民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「財布の紐」 向田邦子との20年 久世 光彦  

2014年08月06日 00時30分26秒 | エッセイ(模範)
 「触れもせで」 向田邦子との20年  久世 光彦 著  講談社 1992年

 「財布の紐」 P-17

 20年以上も付かず離れずいて、向田さんに一度もお金を貸したことがなかった。借りたこともなかった。別にきれいなお付き合いをしていたと言いたいわけではない。人と人の間に、できることならお金というものを介在させないでいたい、彼女が普段から思っていたから私たちにそういうことがなかったのである。かと言って、向田さんは決してお金に関わることを卑しいと考えていた人でもなかったし、無頓着でもなかった。むしろ、お金の有り難さや怖さを人よりも十分知っていたのだと思う。それを承知していればこそ、日々の人との付き合いの中で、金銭がなるべく表に顔を出さないように細かい心配りをしていたのである。
 向田さんがある人にお金を貸したのを一度だけ知っている。そのことをとても苦にしていた。そのあと、返すまでも返してもらったあとも、その人が気持ちの上で負い目を持つかもしれないことを気に病むのである。おなじようにお金のことで人に頭を下げるのが嫌だったのだろう。そのときの自分の縮こまった気持ちが我慢ならないのである。男にだって難しいきれいなお金のやりとり、貸し借りが、まして女にできるはずがない、と言っていたのを覚えている。女は男の人に稼いでもらって、それを使わせてもらうのが一番、とも言っていた。男は気前よく財布の底をはたき、女はつましく財布の紐を締める。男に似合うことと、女に似合うことを向田さんほどよく承知している人はいなかった。
 それもこれも、お金の苦労をしなくてよかったお嬢さん育ちだから、と言う人もいるだろうが、そうではない。子供のころはいざ知らず、親に逆らって女独りで家を出て、売れない原稿を書いていたころだってあった。意地も人一倍ある人だったからみっともない真似もできず、お金の苦労がなかったはずがない。ただ、向田さんという人は、そういうときにもお金を<拾わなかった>のである。天から降ってくるお金を感謝して<いただいた>のである。おなじお金を懐へ入れるにしても、この姿勢の違いはあとあと心の高き低きに関わってくる。<拾う>ときには、人間下を向いて屈まなければならない。天の恵みを<いただく>ときには上を向く。<拾った>お金をしまい込めば吝嗇(けち)になり、<いただいた>お金は大切に使うようになる。けれど、これは喩えが少し古いから誤解される向きもあろうが、彼女が修身の教科書みたいに善良な性情の人だったという話ではなく、向田さんが人生について賢かったと言いたいのである。そして、それほどにお金というものは、気持ちの持ちよう一つできれいにもなり、汚くもなるという話である。

 後略