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「大道芸の流れ」 大野 桂

2013年04月12日 00時07分30秒 | 大道芸
 「大道芸・寄席芸」 日本の伝統芸能 7 所載  大野 桂

 <大道芸の流れ>

 大道芸は日本の伝統芸能の原点です。
 大道芸の源(みなもと)は、奈良時代に中国から日本へ伝来してきた「散楽(さんがく)」です。
散楽は、曲芸、奇術などの雑芸で、能や歌舞伎のルーツといわれます。

 散楽の流れは、平安時代には田楽(でんがく)に伝わり、
室町時代、放下師(ほうかし)という人々が曲芸や曲技を演じました。

 江戸時代に入ると、江戸、大阪、京都の三都で、都市文化がすすみ、路上に人があふれ、
大道芸の最盛期をむかえ、三百種もの演目があったといわれます。

 そのうち、おもなものは、万歳、猿廻し、獅子舞、太神楽、人形まわし、太平記読み、ひとり相撲、
居合抜き、曲ごま、曲まり、軽業(綱渡り、篭抜け、はしごのり、など)と数えきれません。

 大道芸は、大きく分けると、「門付け芸」と「見世物芸」の二種類があります。

 門付け芸は、家々の門口に立って、その家の繁栄を祝い、
悪いことがおこらぬように厄払い(悪魔ばらい)のための芸を演じて、お礼をもらうものです。
万歳や獅子舞、太神楽がその代表です。

 見世物芸は、神社の境内や盛り場といった、人の集まる場所の露天や仮小屋で芸を見せるものです。

 見世物芸のなかには、薬や歯磨き、飴(あめ)などを売るのが目的で
大道香具師(やし)(露天商)が演じる芸(居合抜き、曲ごま、曲まり)もふくまれます。

 見世物芸が盛んだったのは、江戸では上野山下、浅草奥山、両国、広小路でした。

 大道芸は、ほとんどすべての芸能の源(みなもと)となりましたが、
屋内の寄席や劇場で演じる芸能にくらべて、当時は社会的にあまり高く見られませんでした。

 江戸時代の終わりから明治時代にかけては、大道芸の世界で、
珍獣や異形(いぎょう)の人間の見世物、のぞきからくりなどが人気を集め、
また屋外で音楽や歌を聞かせる新内流し、演歌師も新しく登場、
のちに出てくる流しのギター弾きも大道芸といえるでしょう。

 大衆に人気のあった大道芸も、明治以後、日本が近代化してゆくにつれて勢いを失い、
芸能の中心は劇場に移っていきました。
さらに、第二次大戦後は、テレビをはじめ新しい娯楽が生まれ、また都市の道路も規制され、
大道芸はおとろえました。

 しかし、近年になって、伝統文化の見直しの動きと、国際的な大道芸復興のもりあがりで、
大道芸がふたたび活性化してきました。