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「医学不要論」 その1 内海 聡

2017年08月06日 00時07分23秒 | 健康・老いについて
 「医学不要論」 その1 内海 聡(うつみ さとる) 三五館 2013年

 なぜ人は健康を求めるのか―――これについて、私には一つの提言がある。この世の医学者、治療家、セラピストをすべて敵に回す考え方である。
 それは、「健康でないことこそが人間として当然である」という考え方である。
 人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、その不調とつき合いながら自然に生き死んでいくものである。これは医学不要論を提唱するうえで決して外せない概念だ。

 中略

「常に何の不調もない状態が健康」という考え方自体が洗脳されているということに気づかない。それが医療化を生み、さらなる不健康をもたらす。
 健康であるということは、体に何らの症状がないことだと考えている人が多いようだが、私に言わせればそれはおかしい。
 その症状はあなたのセンサーそのものであり、生きている証明そのものである。その症状を愛さねばならない。
 たとえば、あなたが下痢をしたとしよう。一般の人は「下痢をなんとか止めたい」と考える。しかし、その下痢はバイ菌を外に押し出すための防御反応であり、それを止めると病状は長引いたり悪化したりする。そうではなく、その症状は必然であり、その症状を大事にしながら脱水や体力低下に気をつけながら下痢が自然に治まるのを待つことが、実際は最も人体の治癒にとって有効なのだ。
 それを治そうと思うからこそ、医学の奴隷になる。健康ばかり追い求めるからこそ、いろいろな商法が生まれ、詐欺も発生する。(P-112)