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きょうだいの年齢差

2004-10-02 11:41:06 | 子ども・子育て・保育
きょううだいの年齢差 (2004年10月02日 (土) 11時41分)

 かつてきょうだいが多かった時代には、一人っ子は問題が多いとされていた。一人っ子が問題とならない子育てについて、相談を受けたことだってあった。一人っ子は、きょうだいの子どもだけの関係がないので、親の影響をより強く受けることになる。わたしはいくつかの話題のひとつに、母親と子どもが密着しがちなるので、夫婦が仲良くして子どもと距離のとり方を工夫し、やがて家族3人のよい関係をつくるとよいのでは、といった回答をした記憶がある。
 それから歳月をへて、少子化時代にあって一人っ子は珍しくない。複数の子どもでも2、3人が一般的である。
 きょうだいが4人~6人だと、10年余りは赤ちゃんのいる暮らしで、きょうだいでも10歳くらい離れているので、家族構成が異質の者の集まりになる。つまり上の子どもが高校生で、下子どもが幼児ということである。ある子どもが勉強やスポーツに向かっているときに、下の子どもは無邪気に遊んでいるという家族の風景である。この家族の異質さが家族として必要な緊張をつくったり、下の子どもの行動で心和むことも共有できるのである。

 ところで今日で子どもが複数の場合、きょうだいの間隔がかつての多いときと同じようにせまいのが、一般的である。2、3人のきょうだいだと、赤ちゃんのいる年月は、3~5年ぐらいになるだろうか。
 このことは、出産を担う女性のライフサイクルのあり方として、考えられている場合がある。とくに乳幼児期の子育てに手がかかるので、集中的にやった方がよいとするのである。さらにまとめてやったほうがラクであり、子育てに人生の長期間費やしたくない、という発想もあろう。出産という女性の「負担」からすると理解できるのだが、子育てが女性の「負担」をかかえる仮の姿であるとするならば、残念な思いになる。
 今日の虐待のような事例と結びつけるのは強引なのでひかえなければならないが、多かれ少なかれ「負担」感から逃れたいということが底流にある。離乳食、紙おむつ、さては早教育などの育児用品が巨大市場になっていることからも推察できる。
 もっともこの「負担」は女性が出産を担うが、子育てを女性だけに委ねるのではなく、子育てという人間の楽しい営みを男性も謳歌すべきであろう。夫婦の共同の仕事であり、それが家族のつながりをつくり家庭の営みになっていくのである。

 ところで2、3人の少数きょうだいが接近している場合は、家族が異質の課題をかかえてこれを認め合い寛容になるということは難しくなる。つまり小学校時代にスポーツクラブへ入ると家族中が子どものスポーツを中心に回るようになる。やがて受験時期には高校受験大学受験と、数年間は受験家族になるのである。家族が、きょうだいの同じような課題と共に動くことになる、ということである。

 少数のきょうだいの接近を、子育てとして検討してみることにする。子育てを作業としてイメージすると、一見まとめてできてラクそうだ。ところが子どもの発達課題に即した対応となると、とくに乳幼児期はとても困難がともなう。1年や2年違ったら課題がまるで違うため、まとめて面倒見られないからだ。まとめて面倒見ていることに無理があるのに、そうしようとするため思い通りにならなく、ストレスとなっている場合が多いと思われる。
 昼寝の例をとって、検討してみよう。3歳と1歳の2人きょうだいだとする。3歳過ぎると昼寝をしなくなるし、1歳だと2度寝が必要である。下の子どもを寝かせて上の子が遊ぶ、という接近しているきょうだい2人を異質な活動をさせなければならない。子どもは親に同じようなかかわりを求めることが多いから、親はどう対応したらよいか困るのである。これは親としては2人の課題を理解して仕分け、子どもに対応するたびに頭を切り替えなければならない。これは子どもの発達についての知識があって、子育て経験があっても大変難しいことなのである。
 もしきょうだいの課題が分からなくまとめて面倒みるとすれば、2人とも1度の昼寝にするか、あるいはそんなことにも無頓着で眠くなったら寝せる、ということになる。とくに眠くなったら寝せるということだと、こどもは不機嫌になったりぐずったりすることも多くなる。親としては心穏やかでなくなる場合も起きる。
 今日の子育てで問題にされることがないが、わたしは少数きょうだいで接近した場合の困難とそれによるストレスが、大きな位置を占めていると考えている。子どもが2人になると2倍ではなく3倍4倍に大変になるのではないだろうか。
 この子育ての困難の解決法は、保育園に通園する場合軽減される。自宅の場合は、2人のきょうだいを切り離す時間帯を作る工夫が必要である。たとえば上の子どもの遊びに付き合って軌道に乗ったら一人で遊ぶと諭して了解をさせて、下の子ども昼寝にかかわるという具合にする。また知り合いが近所にいて可能だったら、午前中あるいは昼寝後どちらかの子どもを預けるといったことが出来るとよい。子どもと親の分離は、再会によってハッピーな分離体験になるはずだ。

 ところで少数きょうだいに関しては、可能であれば3、4歳以上離れていたほうがよい、と考えている。一人一人の子どもにじっくり向き合う子育てができるし、子育て体験が蓄積してから2番目の子どもにゆとりをもってかかわれる可能性が多いからである。家族の構成が異質のため、きょうだいを同一視したり比較することは少なくなる。きょうだいの違いを相対化し、寛容に見られる可能性が大きいのである。
 きょうだいどうしでも接近しているとおきがちな、機械的平等や競争や嫉妬の感情が渦巻くことは緩和されるだろう。きょうだい同士が面倒見たり見られたり、譲ったり譲られたり、ゆとりのある関係が出来るであろう。そんな子どもが多くなれば、学校等での子ども同士の関係も穏やかになるのではないだろうか、と想像してみるのだ。
 家族は、かりにきょうだいが3人だとすれば、15年以上子どもの成長にかかわれるし、子どもの独立となると、親の壮年中期(40歳台)から老年初期(60歳台)ぐらいの長きに渡って見届けられる。そんな家族のライフサイクルというのは、どんなものだろうか。もっとも夫婦(家族)の条件によるので、全てのケースに当てはまらないのは、いうまでもないことだ。今日の子育ての表面化しないことを、考えてもらおうということである。

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