたおしゃれで、いつの世にもわざと異様な格好をし、一般の世人とは区別されたがる人種がいるのと同様である。
私はそのとてつもない太い鼻緒に、更に墨くろぐろと、「憂行」と大書した。憂行(ゆうこう)とは、おそらく『昭和風雲録』辺りから由来した、右翼的で感傷的な、つまり「混濁の世を憂い行く」という意味くらいの雅号のつもりであった。ちなみに、憂行生なら号になるが、憂行では意味をなさない。しかし私は、素晴らしい雅号をつけたつもりで内心大得意で、ゴム版を彫って憂行の印を作り、これを自分の持ち物、友人に出す手紙などに、片端からベタベタと押しつけた。