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「くらやみの囲碁」 前野 直彬

2014年08月24日 00時05分19秒 | 雑学知識
 「唐代伝奇集 2」 前野 直彬  東洋文庫 16 平凡社  1964年

 「くらやみの囲碁」 P-389

 囲碁の上手な王 積薪(せきしん)が山の中にある寡婦(やもめ)の婆さんの家に宿を借りた。
 その家には姑と嫁が住んでいるきりで、戸はすべてしめ切ったまま、飲み水と火を持って来てくれただけである。
 日が暮れたかと思うと、二人とも錠をかけて寝てしまい、積薪は軒下に横になったが、夜更けになってもまだ眠れない。
 すると不意に、家の中から姑の嫁を呼ぶ声が聞こえてきた。
 「こんなよい晩に、なにも楽しみがないね。お前と一局、囲碁でも打とうか」
 すると嫁は、
 「いたしましょう」と答えている。
 家の中にはあかりもなかったはずだし、二人は東西の部屋に分かれているので、積薪は心の中でふしぎなことだと思い、扉に耳をおしつけていると、嫁の声が聞こえた。
 「ホの9に石を置きましたわ」
 すると、姑の返事があった。
 「ホの12に置いたよ」
 嫁がまた、
 「ルの10に置きましたわ」
 姑もまた、
 「ヌの10だよ」
 石を一つおろすごとに、どちらもしばらく考えていた。
 午前2時を過ぎようというころである。
 積薪はその棋譜をいちいち胸の中にたたみこんでいた。
 すると36手目に突然、姑が言い出した。
 「もうお前の負けだよ。わたしが9目だけ勝ったね」
 嫁もそれを承認した。

 夜があけてから積薪は、正装して姑に指南を仰ぎたいと申しいれた。
すると姑は、
 「お前さんの好きなように一局だけ作ってごらん」と言う。
 積薪はすぐに荷物袋の中から碁盤を取り出し、日ごろの秘術をつくして石を置いたが、まだ10あまりしかおろさないうちに、姑は嫁の方をふり返りながら言うのであった。
 「この人にはふつうの手を教えてやればいいよ」
 すると、嫁が盤を指さしながら、攻めたり守ったり、敵の石を殺したり目を奪ったり、こちらの石を救ったり防いだりする方法を教えてくれたが、その教え方はたいへん簡単であった。
 積薪がもっと説明してくれと頼むと、姑は笑いながら答えた。
 「これだけでも人間界では無敵の名人となるだろうよ」
 積薪はあつく礼を述べて二人に別れ、家を出て10歩あまり行ってから、また引き返そうとしたときには、さっきあった家がかき消えていた。

 それから積薪の芸は、まったく肩を並べる者がないほどになったのである。
 そしておぼえていた姑と嫁の一局をならべながら、精根の限りをつくして9目の勝ちになる筋道を考えてみたが、どうしてもわからなかった。
 そこでこれを「○○の定石」と名づけた。
 それは今でも棋譜にのっているが、結論を出すことのできた人は、まだ一人もいない。