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東南アジアへの小さな旅(5)

2014-07-08 15:07:33 | 生活・教育・文化・社会
5.喧騒とのんびり

 街の商店は、小物の土産店、時計店、コーヒー店、絵画店、洋品店など専門店が多く品揃え豊富である。すぐそばの道路の喧騒とは対照的に、客の動きもなく店の人はのんびり構えている。

 道すがらの店の傍らに、昔ながらの天秤を担いだ物売りの高齢女性が休んでいた。どのぐらい歩いたのだろうか、売れゆきはどうだったのか、など思いをめぐらした。またこぎれいにした高齢女性が、はだしでゆっくり道路を横断していたのがぼくの目を引いた。昔ながらの生活スタイルで暮らしている人もいるのだと。これらは90年代初頭と変わらぬ風景で、ぼくはノスタルジアと親しみを感じた。

 バイクや車を解体した部品を販売している店がある。再利用できるごみの積まれた店は、大量のペットボトルが積まれていた。ペットボトルの回収をして歩いている人を見かけたことと結びついた。
 2時間余りあっちこっち歩いて、夕暮れ時にホアンキム湖についた。歩道の平板が石畳といってもよいように整備され、ベンチがあり掃除もゆきとどいていた。巨木がしげり街灯に照らし出されるベンチには、人々が談笑していた。

 夕方の歩道は、おしゃれな格好をした若い人が椅子にかけてのんびりとたばこを吸っているを多く見かけた。たばこを吸うことがゆとりの証でもあるのかもしれない。それにスマホをしている人がめずらしくないぐらい、普及している。中には自転車に乗りながらやっている人がいて、はらはらしてしまった。

 車道は、歩道側が低く造られている。その構造はどのような意図なのだろうと、と考えてみた。ぼくが想像したのは、スコールの大量の雨を一時的にとどめておく機能かもしれないと。しかしごみが棄てられているので、その理由は揺らいだ。
 夕暮れ時になったらそこにごみを棄てる人がいた。それを観察しながら歩いていたら、生ごみは含まれていないようであり、そこに置くという感じでもあった。そのなぞはすぐ解けることとなった。リヤカーを引いた女性が道路のごみを回収していたのだった。ある時間になるとごみを回収するルールのようだ。どうやら歩道側の低い構造は、ごみを置くためでもなさそうだ。
 ハノイの街の商店は、大量消費が想定されていないので商品が多く整っているが、のんびりしているのだ。この歴史的風格のある街を歩くにはユニクロが似合う。決してダメージジーンズなどはかない方がよいだろう。
 歩き続けて足がだるくなった。くたびれたので、日頃テニスをやっているのと歩きは関係ないようだ。友人2人は余裕で歩いていたので、その強さに感心したのだった。
 日が沈んで明かりが街を照らすころに、やっとハノイ滞在の友人が予約していた夕食のレストランに着いた。ベトナム女性2人が「こんばんは」と迎えてくれた。


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