民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「さんすけ」 水沢 謙一

2012年06月21日 22時44分56秒 | 民話(語り)について
 おわりに(解説) 「おばばの夜語り」 安藤 マス 語り 新潟の昔話 水沢謙一

 昔話のことを、里方の村々では、<むかし>と言いました。
古くは、「むかし、あったてんがな」と語りだす昔話だから、そう言ったのです。
そして「むかし」を略して、たんに、「あったてんがな(あったとさ)」と語りだすようになりました。
 語り手が、「あったてんがな」と語りだすと、聞き手は、「さんすけ(そうか、そうか)」と言って、
合いの手を入れるのが、古い聞き方でした。
語りのところどころに、「さんすけ」を入れて聞く。
語り手は、聞き手が、「さんすけ」を言わないと、語りにくいと言います。
「さんすけ」は、聞き手が聞いていることを示すとともに、話を先へと進ませるのです。
つまり、昔話は、語り手と聞き手が、一体になって、語られ聞くことによって、話が展開していきます。

 語り手の、おわりの語りおさめには、「いきがポーンとさけた」と言います。
「いき」は「一期」のなまり、ポーンは、なくともよいのです。
「さけた」は「栄えた」のなまり。
つまり、「一期栄えた」で、一生安楽に暮らしたという意味なのです。
 もともと、しあわせな物語の語りおさめだったのですが、もとの意味がわからなくなって、
話の終わりに、「いきがポーンとさけた」と言うようになりました。
今でも、遠い山村では、昔話の語りおさめを「いちごさかえた」と言います。

 ところで、「いちごさかえた」とは、具体的には、どういう生き方を言うのでしょうか。
越後の古いことわざに、

 いつも花咲く 三月のころ、
 かか十八の、おれが二十、(はたち)
 死なぬ子の 三人 みな親孝行
 減らぬ 金の 百両

 一年のうち、気候的には、いつも花咲く三月のころであればよい。
 かかは十八、おれは二十で年若く、
 死なない子供が三人いて、みな親孝行で、
 いつも手元に百両の金があればよい。

があって、庶民の生活理想をうたいあげていますが、これこそ、「いちごさかえた」の中身でした。