今日、ブログを書く人は特に沢山いらっしゃるだろうと思います。
3月11日。
あの日のことは鮮明に覚えています。
議会中で、私は建設部に聴きたいことがあって部長と話をしていました。新しく建設される住宅内の道路位置の確認をしていた時に、足元が揺れ始め、じょじょに強く激しい揺れになって、庁舎全体がゆがむようにぐらぐらミシミシと動き、机の書類は流れ落ちて棚の地図もなだれ落ちてきました。
本来、来庁されている市民の方達の安全を優先にするとされていますが、実際はそんなすぐに行動にうつれない。
女性職員は悲鳴をあげてうずくまり、体の大きな男性職員は、むりやり机の下に片方の肩だけいれている。
私はそんな状況を立って、口あけて、ただ見ているだけ・・・。
なさけない。
市長候補に名乗りをあげて、事務所も構えていたときでしたが、事務所に帰ってからも、テレビの画面をみんなで凝視していました。
なんて無力・・・。
夕方から、リュックに水とパン、生理用品を詰めて、避難場所になっている中学校にいきました。消防団と市の職員が複数、緊張した面持ちで立っていました。
帰宅困難な人が徐々に体育館に来られていましたので、今度は稲城駅に向かいました。
駅の改札口前には大勢の人。駅ビルのスポーツ施設からの水が改札近くの天井からびちゃびちゃ漏れている。
避難場所への誘導は?と見ると、改札口に市の職員が黙って地図を渡してる。
あのさ。住んでる人は中学校、わかるかもしれないけど、仕事に来ている人はほとんど知らないよ。それに真っ暗の道、誘導も少ない中、たどりつけないよ。
それで、声を張り上げて「避難所に行く方!こちらへ!一緒にご案内します!」と言って、足の不自由なおば様につきそいながら、ぞろぞろと中学校にあるいていきました。
途中、立っている職員に、声をあげて誘導するように言いながら。
体育館の中には、若い女性達がけっこういらっしゃったので、生理用品にお困りのかたは?と一人ひとりに声かけて配ってまわりました。これは若い消防団員にはなかなか難しいことですね。
何回か駅と中学校を行き来したあと、不安そうに歩いている人に声をかけていって、家まで歩く人などにパンと水を提供。
このくらいしか出来ない。もっと困っている人はまちにあふれていたと思います。
本日は、様々なところで追悼式典や、脱原発行動、講演、復興支援イベントが行なわれます。テレビも特集番組を一日やっています。
この日をわすれてはいけない。
でも、
この日を単なる「記念日」にしてはいけない。
これから、孤独や失業からの生活苦に耐えかねて、心が折れてしまう人、命を絶ってしまう人が、きっと沢山いらっしゃる。親御さんを失った子どもたちのこれからが、物心両面で閉ざされてしまうことが考えられる。
今日のこの日を、これからの長い支援の改めてのスタートの日としませんか。
今、私は以前にも書きましたが、東北の主に有機農業生産者と、八木澤商店の樽支援(お醤油です)を毎月送金で応援しています。
あと、脱原発。自然エネルギーの学習会などやっていますが、まだまだ、自分がやるべきことを模索しています。
深い悲しみを、すぐに癒す方法を私は知りません。だから。
できることを 息長く やっていきます。やっていきましょうよ。
3月11日。
あの日のことは鮮明に覚えています。
議会中で、私は建設部に聴きたいことがあって部長と話をしていました。新しく建設される住宅内の道路位置の確認をしていた時に、足元が揺れ始め、じょじょに強く激しい揺れになって、庁舎全体がゆがむようにぐらぐらミシミシと動き、机の書類は流れ落ちて棚の地図もなだれ落ちてきました。
本来、来庁されている市民の方達の安全を優先にするとされていますが、実際はそんなすぐに行動にうつれない。
女性職員は悲鳴をあげてうずくまり、体の大きな男性職員は、むりやり机の下に片方の肩だけいれている。
私はそんな状況を立って、口あけて、ただ見ているだけ・・・。
なさけない。
市長候補に名乗りをあげて、事務所も構えていたときでしたが、事務所に帰ってからも、テレビの画面をみんなで凝視していました。
なんて無力・・・。
夕方から、リュックに水とパン、生理用品を詰めて、避難場所になっている中学校にいきました。消防団と市の職員が複数、緊張した面持ちで立っていました。
帰宅困難な人が徐々に体育館に来られていましたので、今度は稲城駅に向かいました。
駅の改札口前には大勢の人。駅ビルのスポーツ施設からの水が改札近くの天井からびちゃびちゃ漏れている。
避難場所への誘導は?と見ると、改札口に市の職員が黙って地図を渡してる。
あのさ。住んでる人は中学校、わかるかもしれないけど、仕事に来ている人はほとんど知らないよ。それに真っ暗の道、誘導も少ない中、たどりつけないよ。
それで、声を張り上げて「避難所に行く方!こちらへ!一緒にご案内します!」と言って、足の不自由なおば様につきそいながら、ぞろぞろと中学校にあるいていきました。
途中、立っている職員に、声をあげて誘導するように言いながら。
体育館の中には、若い女性達がけっこういらっしゃったので、生理用品にお困りのかたは?と一人ひとりに声かけて配ってまわりました。これは若い消防団員にはなかなか難しいことですね。
何回か駅と中学校を行き来したあと、不安そうに歩いている人に声をかけていって、家まで歩く人などにパンと水を提供。
このくらいしか出来ない。もっと困っている人はまちにあふれていたと思います。
本日は、様々なところで追悼式典や、脱原発行動、講演、復興支援イベントが行なわれます。テレビも特集番組を一日やっています。
この日をわすれてはいけない。
でも、
この日を単なる「記念日」にしてはいけない。
これから、孤独や失業からの生活苦に耐えかねて、心が折れてしまう人、命を絶ってしまう人が、きっと沢山いらっしゃる。親御さんを失った子どもたちのこれからが、物心両面で閉ざされてしまうことが考えられる。
今日のこの日を、これからの長い支援の改めてのスタートの日としませんか。
今、私は以前にも書きましたが、東北の主に有機農業生産者と、八木澤商店の樽支援(お醤油です)を毎月送金で応援しています。
あと、脱原発。自然エネルギーの学習会などやっていますが、まだまだ、自分がやるべきことを模索しています。
深い悲しみを、すぐに癒す方法を私は知りません。だから。
できることを 息長く やっていきます。やっていきましょうよ。
まあ!お住みになっているマンションが、東電とは違う電力と契約を!それは感度のよいオーナーさんですね。
私はそのような小さな単位で契約できるとは知りませんでした・・・。
ありがとうございました。
「脱原発」については、「岸田コラム」2012年3月2日を薦められました。心のどこかにひっかかっていた疑問を再認識。
日本は少子化でも、猛烈な勢いで人口増加中の地球上に住み続けることの難しさや矛盾、子供達のために、勉強しなければいけないことが山積みです。
せめて、自分で選んだ議員さん達の議会での活動への目を忘れないようにしたいものです。今後も知られざる議会の様子を知らせてください。
本のおすすめを頂きましてありがとうございます。早速読んでみますね。
あふれんばかりの情報を、冷静に判断することが必要な時代になりましたね。
これからもよろしく!