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ぼーっと生きていたっていいんだ!

2020-02-02 15:13:27 | 当世世間事情
 NHKの番組「チコちゃんに叱られる!」は、内容は当初昔の「日本人の質問」(司会古館、回答者に大桃美代子など)に似ていると思った。その番組は、身の回りの何気ないことの理由や意味を気づかせるものだった。
 例えば電車の「シルバシート」と命名されたいきさつは、「チコちゃんに叱られる」の設問にもなっていた。シルバーという言葉は、たまたま大量にあったシルバー色の布を電車の「優先席」に使ったといういきさつがあってのことだ。その後語源とは意味が違いながらものに「シルバー人材センター」といった年寄、老人、高齢者の名称になっている。ぼくは言葉が生まれるいきさつとして興味深く感じていた。なお当時(70年代)は席を譲る人には今の「優先席」のような幅広い人ではなく、おおよそ年配者へのことだった。

 「日本人の質問」はクイズ番組なので3人の回答者は、回答を繰り返しながら正解にたどり着いていた。その過程で回答者の知性が刺激しあうとことに謎解きのような面白さがあった。視聴者がその過程の知的面白さに参加していた。正解を得点化して競うクイズ番組と違う面白さがあった。
 ところが「チコちゃんに叱られる!」は「日本人の質問」のような知性を高揚させるというクイズ番組とは、まったく異なるのだ。一見クイズ番組のように回答者3人と置きながらも、一人を指名しヒントなしに問いかける。設問も一見日常生活の不思議を取り上げているようだが、およそ知らなくても知的な暮らしができるような、学問的な専門性の強いなものがほとんどである。

 「チコちゃんに叱られる!」は、クイズ番組のような形式をとりながら、指名した一人の回答者の誤った回答をするのを「ぼーっといきているんじゃねーよ!」とののしるのだ。しかもののしり罵声をあびせるのが5歳という設定のキャラクター人形ある。この5歳という設定がゆえにそれができるというもの。その意外性、逆転性にバラエティーの面白さを求めているのだろう。
 しかし5歳というキャラクターは、横柄、尊大、傲慢の限りを尽くしているではないか。5歳のキャラクター人形にさせていることは、はたしてユーモアで済まされるのか、もしや万能感に満ちたパーソナリティ障碍を持っている人のようにもみえないだろうか。と書いたが、お笑いを知らない「昭和の人間」といわれそうだ。番組の仕組みとしては、新しいバラエティークイズ番組としてこれまでにない工夫をこらしている。
 正解を解説する専門家に「チコちゃんってすごいね。5歳なのにそんなことも知っているんだ」といった趣旨のことを言わせる。さらにその後のナレーションを抑制的知性の印象の強い森田アナが、回答者がチコちゃんにののしられて後に「のほほんとしてたらチコちゃんに叱られますよ」といってしめる。
 チコちゃんはCGで操作されているようだし、しゃべりは台本があったとしても絶対的人間として状況に応じているので、相当なベテランの人なのだろう。それにその場ではパソコンを使っているだろうし、編集も緻密にやっているのだろう。

 ところで回答者がののしられるのが漫才のボケで、チコちゃんの突っ込みという役割と思い、絶対者のチコちゃんに痛快さを感じて視聴するのが一般的だろうし、番組の知的面白さを感じるというのが趣旨なのだろう。
 しかし出題の内容が専門性が高いものが多く、そのことを知らなくても十分知的な生活を送れるのではないか。だから「ぼーっと生きていていいんだ!」と思うのだ。
 チコちゃんを5歳のキャラクター人形という設定で、回答者を一刀両断をする絶対者にしている。それに共感しているうちに、万能感を持った人間の、その力に共感してはいないだろうか。
 世界や日本を闊歩している、ト〇ンプやア〇首〇といったタイプの人に共感する人とダブってしまうのは、考えすぐであればよいのだが。

 なお、NHKで昨年日本の城郭を扱うクイズ式進行をした番組があった。回答者が落語家の三遊亭昇太と俳優の高橋英樹という城郭に詳しい人で、司会はTBSの昼の時間帯をバラエティーのMCをしている人だった。司会者が回答者に教えられるという、意外性をもった形式になっていた。司会をした人がお笑い出身であるが、自分の番組を仕切っている感じと異なる進行はどんな思いだったのだろう。

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