民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「仙人の壷」 南 伸坊 

2014年08月20日 02時23分28秒 | 雑学知識
 「仙人の壷」 南 伸坊 著  新潮社  1999年

 「まえがき」 P-8

 中国の怪談には、奇妙なものが多い。読んだあとにポンとそこらに放っぽらかしにされるような気分です。
 私は、この気分がことのほか好きで、そんなものばかり捜して読んできたようです。
 こうしたジャンルを、中国では「志怪(しかい)」とか「伝奇」とか呼んでいます。「志怪(しかい)」は怪を志(しる)す、「伝奇」は奇を伝えるという意味。
 もともと、中国には孔子様という偉い方がいらっしゃって「怪力乱神」は語らず、ということにしてしまったもんだから、こういうジャンルというのは、いわざ邪道の文になる。
 しかし、だからこそ、中国人は怪しいこと奇妙なこと、ワケのわからないことを、ことさら好きなような気もします。
 中国人の国民性として、合理性、現実肯定といったようなことが言われますが、人間ですから、そう一面的であるわけにはいかない。
 そうした一面が強ければ強いほど、またその裏面のワケのわからなさというのも、それに比例しているのかもしれません。

 中略

 私は、ただ中国の「志怪」の世界で遊ぶ楽しさを、ともにしたいという気持だけで、漫画を描いたのであります。

 「あとがき」 P-204

 壷中ノ天ていうコトバがあります。
 広辞苑では、後漢の費長房が市の役人をしていた時、市中で薬売りの老人が店頭に壷をかけておき、店をしまうとその壷に入るのを見た。老人に頼み一緒に壷の中に入ると、立派な建物があり美酒佳肴がずらりと並んでいたので、ともに飲んで出て来たという故事に基づく、とある。
 小さな壷の口を通り抜けると、そこに別世界がひろがっている。楼閣や二重三重の門や二階造りの長廊下がめぐらしてあるお邸があり、そして、その外にはさらに景色が広がっている。そこはアナザー・ワールドなのだった。
 このイメージに私は、ひどく荒唐無稽でありながら、奇妙に懐かしいような、不思議に腑に落ちる気分があります。

 中略

 一体何が、このイメージの説得力なんだろう? と考えて、フト思いついたのは、壷とはつまり頭蓋骨のことじゃなかったか、というアイディアでした。
 入るはずのない大きなものが、小さな壷に際限もなく入ってしまう。
 大昔の中国人の考え出したイメージが、現代日本人である自分にピタリとくるのは、脳ミソのカラクリが、共通しているからに違いない。
 と、これはまァ、たんなる理屈。そんなことより、なんだかわからないが魅力的な話。奇妙に気になるイメージや、突然中空に放りだされたような面白さにつられて、いつのころからか、中国の志怪や伝奇の世界に遊んできて、ついにはそれを漫画の形にしてみたいを考えるようになりました。

 後略