民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「遅刻」 向田邦子との20年 久世 光彦

2014年08月12日 00時03分38秒 | エッセイ(模範)
 「触れもせで」 向田邦子との20年  久世 光彦 著  講談社 1992年

 「遅刻」 P-7

 あれは4月の午後だった。春雨というにはちょっと激しすぎる雨が少し前から降りだして、ガラス窓の向こうの街は急に紗をかけたように白っぽくなった。私はその午後表参道の近くにある喫茶店で向田さんを待っていた。いつも必ずと言っていいくらい遅れて来る人だったから、その分を勘定して行ったつもりだったのに、それでも向田さんはまだ来ていなかった。彼女が死んだあと、誰かが書いた追悼文を読んでいたら、約束の時間に一度も遅れたことのない礼儀正しい人だったというのがあって驚いたことがあるが、それはとんでもない話で、あんなに約束の時間にいい加減な人も珍しかった。でも、もしかしたらそれは私に対してだけで、ほかの人には律儀だったのかもしれない。そう思うと、あの人がいなくなって10年も経った今になって急に腹が立ってくる。私はいつもあの人を待っていた。もう約束の時間を30分も過ぎている。いつも遅刻の言い訳は決まっていた。出がけに電話があって、というのか、猫が逃げてしまって、というのか、他にもう少し知恵がないのかと思うくらいこの二つの言い訳で一生を賄った人だった。今日もそのどっちかで誤魔化すつもりなのだろう。突然の雨に追われて何人かの傘のない客が逃げ込んで来る。雨というものには匂いがあるもので、その客たちが私の席のそばを通り過ぎたとき、どこか艶めいた春の雨の匂いがしたのを覚えている。
 白い雨に煙ると信号の色もにじんで見える。ふだんはさほど風情があるようには思えない青山通りが、こんな日は巴里(パリ)の街角のように見えたりする。そんなことをぼんやり考えながらガラス窓の外を眺めていたら、信号が青になった横断歩道を、向田さんが薄いベージュのスカートをひるがえして走って来るのが見えた。私がここから見ているのをちゃんと知っていて走っているのだ。せめてもの申し訳に走るのである。傘をさしているところを見ると、つい今しがた家を出て来たに違いない。ここは彼女のアパートから2分とかからない。スローモーションのようにゆっくりと、それなのにひらりひらりというのがあの人の走り方だった。女学校のころハードルの選手だったというのも本当かもしれない。
 私はあからさまに嫌な顔をしてみせたつもりだったが、彼女はしらばっくれてにこにこ笑っていた。言い訳は電話だったか、猫の脱走だったか忘れたが、とにかく向田さんはほんの2、3分遅れてきたような顔で私の前に格好よく足を組んで座る。取り立てて長い足とは言えなかったが、足の組み方の上手な人だった。そして、その日も素足だった。私の知っている向田さんは、いつも素足だった。くるぶしのあたりに、走って跳ねた泥が飛んでいた。ストッキングに跳ねてこびりついた泥は醜いものだが、素足のそれはちっとも嫌な感じではなかった。でも、それは向田さんだったからそう思ったのかもしれない。その泥を気にしておしぼりで拭いたりしないで、平気な顔をしているのが彼女らしかった。そういう無頓着のふりをして無邪気な可愛らしさに見せるあたりは、ちょっと人に真似のできないものがあった。手に持った裸の財布と、キーホルダーもつけないやはり裸のドアの鍵を、何気なくテーブルの上に投げ出し、格好よく足を組んでみせるだけで、相手に30分も待たせたことを忘れさせてしまう、そんな狡(ずる)くて可愛い人を私は彼女以外に知らない。向田さんは、人生のすべてにおいて、あの雨の日の<素足)のような人だった。

 後略