音楽を専門的に学んだことのない(音楽大学等で)人の、ジョイントコンサートを興味深く聴いた。その2時間は、あたかもサッカーを見るような高揚感で流れた。コンサートのタイトルが「父と娘によるコンサート」としているように、高齢のテノールと若いソプラノであった。
これまで声楽教室の発表会を数々聴いて、音楽を専門的に学んだことのない人の歌に耳を傾けてきた。そこでは2~3曲を歌うのだが、ジョイントといってもコンサートとなるとそうとうな数を歌わなければならないので、高いハードルを越えなければ実現できないことだ。
テノールは日本の歌、カンツォーネ、アリアなど10曲余り、ソプラノはイタリア古典歌曲、アリアを10曲余り歌った。どのぐらいの年数をやっているのか定かでないが、10曲ぐらいを歌うというのは大変なことだと推察する。
テノールはカンツォーネが得意のように感じた。とくにイタリア語の言葉がよく高音のピアニッシモが心地よく届いた。これはベルカント発声のクラッシックでは、高度な技術が必要なことだ。ソプラノは、アリアの高音など本格的に声を出す歌で3分を超える長いものも歌いきっていた。声、音程、呼吸など乱れることなく歌っているのに、感心した。
もしピアノが弾けず楽譜が十分に読めないとすれば、どのように練習をしているのだろうか、何年ぐらいやっているのかなど、ステージを作るに至る過程を知りたくなった。
なにより驚いたのは、400人収容のホールがほぼ満席であり、花束やプレゼントが受付にたくさん届けられていたことだ。おそらくテノールの人のネットワークだろうと想像し、つながりを大事にしている人なのだと思ったのだった。
テノールの人が「年寄りの道楽に付き合ってもらってありがとう」と謙虚に言っていたが、それが人柄を表す言葉として会場いっぱいが好意的に反応した。
リタイア後の人生を、このように本格的に自己実現を果たして行くのも良いものだと、思いながら21時過ぎの電車に乗って帰路についたのだった。(6-26 伊勢原市)
これまで声楽教室の発表会を数々聴いて、音楽を専門的に学んだことのない人の歌に耳を傾けてきた。そこでは2~3曲を歌うのだが、ジョイントといってもコンサートとなるとそうとうな数を歌わなければならないので、高いハードルを越えなければ実現できないことだ。
テノールは日本の歌、カンツォーネ、アリアなど10曲余り、ソプラノはイタリア古典歌曲、アリアを10曲余り歌った。どのぐらいの年数をやっているのか定かでないが、10曲ぐらいを歌うというのは大変なことだと推察する。
テノールはカンツォーネが得意のように感じた。とくにイタリア語の言葉がよく高音のピアニッシモが心地よく届いた。これはベルカント発声のクラッシックでは、高度な技術が必要なことだ。ソプラノは、アリアの高音など本格的に声を出す歌で3分を超える長いものも歌いきっていた。声、音程、呼吸など乱れることなく歌っているのに、感心した。
もしピアノが弾けず楽譜が十分に読めないとすれば、どのように練習をしているのだろうか、何年ぐらいやっているのかなど、ステージを作るに至る過程を知りたくなった。
なにより驚いたのは、400人収容のホールがほぼ満席であり、花束やプレゼントが受付にたくさん届けられていたことだ。おそらくテノールの人のネットワークだろうと想像し、つながりを大事にしている人なのだと思ったのだった。
テノールの人が「年寄りの道楽に付き合ってもらってありがとう」と謙虚に言っていたが、それが人柄を表す言葉として会場いっぱいが好意的に反応した。
リタイア後の人生を、このように本格的に自己実現を果たして行くのも良いものだと、思いながら21時過ぎの電車に乗って帰路についたのだった。(6-26 伊勢原市)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます