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「江戸っ子はなぜこんなに遊び上手なのか」 その4

2017年10月14日 00時15分47秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「江戸っ子はなぜこんなに遊び上手なのか」 中江 克己 青春出版社 2016年

 笑わせる「豆蔵」とハラハラさせる曲馬 その2

 当初は単純な大道芸だったが、それを複雑にし、演出も工夫して、見世物小屋で演じるようになった。
 そのほか、綾錦、曲独楽、猿楽、物真似など、さまざまな芸が大道芸から出発して、技が磨かれ、見世物小屋の演目となった例が多い。

 軽業は綱渡りや青竹登り、乱杭渡り、篭抜け、人馬(曲馬)、梯子乗り、プランコなど、さまざまな種類があった、いまのサーカスの原型のようなものだった。
 乱杭渡りというのは、長短ふぞろいの乱杭(秩序なく打ち込まれた杭)の上に打ち付けた四角い板を渡っていく。杭は短いもので9尺(約2.7メートル)、長いものは1丈2尺(約3.6メートル)あり、それが10数本、3尺(約90センチ)ほどの間隔を置いて立ててある。広げた傘と扇子を持ち、その杭を身軽に飛び移っていくのだから、客は拍手を惜しまなかった。

 曲馬も人気を呼んだ。馬に立ったままで乗って走らせたり、馬の脇腹にぶらさがったり、飛び降りては飛び乗ったりするなど、馬を自在に操って芸を見せる。

 宝暦年間(1751~63)には、女曲馬が登場し、その意外性が受けて人気を博した。文政3年(1820)5月5日には、奥山に出演中の女曲馬が11代将軍家斉の上覧を得たという。