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新コロナの日々

2020-03-15 14:44:25 | 当世世間事情
①ぼくの暮らしは、人が行き交うところに出るのはせいぜいスーパーでの買い物ぐらいであり、人ごみというほどのところには出ない。隔週に電車を3回乗り換えて4つの線を利用して2時間ほどかけて出かけるのが人ごみといえる。2月5日に出かけた際は、電車の利用者が少なく、世間の実際の動向を実感した。電車の吊革に触って大丈夫だろうか、と普段考えもしない体験になった。飛沫感染といわれながらも、空気も気になった。
 花粉症なのでくしゃみが出ないか気にかけていたが、幸いでないですんだ。

②今では換気も大事といわれているが、11日のラジオで医師が「エアロゾル」という概念を使って説明していた。人が言葉や発声の際に出る唾等が空気中に見えない粒状が滞留するため、ということ。飛沫でありながらそれが空気中に滞留すると実質空気感染のようになるとのこと。それを「エアロゾル」ということである。

③1月のクルーズ船や武漢からの救出あたりから、医療や行政として国内対策を立てて警戒しなければならなかっただろうに、対岸の火事としていたのだろうか。テレビメディアは放送時間を多くとっていたが、クルーズ船、武漢からの帰還者の報道が中心だった。武漢で医療や街の封鎖、あるいは1週間の突貫工事で入院施設建設など冷ややかに見ていた節があっただろうか。

④メディアの報道や国民の関心からしたら、かなり遅れて専門家会議が2月24日にいきなり「今後感染拡大するかしないかの瀬戸際」というキーワードで報告をした。医師集団でありながら、医学的データ等の説明がないものだった。続いて26日に首相が全国の学校の休校要請をした。学校は自治体が行政権限があるのだがるのだが、首相が一律要請をした。教育現場は準備が期間がなく困難だっただろうに、28日を最後に休校に入った。
 これは医療的という観点より、簡単に国民的危機意識が高揚させる効果があったのではないだろうか。
 埼玉県が任意に登校可能(学校開放)としたのは、子どもや家庭の実態を踏まえた工夫した判断なのだろう。また栃木県のある町の学校では平常通りを継続した。これらの独自な判断をしたことのその後について知りたいが、報道がないままだ。

⑤「瀬戸際」宣言があってすぐにBSTBSの「報道1730」では上氏が「患者本位に考えて、国立感染研究所中心でなく民間の力を活用してPCR検査を大量にできるようにせねば」と主張していた。当時はぼくは医療界でも研究費配分等の利害や医療の見解があるのだと、新鮮に受けとめたのだった。

⑥新型コロナが問題になってから栃木県にある大学教員の女性が、朝から深夜まで2つの放送局に1日2回以上出演している。冷静でわかりやすい解説である。この人がだんだん憂鬱そうで、時には深刻な思いとも読み取れるようになっている。テレビの出演の疲れもないわけではないだろうが、事態の悪化への懸念もあるのではないだろうか、とぼくには見える。
 余計なことを加えれば、大学受験シーズンでありその広報効果が大きいだろと思ったのだ。大相撲の無観客を惜しむほどの大相撲ファンとのこと。やっぱり余計なことを書いてしまった。

 

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