民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「虚勢を張る」 マイ・エッセイ 30 

2017年10月31日 00時09分29秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「虚勢を張る」   

 中央生涯学習センターでの午前の講座を終え、図書館で借りた本でパンパンになったバッグを自転車のカゴに入れて家に帰る途中、老眼鏡を買おうと二荒山神社の前にあるディスカウントストアへ寄った。
 あやふやな記憶で二階の売り場を探してみたが見つからない。三階だったのかと、エスカレーターに乗ろうと通路を歩いているときだった。ツルッと左足の雪駄が滑って大きく後ろにのけぞった。
 ふだんから太極拳で足、腰を鍛えているせいか、ひっくり返らずに踏みとどまれたものの、左手の指にひっかけてクルクル回していた自転車のカギが、バランスを取ろうと振り上がった拍子に手から離れて、緩やかな放物線を描いて右側の商品棚の上に飛んで行った。不思議なことに、しっかりとその動きはスローモーションを観るように目がとらえていた。同時に、今日は滑りやすい雪駄を履いてきたことを思い出した。
 オイラは着物の生活に憧れていて、その準備段階として作務衣を着ることが多い。そんな時はたいてい下駄か雪駄を履く。ほんとうはいくらかでも身長が高くなる下駄を履きたいのだが、カランコロンの音が人目を引くのも気がひけて、たいがいはぺったんこの雪駄を選んでいる。
 だいぶ前に雪駄がくたびれてきたので、新品を買った。奮発してウラが本革のヤツにしたのだが、コイツがやけに滑る代物で、何度も滑って転んだり、転びそうになったりした。危なくてしょうがないから、前の雪駄を引っ張り出して履いていたが、ソイツもいよいよ鼻緒が切れてダメになってしまった。それで、その日は久しぶりに新しい滑りやすい雪駄を履いて出かけたのだったが、その日に限って滑らなかったので油断していた。
 カギが飛んで行った商品棚は目線よりかなり高い。店員にワケを話して踏み台を借りてきて捜し始めた。商品棚には女性の化粧用品がびっしりと陳列されている。まさか変質者には間違われないだろうが、他人の視線はやはり気になる。すぐ見つかるだろうとタカをくくっていたが、なかなか見つからない。近くで若い男の店員がずっと商品を並べている。おそらくアルバイトなのだろう、オレには関係ないもんね、というふうにしているのがなんともシャクにさわる。
 かなりたって、店員から事情を聞いた店長がやって来た。
「見つかりませんか?」
 口調はていねいだが、あんまり世話を焼かせるなよ、という顔がありありだ。しばらく一緒に捜すのを手伝ってくれたが見つからない。このジジイ、もうろくしているんじゃねぇだろうな、とでも確かめるように、何度もどんな状況だったか説明を求めてくる。オイラはそのたびに(コイツ、オレのことを信用してねぇな)、とイライラしながら、同じことをくり返しジェスチャーを交えて話した。
「それだったらこの辺しか考えられないですね」 
 店長はブツブツ言いながら、何度も同じ場所をしつっこく捜している。そのうち、これだけ捜して見つからないのだからもう諦めるしかないんじゃないですか、という態度を露わにしてきた。それでもオイラは、前にカギを失くした時の大変さが頭にあって、諦めきれずにいる。
「私にも仕事がありますので……、ほかの店員を寄こしますから」
 店長はしびれを切らしたように捨てゼリフを吐いて行ってしまった。ひとりに取り残されても必死に捜し続けたが見つからない。応援の店員がやって来る気配もない。
 さすがにこれ以上ムダに見える作業をしているのも惨めに思えて、後ろ髪を引かれながらその場を後にした。もうこんな店で買ってやるものかと腹立ちながら、また買いに来るのも面倒くさいし、老眼鏡がないのも不便なので、悔しいけれど三階の売り場に行ってお目当ての老眼鏡を買うことにした。二つ買うつもりでいたのを一つにしたのが精一杯の反逆だ。
 レジを済ませて三階から二階にエスカレーターを降りていると、カギを紛失した商品棚が視界に入った。(もう一度捜してみようか)、未練がましく迷っていると、店長の後ろ姿が見えた。商品棚の商品を一つひとつ手でまさぐっている。(あのジジイ、なにか悪さをしていないだろうな)、と確認しているみたいだ。
 憤まんやるかたない思いで睨みつけると、視線を感じたのか店長がふっとこちらを振り向いて目が合った。店長はまずいところを見られたというような表情を浮かべて、罰わるそうに頭を下げる。オイラは一瞬のことでどんな顔をしていいのかわからない。そのうちに二階のフロアに着き、なにか言ってやろうと向かいかけたが、すべての思いを押し殺して、一階へのエスカレーターの段板を踏んだ。